夏には70になろうとしてる私だから、
思い出せない事が増えていく
そんななか、それでも忘れない事もある
長い年月の中で
好きだった教師は?と聞かれたとしたら
たった一人だ
中学に入って
最初の社会の時間に
その先生と初めて会った
まず最初、その先生は黒板に大きく漢字で名前をしるして
経塚 斉
日本名は
つねづか あきら
でも、本当の名前は
ケイ チョウ サイ
と話された
馬鹿でものを知らなかった私は
その時、リアルに在日の存在を知った
その先生の授業は他の先生と少し違った
人類が初めて火を手に入れた時
どんな変化が起こったと思う?
と、生徒達の意見を求めた
私も含め、生徒達は手をあげ思いついた事を答えた
ことあるごとに知識を詰め込む授業でなく
考える授業だった
今では作家ネームとしてそう呼ばれたほうがしっくりくる「カナン」という呼び方
本名の「カナ」ではなく大阪弁で困った子という意味合いの「かなん子やなぁ」と言って私をカナンと呼んだ初めての人だった
今から20数年前、大江健三郎さんがノーベル賞を受賞した時、外国の方に向けてされた講演で
言われた話が心を打った
ざっくり書くと・・
多くの痛苦の結果として手に入った不戦の原理を、日本国憲法から取り外せば、
外圧とかを理由にしてそれを変えようとする策動はずっとあるが
そんなことをしたら、なにより
アジアと広島、長崎の犠牲者たちを裏切ることになる
そしてその後にどのようなむごたらし裏切りが続きうるかを小説家として想像しないわけにはいかない
そんなふうなことを言われていた
その言葉が今だからこそより胸に突き刺さる
漠然とした誰かと想像するだけなら
言葉が曖昧になりそうだから
私は思うことにした
不戦の誓いを捨ててしまったら
経塚先生に申し訳ない
先生は、どんなふうに私達に話されるだろう
とふと想像してみる
外国が決めた憲法だから変えるというのであれば
誰かの選んだ素晴らしいことは
自分がえらんだものでないという理由だけで
素晴らしくなくなるのか?
みんなはどう思う?
私はどんな答えを用意して
手をあげようか
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