昨日外出する時間帯があり
目的地に向かうための電車の中で
スマフォのメモ帳をふと見た
アルが居なくなってから
時々・・浮かんだことを書いていた
これまでにも、その内容を一部ブログに書いたこともある
でも・・何回かに渡って書いていたものをまとめて読み返してみると
心を何とか落ちつけようともがいてきた時間の経過が、そこに残っていた
あるはずのない答えを必死で探していた私
もがきながら・・答えではないかもしれないが、ブレーメンの猫に辿りつき
それから・・・イヌの形を探し
ロバを見つけ
老人とニワトリの姿に至った
一つ一つが手さぐりだった
まるで、メモ帳に残した言葉の集積が
その姿を探し出してくれたみたいだ
メモ帳にはまったく、ブレーメンのことなど触れてはいないけど・・・
最初にメモ帳に残した言葉は
これからは、何も見れなくなったアルの分まで、私が見よう
私もいつ途切れるかはわからないけど、
その時まで精一杯美しいものを見よう
別の日、テレビのドラマのセリフを書き留めていた
「つらいことも光だから」
また別の日
何をしたらよいのか、何がしたいのかわからないまま、土を触りだした。
この何日か触り続けていて、今日ふと何かが見えてきたような気がして
私は、祈りの気持ちがいっぱいの場所で個展をしたいと思いはじめているのだと気づいた
そして・・更に違う日、これを書いたのは2月20日
アルが逝ってから、3カ月が経っていた
私がもっとだれを愛するために、誰かのことを思いやれるために、アルは突然逝ってしまった。
アルの欠けた分だけほかの誰かを抱きしめるようにと
アルにできなくなった分、その分だけ、誰かに優しくするようにと
更に、3月12日に書いた言葉
アルが逝く前、生きてることは当たり前だと思ってた。
でも、今は思う。
生きてることは、守ってもらえてるということなんだ
今日、私もくるるも、守られてたということなんだ
先週の土曜日にも言葉を残していた
私が、つちびとを作るのは
必ず、消え去る運命であるからこそ
永遠でありたいという哀しい祈りなのだと
気づいた
そして、一番最近、書きとめてた言葉
そばで見上げているくるるのあたまを撫でる
「かわいいねぇ、かわいいねぇ」と私が言うたびに
ニャアっと 答えるように鳴く
そんなことを繰り返してると、ふいに泣けてきた
目の前の仔へのいとおしさと
くるるの向かう側に姿を持って浮かんでくる
今はもう撫でることのできないアルへのせつない愛しさで
焼きあがったおじいちゃんの姿です
そして・・ニワトリさん
どうせ・・命は逝くしかないなら
どこまでも優しい世界のイメージを遺して旅立ちたい
木皿泉さんの書かれたシナリオの中に
「愛も勇気も平和もこの地球上に、あると思えばきっとあるのよ」
というセリフみたいに
「誰も捨てられない世界」も、あると思えばきっとある
そんな想いを、目に見える形で残したいと思います
11月のつちびと展の会場風景は
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