先ほど書きました!!日本地図を初めて作った人、伊能忠敬(😊)/改めて調べてみました(😊)/なんと!17年に及ぶ過酷な測量と・・・・この17年・・・若い頃の17年ではありません(苦笑)何と55歳を過ぎてからの17年だったそうです(😊)/すごい・・・\(😊)/ましてや・・・当時の55歳では・・・
55歳から72歳までの間に、日本全土の測量と日本地図を作るという大きな偉業をやり遂げた伊能忠敬。
ほんで??気になんのは??当時にどのような方法で測量したんやろ??伊能忠敬は55歳(1800年)の時に第一次測量のため、蝦夷地へ向かいました。この時一緒だったのは息子、弟子2人、下男2人、測量器具を運ぶ人足3人、それに馬2頭だったそうです。測量は一定の歩幅(70cm)になるような歩き方を訓練・・・・複数の人間が同じ場所を歩いた歩数の平均値から距離を計算していくという方法だったそうです。ほんま・・・気が遠くなるようなやり方ですが、それでも毎日40kmを移動したそうです。蝦夷地滞在は117日間にも及びました。帰宅後は測量データをもとに3週間かけて地図を完成させたと言われています。
翌年1801年には第二次測量がスタートします。
伊豆から太平洋側北端にある尻屋崎までの東日本太平洋側の測量。蝦夷地で用いた歩測による測量ではなく、一間(約180cm)ごとに印を付けた縄・・・を使う方法に変更。
楽になったかと思いきや、海岸線は複雑に入り組んだ地形が多かったり、時には断崖絶壁に縄を張っていく測量になったりと、その苦労は尽きなかったようです(😭)第二次測量に要した日数は230日間。8ヶ月近い期間・・・様々な困難と向き合いながら測量を行なうことは、精神的にも肉体的にも相当過酷であったやろなぁ・・・(😭)忠敬はここまでの測量から、子午線一度の距離を28.2里と導き出すことに成功したと言われています。よー分かりません(苦笑)
ちなみに・・・歩いた距離は地球1周分!?
伊能忠敬の過酷な測量の記録です・・・
第一次測量 1800年 蝦夷地 117日間
第二次測量 1801年 伊豆~東日本太平洋側 230日間
第三次測量 1802年 東北日本海側 132日間
第四次測量 1803年 東海・北陸地方 219日間
第五次測量 1805年 近畿・中国地方 1年9ヶ月間
第六次測量 1808年 四国 約1年間
第七次測量 1809年 九州前半 1年9ヶ月間
第八次測量 1811年 九州後半 913日間
第九次測量 1815年 伊豆諸島 約1年間
第十次測量 1815年 江戸 約半月間
(第九次測量と第十次測量は並行して行なわれた)
東日本の海岸線測量が完結した第四次測量の後、忠敬は当初の目的であった地球の大きさを求める計算を始め、その結果約4万キロという数値に辿り着きました。忠敬の師である高橋至時の持つオランダの天文学書の数値と照らし合わせ、両方が一致することを確認し、2人で大喜びしたそうです。
第十次測量が終了するまでの忠敬が歩いた距離は4万キロとされ、それこそ地球1周分の距離を歩いたことになります。
伊能忠敬の名前は「日本地図を初めて作った人」として知られていますが・・・それがなんんと!!!なんと!55歳を過ぎてから始められたこと・・・たくさんの苦難に見舞われながらの測量だったことなどはあまり知られてないようで、今回初めてしりました。
私は57歳・・・・かなり疲れておりますが?まだまだ!!チャレンジしないと(😊)/
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