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西周の生家
(
maimu
)
2008-07-05 22:50:23
今晩は、枯雑草さん。
津和野にも時代の流れが大きく変わる時期に
大きな業績を残された人が居るのですね。
西周という人の名前を此処で初めて知りました。
生家の様子が昔の日本家屋を懐かしく思い出させますね。
栴檀の木は大きな木になると聞きましたが
時代を見つめてきている大樹ですね。
栴檀の花も見たかったですね~。
こんばんは
(
さんしろう
)
2008-07-06 00:09:08
森鴎外の生家は行ったのですが、西周の生家はこの写真で初めて見ました。
夢を見ることの出来た彼らは幸せだったでしょう。
Unknown
(
もへじ
)
2008-07-06 05:20:52
おはようございます。
生家がきれいに保存されていますね。
西周は初めて知りました。
Unknown
(
ピンピンシニア
)
2008-07-06 07:24:54
芸術、とか、科学、という言葉は西周さんの造語なのですか?
今、ごく普通に使っている言葉です。
見た感じ、決して豪華で無い家に生まれ、名を残す仕事をされたわけで、努力家だったのでしょうね。
多くの歴史に名を残す人物が中国地方から沢山出ています。それも不思議と思っています。
Unknown
(
setsuna
)
2008-07-06 17:01:44
こんにちわ。
このような写真を拝見すると、以前撮った『真鍋家』を思い出します。
けっこうな距離でしたが、頑張って撮りに行ったものです。
最近、写真撮るのも面倒で…
良い刺激になる写真でした。
maimuさん
(
karekusa_2005
)
2008-07-06 17:56:08
こんにちは。
そうですね。明治維新の偉人の生家ということ
より、幕末の地方藩のご典医の家がどんなもの
であったか・・それを知ることによっていろんな
ことが思われますね。
家の前の栴檀の木、何しろ大木なので花は遠い。
うまく撮れませんでしたが、追加して貼っておき
ますね。
さんしろう さん
(
karekusa_2005
)
2008-07-06 18:00:14
こんにちは。
森鴎外の生家とこことは、川を挟んで至近距離
です。やはり、森鴎外の家の方が訪ねる人が
多いようです。そうですね。当時の少年たち、
夢があって、ある意味では幸せだったでしょうね。
もへじ さん
(
karekusa_2005
)
2008-07-06 18:03:00
こんにちは。
そうですね。西周という人、一般にはあまり
知られていませんね。この家、当然今は無人
ですが、市の方で立派に保存されています。
ピンピンシニアさん
(
karekusa_2005
)
2008-07-06 18:10:26
こんにちは。
私も、西周という人の説明を聞いて、初めて
知りました。西洋の学問を紹介した明治の初め、
大変な苦労があったことでしょう。
中国地方から名を残す人が多く出ている・・
そうですかねー、長州藩出身者の伝統か、
出身の総理大臣の数は山口県が日本一だと。
setsunaさん
(
karekusa_2005
)
2008-07-06 18:13:57
こんにちは。
こういう旧い家、setsunaさんの得意領域の
一つでしたね。
このところ、お忙しいのか、スランプなのか、
元気をだして、写真を見せてください。
こんばんは
(
自転車親父
)
2008-07-06 20:05:51
こんばんは。
西周の名前は子供の頃から知っていました。
と言いますのは切手になっています。
文化人シリーズとか言ったかな?
どんな人かは知りませんでしたけど。
顔だけはうっすら覚えています。
切手を集めていました!
こんばんは~
(
ハナ
)
2008-07-06 22:39:10
こんばんは~
御無沙汰をいたしました
やっと復帰です。またよろしくお願いいたします
以前津和野に行きましたが、西周の生家には行きませんでした。と言うより初めて聞く名でした。
栴檀の花が当時をしのばせて居るのですね
自転車親父さん
(
karekusa_2005
)
2008-07-07 06:04:40
こんにちは。
あっはっは。偶然とはおもしろいものですね。
実は、私も名前と顔、切手で憶えていたの
です。何をした人かは知りませんでしたが・・。
このシリーズ、森鴎外のもありますね。
ハナさん
(
karekusa_2005
)
2008-07-07 06:09:10
こんにちは。
復帰、おめでとうございます。
西周の生家、あまり多くの人は行かれない
ようですね。森鴎外の方が有名ですね。
栴檀の木、150年前ですから・・多分
無かったと思いますが、あったと思った
方が楽しいですね。
Unknown
(
auntie_oc
)
2008-07-07 13:59:57
西周のことは知りませんでした。
その昔、数々の言葉を生み出しているのですね。
おまけの写真、きれいですね。
栴檀、どんな花だろう?と思っていました。
すごい樹齢の木なんですね。
auntie_ocさん
(
karekusa_2005
)
2008-07-07 20:43:11
こんにちは。
西周という人、今では知らない人が圧倒的
でしょうね。
栴檀、大木ですが、明治の初めと言えば150
年前。多分そんな樹齢は無いと思います。
でも当時も別の栴檀があったかも・・。
津和野と言うところ
(
ken
)
2008-07-08 07:34:56
枯雑草さんさおはようございます。
津和野と言うところばかりでなく、山口県、岡山県この地方には立派な人物が誕生しているのですね。
私は西あまねと言う人は知りませんでした。
枯雑草さんのブログを拝見すると知識が豊富になりますよ。有り難うございました。
栴檀の花
(
maimu
)
2008-07-08 09:27:33
お早うございます、枯雑草さん。
栴檀のお花のアップ有難うございます!
初めて見ました!
不思議な咲き方に見入っています。
kenさん
(
karekusa_2005
)
2008-07-08 18:24:28
こんにちは。
西周という人は、あまり知られていませんね。
津和野では、やはり森鴎外でしょうか。
山口は、やはり政治家が多い。維新の長州の
伝統と閥ということでしょうか。でも不思議
に芸術家も多いのですね。
maimuさん
(
karekusa_2005
)
2008-07-08 18:27:43
こんにちは。
あまりうまく撮れてませんが、貼っちゃいました。
「栴檀は双葉より芳し」は、この栴檀ではなく、
白壇(別名栴檀)を言うのだそうですね。
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津和野にも時代の流れが大きく変わる時期に
大きな業績を残された人が居るのですね。
西周という人の名前を此処で初めて知りました。
生家の様子が昔の日本家屋を懐かしく思い出させますね。
栴檀の木は大きな木になると聞きましたが
時代を見つめてきている大樹ですね。
栴檀の花も見たかったですね~。
夢を見ることの出来た彼らは幸せだったでしょう。
生家がきれいに保存されていますね。
西周は初めて知りました。
今、ごく普通に使っている言葉です。
見た感じ、決して豪華で無い家に生まれ、名を残す仕事をされたわけで、努力家だったのでしょうね。
多くの歴史に名を残す人物が中国地方から沢山出ています。それも不思議と思っています。
このような写真を拝見すると、以前撮った『真鍋家』を思い出します。
けっこうな距離でしたが、頑張って撮りに行ったものです。
最近、写真撮るのも面倒で…
良い刺激になる写真でした。
そうですね。明治維新の偉人の生家ということ
より、幕末の地方藩のご典医の家がどんなもの
であったか・・それを知ることによっていろんな
ことが思われますね。
家の前の栴檀の木、何しろ大木なので花は遠い。
うまく撮れませんでしたが、追加して貼っておき
ますね。
森鴎外の生家とこことは、川を挟んで至近距離
です。やはり、森鴎外の家の方が訪ねる人が
多いようです。そうですね。当時の少年たち、
夢があって、ある意味では幸せだったでしょうね。
そうですね。西周という人、一般にはあまり
知られていませんね。この家、当然今は無人
ですが、市の方で立派に保存されています。
私も、西周という人の説明を聞いて、初めて
知りました。西洋の学問を紹介した明治の初め、
大変な苦労があったことでしょう。
中国地方から名を残す人が多く出ている・・
そうですかねー、長州藩出身者の伝統か、
出身の総理大臣の数は山口県が日本一だと。
こういう旧い家、setsunaさんの得意領域の
一つでしたね。
このところ、お忙しいのか、スランプなのか、
元気をだして、写真を見せてください。
西周の名前は子供の頃から知っていました。
と言いますのは切手になっています。
文化人シリーズとか言ったかな?
どんな人かは知りませんでしたけど。
顔だけはうっすら覚えています。
切手を集めていました!
御無沙汰をいたしました
やっと復帰です。またよろしくお願いいたします
以前津和野に行きましたが、西周の生家には行きませんでした。と言うより初めて聞く名でした。
栴檀の花が当時をしのばせて居るのですね
あっはっは。偶然とはおもしろいものですね。
実は、私も名前と顔、切手で憶えていたの
です。何をした人かは知りませんでしたが・・。
このシリーズ、森鴎外のもありますね。
復帰、おめでとうございます。
西周の生家、あまり多くの人は行かれない
ようですね。森鴎外の方が有名ですね。
栴檀の木、150年前ですから・・多分
無かったと思いますが、あったと思った
方が楽しいですね。
その昔、数々の言葉を生み出しているのですね。
おまけの写真、きれいですね。
栴檀、どんな花だろう?と思っていました。
すごい樹齢の木なんですね。
西周という人、今では知らない人が圧倒的
でしょうね。
栴檀、大木ですが、明治の初めと言えば150
年前。多分そんな樹齢は無いと思います。
でも当時も別の栴檀があったかも・・。
津和野と言うところばかりでなく、山口県、岡山県この地方には立派な人物が誕生しているのですね。
私は西あまねと言う人は知りませんでした。
枯雑草さんのブログを拝見すると知識が豊富になりますよ。有り難うございました。
栴檀のお花のアップ有難うございます!
初めて見ました!
不思議な咲き方に見入っています。
西周という人は、あまり知られていませんね。
津和野では、やはり森鴎外でしょうか。
山口は、やはり政治家が多い。維新の長州の
伝統と閥ということでしょうか。でも不思議
に芸術家も多いのですね。
あまりうまく撮れてませんが、貼っちゃいました。
「栴檀は双葉より芳し」は、この栴檀ではなく、
白壇(別名栴檀)を言うのだそうですね。