思うところがあって 久しぶりにここのブログを開いて
このブログがまだ存在していることを知りました。
せっかくなので ちょっこっとだけ更新します
あれから10年の時を経て ayaは22歳になりました。
晩期障害の下垂体機能低下症の治療のため 自己注射をしていますが
元気にしています。
移行期医療を考える・・・・ということで 社会人になったことを期に
小児科から内分泌内科に転科。病院も地元の大学病院へと転院しました。
運転免許も取得し 職場へは毎日自分の車で通勤しています。
いろんなことがありました。親子で随分悩み 時に衝突もしました。
が 髄芽腫サバイバー15年
もうすぐオペ&退院記念日の3月3日です。
15年前の今頃は脳外科集中治療室の中にいました。
小さな窓から空を眺めながら 先のことは全く考えられずにいました。
元気に成人し 社会に出ている子の闘病記はないのかと
あの頃の私は必死で探していました。
今 このブログを書いていられることを幸せに思います。
ご縁あってこのブログを目にしていただいている髄芽腫仲間の皆様
この記事をアップすることが、ちょっとは明るい光になれるかしら?
当時の私だったら 多分 きっと・・・・と思いながら
これからもぼちぼち進んでいきます。
このブログがまだ存在していることを知りました。
せっかくなので ちょっこっとだけ更新します
あれから10年の時を経て ayaは22歳になりました。
晩期障害の下垂体機能低下症の治療のため 自己注射をしていますが
元気にしています。
移行期医療を考える・・・・ということで 社会人になったことを期に
小児科から内分泌内科に転科。病院も地元の大学病院へと転院しました。
運転免許も取得し 職場へは毎日自分の車で通勤しています。
いろんなことがありました。親子で随分悩み 時に衝突もしました。
が 髄芽腫サバイバー15年
もうすぐオペ&退院記念日の3月3日です。
15年前の今頃は脳外科集中治療室の中にいました。
小さな窓から空を眺めながら 先のことは全く考えられずにいました。
元気に成人し 社会に出ている子の闘病記はないのかと
あの頃の私は必死で探していました。
今 このブログを書いていられることを幸せに思います。
ご縁あってこのブログを目にしていただいている髄芽腫仲間の皆様
この記事をアップすることが、ちょっとは明るい光になれるかしら?
当時の私だったら 多分 きっと・・・・と思いながら
これからもぼちぼち進んでいきます。