♪夢見る時間が過ぎたら♪

歌人生60周年もうすぐの「沢田研二」のページをめくりながら
今と昔を紡ぎながら

58年ぶりの あの日から2年3ヶ月経った石巻 その5

2013年06月24日 22時24分54秒 | 石巻日記

自分のルーツ探しと 被災地の今をみつめる てくてくも

夕暮れどきになって

雨もふったりやんだりだから 

絆の駅周辺から タクシーで 日和山へ

 

テレビで見た 

あの日、日和山からみつめた光景

 

あれから2年3ヶ月後に 見ることになって

あの日と同じ どんよりな空の色

 

 

違う場所に移動して 

さっき、そばでみつめた橋の方向を 

 

ズームな目線で 旧北上川の中州をみつめて

中瀬の向こうの漫画館と橋ふたつ

左側の橋が、先ほどそばでみつめた西内海橋

右側に見える橋が東内海橋

 

私のルーツ近くに住んでいた内海五郎兵衛さんが

私財を投じて架けたふたつの橋だそう

 

日和山公園内には いろんな歌碑があって 

 

 

宮沢賢治の歌碑

 

宮沢賢治の詩 「雨ニモマケズ」

岩手生まれの賢治が明治45年5月27日

中学校の4年の修学旅行に北上川を川蒸気で下り

石巻の日和山から生れて初めて海を見て強い感動をうけ

その折の印象を読んだもの

  

2歳になる前に

石巻から移り住んで 

ものごころついたときには 部屋の壁に 

父の字で書かれた「雨ニモマケズ」の詞を 毎日みつめていて

 

58年ぶりで 記憶のない生まれ故郷に足を運んで

ようやく 父の文字の意味合いを知ることができて

昨年は地元のデパートで宮沢賢治の詩に出会ったけれど

 

  

日和山とついた名前の由来も学習して

 

松尾芭蕉と弟子の河合曾良の像もみつめ

二人が日和山を訪れたのは1689年(元禄2年)5月10日

弟子(河合曾良)のその日の日記に眺望のことが記されていたそう

 

松尾芭蕉と弟子のふたり

日記の日から324年経った日の 日和山上空を飛ぶ鳥と一緒に写真におさめて

 

 

 

 

もっと階段のぼって

 

高台の鳥居から

いろんな複雑な思いで 遠くの海をみつめて

 

遠くに見える目の前の光景

ズームで取り壊しが始まった病院をみつめて

 

 

新聞記者を経験した会長さん

あの日の光景は カメラを向けることができなかったと

 

あれから2年3ヶ月経った病院

この場所で たくさんのひとが亡くなった現実 忘れないように

 

50数年前に

母の背中に負ぶわれて 毎日通った病院のビルも遠く右端に見えて

 

ずいぶん前に

現在の場所に移っていたから震災の時にも被害が少なくて

たくさんのひとが運ばれたそう

 

私がテレビで見た光景は この場所から移動した日石病院だったこと 初めて知って

会長さんのお子さんも 写真に写っている病院で生れたそう

そのとき会長さんは 入院していて 

病院からタクシーでかけつけたエピソードも語ってくれて

 

雨もぽつぽつ降ってきて

会長さんと 桜模様の赤い傘さして てくてく

桜の時期と ツツジの時期は 最高の眺めなんだけれどって

 

青い空と 花の季節に また来なくちゃって

ココロの中でしながら

 

会長さんとタクシーで 絆の駅まで

 

絆の駅で 館長さんと若い新聞記者の女子にお礼を言って

 

会長さんとてくてく

 

明日はこの2つのビルを目印に来なくちゃと

第2SSビルと 旧観慶丸商店のビル

 

旧観慶丸商店のビル

陶器屋さんだけれど、店主が船乗りだったので

自分の船(千石船 観慶丸)の名前をお店の名前にしたそう

築80年、老朽化もあり震災のときには津波で大きな被害を受けたそうで

現在、1階部分は 復興ステーションになって

※地図で見たら 観慶丸本店は 絆の駅の駅 近くで営業中

 

旧観慶丸商店のビルの通りをてくてくして

会長さんの自宅近所で 

では 明日ってサヨナラして

 

すぐ近くに見える宿泊先の石巻グランドホテルに ようやくチェックイン

ルーツ探しの突然たび 誰にも知らせることなくだったので

石巻生まれの姉に 電話で報告したのは夕方5時半過ぎたころ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 58年ぶりの あの日から2... | トップ | ジュリー65歳おめでとう »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

石巻日記」カテゴリの最新記事