◇終わってゆく今日という日
◇1995年というのは、関東のひとと関西人とでは
全く異なる印象だろう
首都圏のひとには地下鉄サリン事件
関西人には阪神淡路大震災
年末に清水寺で書かれた漢字は『震』だった
◇尊い命…という
事件や事故で尊い命が奪われた、と
もちろんその通りだ
◇亡くなったひとの命は『尊かった』と
過去形にしなければ!
『尊い』のは今を生きるひとの命だ
怪我をした方、障害の残った方
家を、家族を失った方
そのひとたちの命が
いま一番尊いのだ
◇六千人以上の人が亡くなっている
怪我で済んだだけでええやないか…
そんなわけない!
亡くなった人は、もう痛くも苦しくもない
そりゃあ無念だったでしょう
だけど、それは今生きている者の想像だけで
事実ではない
生きているひとは、15年たっても痛む傷がある
それが事実なんだ
◇わたしに何ができるだろう
当時も西宮市役所まで
日常物資を持って行ったけど
自分の偽善者加減にうんざりして帰ったっけ
いまも偽善者にかわりないけど
何かできるのなら手伝おうと思う
機を見ては敏なり