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ビージーズとセリーヌディオンのコラボImmortality ( Bee Gee & Celine Dion )

2022-02-23 09:00:41 | ウクライナの現状
Immortality ( Bee Gee & Celine Dion )
五年前(2017)という
セリーヌディオン
・出生名:セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン
・生年月日:1968年3月30日(52歳)2022現在
・出身地:カナダ
・ジャンル:ボップス
・職業:歌手、女優
・活動期間:1980年~

 セリーヌ・ディオンさんはカナダ東部のケベック州のシャルルマーニュ(モントリオール郊外)で、ミュージシャンの両親のもと、14人兄弟姉妹の末っ子として生まれています。

両親の愛情をたっぷり受けて育ったという事ですね。
ケベック州はフランス系カナダ人の多い地域で有り、人々はフランス文化に誇りを持ち公用語もフランス語って事ですね。

幼い頃より、歌に類いまれな才能を発揮し、その才能を早くから見抜いたのが、ルネ・アンジェリルさんであり、後にセリーヌ・ディオンさんの音楽マネージャーになっています。
ルネ・アンジェリルさんは彼女の才能と歌声に惚れ込み、自分の自宅を抵当に入れてまでセリーヌさんのデビューアルバムの発売資金を調達するなど尽力しました。

ちなみにセリーヌ・ディオンさんは12歳でプロとして歌う様になっています。
1981年、フランス語でうたうファーストアルバムを発売。

このときに数多くのツアーの誘いがありましたが、ルネ・アンジェリルさんは才能を潰すわけにはいかないと全ての依頼を断ったそうです。

1982年「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」出場の為に初来日し、金賞に輝いています。

1984年にはパリのオランピア劇場に最年少で出演。

1986年にCBCレコードカナダと契約。

1987年の8枚目のアルバム「INCOGNITO」は地元ケベック州で大ヒットになり、音楽関係者にその存在を知られるようになりました。

1988年のユーロビジョン・ソング・コンテストで「スイス代表」として出場し、32年ぶりの優勝するなど数多くの国際コンテストを総なめにしています。

1980年代は国際的な認知度を高めたと言えますね。
 
 またセリーヌ・ディオンさんがカナダで活動していた頃、英語が全く話せず、英語で野会話も出来なかったので、この頃に英語を猛勉強したという事です。
 最初の英語のアルバムのレコーディングの為にロサンゼルスに拠点を移し、1991年に初の英語アルバム「ユニゾン」を発売し、世界的スターへの道を歩み始めます。

1990年代は「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」や1997年公開の映画「タイタニック」の主題歌になった「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」の世界的大ヒットで英語圏、フランス語圏に於けるポピュラーミュージック界の大御所になりました。

 日本ではフジテレビの1995年のドラマ「恋人よ」の主題歌に使われた「トゥ・ラヴ・ユー・モア」が130万枚を売り上げる大ヒット!
 そしてマネージャーだったルネとの結婚などもしています。

 世界的な名声を獲得し、ポップミュージックの歴史上最も成功したアーティストといえるでしょう。

 しかし1999年人気絶頂の時に出産やガンを患っていた夫との時間を大切にしたいという理由から芸能活動を休止。2002年に再開していますね。

 その後も活動は続いていて、凄い歌手なのは間違いないでしょう。
完璧主義者で自信の最高のものを提供するというのは今も変わっていないようです。
偉大なミュージシャンですね。
「アノ人ノ現在から引用」https://anohito-genzai.com/celine-dion-imagenzai