DOWNER

頭の中で彷徨うキーワードをきちんとカタチにする作業。

振り返る。

2016-12-07 15:08:14 | 日記
また年末かあ、、、というのが正直な気持ち。
すぐにやってくる年末。年が明けると今度はいつの間にか春になって花粉症に悩まされる。
結局、なにもない穏やかな日々は思い返されずに、忙しかったり嫌なことがあった日々ばかりインプットされている。
だから余計に一年が早くなる。時間の流れに追いつけない自分が記憶に留めておけるのはインパクトなのだろう。

今年もいっぱい舞台観に行ったなあ。実は今月、まだ3本残っているのだが・・・。

パラパラと手帳を読み返してみる。うん、おもしろいものを沢山観たと思う。中には数本、未だに意味が分からなかったものもある。それでも内容を覚えているだけましだ。たまにどんな内容かさえ思い出せないものもあるのだから。

つい先日の舞台は別の意味で印象に残っている。
内容は大変面白かった。再演されるだけの事はあるし、メンバーも殆ど代わってないのも興味深かった。自分も歳をとった分、捉え方も変わったりして。

ただ、残念だったのはその日のお客さん。斜め後ろの人が本番中に普通に喋っているのだ。ヒソヒソ話でもない音量。多分一緒に来た人に向かって話しているのだと思うが、声は一人しか聞こえないところをみると、相手も困惑しながら頷いていたのだろう。
うるさい、と注意するその声もうるさいだろうなと思うと、何も言えない。近くの人たちは皆、声の方向に視線を向け、無言の抗議をしている。
しかし、こういう人はそれさえも気づかない。
そう、それに気付くのなら自分の声量にはとっくに気づいているはずなのだ。

たまに携帯が鳴ったりするのはある。それも迷惑ではあるし、イライラしたりする。でもその場合、さすがに鳴りっぱなしではない。
でも今回は、いい所で声が邪魔をし続けた。
お芝居の内容よりこの不快な出来事が印象に残ってしまったのが残念だ。

もっとポジティブなことがインプット出来る能力を身に付けたい。

アンバランス

2016-10-06 16:08:01 | 日記
9月があっという間に終わってしまった。暑さとの戦いが少し減ってきている。ものすごく体調を崩した訳ではないが、ここ数週間不快な症状に襲われ、最近になって何とか持ち直したようだ。
そんなこともあったせいか夏休みが明けてからというもの、バタバタしている。
仕事が特別忙しい訳でもない。気持ちがひたすら焦っている。しかし、身体は調整が必要な時期。

そうなるとどうしても歪みができる。人によっては鬱だの更年期だの言い出すのかもしれない。
こういう時は無理をしない努力をするのだが、それでも抜け出せないでいる。

気温も若干下がったことだし、歩く頻度を増やす。しかしまだ物足りない。
やはりここは人と会うのが一番だ。約束を次々ととりつける。
人と会う目的は、このアンバランスを漠然とした何かで埋め合わせをする事。
しかしその割に、行く直前までイヤイヤだったりするのだから実に面倒臭い性格。本来嬉々として行くべきなのだが・・・。

とりあえずなんやかんやで自分が整ったら、舞台を沢山観ることにしている。

それまでに何とかなれ!自分。




表現・・・

2016-08-12 22:57:05 | 日記
8月に入ってもう半分ほど過ぎている。

暑いのはもう重々承知している。だから最近は、少しだけ無駄に汗をかく。
何となく悪いものや、滞っているものを出し切ってリセットした気分になっている。

舞台も何本か観た。どれも私好みのものばかりで充実していた。

そんな舞台を観て表現するということについて、ふと考える。

ストレートに言葉や動きで伝えたいものを表現したとする。そうすれば受け取る側にも、その思いがストレートに伝わる。
ある意味清々しい。次も観てみようと「思いやすい」

一方、表現がストレートでない時には、自分の気持ちは極端に分かれる。
全く訳が分からないままボーゼンとする時と、その奥にあるものを感じて、深く心の中に押し込まれたように感じる時。

こちらが勝手にメッセージだと思い込んでいるというのもあるのだろう。
そこにある何かを自分の元に引き寄せて、自分なりの分かりやすい、又は自分により近い表現に置き換えて、読み取ろうとする。
そういった面倒なことを「したい」と思うかどうかの違いなのだと思う。
ただの好みの問題だと言われれば、ぐうの音も出ない・・・。


気圧に負ける

2016-07-02 12:54:16 | 日記
6月に入った途端に身体が重たくなってきて、気分に逆らわずにのんびりやり過ごしていたら7月になった。

さすがにペースを戻そうと、余計な事をしながらも、仕事だけは手を抜かずに進めている。
体調や気持ちの起伏に身を委ねる。それでもダメな時は友人に自分のために時間を割いてもらう。これをすることで、随分と身体が回復していく。

6月は舞台は2本観た。

自分たちが信じた正義が間違ってないと追求し続ける。その為に犠牲にしたものが如何に大きいものであったとしても、幸福を手に入れるためにはやむを得ないと己に言い聞かす。
それが間違いであったと気付いた人間は誰よりも不幸に映った。全てを受け入れる幸福もあれば、目を逸らし続ける事で得る幸福もあるのかもしれない。

もう1つは田舎町の家族の話。
歪な親子関係、夫婦関係の中で、各々の押し付けられた役割を全うすることで、辛うじて保ち続けていた繋がり。しかし、僅かな欠片を見落としたことで一気に崩れていく。
なくした欠片の果たしていた役割は何よりも大きく、全てバラバラになる事でしか終われない1日になる。
家族という形が最善ではないが、簡単に割り切れない、それがまた家族なのだろう。
少し胸が傷んだ。

信念の話し

2016-05-09 14:24:10 | 日記
ご褒美のような、中途半端なような、そんな連休を終え5月に入った。
今月は生憎舞台を観る予定がない。残念だが、代わりに美術館巡りをしている。

じっとしている事が難しい季節だと実感している。だからこそ、あの静かな空間が好きだ。
静寂の中で激しいエネルギーを観て感じる。
何となく充電した気分になる。

4月は2本舞台を観る。

「筋を通す」とか「信念」て何のためのものだろう、と考える。恩を返すため、恨みを晴らすため、大事な人を守るため・・・。
「その者にとって正しい事」を着実に実行するというのは、いかに難しい事か。
裏切る人間が悪人だけなら、どれ程単純で楽な世界だろう。しかし中には人知れず裏切っていることもある。そこに気付かないフリをして、笑える強い人間もいる。そこに入り込む邪念もある・・・複雑にしているのはいつも人の心だ。

信念は曲げない格好良さがある代わりに、ある者からすれば、捨てて欲しいこだわりであったりもする。その信念が誰かを絶望させる事もある。

そうやって様々な立場の人間から「これが本当に正しいと思うのか?」と問いかけられているような時間だった。