日々是好日

勝手気ままに思いを語りたい中年の会社員です

世界幼児化との事。

2020-01-05 09:47:51 | 日本
 TVを見ながら。世界が幼児化しているとの論を取り上げて話を作っている。評論家と称するA氏は、いつものように、現在の政治に当てはめてしたり顔で話を作っている。彼を信頼する人がこの世にどの程度いるのかというか不安もあるし、信頼する人は大丈夫なのか?と疑問に思うくらい、薄っぺらい議論というか論理の構築方法であると思う。そもそも、彼自体が幼児化しているという自覚が無いので、改善するという事は無いだろうなと思う。
 ただ、世界全体が幼児化しているという主張は、そうなんだなぁと思う。何故、今のようなわがままな自分の事だけが大切というような世界になったのかと言えば、それは権利の問題である。人類が遍く権利を保有する事が普遍の真理であるという誤解を信じたからであろうと思う。例えば、香港問題である。世界は香港における破壊活動を民主化への抗議として主張して心象的に支持しているように見える。しかし、彼らの行為は香港においては違法行為であもある。違法行為ですら、人権の行使という詭弁によって正当化される世の中になったという事でもある。
 権利には必ず義務が裏返しにある。と、学校では教わった。しかし、人類はその義務を完全に忘れてしまっている。民主化を求める権利の行使についても、法令の遵守という義務があるはずなのだが、それは完全に無視されてしまっているという訳である。つまり、幼児化というものは、人類が義務を忘れた事から発生しているのだろうと思ったりする。例えば、日本人においても、国民の権利は誰でも、知っているが国民の義務は多くの人が知らないか、忘れているんだろうなと思う。例えば、国民の3大義務において、就労の義務というものがある。しかし、ニートとか仕事をしない人がかなり存在する。しかし、彼らが義務違反であるという事で、裁かれる事は無い。しかし、当然彼らも、基本的人権を有する訳で、それを侵害されたとすれば、憲法違反となり、糾弾されるであろう。つまり、義務には甘く、権利には厳しい社会であるという事なのである。本来は、義務と権利は裏返しであるはずであるが、そうはなっていない事に、大きな問題があるという事なのだろうと思う。
 懐古主義者では無いが、戦前は権利が制限された社会であったとは思うが、義務もかなり強制された社会でもあったと思う。それにより、戦争が可能になったのだろうと思う。しかし、それによって悪い事ばかりでは無く、日本人としてのアイデンティティが明確化されていたのだろうと思ったりする。愛する日本を愛する家族をも守るために、自らの命を捨てるという究極の義務を実行するという心があったのだろうと思ったりする。戦争というものは悪である。しかし、そこに命を投じた人の心意気には感動する。そこまでして、守った日本人の今がこういった社会なのかと思うと、完全に彼らは犬死にだったんだろうなと惨憺たる気持ちになる。
 そういった意味において、イラン人は、宗教による義務の行使が求められているだろうと思うし、それはアルカイダやヒズボラ、あるいはISといったテロ組織においてすら、そこにいる末端の兵士は、本来的な人間としての尊厳を有しているのかもしれないと思う。少なくとも、欧米や日本のように、権利主張のみを行い自らの価値観を押し付ける人達よりは。勿論、そういった純真な心を政治的な野心、経済的な野心に結びつけるTOP層を許容する事は出来ないが。

 私が左翼を嫌うのは、左翼の自分勝手な権利主張に嫌悪を感じるからである。勿論、右翼も好きでは無いが。典型的な例として、愛知トリエンナーレという問題で、表現の自由というキャンペーンを左翼勢力は張ったのだが、そもそも、表現の自由というのは、国家予算が付くのか付かないのかという問題なのか?という問題である。表現の自由と予算の問題は別途である。もし、予算が付くのか付かないのかという点で表現の自由を語るのであれば、芸術が国家の承認事項になってしまう。とすれば、完全に表現の自由の侵害である。こういった訳のわからない権利主張が、自らの首を絞めている事に全く理解出来ないというアホが左翼であるという事である。彼にとっては全く矛盾では無いのだろうと思う。つまり、彼らは、自分勝手に権利を捻じ曲げる事が出来るからである。つまり、拡大解釈すれば、香港の民主化活動と同様、彼らにとって都合の悪い、法律は守らなくても良いのである。それよりも権利の行使が重要であるという事なのだ。そうやって自分勝手に解釈し、自分の主張で遵守しなくても良い法律を選別している彼らが、憲法を護と称しているのである。あれ?憲法には国民の3大義務も書かれていなかったのかな?護憲と称しながら、自分達の都合で憲法解釈を変えるのが彼らのやり方である。吉本新喜劇を見るより左翼の人の言論は面白いと思う。
 

とりとめの無い雑文

2019-12-26 07:38:49 | 日本
 面白いもので、システムというものは恣意的に作られたとすれば、とんでも無い代物である。しかし、それが運用を開始すると、そのシステムが正義となる。韓国の最高裁判所の徴用工問題における判決は、三権分立の立場から、政府は介入出来ないという、日本人から見えれば滑稽なものに見えるのだが、韓国人からすれば大真面目な問題である。日本人から見れば、政府にとって都合の良い判決を出す判事を選んだに過ぎないのであるという思いがある。これを三権分立というのは、片腹痛いわと。しかし、韓国人にとっては大真面目な問題である。そもそも、日本においても、3権分立を言う事があるが、厳密に言えば、本当に分立しているとは言い難い。それは、議院内閣制である限り、実質的には、行政は立法の上位に在り続ける。その上で、日本における最高裁判所は、違憲立法審査権をほぼ行使しない。自衛隊問題も、国会議員の1票の格差問題も、違憲状態にあるとの判断がなされる事があるが、明確に違憲と判断をしない。そもそも、自衛隊は、どう考えても憲法違反の存在であると思う。自衛権の行使は、国際紛争の解決手段では無いと言うのは全くの詭弁であろうと思う。しかし、その判断を最高裁所が判断しなかった事で今に至るのだろうと。それ故、解釈改憲なるものが定例化された事も、憲法解釈学と言う世界でも稀な学問が日本に出来上がったのでもある。つまり、日本の統治システムはかなり不完全なものなのだろうが、それが運用されているともっともらしく思えてしまい、そのシステムが正義となると言う事なのだろうと思う。
 3権分立というものが明確で在り続けるのであれば、司法も立法も行政も全て国民の選挙によって選ばれるべきであろうが、それは、非常にリスクが大きいし、非効率である。そういった意味では、現行のシステムは、必要悪とでもいうのかもしれない。実際は、どの国においても、行政が最も強い方がうまくゆく訳である。議院内閣制であれば、立法は多数派を占める行政をサポートする事が中心である。大統領制である場合は、立法の多数派とならない場合もあることから、大統領による拒否権の行使が認められているケースが多い。まあ、理想像を描いている人(頭お花畑の人)は理解出来ないのだろうが、行政という実務という現実が最も強いというのは仕方がないだろうし、強くしなければ、国家の統治が効率的ではないというのが現実だろう。そして、効率を突き詰めれば、その究極には、独裁があるという訳である。独裁つまり、行政と司法と立法を同時に握る事が出来れば、行政にとっては最も都合がよく、スムーズに実務をこなせるのである。ただし、問題は、誤った方向に行けば、途轍もない影響がある事になる。
 私は、基本的に、いわゆる三権分立を前提とした民主主義よりも、有能は支配者による独裁制の方が優れたシステムであると思っている。ただ、問題は有能な支配者がいるかという問題であるのだが。実際、この独裁制は珍しいものでは無い。世界の大企業で発展している企業の殆どは、独裁制である。企業内に民主主義など無い。そして、その独裁的な支配者がいなくなって民主的な統治になった瞬間から、企業自体が転び始めるのである。日産なんかは典型的な例であろうと思う。ゴーンというカリスマが統治していたのを排除した瞬間から転落は始まったのである。実は、国でも同じで在り、民主主義国家は結構失敗したり現状維持でくらいなのだが。発展している国は、独裁制の国が多いのである。前にも言ったが、アメリカは大統領権限が強く、期限を区切った独裁制国家であるとも思っている。レーガン以後のアメリカ大統領は、能力が不足して失敗したのだろうとは思う。つまり、有能では無い独裁者が現れた場合の問題点ではある。中国も、世界に冠たる独裁制の国家であるが、現在の習近平政権が様々な間違いを実行しているので、凋落が始まっているのだろうと思う。
 頭お花畑勢力は、独裁というものに嫌悪を感じるようであるが、彼ら左翼が理想としている社会は、プロレタリアート独裁という独裁国家でもある。しかし、ベースに民主主義なるものが存在して欲しいものであるから、歪んだシステムの中で独裁制を維持しなければならなくなる訳で、つまり、韓国のように司法を取り込むためにその人事権を行使するという事になる訳でもある。あるいは、一部の国に起きては、大統領任命の国会議員を作ったりする。まあ、頭お花畑勢力の理想は、あくまで理想で在り、現実は決して彼らの思う社会にはならないのではある。そして、権力は魔力であるから、かつての民主党政権のように、権力維持のためであれば、自らの理念を捨て去るという芸当も出来るようになる訳でもある。国民にとっては悪夢であろう。
 ともあれ、頭お花畑勢力をディスる事が目的では無い。徴用工問題での韓国の異常性についてそれなりに分析しているつもりである。そして、日本もかなり異常であると。解決するとして仮定すれば、基本的には韓国に関係しないという事しか無いのである。そして、その先には北朝鮮がある。北朝鮮と国交回復したとすれば、日本は巨大な戦後賠償を義務付けれらる。一説には2兆円と言われているようであるが、しかし、それで済むはずはない。そして、様々な援助の先に、巨大な反日(現実的に日本を敵国と認定し、強大な軍事力を有する)国家を、自らの手で作る事になるのである。今の中国を作ったように。今の韓国を作ったように。それ故、拉致問題が解決しない限りは、北朝鮮との交渉の場につかないという原則を貫くべきなのであると思う。しかし、お馬鹿な経済団体は、それを嫌うであろう。金儲けをしたいからである。彼らは、国益よりも自らの利益を優先する。日本人の労働者を非正規にして、利益を計上し、海外投資で失敗してそれを失うという愚行を繰り返している。もっと言えば、それに、ハイエナのような政治家がおこぼれ頂戴を目論見、絡みあっているという訳である。ここの正義などは存在していない。それが、政治というものなのだろうと思うし、その中で国民は、図太く生きて来たし、これからも生きて行くんだろうなぁとは思う。何とも、まとまりの無い、結論の無いいつもの文章だなと我ながら呆れる。


日本人の意識

2019-12-15 09:03:04 | 日本
 かつての日本人は、世界中のニュースを見つけて来て、その良いところ見習う所を見つけて来た。そして、自分達が見つめる未来を作ろうと努力した。今の日本人は、日本の良い所を探し出して、世界に冠たるシステムを自慢している。TVでは、日本って凄い、世界が日本に憧れている。なんてものばかりである。つまり、今の日本人は自らの過去を見つめて満足しているのである。どちらの日本人に未来が見えるかと言えば、明白であろう。
 日本という国は、崩壊し始めている。世界中の国々がそれを知っているのだが、肝心の日本人はそれを知らないのである。或は、知っているのだが、それを見ない振りしているのだと思う。だから、過去を見つめるのである。ただ、崩壊すると言う事は、それなりに素晴らしい事でもある。それは、崩壊する事によって見えてくる未来があるからである。自尊心が崩壊する事によって、謙虚になるからである。日本人は、かつて、白村江の戦いで、唐と戦った、その後、唐の報復が怖くて、防人と称し、九州に継続的に軍隊を送ったわけだが、しかし、唐の巨大さを認めて、朝具し交流を行いその優れた文化を取り入れる事にした。大東亜戦争でも巨大なアメリカと戦い叩き潰されたが、その国と今度は友好関係を構築し、国家を発展させる事が出来た。自分達に無いものを真摯に見つめることが出来れば、国は変わることができると思う。今は、その感性が日本人に無い。慢心の中で生きている。しかし、それは、日本という国が崩壊してゆけば、気づく事なのだろうと思う。その時が来ることを願うばかりである。

ブラック企業は日本の文化?

2019-11-29 11:54:03 | 日本
日本って不思議な国で、効率が悪い程、努力してると評価される。それ故、残業する人が評価されるのである。定時で帰ってるような人はやる気が無いと評価されてしまう事になる。それ故、仕事があまり無くても仕事を作って、みんな残業するという事になる。管理職という名の仕事をする人はいるのだが、管理職が管理をすれば、評価が下がる。管理職は、管理をしながら、自ら個人の仕事でも成果を出さなければならない。それ故、どんなに教育しても管理職が育たない。管理職が部下の評価をするのでは無く、ライバル視して、足を引っ張るのである。自らが目立つように。中には、神様のように、自分の事を放っておき、部下の仕事をしっかりとサポートする人がいるんだが、そのサポートした部下に成果を取られてしまい、いつの間にか部下に自分の地位を取って代わられたりする。
 しっかり職員教育、管理職教育はしている企業が多いと思うのだが、管理職が育たないのは、教育された内容を実践する管理職は評価されないからである。というか、教育された通りの管理職は今の日本企業には必要としない。では、何故、教育するのか?それは、言い訳の為でもあ流。問題が発生した時、そう教育していたではないかといって、当事者に責任を取らせる為の、いわゆる企業にとってのリスクヘッジであるのである。それ故、典型的な悪い上司のモデルとも言える、パワハラ上司が企業で生き続けるのである。そういった人を企業は評価し続けるのである。そして、そういった人が出世し、取締役になってゆくのである。そして、その企業は、壁にぶつかり業績を落とすのである。その時に、切り売り大好きな、短期利益を集中させるような、アメリカの企業切り刻みを学習した、コンサルタントの意見を聞くのである。そして、その企業は、本当に大切なものを失い、目先の利益だけが上がるだけの将来性の無い企業になるのである。
 今の、日本でかつて大企業だった企業で、将来に目を向けているなぁと思わさせるような企業は少ないように思う。それは、単純に言えば、経営者に夢が無いからである。経営者はリアリストでなければならない当然でである。しかし、リアリストであっても、夢を持って夢に到達するストーリーを構築出来る人でなければならない筈である。それが無い経営者に未来は作れるとは思わない。
 企業は、社員のものである。社員を大切にしない企業に未来は無い。それを理解出来ない経営者が多い。そしれその経営者に評価される管理職もまた、社員をロボットのように見ることを推奨する。しかし、新しい発想により未来を作り出せるのは、会社なのか?それとも会社を構成する社員なのか?といいうことである。所詮会社なるものは、社員がいなければ成り立たない。社員はいくらでもお金を出せば、優秀な人がやって来ると思っている、無能な経営者は、自らがお金で会社に入って来て会社を潰そうとしているでは無いか?という事に気がついていないのである。
 社員を大切にしない企業に未来は無い。それは、過去からずっと変わらない原則なんだが。それを忘れた企業の多い事。それが、日本の企業が衰退してゆく最も、大きな要因であろうと思う。

高校野球利権に群がる人達

2019-11-28 08:19:42 | 日本
 高野連は、高校野球をアマチュアスポーツという定義をして来た。しかし、それはマヤカシである。PL学院が何故あんなに強かったのか?大阪桐蔭が何故今強いのか?高校野球が好きだから?ではなくて、宗教だったり、あるいは高校のブランドイメージを高める広告塔としての役割があったりするから、力を入れているのだろうと思う。それは、そもそも高野連の言う純粋なアマチュアリズムと相入れるものであると論理的に定義出来るのだろうか?
 日本における野球というスポーツの普及に高校野球が担ったものは大きい。それは、間違いなく甲子園物語という日本人の琴線に触れるストーリーがあったからだと思う。それを、拡散したのは、朝日新聞であり、毎日新聞である。彼らは、純粋に野球の普及だけを目指して支援したのだろうか?そうではなく、コマーシャリズムとして価値を冷静に分析していたのか?と考えれば、誰もがその結論を知っているだろう単純な事である。それを否定するものでは無い。そう言った価値認識が、高校野球を発展させた事、野球そのものを発展させた事に違いは無いのだから。しかし、それに矛盾するように、あくまで建前論で高野連はアマチュアリズムというものを主張し続けているし、マスメディアもそれを支援し続けている。嘘だとわかっているのに。
 例えば、一時問題となった、特待生、越境入学についてであるが、いつの間にかうやむやにしてしまった。もし、高野連が、アマチュアリズムの根幹にあるコマーシャリズムを認識する事が出来れば、高校が強くなる事で、高校のブランドを高めるという至極真っ当ないわゆる企業努力を認める事が出来る訳で、そうすれば、当然のことながら、良い選手を良い条件で引っ張るという至極真っ当な企業努力が認められる訳である。しかし、それをさせないというか、それを、大ぴらにする事で、批判を受ける事を恐れているために、建前論に終始しているのだろうと思う。高野連もマスコミも一般のファンもみんなわかっているのに、建前を叫ぶ(意地悪く意図的に問題提起する人がいるのである、この様には)人達により批判をされる事を恐れているという事なのだろと思う。
 夏の甲子園は、辞めるべきである。真夏の炎天下に18歳未満の若者を連日スポーツさせるのは、そもそも、危険である。そもそも、野球でオールトーナメントなんて。トーナメントにこだわるにしても、サッカーの様な予選リーグを作るべきであろうとか。色々な議論があっていいんじゃ無いかと思うのである。しかし、それをさせないというか議論させないのは、間違いなく、朝日新聞とTV朝日の意向であろうと思う。高校野球はコマーシャリズムに侵されているとすれば、何が視聴率が上がり、どうすれば感動を与える事が出来るかと言った議論が出来るはずである。つまり、利益をべースとして考えることで、明確な企業としての判断が出来るはずなのである。しかし、建前論でそれを隠しているから出来ないのである。少なくとも、大学になればかなり素直になる。箱根駅伝を見れば、殆どの有力大学はプロに近い様に見える。企業の提供するユニフォーム、シューズ、おそらく、遠征費用とかも寄付として出ているのかもしれない。つまり、それで良いのだろうと思う。スポーツの普及には企業の力は大きいし、その魅力を拡散するメディアが必要である。それを、隠さず見せることは、現代のアマチュアリズムに抵触するものでは無いのである。それは、選手たちの負担も緩和し、将来的な可能性も見せる事が出来るのであろうと思う。
 野球のファン層が少し高齢化しているのは間違いない。現代の若者にとって野球は見る時間が長いし、そもそも、子供の頃、野球どころかキャッチボールをした事も無い人達も多い。その中で、甲子園も大きく変わってゆくのだろうと想像している。高校野球の利権に群がった人達の利権が少しづつ無くなっている事について特に、メディアは、どう考えているのだろうか?ワールドカップの成功により、日本においてラグビー熱は高まるであろう。サッカーは間違いなく日本に定着したと思う。大学駅伝(箱根)はビッグコンテンツになった。ラグビーと駅伝は間違いなく、日本T V、読売新聞の努力であろうと思う。ここは、高校サッカーも持っている。野球は巨人、サッカーは読売クラブを保有していたし、スポーツをコマーシャリズムに乗せることに長けている。朝日新聞系と毎日新聞系は元来高校野球というキラーコンテンツを持っていた事で、努力を怠ったのかもしれない。フジサンケイグループはバレーボールなのだが、バレーは間違いなくマイーナスポーツになったように思う。TV東京は卓球という本当にすごいコンテンツを作り上げる事に成功した。ここも、かつてのテニス、柔道といったところに力を入れて来た過去があり、結構見る目があるように思える。
 高校野球という大きなコンテンツを得た、朝日と毎日がスポーツの新しい流れを読めず、それを持たないところが、しっかりと新しいコンテンツを生み出しているというのは、面白い事だなと思う。