久々にブログを書こうとおもったら自分のページのテンプレートがクリスマスのままだった!
12月19日から書いてないんですね~。あれから母は頑張りました。とってもとっても。この人こんなに頑張り屋さんだったんだって思うぐらい。そうだよね~離婚して子供2人つれて故郷を離れ東京にきて好きなことやりつつも子供2人育ててきた人だから、そりゃ強いよね。
でも痛みとか病院とか大嫌いなのに、痛い?って聞いても首を横にふるだけで本当に頑張ってくれた。本当はあのまま逝かせることもできたけど、それは私が嫌で、私のわがまま最後に聞いてくれたなって思ってるけど、ママもまだもうちょっと一緒にいたかったよねって勝手に思ってもいた。
でも3月3日のお雛様の日にきみくんやら、ニッキー、ウィスキーやらおじいちゃんおばあちゃんの元へ逝きました。
新しい病院にうつって本当にすぐに。そこでリハビリして頑張ろうって思ってたけど、さすがにそこまで元気はなかったらしい・・・
その病院にうつる前に目黒病院の先生がしゃべれるようになる管をいれてくれて最後にママが私の名前を何度も呼んで、その声を聴こえたことがとってもうれしかったし。苦しんだ顔ではなく、いつもの口ぽかーんと開けたまま寝てるような顔だったのでそれも安心だった。本当の死に際に一緒にいてあげられなかったけど。
お花やお香典をいただいたり、メールやいろいろ言葉をかけてくれた友達に本当に感謝です!
ママは未だに私の友達に頂いたお花に囲まれて家に居ます。
死んでからで本当に申し訳ないけど・・・この家に居ます。
母親が死んでも大丈夫だろうってずっと思ってました。きみくんのときほどの衝撃がないだろうって。。。
でもそれは違いました。
お葬式の日にライブいったり、お笑いもいってるし、いつもと変わらない私ではいます。でもなんか足りないというか、未だにまだ病院にいけば頑張って笑ってくれる母がいるような気もします。
ママの面倒を見るために帰国したのに、それがあっけなく2年ちょっとでなくなってしまったので、ぽっかりとした穴は心のどこかにあります。これからどうしたらいいんだろう?って。なんだかんだ言っても、私は甘えん坊の次女だったので。
また多分イギリスに戻ると思います。でもそうしたらもう私が戻る家はこの国からはなくなります。
日本よりイギリスのほうがやはり住み安いのは確かです。でもやっぱり私は日本人だからそれはなんか悲しい。
でも生きていかなとなんですよね。ママがあんなになってまでも頑張って生きていたので。
とにかくありがとうとそれだけはちゃんと言って上げたかった。私は骨になってからそういうこと伝えたってって思うところがすごくある。やっぱり悲しくて毎日泣かない日はありません。イライラしたときに八つ当たりすることもできない家族ってそれができるんだなって。かといって姉にそんなことはできないから。ママにはしてたけど。入院してるママにも結構きついこと言ってたし。
でもこればっかりはしょうがないことなので、これからの自分のことを考えつつ、暖かくなってきた日々を楽しんでいます。やっぱり日本の春はキレイでいいな~っと。
夏は嫌いだけど、春はキレイ。
そして明日からイースターの4連休
これからまたブログはちょくちょくアップしいきます。私のお笑いライフ・・・ですが。。。