小雑記

大好きって,ふたりだけの歌があること
~Charles.M.Schulz~

紀伊半島大水害を綴る(12)

2012-09-12 | 2011 紀伊半島大水害
<2011年9月5日>

先週と今週では,県庁内の空気が一変しました。廊下には災害対策本部の大きな看板が掛けられ,教育委員会内もひっきりなしに電話が鳴っています。

「天川中学校の校舎が水につかってしまったらしい」
「教職員住宅が流されて天川中学校の先生が行方不明らしい」
「十津川では小学生を含めた数名が行方不明らしい」
「十津川の学校の施設の被害状況については全く情報がありません」

昨日から心配していた天川村の行方不明者は,やはり小山先生であるということがわかりました。次々に飛び込んでくる知らせは,どれもこれも,現実として受け止めにくい話ばかりでした。


「十津川村が全村孤立状態の模様。明治22年の十津川水害レベルの大災害になっている可能性もある。」


今から,100年以上も前の1839年(明治22年)8月,熊野川(十津川)流域で台風による雨で大規模な水害が起きました。奈良県吉野郡十津川郷(現十津川村)に壊滅的な被害をもたらし,「十津川大水害」と呼ばれています。


明治22年の十津川大水害の状況は,次の通りです。


■気象状況

秋雨前線が日本付近に停滞しているところへ、台風が南海上から接近、8月18日から19日にかけて和歌山県から奈良県南部の範囲に大雨をもたらした。台風は19日午前6時過ぎに高知県東部に上陸し、まっすぐ北上して四国地方及び中国地方を縦断、20日に日本海に抜けた。和歌山県の記録によると、20日午前3時頃から西南風が強く吹き、711mbの低気圧に風速40mをともなって県下に襲来、雨は9月7日まで降り続いた。記録に残る和歌山県での最大雨量は20日に現田辺市元町で観測した日雨量901.7mm、時間最大雨量は169.6mm。奈良県吉野地方では19日の雨量は1,000mmを越え時間雨量は130mmと推定されている。

■奈良県内の被害

奈良県吉野郡十津川郷(現十津川村)では、大規模な山腹崩壊が1080か所で発生。十津川(熊野川)が刻んだ谷を土砂が埋め37か所で天然ダムをつくり、多くの堰止湖が出現。天然ダム欠壊にともなう洪水により甚大な被害が生じた。土砂堆積は地形を一変させるもので、河床に堆積した砂礫は平均で30mとの推定がある。この災害は深層崩壊の典型事例として記録されている。

北十津川村、十津川花園村、中十津川村、西十津川村、南十津川村、東十津川村の6か村からなる十津川郷は、村民12862人のうち死者168人、全壊・流出家屋426戸、半壊まで含めると全戸数2403戸の1/4にあたる610戸に被害、耕地の埋没流失226ha、山林の被害も甚大で、生活の基盤を失った者は約3000人にのぼり、県の役人が「旧形に復するは蓋し三十年の後にあるべし」と記すほどであった。被災者2691人が同年10月北海道に移住、新十津川村がつくられることになった。


こうしてみると,そのときの台風が辿ったコースは,今回の台風12号タラスとほとんど同じであることがわかります。


「とにかく現地の情報がまるでない。どんなことでもいいから,情報があれば知らせるように。」


職場内は,十津川村の甚大な被害状況の把握に躍起になっていました。私の係は県立高校の担当で,十津川高校に関する情報収集をするようにという指示がありました。

インターネットで十津川高校のホームページが見ることができました。もし,ホームページを公開しているWEBサーバが学校にあるとすれば,インターネット回線がつながっているということになるので,学校と連絡がとれるかもしれないと思いました。

が,そのときの私の頭の中は,十津川村の被害状況よりも,小山先生が行方不明になっている天川村の心配でいっぱいでした。あの子たちや先生方は大丈夫だろうか。教え子の家は大丈夫だろうか。隣の係は小・中学校が担当なので,天川中学校のことであれこれ情報が飛び交っています。たまに耳に入る情報に一喜一憂しながら,自分のやるべきことに精一杯取り組みました。


(とんでもないことになってしまった。小山先生の体力が続くうちに,一刻も早く捜して助け出してもらわないと。)




------------------------------------
「紀伊半島大水害を綴る」
(登場する人物は仮名です。)
▼最初から読む
------------------------------------

最新の画像もっと見る

コメントを投稿