7月18日(金)未明4時30分、同級生が亡くなった。
2か月前に入院、そして転院、お見舞いも不可ということだった。
気にはしていたが、ときにはふーと忘れていることもあった。
そんなとき、訃報のTELを受け、大きな衝撃を受けた。
夜ではあったが、友達あちこちに連絡。お通夜、葬儀の日時を
思いはそれぞれ、過ぎし日の思い出を語る友、静かに受け止める友、
みな悲しく切なく暗い気持ちに陥った。
わたし達の仲間として食事会も2,3度共にしたのだった。
昨年10月の食事会にも・・・
病気がちで、入退院を繰り返してらしたので突然の訃報ではなかったけれど、
それだけに「とうとう・・・」という悔しい思いは拭えない。
「会」の名前でお供花を一基お願いして事務連絡は完了。
炎天下、チャリンコで葬儀場に駆けつけてくれた友2名。
参列者は少なくひっそりとした告別式ではあったが
それだけに心から故人に思いを寄せる方々ばかりだったんでしょうね。
葬儀が終わって、お茶した友数人とおしゃべりすること1時間。
お互いの健康と次回の食事会を確認してそれぞれの自宅へ。
いつかは我が身にも訪れる「死」という現実。
どうか遠い遠い霞んで見えない程の「いつか」でありますように
2か月前に入院、そして転院、お見舞いも不可ということだった。
気にはしていたが、ときにはふーと忘れていることもあった。
そんなとき、訃報のTELを受け、大きな衝撃を受けた。
夜ではあったが、友達あちこちに連絡。お通夜、葬儀の日時を
思いはそれぞれ、過ぎし日の思い出を語る友、静かに受け止める友、
みな悲しく切なく暗い気持ちに陥った。
わたし達の仲間として食事会も2,3度共にしたのだった。
昨年10月の食事会にも・・・
病気がちで、入退院を繰り返してらしたので突然の訃報ではなかったけれど、
それだけに「とうとう・・・」という悔しい思いは拭えない。
「会」の名前でお供花を一基お願いして事務連絡は完了。
炎天下、チャリンコで葬儀場に駆けつけてくれた友2名。
参列者は少なくひっそりとした告別式ではあったが
それだけに心から故人に思いを寄せる方々ばかりだったんでしょうね。
葬儀が終わって、お茶した友数人とおしゃべりすること1時間。
お互いの健康と次回の食事会を確認してそれぞれの自宅へ。
いつかは我が身にも訪れる「死」という現実。
どうか遠い遠い霞んで見えない程の「いつか」でありますように