ポチの小屋『きまぐれ読書日記』

本好きな私がきままに綴った読書日記です

つゆのひぬま 山本周五郎著

2007年07月01日 | Weblog
つゆのひぬまは、映画「海は見ていた」(脚本、黒澤明)で知った。
江戸は深川のはずれにある岡場所(幕府非公認の私娼館)に並ぶ
娼家のひとつ「蔦谷」。
その店はしっかり者の女主人と四人の若い娼婦らが住み、近辺で、
一番上手い商売をしていた。
八百石の武家の生まれだが、わけあってこの店で働いているという
年かさのおひろ。肥えていて陽気なお吉。
口が達者で人気者のおけい。陰気で大人しいおぶん。どの女も、
運命に翻弄され、流れ流れて我が身を売るこの商売へ辿り着いた、
年かさのおひろの言う”どんづまり”だった。
あるとき、良助という男が店に来た。男はいかにもこういう店には
慣れていない様子であったが、おぶんの案内で部屋へ上がった。
草臥れ、やつれ果てた風体の良助は、おぶんの体を求めるでもなく、
ただ口数少なく温和しい。そんな良助の様子が、
おぶんの心に残った。それから、良助は何度か蔦谷へ来た。
良助はおぶんに、自分は世間に見放され、やけっぱちだ、いっそ
強盗でもやろうと、道具も用意している。と、話した。
「蔦谷」には、”客に惚れてはならない”という不文律があったろう、
年かさのおひろがおぶんに言う。おぶんも重々承知のことだが、
良助と話をしていると辛い過去が我が身の境遇とあまりに
重なるので、おぶんは良助のことを想う。この男を自分のような
人間にさせてはならない。何とか死ぬ気で真っ当に生きてほしい。
おぶんはおひろに借金の申し出をする。が、おひろは無碍もなく
言うのだった。男女の恋仲は”つゆのひぬま”露の干ぬまだと…。

どんな境遇にあっても生きることを忘れてはいけない。一途に
人を想うことの大切さ。人、皆それぞれが重たい荷物を背負って
生きているのだ。自分だけではないのだ。山本周五郎のこの
名短編は、物語の最後の最後まで希望の光を放つ。読み終わったら
ひとり外へ出て、星空を見上げたくなった。