先日、時間が空いたので上野駅に行ってみました。
幼少の頃、虚弱体質だった私は体質改善の為に漢方薬を飲んでました。
母に手を引かれて上野の漢方薬局によく連れて行かれてた記憶があり
ますが、物心ついてからは本当に数えられるぐらいしか上野駅には
行ってないような気がしました。
ミュージシャンとしてツアーなどに行くようになってからは、すでに
東北上越新幹線は東京駅に乗り入れてましたし、上野にあったジャズ
クラブ「GH9」には何と1回しか出演経験がありません。後は数年
前の年末にアメ横に買い物に行った記憶ぐらいしかないんですよね。
で、久しぶりに行った上野駅だったんですが、まずこんな妙な多層
構造になってたんですね。駅舎の中に中2階みたいにしてホームが
あったり、更にその上に山手線のホームがあったり、下には地下化
して東京駅まで乗り入れた東北・上信越新幹線が通り、無計画な
増改築みたいで(悪気はありません)慣れないと迷いそうです。
実際には過去に汽車が発着した地上階の路線に、後に新たな路線が
立体的に増設されていったのだろうと思います。
そして、今にしてこんなに駅舎の中に線路の終端がある駅はかなり
珍しいのではないかと思いました。郊外線や単一路線での終点駅で
線路が終端してる光景はもちろん見かけますが、都市部では相互
乗り入れや延長整備がどんどんすすみ、終点ではあっても終端では
ない場合がほとんどになってきてるのではないでしょうか。
実は私、内田康夫さん等のミステリー小説が好きで結構読んだり
するのですが(笑)同氏の小説「上野谷中殺人事件」の中でも
「上野駅は永遠の終着駅のイメージ」と言及がありました。確かに
上野駅は東北や信越に行き来する路線の正に「始点」であり「終点」
である事が、未だに目に見えて実感出来る佇まいなのです。だって
駅舎の中でたくさんの線路が終端していて、その先に改札が見える
なんて光景はやはり他では見かけないものな気がします。
さすがに38年間も生きてくると、あらゆる光景が多かれ少なかれ
変貌を遂げて行くもので、しかも以前の光景は簡単に忘れ去る能力
も(笑)持ち合わせているのですが、上野駅のようなそこはかとなく
なつかしさの漂う光景を発展の名の下に失っていってしまうのは
至極惜しい気がしてなりませんでした。人々が作ってきた光景では
ありますが、作ろうと思って作れるものではない、時間と想いが作る
光景なんだと想います。
幼少の頃、虚弱体質だった私は体質改善の為に漢方薬を飲んでました。
母に手を引かれて上野の漢方薬局によく連れて行かれてた記憶があり
ますが、物心ついてからは本当に数えられるぐらいしか上野駅には
行ってないような気がしました。
ミュージシャンとしてツアーなどに行くようになってからは、すでに
東北上越新幹線は東京駅に乗り入れてましたし、上野にあったジャズ
クラブ「GH9」には何と1回しか出演経験がありません。後は数年
前の年末にアメ横に買い物に行った記憶ぐらいしかないんですよね。
で、久しぶりに行った上野駅だったんですが、まずこんな妙な多層
構造になってたんですね。駅舎の中に中2階みたいにしてホームが
あったり、更にその上に山手線のホームがあったり、下には地下化
して東京駅まで乗り入れた東北・上信越新幹線が通り、無計画な
増改築みたいで(悪気はありません)慣れないと迷いそうです。
実際には過去に汽車が発着した地上階の路線に、後に新たな路線が
立体的に増設されていったのだろうと思います。
そして、今にしてこんなに駅舎の中に線路の終端がある駅はかなり
珍しいのではないかと思いました。郊外線や単一路線での終点駅で
線路が終端してる光景はもちろん見かけますが、都市部では相互
乗り入れや延長整備がどんどんすすみ、終点ではあっても終端では
ない場合がほとんどになってきてるのではないでしょうか。
実は私、内田康夫さん等のミステリー小説が好きで結構読んだり
するのですが(笑)同氏の小説「上野谷中殺人事件」の中でも
「上野駅は永遠の終着駅のイメージ」と言及がありました。確かに
上野駅は東北や信越に行き来する路線の正に「始点」であり「終点」
である事が、未だに目に見えて実感出来る佇まいなのです。だって
駅舎の中でたくさんの線路が終端していて、その先に改札が見える
なんて光景はやはり他では見かけないものな気がします。
さすがに38年間も生きてくると、あらゆる光景が多かれ少なかれ
変貌を遂げて行くもので、しかも以前の光景は簡単に忘れ去る能力
も(笑)持ち合わせているのですが、上野駅のようなそこはかとなく
なつかしさの漂う光景を発展の名の下に失っていってしまうのは
至極惜しい気がしてなりませんでした。人々が作ってきた光景では
ありますが、作ろうと思って作れるものではない、時間と想いが作る
光景なんだと想います。