学生時代の頃、とても肌の荒れたある女の子が好きだった。
綺麗な栗色のワンレンをしていて、細かい花柄のネイビーのワンピースや、スキニーパンツにパンプスを履き、黒い革のトートバッグなんかを肩にかけている、そんななりをしていた子だった。身長は女の子にしては高く、健康的に肉が付きつつもすらりとした、都会的なスタイルである。顔が少し大きめだった。彼女の肌は荒れていた。近くでまじまじ見た事はないからはっきり分かるわけではないが、顔全体に細やかなニキビがあって、多分色素沈着とかも起こしていたと思う。陥没しているのではなく、ぼこぼこしている様子だ。目鼻立ちははっきりしていて、もう少し顔が小さかったらモデルにだってなれそうな顔立ちだと思われた。それでも、私が今まで見て来た女の子の誰よりも、肌は荒れていた。私は教室の一番後ろの席だったけれど、遠くからでも彼女の肌荒れは分かった。
彼女は一番前の席にいつも座っていた。授業中の彼女の気迫は、クラスの中で誰よりもはっきりとその背中に現れていた。ペンを持つ手に力が入り、俯きながら目は見開かれ、ノートや教師に向けられていた。優秀そうではあった、成績なんて知らなかった、そんなことより何よりも、その熱心な姿勢に好感が持たれることは間違いなかった。
言うまでもなく、私は彼女が気になっていた。話したことも目があったこともなかったけれど、彼女は魅力的だった。何より、彼女の顔が好きだった。私にとって彼女はとてもセクシーな女性だった。理由はなかった。
授業中、一番後ろの席の私は、熱心にノートを取る先頭の彼女を見つめながら、ぼんやりと物思いに耽っていた。彼女はどんな気持ちで毎朝鏡に向かい化粧をしてくるのだろうか、と。私は馬鹿だったのだ。彼女は少し、変わっているのではないかと信じていたのだから。彼女は目の病気なのでも自己イメージが狂っているのでも鋼の心臓を持っているのでもない。この世にたった1人に過ぎない人間であり、さらにはまだ女の子だった。平等に現実を生きている数十億いる人間の1人だった。そして、可愛らしい美やら、母なるものやら、孤独(not solitude but loneliness)、虚栄心や、嫉妬、そんなものを抱える1人の女の子だった。
数年後も、私はたまに彼女のことを思い出したりした。そして、彼女を好きなのは、ひょっとしたら自分が彼女を優越しているからではないかと思い至った。彼女は当時の私にとっては大人っぽく魅力的だったが、彼女の荒れた肌に触れたり、口づけすることを妄想していた健全な思春期男子の私は、そのとき彼女が可愛く思えたのだ。その愛らしさは、勝者の余裕なくしては生まれ得ないだろうということを薄々感づいてきたのだ。彼女のような聡明な女性なら、私のような卑怯な男とつき合うかもしれないとなれば、なんとなくそれを嗅ぎ付けて、去って行くに違いない。そんなことを考えた。
彼女は今でも私の中で魅力的な女性の1人だ。思春期も過ぎた今、肌にも美しく紅を差し、亜麻色に染め上げた髪をなびかせて異様に高いヒールを履き、華々しく着飾って、匿名的な美人の1人として雑踏に紛れ込んでいるのかもしれない。あるいは、相変わらずキツい現実を受け止めながら颯爽と歩き続けているのかもしれない。どちらにせよ彼女は美しい。このような薄汚い手で彼女のことをタイプされるのを、遺憾にも思う。かくして美しい彼女は、私の美しくはないけれどガラスの破片みたいな思い出となって、煙草をふかす時などに思い出されてゆくだろう。
綺麗な栗色のワンレンをしていて、細かい花柄のネイビーのワンピースや、スキニーパンツにパンプスを履き、黒い革のトートバッグなんかを肩にかけている、そんななりをしていた子だった。身長は女の子にしては高く、健康的に肉が付きつつもすらりとした、都会的なスタイルである。顔が少し大きめだった。彼女の肌は荒れていた。近くでまじまじ見た事はないからはっきり分かるわけではないが、顔全体に細やかなニキビがあって、多分色素沈着とかも起こしていたと思う。陥没しているのではなく、ぼこぼこしている様子だ。目鼻立ちははっきりしていて、もう少し顔が小さかったらモデルにだってなれそうな顔立ちだと思われた。それでも、私が今まで見て来た女の子の誰よりも、肌は荒れていた。私は教室の一番後ろの席だったけれど、遠くからでも彼女の肌荒れは分かった。
彼女は一番前の席にいつも座っていた。授業中の彼女の気迫は、クラスの中で誰よりもはっきりとその背中に現れていた。ペンを持つ手に力が入り、俯きながら目は見開かれ、ノートや教師に向けられていた。優秀そうではあった、成績なんて知らなかった、そんなことより何よりも、その熱心な姿勢に好感が持たれることは間違いなかった。
言うまでもなく、私は彼女が気になっていた。話したことも目があったこともなかったけれど、彼女は魅力的だった。何より、彼女の顔が好きだった。私にとって彼女はとてもセクシーな女性だった。理由はなかった。
授業中、一番後ろの席の私は、熱心にノートを取る先頭の彼女を見つめながら、ぼんやりと物思いに耽っていた。彼女はどんな気持ちで毎朝鏡に向かい化粧をしてくるのだろうか、と。私は馬鹿だったのだ。彼女は少し、変わっているのではないかと信じていたのだから。彼女は目の病気なのでも自己イメージが狂っているのでも鋼の心臓を持っているのでもない。この世にたった1人に過ぎない人間であり、さらにはまだ女の子だった。平等に現実を生きている数十億いる人間の1人だった。そして、可愛らしい美やら、母なるものやら、孤独(not solitude but loneliness)、虚栄心や、嫉妬、そんなものを抱える1人の女の子だった。
数年後も、私はたまに彼女のことを思い出したりした。そして、彼女を好きなのは、ひょっとしたら自分が彼女を優越しているからではないかと思い至った。彼女は当時の私にとっては大人っぽく魅力的だったが、彼女の荒れた肌に触れたり、口づけすることを妄想していた健全な思春期男子の私は、そのとき彼女が可愛く思えたのだ。その愛らしさは、勝者の余裕なくしては生まれ得ないだろうということを薄々感づいてきたのだ。彼女のような聡明な女性なら、私のような卑怯な男とつき合うかもしれないとなれば、なんとなくそれを嗅ぎ付けて、去って行くに違いない。そんなことを考えた。
彼女は今でも私の中で魅力的な女性の1人だ。思春期も過ぎた今、肌にも美しく紅を差し、亜麻色に染め上げた髪をなびかせて異様に高いヒールを履き、華々しく着飾って、匿名的な美人の1人として雑踏に紛れ込んでいるのかもしれない。あるいは、相変わらずキツい現実を受け止めながら颯爽と歩き続けているのかもしれない。どちらにせよ彼女は美しい。このような薄汚い手で彼女のことをタイプされるのを、遺憾にも思う。かくして美しい彼女は、私の美しくはないけれどガラスの破片みたいな思い出となって、煙草をふかす時などに思い出されてゆくだろう。