詩林

詩を書く人

詩集「ヒーローなんていなくてもいい」 澤 一織 著を拝読して

2023-03-25 11:57:08 | 日記
詩集「ヒーローなんていなくてもいい」 澤 一織 著を拝読して

 詩集に掲載されている作品は30作品。いつ書かれたのか分からないが、発表する時を見定
めていたのだろう。このヒーローには私は深い意味を持たせているように思う。作品を拝読し
ていくと、誰でも経験した事などとは安易に言えない。深く心に突き刺さってくるものがある。
このような作品は、書き手と読み手にどうしても距離が出来てしまうので、自分の同じ年代の
頃を重ね合わせながら、作品を一つ一つ拝読していった。

 この詩集は、一言で言うならば、五感を揺り動かす作品でできている。難しい言葉ではなく、
優しい言葉でもなく、著者の思いが作品として浮かび上がってきたものを上手に掬い取って作
品にした。そんな思いを感じながら、ときどき心が作品から離れて隠れるようにしながら涙を流
している。拝読していて、すんなりと言葉が読み手の心に触れ、そしてときどき深く刺す。痛みを
感じる事はないが、悔しさと言いようのない腹ただしさを感じる。一瞬の痛みより長く引きずる
ものほど、拝読していると心に響く。

 作品「明日、天気になあれ」は、比喩するものが各連に巧みに配置されている。私はこの作品
のタイトルには著者自身の思いが沢山入っていると思いながら拝読した。今が辛くても明日が、
その日が辛くてもまた次の日が、天気になれれば何かが変わる。何かが変って欲しい。じ~んと
くる各連を上手に一つの作品として集合させ組み立てている。最後に今の著者の現実に戻る。
人は沢山苦労してきても最後に帰天する1年いや2年本当に平穏に過ごせれば平安な旅立ち
ができると聞いた事がある。著者の今の姿を最終連に持ってくるために、その前に幾つかの作
品の連を置いている巧みさを拝読していて感心した。

 もう一作、これは詩集のタイトルとなっている「ヒーローなんてなくてもいい街」に触れて
おきたい。中学二年から高校生、大学と進んで著者は何を学んだのだろう。一連にこのように書
かれている。ヒーローなんて/いなくてもいい/そんな街をみんなと作っていきたい と。こ
の箇所は福島原発で避難した方々、帰還した方々等々、いろんなものと重なり、私は今書き続け
ている震災詩をダブらせて読んでいる。私もヒーローはいらないと思う一人である。多くの方
が少しずつ知恵を出し合い街を復興していく、それは絆という言葉に置き換える事もできる。
 この詩集のタイトルにした、「ヒーローなんていらない」、これはある意味とても大事な思い
なのかも知れない。小さな知恵を出し合い結集していく。

 MYDEARは、抒情詩、叙景詩を基本としていますが、その範囲は島さんの懐の深さから、大き
なものがあります。私などはときどき、はみ出した詩を書くものですから、こつんと言葉を落と
されます。この詩集はとてもすぐれた詩集です。いろいろなところに投稿なさる事をお勧め致
します。立派な詩集と比較しても作品の内容は十分です。私はこのような詩集、詩作品が賞の
中に入っていく日を楽しみにしています。

 十分に感想を書く事は難しかったと思っています。作品数は多く、それも完成度の高い作品
ばかりですから、一作、二作を取り出すだけでは申し訳ないと思いながら、拙い文章で、この
詩集に対する思いを書かせていただきました。もし大きく異なるものがあればスルーして下さ
い。最後に学びの場所を提供してくれた島さんには感謝を持ち続けながら、少しでもより良い作
品を書いていければとそう思っています。

 改めて詩集の発刊を心よりお祝い申し上げます。

藪下明博詩集「砂/鬼籍のひと」を拝読して

2023-02-16 08:22:04 | 日記
藪下明博詩集「砂/鬼籍のひと」を拝読して

   木村孝夫

 貴重な詩集をお送りいただいた。
タイトルは「砂/鬼籍のひと」、一目見てこの詩集の持つものは、時間をかけて拝読する詩集なのだと感じた。

 藪下様は北海道生まれだと初めて知った。28作品になるのだろう。作品を「砂」と「鬼籍のひと」とに区分けし、その前後に一つの詩作品を入れて、詩集を組み立てている。この二つの区切りの中にはとても重いものがある。

 砂の音を聞いた事がある。言葉で表現すればサラサラなのだろう。この詩集に収められた砂は、「ごうごう」、「涙」、「サラサラ」など、多様な音を引き連れて書かれている。この「砂」の中の作品はまさしく「砂」が中心で、ときどき昔に回帰していく。その位置づけはそれぞれの作品で異なっている。砂の音に耳を傾けて拝読しなければならない作品ばかりである。ふと石川啄木の砂の短歌を思い出した。これも心の奥深くにすと~んと落ちる砂だ。この砂の作品群は深い深い、記憶の井戸から釣瓶で何かを汲みだすように。そして汲みだした音をそっと聴くように。

 ツイッターで、多くの建築物をみさせていただいた。お仕事はそれらに関係するものと思いながら、みた事がない建築物を視線の中に多くの驚きを取り込んできた。職業を拝見して納得した。

 「鬼籍のひと」を拝読しながら、作品「月命日」は今の私の中に重なるものがあり惹かれた。砂の音で/育った/波の匂いで/眠った・・・と言う書き出しでこの詩は始まる。最後の一行が効果的にこの詩をもう一度振り返させてくれる。
今日が俺の 月命日だという の表現に少し戸惑った。その前の連には、自分の命日も/忘れていた と書かれている。とすれば、この月命日は家族全てのものにあてた月命日と読み替える事ができるのかも知れない。この俺に、誰が月命日だと教えてくれたのだろう。もしかすると、ここには、月命日と言う重い言葉の群れにも悲壮感がなく、その日に出会う事の喜びが書かれているのかも知れない。とすれば、誰が俺の月命日だと教えたのだろうかと言う疑問は深く考える事なく読むことができる。
 タイトルから考えると、暗い詩群ばかりかなと思うかも知れないが、そうではない。一月に一回思い出す日があって、その思い出す日の中で語り合う、喜びさえ感じる。著者の思いの深さが読み取れる。
 私などは、「鬼籍」と言う言葉にこの頃少し敏感になっている。だからこそ、明るさを感じる詩群に慰められるように拝読できるのかも知れない。
 
感謝しては拝読した。

海に捨ててはならない

2022-11-12 17:28:12 | 日記
            
汚染水が処理水に名前が変わったとき
多くの人はその理由を聞かなかった
一度諦めると
もう無関心はまわり道をしない

タンクの中でも大騒ぎになった
ALPSを通ると処理水になれるらしい
もしかすると飲料水になれるかも
すぐに無責任な飛躍は諫められたが

 *

政府が持つ知恵の
一つを欲しいと言ったらすぐに断られた
被災地の中は次々と状況が変わる
その理由付けが
とても上手いのだ

ALPS処理水の
海洋放出も
漁業関係者の了解無しには進めない
と 約束していたものが
簡易な条件付きで承認となった

 *

一キロ先までの
海底トンネル工事は
もう汚染水と言えなくするための
理由付けだったのだろう

新聞などの記事も
汚染水と書いていたものがALPS処理水と
名前が変った
迎合してはならないのだが

 *

僕の持つ知恵の一つ取り出すと
このトンネルが決めてとなったようだ
姑息なと 
怒ってみても
もう元に戻る事はない

また一つ学んだが
いつも疑問するものが先に来るので
その中に 新しく加わるものを一つ
ストーンと落とされると
疲れた思考が錯覚してしまう

 *

汚染水は処理水にはなれない
この二つの間にあるものは基準値だ
線量計が無反応であっても
トリチウムだけが残ると言うのは嘘だ

基準値の中にあるべき
セシウムなどが溺れかけている
だから汚染水を処理水と名前を変えても
海に捨ててはならない



詩集「虎落笛」を拝読して

2022-11-09 09:29:43 | 日記
 詩集「虎落笛」香野宏一詩集。土曜美術社出版販売を拝受した。
虎落笛―季節の移ろいー無縁仏の大きく三区分された詩集であり、
それぞれ作品数は多い。
10年間近く書いて来たという時間の重さをまず感じる。
 作品は、樹木に関するものが多いがそれには理由がある事があ
とがきで知る事ができる。最初の作品「虎落笛」は少年時代の頃、
60年過ぎたその竹やぶの姿が跡形も消えている事が書かれてい
る。60年という月日の長さをこの作品から読み取れる。昔の穏
やかな日常はどこに行ったのだろう。高度成長の時代から、私た
ちは少しずつ何かを失ってきたのかも知れない。それが家族の談
笑の時間一つであれ、耳に残るものの一つなのだろう。
 しかし作品を拝読しながら思う事は、昔に回帰するのではなく
今をどのように書き手は捉えているのか。作品「抜け殻」を読み
ながら考えている。私も蝉の詩を書くが、原発事故により蝉の数
が大幅に少なくなり、夏に鳴く蝉が木を登る事ができなかったと
いう状況を目の当たりにしてから書き始めたものだ。書き手は「
地底での長い苦役の/修業から解放された」と書いている。
 そうか地底の中でじっと何年も待つ蝉の姿は修行している姿な
のだ。私たちは当たり前に夏に蝉が鳴くと思っている。しかし長
い修業があってその時を待っている蝉の姿に思いを置く事はまず
ない。書き手はこのように詳細に樹木から蝉へと作品を展開させ
ていく。拝読していて考えさせられることはたくさんある。難し
い言葉は用いていない。だからなお更読み手に強く訴えるものが
あるのだろう。


卒業式

2022-11-04 17:25:30 | 日記

古里は復興の一年生になった
体に相応しくない
小さなランドセルを背負っているから重い

青い色が良いと
泣いた覚えはないが
空の青さのように真っ青なランドセルを
背負っている

横断歩道を渡る時は
左右を良く見てから
手を挙げて渡りましょう
と 同級生だった叔父さんが言うのだ

帽子を忘れた子供たちには
今度は黄色い帽子を
忘れないようにねと 優しい叔父さん

イチエフのメルトダウンにより
被災地の復興学校は新しく造り直される
みんなが同じ一年生

汚染土をいっぱいにした
ダンプカーが次々とスピードを上げながら
横断歩道を通り過ぎて行く

いっとき人通りが少なくなった六号線
道路の賑わいは復興の賑わいだと
一年、二年、三年とダンプカーが走る
それでも まだ一年生

背負っているランドセルの中は皆同じだ
カタカタと走るたびに音がするのは
復興の筆箱
もしかすると二年生が隠れていたりして

絵具箱もあるから点滅している信号機を
青色に塗り替える事もできる
黄色の信号機の点滅の先は
帰還困難区域だ

 *

原発事故から十二年になる
復興の一年生はもう卒業させようと
町村の校長先生
ランドセルには生きた教材が入っている
この重さを忘れてはいけないよ

農家の子は大地の土を袋に入れて
大事に持ち歩いていた
先祖代々の大地の土だからと
親がお守り代わりに鞄の中に入れた
これも絶対忘れてはいけないよ

みんな一つになって
手を高く挙げて横断歩道を渡っていく
まだ長い先があるが
もう一年生は卒業させてもいいよね

皆が頷く中で
復興の一年生の卒業式が行われたが
卒業証書はない
小さなランドセルは
綺麗に拭いて町村の机の上に置いた