温か~い~湯豆腐で一杯🍶妄想中(😊)/
大好きな豆腐なんですが・・・江戸時代の中ごろに日本人の生活に根づいた豆腐!江戸初期のころには、まだ特別の日の食べ物。特に農民にとっては非常にぜいたく品であったらしいです。いつでも食べられるわけにはいかなかったようです・・・・。農村ではお祭りやお盆、正月、あるいは冠婚葬祭などの特別の日にだけ豆腐料理が出されていたようです。こうした日を農村ではハレの日というそうです。晴れ着や晴れ舞台というときの晴れと同じだそうです。お祝い事などの赤飯のように、改まった日に食する食べ物が豆腐だったそうです。
ちなみに・・・・ハレの日に対して普通の日をケの日??といいます。普段の食事ではどんなものを食べていたのかといえば、みそ汁や漬物、金山時みそと言ったものに限られていました。こうした質素な食卓が日常だった江戸初期の農民たち。 ハレの日になると、豆腐のほかに油揚げやこんにゃく、がんもどき、しいたけ、ごぼうなどが食卓にのぼったのです。また、米や酒をいただけるのも、このハレの日ならでした!。徳川家康と、その子の秀忠の時代には村々ではうどんやそばとともに、豆腐の製造も行ってはならず(;一_一)農民がそれらを食べることも許されない禁令が出されていたほど・・・・。なんでや??三代将軍・家光のときに出された慶安御触書には豆腐はぜいたく品として農民に製造することをハッキリと禁じているそうですが・・・・。 その家光の朝食には、豆腐の淡汁、さわさわ豆腐、いり豆腐、昼の膳にも擬似豆腐??豆腐をいったんくずして加工したものなどが出されていたのが資料から想像できるそうです。豆腐がようやく庶民の食卓に普段の日でものぼるようになったのは江戸時代の中ごろから。江戸や京都、大阪などの大都市に限られていたようです。
そんな豆腐・・・・今やお金のない時は(笑)もっぱら冷奴でビールです!(^^)!