東京オリンピックの談合事件 その中心人物は「大人の事情」で追い詰められた 検察幹部が漏らす「彼はババを引いた」の真意
2021年に開催された東京オリンピックは、日本選手のメダルラッシュに沸いた。しかし、大会に向けられる国民の視線はその後、一変する。2022年夏以降、東京地検特捜部が汚職事件と談合事件に着手し、華やかな舞台の裏で不透明な資金の流れが次々と報じられた。
両事件で立件されたのは計22人。そのうちの1人で、談合で主導的な立場を担ったとされるのが大会組織委員会大会運営局の元次長(56)だ。マラソン・競歩の札幌移転に尽力し「スポーツイベントのプロ」として五輪運営で辣腕を振るった。公判では起訴内容を認め、動機をこう説明している。「とにかく五輪を成功させないといけないと思った」
法廷で検察側は「公正かつ自由な選定を骨抜きにした」と指弾したが、一方である検察幹部はこんなことを語っていた。
「社会は必ずしもフェアにできていない。彼はババを引いたと思っているんでしょうね」
この言葉の真意はどこにあるのか。そして当時、何が起きていたのか。(共同通信=武田爽佳)
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が発足し、記念写真に納まる森喜朗会長(左から3人目)ら=2014年1月、東京都庁
▽「談合の中心人物」
元次長は民間企業で都市開発に携わった後、日本陸上競技連盟に転職し、大会運営の「事業畑」を歩んだ。
東京地裁の公判で明らかになった内容によると、2014年に東京五輪・パラリンピック大会組織委員会に出向し、大会準備運営局次長に就任。その後、大会準備運営第1局や大会運営局の次長などを歴任した。
検察側が法廷で述べた元次長の「罪」は、独禁法違反(不当な取引制限)。具体的には、オリンピック開催前に課題を洗い出すため、本番と同じ会場で計56回開かれたテスト大会と本大会の運営に関して、共謀して受注予定先を決めたというものだ。
テスト大会運営の計画づくり業務の受注先は一般競争入札で選ばれ、テスト大会と本大会の実施業務もほぼそのまま同じ業者と随意契約を結んだ。
この事件では元次長のほか電通グループや博報堂など計6社とそれぞれの担当者6人が立件され、元次長は各社の意向を集約して調整を進めた「談合の中心人物」と位置づけられていた。
ここまで事件の概要を聞く限り、公正な競争を阻害した罪は問われなければならない。ただ、元次長のある言葉に違和感を抱いた。受注調整をした理由を問われた元次長は、こう述べたのだ。
「(五輪は)国家的事業。素晴らしい運営をして、素晴らしい大会にするためだった」
堂々と、しっかりした口調。罪を認めながら、なぜ胸を張って言えるのか。彼が談合に関わった具体的な経緯は公判でつまびらかになった。話は大会の当初の開催予定まで4年となった2016年にさかのぼる。
東京五輪・パラリンピックの運営リハーサルを行うテスト大会に関して説明する、組織委員会大会運営局元次長=2021年3月、東京都中央区(写真を一部加工しています)
▽経験者が少ない「寄せ集め」の中で
2016年秋、元次長は危機感を抱いていた。準備を担う大会組織委員会は、東京都や競技団体、民間企業などからの出向者の「寄せ集め」。スポーツイベントの運営経験者は少なく、テスト大会の準備は一向に進んでいなかった。
「電通を中心とした事務局にテスト大会の業務を委託しよう」
頭に浮かんだのは、スポーツ分野での経験が豊富な電通に“丸投げ”する案だった。だが公式エンブレムが白紙撤回となった問題や労務関係訴訟問題など、電通はその頃、逆風のまっただ中にいた。財務省から出向していた企画財務局長は、こう言って元次長の考えに反対する。「電通からマージンを中抜きされる」
そこで元次長は、各競技で大会運営実績のある事業者にバランス良く割り振る案に切り替えた。「オールジャパン体制で、みんな協力してやりましょう」。電通側も「独占は難しい」と考え、元次長への協力を通じて、利益確保を目指すことになったとされる。
無観客の国立競技場で行われた陸上のテスト大会=2021年5月
▽「一個一個が世界大会」
各競技で専門性を持つ事業者に発注するのは、大会成功の「最低条件」だ。元次長は初公判でこの点を強調し、自分が決めた方針への自負をにじませた。
東京大会で実施されたのは、史上最多の33競技339種目。「一個一個が世界大会」。元次長は、その困難さを冬山にたとえた。
「対処には経験値が必要。何も起こらない夏山ではなく、なんとかしなければならない冬山だった」
検察側が読み上げた電通や大会組織委員会関係者の供述によると、元次長は2017年、電通に依頼し、競技ごとに大会運営実績のある会社をエクセル表にまとめさせた。事業者を早期に確保すべく、それぞれと特命随意契約を結ぶ想定で動き、電通側と共に割り振りを検討し始めた。
無観客で開催されたバレーボールの東京五輪テスト大会を兼ねた国際試合=2021年5月、有明アリーナ
▽ターニングポイント
ただ、そこに大会組織委員会のルールが立ちはだかる。規定では、競争入札が原則だ。
企画財務局長らは2017年10月ごろ、「随意契約にしたい」と元次長から相談を受けた際、「原則通り入札でやらなければならない」と突き返した。最初のテスト大会の開催予定まで1年を切っていた。
焦る元次長は2017年12月ごろ、電通元幹部と手分けして各事業者と面談し、受注を希望する会場・競技や実績の聞き取りを始めた。大会組織委員会では翌18年1月までにテスト大会の計画立案業務を一般競争入札とする方針が固まったが、元次長らは各事業者との調整を止めなかった。ここが、検察側から談合とみなされるターニングポイントになった。
公判では、調整を続けた理由について質問が相次いだ。元次長はテスト大会を成功させることが根底にあったと述べ、こう繰り返した。「大変なことになる」「無責任に放り出すことはできなかった」
検察側 「何をそんなに恐れていたんですか」
元次長 「とにかく専門性のある業者を、と考えていた。(調整していなかったら)計画が煮詰まらず、大きな混乱が生じたと思う」
東京五輪の開会式で打ち上げられる花火。手前は点火された聖火台=2021年7月、国立競技場
▽「責任を押しつけられたのでは」
上司だった大会組織委員会元幹部の供述によると、2018年3月、受注想定事業者が記載された一覧表を元次長から見せられた。
「業者に見せたら官製談合と疑われるぞ」と注意喚起すると同時に、こう注文を付けた。「電通に偏らないように」
このやりとりには重い意味が含まれている、と元次長の関係者は話す。
「公金を費やしている体裁があるので、入札にはするけど、後はうまくやってね、ということ」。運営がうまく回らない大会組織委員会から「責任を押しつけられたのではないか」と指摘した。
ある大会組織委員会の関係者は、元次長から事業者確保への懸念を直接聞いたことがあるという。夏は元々イベントが多く、事業者に新たに五輪運営にリソースを割いてもらうことが難しいためだ。野球やサッカーといった人気競技はまだしも、それ以外のマイナーな競技も含めて引き受けてくれる事業者は見つけづらいという。
「本大会までのスケジュールを考えると、テスト大会ができないという事態になっちゃいけない。相当プレッシャーだったのだろう」
テスト大会、そして本大会の成功に向けて突っ走り続ける元次長を、同僚たちはどう見ていたのか。証人尋問に出廷した大会組織委員会の別の元幹部は、こう述べている。
「多くの仕事を課してしまった。多くの職員は、私と同じ思いを持っていると思う」
この言葉を聞いた元次長は被告席で天井を見上げ、視線をさまよわせた。込み上げる感情をこらえようとしているかのようだった。
2022年11月、家宅捜索のため、電通本社に入る捜査関係者ら=東京都港区
▽真の意味での「オリンピックの成功」とは
大会を成功させるか、法を順守するか―。元次長の法廷での発言からは、当時、究極の選択を迫られていたように映った。
取材の中である検察幹部は、元次長をこう評している。
「立場上責任は取らないといけないが、ババを引いた、と彼は思っているんでしょうね。社会は必ずしもフェアにできていない」
7月にあった初公判の最後、裁判長は不意に問いを投げかけた。
「今、五輪を本当に成功させるために何が必要だと思いますか」
元次長は、言いよどんだ。「そこがまだ…こんな答えではいけないかもしれないが、分からない。何ができたら良かったのか…」
裁判長のこの問いを受けてか、検察側は9月の論告求刑公判で、大会に対する失望感と不信感が国民に生まれたと主張した上で非難している。
「真の意味での成功とは到底言いがたい。被告人自身も理解しているはずだ」
判決は12月12日に言い渡される。