つゆのひぬまは、映画「海は見ていた」(脚本、黒澤明)で知った。
江戸は深川のはずれにある岡場所(幕府非公認の私娼館)に並ぶ
娼家のひとつ「蔦谷」。
その店はしっかり者の女主人と四人の若い娼婦らが住み、近辺で、
一番上手い商売をしていた。
八百石の武家の生まれだが、わけあってこの店で働いているという
年かさのおひろ。肥えていて陽気なお吉。
口が達者で人気者のおけい。陰気で大人しいおぶん。どの女も、
運命に翻弄され、流れ流れて我が身を売るこの商売へ辿り着いた、
年かさのおひろの言う”どんづまり”だった。
あるとき、良助という男が店に来た。男はいかにもこういう店には
慣れていない様子であったが、おぶんの案内で部屋へ上がった。
草臥れ、やつれ果てた風体の良助は、おぶんの体を求めるでもなく、
ただ口数少なく温和しい。そんな良助の様子が、
おぶんの心に残った。それから、良助は何度か蔦谷へ来た。
良助はおぶんに、自分は世間に見放され、やけっぱちだ、いっそ
強盗でもやろうと、道具も用意している。と、話した。
「蔦谷」には、”客に惚れてはならない”という不文律があったろう、
年かさのおひろがおぶんに言う。おぶんも重々承知のことだが、
良助と話をしていると辛い過去が我が身の境遇とあまりに
重なるので、おぶんは良助のことを想う。この男を自分のような
人間にさせてはならない。何とか死ぬ気で真っ当に生きてほしい。
おぶんはおひろに借金の申し出をする。が、おひろは無碍もなく
言うのだった。男女の恋仲は”つゆのひぬま”露の干ぬまだと…。
どんな境遇にあっても生きることを忘れてはいけない。一途に
人を想うことの大切さ。人、皆それぞれが重たい荷物を背負って
生きているのだ。自分だけではないのだ。山本周五郎のこの
名短編は、物語の最後の最後まで希望の光を放つ。読み終わったら
ひとり外へ出て、星空を見上げたくなった。
江戸は深川のはずれにある岡場所(幕府非公認の私娼館)に並ぶ
娼家のひとつ「蔦谷」。
その店はしっかり者の女主人と四人の若い娼婦らが住み、近辺で、
一番上手い商売をしていた。
八百石の武家の生まれだが、わけあってこの店で働いているという
年かさのおひろ。肥えていて陽気なお吉。
口が達者で人気者のおけい。陰気で大人しいおぶん。どの女も、
運命に翻弄され、流れ流れて我が身を売るこの商売へ辿り着いた、
年かさのおひろの言う”どんづまり”だった。
あるとき、良助という男が店に来た。男はいかにもこういう店には
慣れていない様子であったが、おぶんの案内で部屋へ上がった。
草臥れ、やつれ果てた風体の良助は、おぶんの体を求めるでもなく、
ただ口数少なく温和しい。そんな良助の様子が、
おぶんの心に残った。それから、良助は何度か蔦谷へ来た。
良助はおぶんに、自分は世間に見放され、やけっぱちだ、いっそ
強盗でもやろうと、道具も用意している。と、話した。
「蔦谷」には、”客に惚れてはならない”という不文律があったろう、
年かさのおひろがおぶんに言う。おぶんも重々承知のことだが、
良助と話をしていると辛い過去が我が身の境遇とあまりに
重なるので、おぶんは良助のことを想う。この男を自分のような
人間にさせてはならない。何とか死ぬ気で真っ当に生きてほしい。
おぶんはおひろに借金の申し出をする。が、おひろは無碍もなく
言うのだった。男女の恋仲は”つゆのひぬま”露の干ぬまだと…。
どんな境遇にあっても生きることを忘れてはいけない。一途に
人を想うことの大切さ。人、皆それぞれが重たい荷物を背負って
生きているのだ。自分だけではないのだ。山本周五郎のこの
名短編は、物語の最後の最後まで希望の光を放つ。読み終わったら
ひとり外へ出て、星空を見上げたくなった。