電気通信視察団の数奇な経験談 その5 イスラエル編
関東電友会名誉顧問 桑原 守二
平成12年6月11日、アサド大統領死去の大事件から一夜明け、ただならぬ雰囲気のシリア首都ダマスカスを無事に出発できた60名近い大人数の視察団はバス2台に分乗してヨルダンの首都アンマンに向け旅を続けた。アンマンのホテルで昼食後はヨルダンのバスに乗り換える。イスラエルの国境を通過するには、同国との関係が良好とは言えないシリア国のバスでは印象が悪いとの配慮による。
途中、海抜ゼロメートルの地点を通過した。記念の碑(写真)が建てられている。その後もバスはどんどん坂を下って行く。最低地点は碑よりも15km先の死海で、海抜マイナス390mである。空気のあるところでは、世界でもっとも低い地域だという。
海抜0メートルの標識碑
それにしても、イスラエルの入国審査は厳重であった。全員バスから降ろされ、徒歩で審査を受ける。お茶の水筒を持っていた団員が中身は何かと尋問され、日本のお茶だと答えても納得してもらえず、結局は水筒をカラにさせられた。磁石が付いた碁石の説明も難しかった。日本でポピュラーなゲームの道具だと言い張り、何とか携行を許された。
死海の浜辺に到着する少し前、バスからマサダの岩山が見える。西暦70年、ローマ軍に追い詰められた最後のユダヤ人が籠城した場所である。彼らは暑さと渇きのなかでなお民族の誇りを捨てず、最後は700人余が自決して玉砕したという。
またクムランの遺跡も眺めることができた。1947年、近くを歩いていたベドウィンの少年が洞窟内で「死海写本」を発見した場所である。この写本は、それまで最も古いとされていた写本より1000年も前、紀元前2世紀のものと言われている。
やがて死海のエン・ゲディ・ビーチに着く。ホテルで海水浴の支度をして海に向かう。死海は流入する川があるだけで出て行く川はなく、周辺から注ぎ込まれた水はすべて蒸発してしまう。そのため塩分濃度が高まり、死海の水は飽和量に近い塩分を溶融している。比重が約1.2もあり、1.0に近い人間の比重よりはるかに高いので、身体が全然沈まない。海面に寝そべって雑誌など読んでいられる(写真)。
死海で浮遊体験をする
1000㏄の水に塩は360gしか溶解しない。水分が蒸発してそれ以上の溶融率になると、塩分は析出されてしまう。死海の沿岸はこの析出された塩の結晶で覆われ、裸足で上に乗ると痛いので、草履を履いて水のあるところまで歩かねばならない。近年、水が少なくなりすぎたというので、紅海から運河を作って海水を運ぶプトジェクトが発足したとニュースで報じられた。
死海の泥はミネラルを豊富に含み、洗顔パックをすると女性の肌に良いと宣伝されている。不幸にして団員は男ばかりで、パックをしている団員は見かけなかったが、売店で売っている化粧品を細君用に購入している姿が見られた。私も土産に何点か買って持ち帰ったが、結局妻も娘も使わず仕舞いであった。