クライマー鍼灸師の山とツボ

追悼

年表から吉田さんに初めて会った頃の吉田さんの年齢を自分が越えてることに気づき驚愕してます。

吉田さんには北海道でクライミングを始めた頃に初めて会って、その頃はクライマーという言葉すらピンときてなかったぐらいクライミング界のことは何も知らなくて、吉田さんについても「青巌峡の近くのボロい家に住んでいる吉田さんってスゴいクライマーの人がいるんだよ」とだけ教えられたから、二十歳そこそこの僕の頭のなかでは『ボロい家に住むのがクライマー』という間違った認識が成された。
そのころの吉田さんは腰を痛めていて車を運転してる間は常に氷を当ててたのを覚えている。年表を見返すと「翼あるもの13d14a」「見張り塔14ab」が終わった頃で、ボルダーも吉田さんが作るトポ集がどんどん分厚くなっていった時期だ。何回か開拓にくっついていっては、たまに一、二級のものでは初登をゆずってくれたりもしたのが懐かしい。

僕のなかで今でも鮮明に覚えている吉田さんの登りは、雌阿寒岳の九合目にあるハイボールだ。
岩の大きさは4㍍弱だが下は斜面なので、リップから落ちた場合は滑落距離は6㍍ぐらいになり、落ちたあとも斜面を転げ落ちるはめになるといった危ない岩だ。その岩の真ん中に指がなんとかねじ込めるクラックが走っている。
僕らが一通りお触りして諦めモードになってきた頃合いで、それまで眺めているだけだった吉田さんがおもむろに靴を履きだしスポットの配置を指示して、「ふーっ」と集中してから岩にとりついたかと思うと、素早く指先と爪先をわなわなと震わせながら交互にねじ込みながらスルスルーっとリップ手前まで上がってしまった。しかしそこでクラックは終わっている。最後の一手はデッド。リップを外すと結構ヤバイ。「どこ!?どこ!?どこ!!!」と反対から岩の上に回っていたHさんにホールドの指示を全身を震わせながら求める吉田さん。「ここ!ここ!」と緊張から泣きそうな顔で指示するHさん。
パシッ と吉田さんの手はリップを捕らえ、片足が岩から剥がされる勢いのままマントルを返した。
緊張がとけるまでしばらくみんなヘタりこむ。息を整えながら「天空の岩7c+」と吉田さんは言った。

その後、僕は内地に来たので何年かご無沙汰していたが、一度だけ湯川で講習会をやってる吉田さんを訪ねたことがあった。登りを見てもらって「12を登ってくるクライマーは違いますな」と言ってもらえたのは嬉しかった。

吉田さんと話していると大概はキノコと植物と身体のことになった。吉田さんの「この不調はどうしますか?」との質問に僕がはっきり答えられないでいると「なにを勉強してるのですか、なにを」と不満そうだった。患者さんの不平不満を聞くのは鍼灸師の役割のひとつだと思うが、吉田さんのは意味合いが違っていた。
そんなこんなで鍼灸をやり出して10年ぐらい経ち、最近間違いのない身体のことがようやく分かるようになってきた。この期間が早いのか遅いのかは分からない(おそらくこれまでの経験上他の人よりも遅いのだろう)。ようやく見つけたこの答えを吉田さんに「どや!」と見せに行きたかったんだけどな。困った。

けど、この道はまだまだ追求することだらけだから困ってばかりも居られない。「なにをやってるんだ?なにを?」という吉田さんの言葉には常に明解即答できるように居たいと思う。


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