友人から 悪気無く尋ねられた言葉
「お母さんの所には どのぐらいの割合で行っているのかなあ?」
「まちまちやけど・・・平均したら月イチぐらいかなあ」
「気になれへんか?」
その問いに答えようとして・・・
言葉に詰まる
一言では言い尽くせない想いがある
彼は、私を責めているわけではなく
自分のお母さんが病気で入院していた時
毎日通っていたからだろう
顔を見ないと心配で心配でたまらなかったからだろう・・・
すなおに 疑問に思ったことが口に出ただけ
なのに・・・あとで
そんな疑問を口にしたこと
とても申し訳なく思ったようで
「人それぞれの事情があるのに・・・つまらん事を聞いてごめん」と しきりに謝っていた
母が自分の家で暮らせなくなってから
もう10年以上経つ
はじめは めまいからだった
病院生活の後 短期の介護施設を経て
今の施設に落ち着いた
毎日のように通い 山のような洗濯物を持って帰った日々もある
それでも 病院や短期の施設の場合、出て行かねばならない期日が近づくと
精神的に不安定になる母
それを何度か繰り返し その結果・・・一年間口から一切の食物を入れなくなった
せめて、居場所がなくなる母の不安だけでも取り去りたくて 長期の施設を探した
公的な施設は 待機入居希望者が一杯いて
あちらに申し込みこちらに申し込み・・・
今でも覚えている
特別暑い夏だった
炎天下のもと 近くの施設だけではいつになるかわからず
バスを乗り継いで いろんな所にお願いしに行った
熱中症になりそうで・・・
出口も見えず、身体も心も ふらふらだった
その後 幸運(?)にも 今の施設にお世話になることができて
私は 救われた
じゃあ・・・母は・・・?
私は 私がとった方法が 母にとって最善だと言う根性はない
自分がつぶれないですむ選択肢に飛びついただけ
結局 自分を選んだ
友人に質問されなくても
その問いは 私の胸にいつもあって
母のところに行く足が 鉛のように重いのは
今の母の老いを 見つめるのが辛いのはもちろん
その問いが 現実の場面として
私に突き刺さってくるから
母は・・・救われたのか
誰かを・・・救うなんて
情けないけど 私には できない
なんとか バランスをとって 自分をつぶれないようにするだけ
その中で・・・出来ることをする
それで 一杯一杯
ただね・・・生きてきた中で溜まったいくつかの問いは
一生、私の心にあって
時々あらわれて 問い詰める
私の生き方の覚悟を 求める
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