錦鯉とカメラ

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今日のカメラはMercuryⅡ&minolta HI-MATICです

2017-08-21 11:36:05 | 趣味

2017年8月21日


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MERCURYⅡカメラヤフオク!
ユニベックスマーキュリーは戦前のマーキュリーI型と戦後のII型がありI型には自社製フィルム(専用マガジン)が必要です、戦後のII型になって市販の35mmフィルムが使えるようになりました。
本体は総アルミダイキャストの精密で頑丈ですがハーフ判としては少々重いカメラです。
マーキュリーの大きな特長はカメラ上部の半円形の突起です、中にはロータリー式メタルフォーカルプレーンシャッターが収められている。
半円形の衝立は Shutter Chamber の一部でシャッタースピードは2枚の円盤で作られるスリットの幅(開口部)で決められ、この円盤を組み合わせてできるスリットは平行ではなく扇型になっており、シャッタースピードの設定はシャッターダイアルを押しながら回すと二枚の円盤の一つだけが回転して必要な扇形の開角度を作り出す方式です、最低速の1/20秒で約120°の開角になり1/1000秒ではスリット幅は外側の一番広いところでも3mmくらいと狭くなる。
『MERCURYⅡ(画像)』

minolta HI-MATICカメラヤフオク!
1929年発売のベスト判カメラ「ニフカレッテ」に始まる。
その後二眼レフカメラを得意としていたが1947年発売の「ミノルタ35」を皮切りに次第に35ミリカメラに開発の比重を移していくこととなる。
1962年NASAの厳しい試験をクリアした35mmレンズシャッターカメラ「ハイマチック」がグレン中佐乗り込むフレンドシップ7号の宇宙飛行用カメラとして採用されフレンドシップ7号にちなんで製品名称に7を多用するようになる。
ミノルタのカメラが普及した背景には技術力もさることながらミノルタのCM戦略も大きかった。
1980年宮崎美子を起用した「X-7」のCMが大ヒット、X-7は瞬く間に当時のベストセラーモデルとなりました。
1985年発売、世界初のシステム一眼レフカメラ「α-7000」に始まるオートフォーカス一眼レフカメラのαシリーズはマニュアルフォーカスとの互換性をなくし絞りもボディー側から電子制御する等電子化された新マウントミノルタAマウントを採用し第1回ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど日本のみならず世界中でのヒットとなったが1987年アメリカ合衆国ハネウェル社が同社の保有するオートフォーカス技術の特許侵害で訴訟を起こしミノルタは約1億ドルもの和解金を支払うこととなりました。
この特許侵害訴訟ではサブマリン特許という概念が日本企業に認知されました。
このハネウェルとの特許訴訟に敗れたことに加え、キヤノン・ニコンが地道に改良を重ねやがてカメラの売上でミノルタを上回るようになる。
デジタルカメラの開発では競合他社に大きく遅れをとり、2003年コニカと合併しコニカミノルタホールディングスとなってからもCCDイメージセンサを動かすことで手ぶれを補正する「アンチシェイク」など独自の技術で他社に挑んだものの努力は実らず次第に業績が悪化しました。
2006年1月19日、コニカミノルタホールディングスは翌2006年3月末に写真フィルムからレンズ・カメラに至る全ての写真関連分野から撤退することを発表しました。
「α」ブランドを含むデジタル一眼レフカメラについては先に提携を発表していたソニーに譲渡し同時期をもって長年続いたミノルタのカメラ事業は幕を閉じました。
『minolta HI-MATIC(画像)』

錦鯉(youtube)
5t池に85㎝を頭に15匹泳いでます。






 

Stylophot Penカメラ(youtube)




 

小千谷市錦鯉の里オーナー鯉





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