ルーファウス 神に呼ばれる日まで伝えたい事 『 1000の言葉 』。一度限りの二度無い人生

『 1000の言葉 』 良い物を取り入れて、悪い物は取り入れないで下さいませ☆

五月五日 鯉上りの由来

2016年04月24日 10時27分01秒 | 日記
伍子胥(ごししょ):紀元前500年頃
孫氏の兵法を作ったと言われる孫武と、共に戦った戦友。


【中国での物語】

ある国の栄華を築く為に、とても力を注いだ漢がおられました。

自分の父の敵討ちの夢も叶いました。

共に栄華を築いた親愛なる王が亡くなり、王の息子が王を務める様になりました。

息子王は、何かと忠告をしてくる伍子胥を煙たがりました。

出世欲に駆られた悪い家臣に、伍子胥が謀反を企んでいると嘘をつかれ

息子王が信じてくれなかった伍子胥の忠告の、隣の国が攻めて来る事を悲しく思い、

『我の目を、敵の国に向けて城門の上に置け!』と言い自害しました。

息子王は激怒し、伍子胥の遺体は自害時の約束は叶わず

馬の革袋に入れられ川に投げ捨てられました。

国民達は、非常に悲しみました。
(伍子胥の為に祠(ほこら)を作り、祀りました。)

その後、伍子胥の忠告通りに隣の敵国に攻め滅ぼされ息子王は、

伍子胥にあの世で合わせる顔が無いので、

我が自害したら顔に布を掛けてくれと部下に頼み自害しました。

国民達の意思は今でも引き継がれ、鉄の棒の上に目を作り

川に遺体を流された伍子胥様が、鯉(こい)の様に天高く舞い上がれる様に、

五月五日を、伍(5)子(5)と取り

今でも追悼(ついとう)の意を示しているのです。

信じるか信じないかは、あなた次第。










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