KAMAKURA AMI's // アンティーク&ビンテージ//

アンティーク&ビンテージ、そしてエーケルンドタオルを販売するカマクラアミーズは段かづら沿いの大路ビル1F左奥です!
 

スティーブ・マックーィン栄光のルマン(カメラ車)1/32 slotCAR

2018-04-28 15:18:10 | アンティーク

スペイン製
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バカラ(Baccarat) ローハン 3タイプ フランス

2018-04-14 18:07:42 | アンティーク

クリスタルと言えばバカラを思い出すほど、世界的に有名なフランスのクリスタルメーカー。
パリから約400km東にあるロレーヌ地方のバカラ村に、1764年、ルイ15世の認可を受けてガラス工場がつくられたのが輝きの歴史の始まりです。1817年、本格的なクリスタル製造を開始し、1823年のパリ国民博覧会ではその透明度の高さと繊細なカットが認められ金賞を受賞。以来、ルイ18世を始め世界の王侯貴族たちに愛用されてきました。
今でもフランスで製造されるクリスタルの約半数はバカラの製品だとか。「完璧を維持する」というポリシーのもと、高品質で透明感のある手づくりクリスタルを製造。その技術の高さは約40名以上の「MOF(フランス最優秀職人)」を輩出したことでも証明されています。また完成に至るまでの段階で多くの製品を排除するなどチェックの厳しさも、その美しさを支えているのです。
計算され尽くしたバランスの美しさと、力強さから、荘重な雰囲気を感じさせます。

ローハンとはフランスにある町の名前で、1855年のパリ万博で名誉大賞を受賞したシリーズです。規則的に繰り返される蔦のような植物模様。
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ローゼンタールドイツ製 未使用ロマンス・ワイングラス

2018-04-12 10:51:49 | アンティーク

<ローゼンタール>はドイツの人気テーブルウエアブランドです。 デンマーク出身のアーティスト、ビョルン・ヴィンブラッドが1959年にデザインした<ロマンス>はミッドセンチュリーモダンのフォルムと、北欧調の繊細なレリーフが人気を集めた傑作です。
是非ご覧下さい。
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スウィーピー貯金箱アメリカ製

2018-04-10 16:48:32 | アンティーク


スウィーピー(Swee'Pea)
ポパイが「養子にした」という ませた赤ん坊。かなり賢く、言葉を話す。時折目を放した隙に危険な場所へ出歩き、騒動を起こしてはポパイ達を困らせている。実はデモニア国の皇太子という設定。
1980年実写映画版の設定では、スイートヘヴンの港町で暮らす老婆の家で育てられており、捨てられる直前は家でベビードレスを着せられ、頭にベビーボンネットをかぶせたあと、おくるみにくるんでクッションが入ったクーハンに入れて寝かせつけられ、寝てる間にベビードレスの胸元にピンセットで手紙がつけられ、哺乳瓶、がらがらも添えられた後、ふたで閉じられてしまう。その夜、オリーブのバスケットとすり替えられてしまい、事実上「捨て子」となってしまう。目が覚めた時は真っ暗で、クーハンのふたを開けようとするが、外側から閉じられており、なかなか開かなかった。それでも必死に開けてもらうようにがらがらを鳴らし続けていた。この後、ポパイが開けたとたんに手を出した時に目が合い、ポパイとオリーブと対面することになる。ポパイがベビードレスの胸元についていた手紙を読み、育ての老婆が病弱の為に育児が出来なくなってしまい赤ん坊を手放すことを知った時はあまりの悲しさに号泣した。その後はポパイやオ
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のらくろ1930年代製水滴 1体 日本製ご本人が絵付けした品

2018-04-09 13:21:56 | アンティーク

大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌『少年倶楽部』にて1931年から連載された。連載のきっかけは、『少年倶楽部』の人気小説「あゝ玉杯に花うけて」の作者である佐藤紅緑が、当時の編集長である加藤謙一に対し、「もっと漫画を載せたらどうか。漫画は家中みんなで読めるし、なにより誌面が明るくなるからね」とアドバイスをしたことであった[1]。戦前の漫画としては稀有な長期連載[注釈 1]となっていたが、1941年に内務省の役人から「この戦時中に漫画などというふざけたものは掲載を許さん」というクレームが入り、編集長がやむなく打ち切りにした[2]。戦後も潮書房の雑誌「丸」に探偵の物語として1981年まで執筆した。また、田河の編集による「漫画トランク」(東京漫画出版社刊・昭和22年12月20日発行)にも掲載されたのをはじめ、後述のように戦後のリバイバルブーム期に講談社と普通社とろまんす社から復刻連載版と単行本版が発行あるいは刊行された[注釈 2]。なお、最も早い大日本雄辯會講談社版『のらくろ二等兵』再録版は連載最終話[注釈 3]と同時に同社発行の初期作品集「漫画常設館」誌にて収録され、初期の兵制改変に伴い当時の新規の兵制に合わせて復刻加筆されている。

日本の漫画の萌芽期に人気を獲得。当時は、雑誌だけにとどまらず子供向けの商品には次々にのらくろが登場した。現代のキャラクター商品のはしりともいえる「のらくろ墨」、楽器「のらくろハーモニカ」、筆箱、幼児用の玩具、ハンガーなどが発売された。著作権は、このような第二次的な商品にまでは法的規制の及ばない時代で、ほとんど原作者や出版社の無許諾商品である。これに関して原作者の田河は「ええじゃないですか、みなさんよろこんで使ってくれるんだから」と鷹揚なものだった
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