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説明は面倒くさイケン
JOCのサイトより引用
http://www.joc.or.jp/column/olympiccolumn/goods/20060511.html
足袋はかつて日本陸上界のれっきとした秘密兵器だったのである。
陸上競技という言葉は1896年(明治29年)に正岡子規が初めて使ったといわれていて、この年はギリシャのアテネで第1回近代オリンピックが開催された年でもあった。
当時は、陸上で行われるすべての競技のことを指して「陸上競技」といい、現在の陸上競技は「陸上競走」と呼ばれていた。運動会の類も陸上競技に入っていた時代である。
1902年(明治35年)頃、日本にペストが流行した。
このため学生たちは裸足で走ることを禁止され、履物を着用することが命じられた。
スポーツのメッカといわれた東京高等師範学校(現・筑波大学)の斜め右前には「ハリマヤ」という足袋屋があった。東京高師の学生は「ハリマヤ」に駆け込み、座敷足袋で競技を行った。
当時、高等師範の学生で、後年「マラソンの父」と呼ばれるようになる金栗四三選手がいた。彼もハリマヤに通っていた一人であった。
10年後、金栗選手は日本が初めて参加したオリンピック(1912年の第5回ストックホルム大会)の日本代表選手としてマラソンに出場している。(この大会には、三島弥彦選手と金栗四三選手の陸上選手2名だけが参加した)。
明治時代の日本のマラソンシューズは、畳や廊下を摺り足で歩くための「座敷足袋」、あるいは、底が布製の「地下足袋」である。なおかつ足袋には爪形の留め具「コハゼ」が付いていた。
当時は靴を履いて走るという考えもなく、日本人にとって馴染み深い足袋が使われたのだろう。しかし、アスファルト舗装のない土や砂利の長距離の道を、この足袋で走るには無理があった。そのため、「ハリマヤ」と金栗選手は、どうしたら「シューズ」=「マラソン足袋」になるか、悪戦苦闘したに違いない。
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