コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
生○○○一
(
たんなるエスノグラファー
)
2010-06-17 23:06:57
著作でしか知らなかった憧れの大先生にひょんなことから会いに行くことになった、心臓が止まるかと思った、著作にサインもいただいた、夕飯もご一緒させていただいた、その後H本駅方面にふつうに歩いてお帰りになられたのである、今日は、そのことで幸福感に満ちている、Nさんどうもありがとうございました、話の内容それ自体については、よろしくお任せします。
こんばんは
(
K
)
2010-10-31 23:36:56
初めてコメントを書かせて頂きます。
少し話題に出ていたペットに関してです。
日本では現在、「コンパニオンアニマル」という呼称が用いられるようになっています。そして、動物を家族や友人として受け入れている飼い主がいます。
このような状況は、自然と社会に何らかの連続性を見出せると捉えられるのでしょうか?それとも、むしろヒト中心主義と捉えるべきなのでしょうか?
Re: こんばんは
(
たんなるエスノグラファー
)
2010-11-01 10:42:44
質問ありがとうございます。コンパニオン化することで、対象動物と一体化しているという点では、ある意味で、人間と動物を連続性のもとに捉えている(自然と社会の連続性)ということができるのかもしれませんが、動物をペットにすることが、そもそも人間からの一方的な行為でありーー動物は人間をペットになどしないーー、その意味で、ヒト中心主義の一つの課題ではないかと思います。<牧畜>と<ペット>は、人間と動物の関係を考えるさいに、これまでのところ、わたしが個人的に見出した、難問中の難問です。ペットに関しては、全体の見通しさえいまだ立っておらず、やや手に負えない感があります。とりいそぎ。
コメントを投稿する
名前
タイトル
URL
コメント
※絵文字はjavascriptが有効な環境でのみご利用いただけます。
▼ 絵文字を表示
携帯絵文字
リスト1
リスト2
リスト3
リスト4
リスト5
ユーザー作品
▲ 閉じる
コメント利用規約
に同意の上コメント投稿を行ってください。
コメント利用規約に同意する
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。
サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
少し話題に出ていたペットに関してです。
日本では現在、「コンパニオンアニマル」という呼称が用いられるようになっています。そして、動物を家族や友人として受け入れている飼い主がいます。
このような状況は、自然と社会に何らかの連続性を見出せると捉えられるのでしょうか?それとも、むしろヒト中心主義と捉えるべきなのでしょうか?