週一寺社めぐり

一休禅師牀菜庵跡  2020.02.19  Archives

一休禅師牀菜庵跡  住吉区上住吉2丁目6住吉東南へ300M 上住吉西公園内 

室町時代の臨済宗大徳寺派の名僧・一休宗純が晩年、この地に仮居したと伝わる。一休は後小松天皇の落胤と伝えられ、天衣無縫・反骨で終始し、京都・奈良・堺などに移り住んだ。一休禅師は1469年応仁の乱の兵火を避けるため、京都を離れ、大和から堺に入り、住吉に居住していた。翌2年、堺の豪商尾和宗臨(大徳寺伽藍再興に尽力した)が、ここに一庵を設けて一休を招請した。 一休はここを雲門庵(雲門寺)と称し、弟子ともども移り住み、文明8年にその隣に牀菜庵(しょうさいあん)を営み、ここで記された『床菜庵法度』が現在に伝わる。江戸時代後期に刊行された『摂津名所図会』には、一休禅師と尾和四郎左衛門(宗臨)が話し合う場面が描かれており、説明文には「今、庵室荒廃す」とあり、江戸時代には既に荒廃していたと記されている。大阪再発見より

公園に居つくニャンコ

 

 


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