カトリックコミュニティ掲示板

分野・種類に限らず、カトリック関係の記事を掲載します。

マリア・ワルトルタの著作について

2022-12-05 21:20:16 | 日記
マリア・ワルトルタ(1897~1961)の著作について

「今信者にどんな本を一番薦めたいか」と聞かれれば、わたしなら、
「マリア・ワルトルタの著作」と答える。

 クリーム色の表紙で、あかし書房から出ている。『マグダラのマリア』
『聖母マリアの詩』『キリストと出会った人々』など全10巻だ。
最近は天使館からも刊行されている。そのひとつを手に取れば良いと思う。

 ある信者さんが、「まるで週刊誌でも読むように」感じたと言っていた。
わかりやすすぎて逆に困惑したようだ。
教会の読みものといえば難しいもの、という観念があったのかもしれない。

 わかりやすく、しかもカトリック教義がしっかりと教えられる。
聖書からは読み取れないキリストや聖母の優しさや愛が語られる。
信者はキリストや聖母への思いが変わることだろう。
慰めと喜びに満ちた著作だ。 

 この著作は聖書学者でも何でもない女性によって書かれた書物だ。
しかし聖書学者でさえ、「聖書解釈、歴史、考古学、地形学の分野に
注意を払って読んだ。聖書解釈に関しては、検討した限り、
特に際立つ間違いは見つけられなかった。間違いは見つけられなかった
どころか、考古学上の、また地形学上の記述の著しい的確さには舌を
巻いた。」と述べている。

 著者は病人だ。病床の上でこの書物を書いている。この書物はいわゆる
私的啓示の本だ。聖書の風景が著者の心に示され、2000年前の映像を
見せられ、これを記録してゆく。キリストや聖母がそれぞれの場面に
教訓的なコメントをしてくださる。

 学者と言われる人々はこの書に注目しないだろう。私的啓示を軽視して
いるから。しかし受け入れることのできる人々はこの書物から
数え切れない光を受けることだろう。実際わたしの周りにも影響を
受けた人が多く、効果は小さくないようだ。

 教皇庁諮問委員もしている神学者はこう述べる。「中等以下の教育を受けた女性である著者が、不可思議な力の影響をこうむらずに、これほど
とてつもない課題と内容をもつ書物を書くことなど絶対に不可能だと、
私は考える。・・・この全集には、思索にしても、文体にしても、
光彩を放つ見事な頁が散在している。」

 この書を知らないことはもったいない。カトリック信者ならなおさらだ。
信仰の枯れかかった時代に生きる現代の信者への、神からの特別な
プレゼントだと、ためらわずに言う。私的啓示を軽視している人々は、
神からの大変な賜物を無駄にしている。

ローマ大学医学部教授であったニコラ・ペンデ氏は語る。
「医者である私が驚きと賛嘆を禁じえないのは、十字架上の臨終者
キリストの場面の叙述である。それは,経験豊かな、ほんの一握りの
老巧な医者のみが語ることができる現象学である・・・」

マリア学の権威者で神学者が言っている。「彼女のマリア論は、
私にとってまことにひとつの啓示であった、と率直に
告白しなければならないと感じている。
マリア関係の書物全体をもってさえも、“神の傑作”(マリア)
についてのかくも明快な、かくも強烈な、かくも完成された、
かくも生き生きと輝きを放つ、かくも心を魅了する、
単純素朴だが同時に崇高なひとつの思想を、私に与えることは
できなかった。」

 神学の専門家ではないが、わたしも同感だ。
                           
ブログ「神父の放言」より

連祷による「霊的花束」の贈りかた

2022-11-01 01:07:19 | 日記
連祷による霊的花束

カトリック教会では、お祝いやお礼、お見舞いなどに、「霊的花束」
(祈りの花束ともいうことがあります)を贈る美しい習慣があります。
これは、お祈りを花に見立てて、お祝いやお礼、励ましなどのために、
意向にふさわしい祈りなどをすることです。 どのような祈りを
どの位したかを、きれいなカードに書いたりして 霊的花束として、
相手の人に渡すこともあります。また霊的花束は、教会などで
みんなの祈りをまとめてささげることもあります。また、
現代ではインターネットが発達し、これにより、より容易に、
メール、ツイッター、などでも、「霊的(祈りの)花束」を
送ることが、行われるようになりました。

【霊的花束の一例】

○○さんの、ご病気が一日もはやく快復しますように、
この「霊的花束」をおおくりします。

聖母マリアの連祷 1回 聖ヨゼフの連祷 1回
諸聖人の連祷   1回 聖霊の連祷   1回

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 イタリアロレートの聖母の連祷


   【ロレートの聖母】

主あわれみ給え。
キリストあわれみ給え。
主あわれみ給え。

聖マリア、われらのために祈り給え。
聖なる神の御母、われらのために祈り給え。
童貞のうちにて いとも聖なるおとめ、われらのために祈り給え。
キリストの御母、われらのために祈り給え。
神の恩恵の御母、われらのために祈り給え。

いと潔き御母、われらのために祈り給え。
いとみさお正しき御母、われらのために祈り給え。
終生童貞なる御母、われらのために祈り給え。
汚れなき御母、われらのために祈り給え。
愛すべき御母、われらのために祈り給え。

感ずべき御母、われらのために祈り給え。
善き勧めをたもう御母、われらのために祈り給え。
創造主の御母、われらのために祈り給え。
救世主の御母、われらのために祈り給え。
いとも賢明なるおとめ、われらのために祈り給え。

敬うべきおとめ、われらのために祈り給え。
誉むべきおとめ、われらのために祈り給え。
力あるおとめ、われらのために祈り給え。
情け深きおとめ、われらのために祈り給え。

忠実なるおとめ、われらのために祈り給え。
ロレートのおとめ、われらのために祈り給え
完徳のかがみ、われらのために祈り給え。
上智の座、われらのために祈り給え。
われらの喜びの源、われらのために祈り給え。

永遠なる栄光の聖櫃、われらのために祈り給え。
神に捧げられた住まい、われらのために祈り給え。
くすしきバラの花、われらのために祈り給え。
ダヴィドの聖なる都の塔、われらのために祈り給え。
不落の城壁、われらのために祈り給え。

神の現存の聖所、われらのために祈り給え。
契約の櫃(ひつ)、われらのために祈り給え。
天の門、われらのために祈り給え。
暁の星、われらのために祈り給え。
病人の回復、われらのために祈り給え。

罪人のよりどころ、われらのために祈り給え。
憂き人の慰め、われらのために祈り給え。
キリスト信者の助け、われらのために祈り給え。
天使の元后、われらのために祈り給え。
太祖の元后、われらのために祈り給え。

預言者の元后、われらのために祈り給え。
使徒の元后、われらのために祈り給え。
殉教者の元后、われらのために祈り給え。
証聖者の元后、われらのために祈り給え。
童貞者の元后、われらのために祈り給え。

諸聖人の元后、われらのために祈り給え。
原罪なくして宿りし元后、われらのために祈り給え。
被昇天の元后、われらのために祈り給え。
いと尊きロザリオの元后、われらのために祈り給え。
家庭の元后、われらのために祈り給え。

平和の元后、われらのために祈り給え。
世の罪を除き給う神の子羊 主われらを赦し給え。
世の罪を除き給う神の子羊 主われらの祈りを聴き容れ給え。
世の罪を除き給う神の子羊 われらをあわれみ給え。
天主の御母 われらのために祈り給え。
キリストの御約束に われらを適(かな)わしめ給え。

祈願

ああ主よ、御身の御子は、そのご生涯とご死去、ご復活により 
永遠の救いの富をわれらにもたらし給えり。願わくは、
おとめマリアの聖なるロザリオの祈りにより 玄義を黙想した
われらがその秘義にならい、約束されしところに達するを得しめ給え。
われらの主キリストによりて。
アーメン。

「憐れみ深い父なる神よ、今、私たちは新型コロナウイルスによる感染症の
集団感染危機に直面しています。どうか主よ、この危機を私たちが乗り越える
ことができるように、恵みと力を与えてください。私たちが不要な恐れに
ふりまわされることなく、適切な行動をとることができますように。
私たちがまず日頃の生き方をふりかえり、回心することが
できますように。今回の危機を通して、私たちがあなたのみ心にかなった
生き方を見いだしていくことができますように。感染拡大が止まり、
感染している方々に必要な医療と助けが与えられ、治療方法が1日も早く
見つかりますように。主イエス・キリストによって」アーメン。
(東京大司教認可)

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 聖ヨゼフの連祷


     【聖父子像】

主あわれみ給え。▲主あわれみ給え。
主あわれみ給え。
キリスト我らの祈りを聴き給え。▲キリスト我らの祈りを聴き容れ給え。

神なる御父▲我らをあわれみ給え。
神にして世のあがない主なる御子▲我らをあわれみ給え。
神なる聖霊▲我らをあわれみ給え。

唯一の神なる聖三位▲我らをあわれみ給え。
聖マリア▲我らのために祈り給え。
聖ヨゼフ▲我らのために祈り給え。

ダヴィドの誉れ高き末▲我らのために祈り給え。
太祖の光明▲我らのために祈り給え。
神の聖母の浄配(注)▲我らのために祈り給え。

童貞マリアのみさお正しき守護者▲我らのために祈り給え。
神の御子の教育者▲我らのために祈り給え。
キリストの注意深き保護者▲我らのために祈り給え。

聖家族の長(おさ)▲我らのために祈り給え。
いと正義なるヨゼフ▲我らのために祈り給え。
いと貞潔なるヨゼフ▲我らのために祈り給え。

いと賢明なるヨゼフ▲我らのために祈り給え。
いと勇気あるヨゼフ▲我らのために祈り給え。
いと従順なるヨゼフ▲我らのために祈り給え。

いと信実なるヨゼフ▲我らのために祈り給え。
忍耐のかがみ▲我らのために祈り給え。
清貧の愛好者▲我らのために祈り給え。

職人の模範▲我らのために祈り給え。
家庭生活の誉(ほまれ)▲我らのために祈り給え。
家庭の柱石(ちゅうせき)▲我らのために祈り給え。

不幸なる者のなぐさめ▲我らのために祈り給え。
病める者の希望▲我らのために祈り給え。
死に臨(のぞ)める者の擁護者▲我らのために祈り給え。

悪魔の恐れ▲我らのために祈り給え。
聖なる公教会の保護者▲我らのために祈り給え。
世の罪を除き給う神の子羊▲主我らを赦し給え。

世の罪を除き給う神の子羊▲主我らの祈りを聴き容れ給え。
世の罪を除き給う神の子羊▲主我らをあわれみ給え。
神かれを立てておのが一家の長(ちょう)と定め、
▲そのすべての持ち物をつかさどらしめ給えり。

祈願

絶妙なる御摂理により聖ヨゼフを至聖なる御母の浄配として選び給いたる神、こいねがわくは地上においてかれを保護者と尊敬し奉る我らをして、かれを天上における代祷者として頂くにふさわしき者たらしめ給え。とこしえにいきかつしろしめしたもう主に願い奉る。 アーメン。

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 諸聖人の連祷


     【諸聖人】

主あわれみ給(たま)え。 ▲キリストあわれみ給(たま)え。
主あわれみ給え。
キリストわれらの祈りを聴き給え。 ▲キリストわれらの祈りを聴きいれ給え。

神なる御父 ▲われらをあわれみ給え。 
神にして世のあがない主なる御子 ▲われらをあわれみ給え。 
神なる聖霊 ▲われらをあわれみ給え。 
唯一の神なる聖三位 ▲われらをあわれみ給え。

聖マリア ▲われらのために祈り給え。 
神の母 ▲われらのために祈り給え。 
乙女(おとめ)のうちにていとも聖なる乙女 ▲われらのために祈り給え。
聖ヨゼフ ▲われらのために祈り給え。

聖ルチアおとめ殉教者▲われらのために祈り給え。
聖アウグスティヌス ▲われらのために祈り給え。
聖ベネディクト ▲われらのために祈り給え。 

聖ベルナルド ▲われらのために祈り給え。 
聖ドミニコ ▲われらのために祈り給え。
アッシジの聖フランシスコ ▲われらのために祈り給え。
アッシジの聖クララ ▲われらのために祈り給え。 

パドヴァの聖アントニオ ▲われらのために祈り給え。 
聖ボナベントゥラ ▲われらのために祈り給え。
聖トマス・アクィナス ▲われらのために祈り給え。

シェナの聖カタリナ ▲われらのために祈り給え。
カッシアの聖リタ▲われらのために祈り給え。
聖ジャンヌ・ダルク ▲われらのために祈り給え。

聖イグナチオ・デ・ロヨラ ▲われらのために祈り給え。 
聖フランシスコ・ザビエル ▲われらのために祈り給え。
アビラの聖テレジア▲われらのために祈り給え。 

聖フィリポ・ネリ ▲われらのために祈り給え。
十字架の聖ヨハネ ▲われらのために祈り給え。 
聖カミロ・デ・レリス ▲われらのために祈り給え。
聖フランシスコ ・サレジオ ▲われらのために祈り給え。

福者ユスト 高山右近 ▲われらのために祈り給え。 
聖ルドビコ茨木 ▲われらのために祈り給え。 
福者ペトロ・カスイ岐部と百八十七殉教者 ▲われらのために祈り給え。
聖なる日本二十六聖人殉教者 ▲われらのために祈り給え。 

聖クロード・ラ・コロンビエール ▲われらのために祈り給え。 
聖マルガリタ・マリア・アラコック ▲われらのために祈り給え。 
聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォール 
▲われらのために祈り給え。 
十字架の聖パウロ ▲われらのために祈り給え。

聖アルフォンソ・デ・リゴリ ▲われらのために祈り給え。 
聖ジェラルド・マイエラ ▲われらのために祈り給え。 
福者・アンナ・カタリナ・エンメリック ▲われらのために祈り給え。 
聖マグダレナ・ソフィア・バラ ▲われらのために祈り給え。

聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ ▲われらのために祈り給え。
聖ジョン・ヘンリー・ニューマン ▲われらのために祈り給え。
聖カタリナ・ラブレ ▲われらのために祈り給え。

聖ヨハネ・ボスコ (ドン・ボスコ)▲われらのために祈り給え。
聖ピオ十世 ▲われらのために祈り給え。 
悲しみの聖母の聖ガブリエル ▲われらのために祈り給え。 

聖ベルナデッタ ▲われらのために祈り給え。 
聖ラファエラ・マリア・ポラス ▲われらのために祈り給え。
福者シャルル・ド・フーコー ▲われらのために祈り給え。 

リジューの聖テレジア ▲われらのために祈り給え。 
聖ジェンマ・ガルガーニ ▲われらのために祈り給え。 
聖三位一体の聖エリザベト ▲われらのために祈り給え。 

聖ヨハネ二十三世 ▲われらのために祈り給え。
聖ピオ神父 ▲われらのために祈り給え。 
十字架の聖テレサ・ベネディクタ(エディット・シュタイン)
 ▲われらのために祈り給え。 

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ ▲われらのために祈り給え。 
聖ファウスティナ ▲われらのために祈り給え。
コルカタの聖テレサ(マザー・テレサ) ▲われらのために祈り給え。

聖パウロ六世 ▲われらのために祈り給え。
聖ロメロ大司教 ▲われらのために祈り給え。
聖ヨハネ・パウロ二世 ▲われらのために祈り給え。

尊者マルタ・ロバン ▲われらのために祈り給え。 
尊者北原玲子 ▲われらのために祈り給え。
尊者シスター・コンソラータ▲われらのために祈り給え。
シスター・ジュスティーヌ・ビスケイブリュ▲われらのために祈り給え。

願わくはわれらのすべての恩人に、無窮(むきゅう)の幸いをもつて
 報い給わんことを 
▲主われらの祈りを聴き給え。 
願わくはわれらおよびわれらの兄弟、親族、恩人、友人の霊魂を
永遠の罰より救い給わんことを 
▲主われらの祈りを聴き給え。 
願わくはすでに世を去りたるすべての信者に、終りなき安息を 与え給わんことを 
▲主われらの祈りを聴き給え。 
願わくはわれらの祈りを聴き容れ給わんことを
 ▲主われらの祈りを聴き給え。 
神の御子(おんこ) ▲願わくはわれらの祈りを聴き給え。 

世の罪を除き給う神の小羊 ▲主われらを赦し給え。
世の罪を除き給う神の小羊 ▲主われらの祈りを聴きいれ給え。
世の罪を除き給う神の小羊 ▲主われらをあわれみ給え。
キリストわれらの祈りを聴き給え。▲キリストわれらの祈りを聴きいれ給え。
主あわれみ給え。▲キリストあわれみ給え。
主あわれみ給え。 

祈願 全能永遠の神、われら主のすべての聖人の功績をばここに
讃美したてまつる。
願わくは、かくもおびたただしき天使聖人たちの御取次(おんとりつぎ)
によりて、ゆたかなる御恵み(おんめぐみ)をわれらに与え給え。
われらの主キリストによりて願いたてまつる。
▲アーメン。 

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 聖霊の連祷


      【聖霊鳩】

主よ、あわれみ給え。
キリスト、あわれみ給え。
主よ、あわれみ給え。

全能の御父、われらをあわれみ給え。
御父の永遠の御子、世の贖い主イエズス、われらを救い給え。
御父と御子の命を一つに結ぶ霊、われらを聖化し給え。

いと聖なる三位一体、われらの祈りを聞き給え。
御父と御子より出る聖霊、われらの心に来たり給え。
御父と御子に等しい聖霊、われらの心に来たり給え。

父である神の約束、われらの心に来たり給え。
天の光の輝き、われらの心に来たり給え。
あらゆる善の創造者、われらの心に来たり給え。

生きた水の泉、われらの心に来たり給え。
焼き尽くす炎、われらの心に来たり給え。
霊的な一致、われらの心に来たり給え。

愛と真理の霊、われらをあわれみ給え。
知恵と知識の霊、われらをあわれみ給え。
賢慮と強さの霊、われらをあわれみ給え。

分別と孝愛の霊、われらをあわれみ給え。
平和と柔和の霊、われらをあわれみ給え。
慎みと潔白の霊、われらをあわれみ給え。

励ましの霊、われらをあわれみ給え。
聖化する霊、われらをあわれみ給え。
教会を治める霊、われらをあわれみ給え。

いと高き神の賜物、われらをあわれみ給え。
宇宙を満たす霊、われらをあわれみ給え。
神の子とする霊、われらをあわれみ給え。

聖霊、われらに罪への嫌悪を起こさしめ給え。
聖霊、来て、地の面は新たにならん。
聖霊、御身の光でわれらの魂を照らしめ給え。

聖霊、われらの心にあなたの聖なるおきてを刻み給え。
聖霊、御身の愛の火でわれらを燃やしめ給え。
聖霊、御身の恵みの宝をわれらに注がしめ給え。

聖霊、われらに祈ることを教え給え。
聖霊、あなたの神の霊感でわれらを照らしめ給え。
聖霊、救いの道にわれらを導き給え。

聖霊、必要なただ1つのことを悟らしめ給え。
聖霊、われらに善の実行を教え給え。
聖霊、われらにあらゆる徳の功徳を与え給え。

聖霊、われらを正義のうちに堅忍させ給え。
聖霊、御身をわれらの永遠の報いとならしめ給え。

世の罪を除きたもう神の子羊、われらに御身の霊を送らしめ給え。
世の罪を除きたもう神の子羊、われらの心を聖霊の賜物で満たし給え。
世の罪を除きたもう神の子羊、われらに知恵と孝愛の霊を与え給え。

聖霊来たり給え。信者の心を満たらしめ、御身の愛の火を燃やしめ給え。
神よ、御身の愛の息吹を送らせ給え。しかしてよろずのものは造られん。
地のおもては新たにならん。

祈願 

あわれみ深い御父よ、聖霊御自身が天の愛熱をもってわれらに浸透し、
よき業で満たされんまでわれらを照らし、燃え立たせ、清め給え。
聖霊の交わりの中で、御父と共に世々に生き、支配しておられる御子、
われらの主イエズス・キリストによりて願い奉る。 アーメン。

ー 以上ー

神父の放言:キリストを迫害した人々

2022-09-12 22:44:13 | 日記
キリストを迫害した人々

キリストを迫害し、死に追い詰めた人々は、皮肉なことに「自分は最も
信心深い者だ」と思っていた人々だった。そんなことがありえる。
ファリサイ派と律法学者たち、彼らは当時のユダヤ教社会の宗教的指導者、
権威者だった。聖書を最もよく知っていた人々だった。

しかし知識で知ることと、心で知ることは違うのだろう。

 後にキリスト教に改心してもっとも大きな功績を挙げたパウロは、
以前は熱烈なファリサイ派だった。そのときの反省があってか、
手紙の中でこのようなことを言っている。
 「知識は高ぶらせるが、愛は作り上げる」。(Ⅰコリント8章)
 「文字は殺し、霊は生かす」。(Ⅱコリント3章)

 律法を知っているだけでは、「文字は殺し」「知識は高ぶらせる」
ことになる。律法を行い、愛に生き、聖なる神の霊によって
生かされなければ、律法を知ってかえって悪しき人間になることもある。
彼らは民衆を見て、「律法を知らないこの人々は不幸だ。」
「呪われている」(ヨハネ7章)と言い、さげすんでいた。

 多くの人がイエスのなさる業を見たり、説教を聞いて「この人こそ
メシアだ」と思ったが、ファリサイ派の人々はそのあら探しばかりした。
そしてイエスの揚げ足を取ろうとしていろいろ質問した。
それがうまくいかないと見ると、イエスを殺す相談を始めた。

 彼らはイエスの革命的な教えを聞き、その行いを見て、「モーセの教えと
違う。聖書に反することをしている」と考えた。だから許してはならないと
思っていた。しかも自分たちの偽善をイエスが厳しく指摘する。
われらこそはメシアに最も気に入られると思っていたのに、
このイエスの前では立つ瀬がない。民衆の前で恥をかかされる。

 「聖書は私について書いているのに、あなたたちは私を
殺そうとしている」(ヨハネ5章)とイエスは言われた。

またファリサイ派や律法学者たちが昔の預言者たちの記念碑を立てて、
「私たちがその時代に生きていたならば預言者を殺さなかっただろうに」
と言っているのをイエスが聞いて「あなたたちは先祖の悪行を完成したら
どうだ」(マタイ23章)と皮肉をおっしゃった。案の定、彼ら自身が、
預言者の中の預言者であるキリストを死に追いやることになる。

このようにして、聖書に最も詳しかったファリサイ派と律法学者たちが、
聖書が予言していたメシアを死に追い込む先導をした、という皮肉な結果
になった。これは現代でも繰り返される。神学を勉強した者でも、
実はまことのキリストを知らない、ということがありえる。

キリストを文字や知識だけで学んでもダメだ。心で読み、
実践しなければダメだ。現代、もしキリストが予期しないお姿で
来られたならば、
「私こそ聖書の先生だ」「神学を知っている」「大変信心深い」と
自認する者が、率先してキリストを教会から追い出す、ということが
極めてありえる。司祭も気をつけなければならない。またよく教えを
知っていて熱心だと自認する信徒も気をつけなければならない。

 聖書について最もよく知る者が、一番聖書に反することをする、
ということがありえる。これは他宗教でも同じだろう。
仏典を最もよく知ると自認する者たちが、最も仏典に反することを
行っているということがありえる。

 私たちは聖書を知れば知るだけ、へりくだりたい。

            サイト:「神父の放言」より転載

神父の放言:すべての人の救い

2022-09-11 20:29:53 | 日記
すべての人の救い 2015/07/08

キリストによってさまざまな価値転換が行われた。

ユダヤ人よりも異邦人が救われる。
 大人よりも子供たちのほうが天の国に入る。
 正しい人ではなく罪人を救うために来た。
 富んでいる人よりも貧しい人々が幸い。
あとの者が先になり、先のものが後になる。

 旧約聖書の中でユダヤ人は神から選ばれた選民であった。
キリストもユダヤ人であり、ユダヤ人の間で宣教したが、
ユダヤ人が捨てられ、異邦人が救われるだろうという予言がなされる。
といっても、初期のキリスト信者は皆ユダヤ人であったから、
捨てられるといっても皆ではないが、ユダヤ人はキリストを
死に追いやり、また、その後もユダヤ教の宗教指導者たちが
キリスト教を迫害することになる。

しかしいずれ、神はユダヤ人たちを顧みてくださる、とパウロは言っている。

また大人ではなく、子供のような心を持つ人こそが天の国に
入るとお教えになる。
キリストに近づこうとする子供たちを周りの大人たちが阻害したので、
キリストは「子供たちを私のもとに来させなさい」とおっしゃった。

 また「子供のように心を入れ替えて天の国を受け入れる人でなければ、
決して天の国に入れない」(マタイ18章)。清らかで純粋で、信じる心を
持たなければならない。

 富者ではなく、貧しい人こそ天の国に入る。
 「貧しい人は幸いである。天の国はその人のものである。」(マタイ5章)
 「金持ちは不幸だ。金持ちが天の国に入るのは、らくだが針の穴を
通るよりも難しい。」
 貧しく謙虚で、人を踏みつけない者たち、自分のありのままの姿を
知る者たちでなければならない。

 旧約聖書の世界では富者は神に祝福された人々だと考えられていた。
だからこの教えを聞いた人々は驚いた。
キリストご自身も貧しい家に生まれ、生涯貧しくお暮らしになった。

 正しい者ではなく罪人が先に天の国に入る。
 正しいといっても、自分を正しいと思って人を見下す人たちのことを
指していて、一般的に正しい人を否定しているわけではない。
ファリサイ派や律法学者たちの正しさは本当の正しさではなかった。

キリストは彼らに向かって言われた。
 「あなたたちよりも遊女や徴税人のほうが先に天の国に入るだろう。
なぜなら彼らは信じたからである」(マタイ21章)。徴税人は当時、
罪人の代名詞のように使われていた。

 「医者を必要とするのは病人である。私が来たのは正しい人のためではなく罪人のためである。」(マタイ9章)
 「私は罪人を探して救うために来た」

 真に正しい人を神はお喜びになる。しかし正しさにうぬぼれ、
人を見下す人を神はお認めにならない。また人はすべて罪人であり、
神の許しを必要とする。自らの罪深さを認め、へりくだって神の助けを
願う人が真に正しい人となってゆく。

このように、誰が救われるのか、という考えについて大きな価値転換が
行われた。

ユダヤ人よりも異邦人、大人よりも子供、正しい人よりも罪人、
富んでいる人よりも貧しい人々。あらゆる人が救われる可能性がある。
今まで救われがたいと思われていた人々にむしろ救いの可能性がある。
謙虚で素直に信じる人々のほうが救われる可能性が大きい。

 「先の者が後になり、後の者が先になるだろう」(マタイ19章)

              サイト「神父の放言」より転載


神父の放言:悪魔の実在について   

2022-09-11 14:52:05 | 日記
悪魔の実在について    2012/10/09


現代では、一般社会はもとより、カトリック信者の間でも悪魔の実在についての観念が希薄になってきている。しかし教会はキリストの頃から一貫して、この実在を説いてきた。

 現代の教会の、悪についての教えは何か。どのような教えについてもそうだが、そういう疑問を持ったときには『カトリック教会のカテキズム』を見るのが一番いい。これこそカトリック教会2000年の多岐にわたる神学の結晶だと言っていい。そして現在の教会の公的な教えでもある。

また教会教義をはっきりさせるためにパウロ6世が作った「クレド」は簡単ながらはっきり書いている。ここにも悪魔の実在は肯定されている。

 悪魔、とは、現代の解説では人間心理の暗い部分に還元される。つまり、人間の心の闇を象徴的に悪魔といっていると。

しかしキリスト教会のみならず、多くの宗教でもそうであろうが、悪魔は象徴的なものではなく実在的なものだ。つまり、知性と意志を持った何者かだ。そしてカトリック教理によれば、それは人間より高い知性を有している。つまり堕落してはいるが、もともと天使の本性を持った者たちだ。

 天使というのも今となってはおとぎチックな話しだが、定義するなら、知性と意志を持った純粋な霊、ということになる。物理的な身体を持たない純粋霊だ。

 現代の悪魔の最大の成功は、悪魔が実在しないと人々の思わせることだと、ある教皇がおっしゃっている。

 実在しなければ戦い方も変わる。人を落としいれようと手を変え品を変えてくる、われわれの力を超えた実在がいるからこそ、戦い方が違う。そして悪魔の実在を知ることは、間接的に神の存在へと人々の心を導く。

 現代、人々が神を意識するひとつの力は、その対照的存在である悪の存在を意識させることだ。

 愛や喜び、救い、そして神を説くだけでは足りない。心の鈍い人にとっては甘っちょろいのだ。時には喜びの福音のみならず、世間の誤りに対して鞭をふるったり、地獄の滅びを予告することも必要だと思う。これで改心する者の例は多い。

アメリカの映画に「エクソシスト」というものがあり、ホラー映画としては絶えず上位を占めるらしいが、この映画が恐ろしいのは、実話を元にしているということだ。

 先日、この映画のエクソシストの舞台となった病院を経営する、Alexian Brothers修道会のある修道士と話をする機会があった。その修道士もこの出来事から大きな衝撃と教訓を得ていた。

 修道士でさえ悪魔の存在について考えさせられたと言っているように、それほどに、現代のキリスト教会でも悪魔の実在についての意識は希薄となっている。

 映画については、「エクソシスト」の続編や「エミリー・ローズ」「ライト」など、悪魔やエクソシスト(悪魔祓い)についての、実話を基にした作品が続いているようだ。悪魔の実在についての意識が回復されつつある。

              サイト「神父の放言」より転載