goo blog サービス終了のお知らせ 

過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

‡1969(昭和44)年09月20日、レノンはビートルズからの脱退をメンバーに公表した。メンバーのポール・マッカートニーは、初心に戻り、ビートルズとしてのライブ活動を行いたいという考えであったが、レノンは妻のオノ・ヨーコとの活動に積極的であり、方向性の違いが生じたとされる[1]。また、脱退を告げたのと同時期、レノンは心理学者アーサー・ヤノフの著者を読んだことがきっかけで、「原初療法」という治療を試すこととなる。原初療法(Primal Therapy)とは、精神的なダメージの根源を過去へと探っていき、叫ぶことによってその傷を癒すという治療法である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%AD%82

 映像◆The Beatles Magical Mystery Tour Filming: Fish 'N' Chips https://youtu.be/fa7cJ4d_Ch0
 1967(昭和42)年09月15日(fri) 撮影映像
 
 映像◆The Beatles Magical Mystery Tour - The Wizards Filming Session https://youtu.be/t9mcsmpnUPg
‡1967(昭和42)年09月20日(wed) 撮影映像
 
 ┏━━━━━━━━━━━━┓
 ┃『MAGICAL MYSTERY TOUR』┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛
 1967(昭和42)年09月11日(mon) 撮影開始
 1967(昭和42)年09月25日(mon) 撮影終了
 1967(昭和42)年12月26日(tue) BBC1  白黒放送
 1968(昭和43)年01月05日(fri) BBC2 カラー放送
 1968(昭和43)年08月11日(sun) New York City:Fillmore East AM8:00&AM10:00
 1975(昭和50)年01月10日(fri) アップルのオフィスで上映
 1979(昭和54)年12月21日(fri) BBC2『ビートルズ・アット・クリスマス』までTV放映無
 1993(平成五)年11月01日(mon) MTVヨーロッパ「ビートルズ・デー」の一部
 https://en.wikipedia.org/wiki/Magical_Mystery_Tour_(film)
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃『ビートルズのふしぎな旅』┃
 ┃  『マジカル・ミステリー・ツアー』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛
 1968(昭和43)年10月10日(木) TBS 日本初放送 ちなみに……「日本での初OA時は放送事故があった」という伝説を、雑誌「レコード・コレクターズ」2012年11月号で大村亨という方が、見事に検証されています。
 2012(平成24)年10月14日(日)25:35~28:00
 2012(平成24)年10月15日(月)01:35~04:00
 フジテレビ三夜連続企画《THE ROCK MOVIES》第一夜
 1967:イギリスBBC『マジカル・ミステリー・ツアー』
 2012:イギリスBBC『アリーナ:マジカル・ミステリー・ツアー リビジデッド』の2本をノーカット(ただしCMあり)放送
 http://webneo.org/archives/5910
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃『マジカル ミステリー ツアー』┃
 ┃   『シェア スタジアム』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 2007(平成19)年11月20日(火) 今回は、
 1977(昭和52)年08月28日(日) 有楽町は数寄屋橋横、丸の内ピカデリーの地下にあった丸の内松竹で見たビートルズ「シェア スタジアム マジカル ミステリー ツアー」豪華2本立ロードショーのプログラムから全ページを載せました。まあ、プログラムそのものも250円で16ページというペラペラのものですから省略のしようがないといったところ!?今年もこの時期になるとビートルズものが多数リリースされます。そんな中、先日購入した「ヘルプ!4人はアイドル」のデラックス・エディションはすごい!! とくに写真集がすばらしかったですね。その他附随するグッズも良い!! 値段も高いですが、ずっしりとした豪華感!? は十分でした。そこでビートルズ映画といえばこれがあったではないですか!! 当時、解散してから7年とはいうものの、この年ビートルズのライブ・アルバムも発売されグループの人気は高まる一方。そこで「シェア スタジアム」のライブ映画と「マジカル ミステリー ツアー」を2本立で公開するという暴挙!? いや、快挙にうって出た松竹さん!! わたしのように伝説の世界でしか知らなかったシェア・スタジアムの全貌、マジカルの映像が見られるとあっては、映画館に行かないわけにはいかなかった!!と、勇んで見たはいいがこれまた今となってはこの映画自体の記憶はほとんどないですね。お客さんも満員というわけでもなく、ライブのほうもレコードを流した疑似ライブだったように感じました。でも、映像は映像なのでファンの反応のすごさには圧倒されましたけど。マジカルは、放映当時不評だったというのもわからなくはない出来。ちょっとフェリーニの映画みたいでおもしろかったことはおもしろかったですが。ビートルズのライブ史の中、重要な位置をしめるシェア・スタジアムでのライブ。現在では「アンソロジー」でより美しい映像によるライブが全体の半分ぐらい見られます。演奏も詳しくはわかりませんがライブ録音のようです。それでも映像と違和感があるので、わたしが映画館で見た時も疑似ではなく実際にこの音だったのかもしれません。また、後年「シェア スタジアム」はビデオでも発売されていたようですが、現在では当然のように存在しません(と思いますが)。「マジカル ミステリー ツアー」の方はOK!! そのうち豪華絢爛!? のデラックス・エディションなんてのも出てくるでしょう!! プログラムは素材があまりなかった(使えなかった)のか、デザインの苦労がしのばれます。立川直樹さん、石坂敬一さん2人の文章も当たり障りのないものに。それでもビートルズの4人が写っていればカッコイイネ!!
 http://mamedama2.cocolog-nifty.com/rockpop_park/2007/11/post_900d.html
【ビートルズ最大の失敗作】マジカル・ミステリー・ツアー 
「永遠に10年早い映画」「名高いビートルズの音楽に申し訳程度の映像がおまけ」「ビートルズの“マジック”は失敗」「愚かなホーム・ムービー 伝説の終焉」など散々な評価をされたビートルズのテレビ映画”マジカル・ミステリー・ツアー”とは何なのか?
 2013(平成25)年05月25日(土) 更新日
 https://matome.naver.jp/odai/2136911843869313301

 ┏━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『MEET THE BAD BOYS!』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━┛
‡1973(昭和48)年09月20日(木) 東芝EMIレコード
 2012(平成24)年01月25日(水) UNIVERSAL MUSIC
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『MEET THE BAD BOYS!』+4 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛
 1993(平成五)年03月03日(水) UNIVERSAL MUSIC
****************************************
 https://www.amazon.co.jp/dp/B0047HPFB6
 https://tower.jp/item/3017071/MEET-THE-BAD-BOYS!
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%BA
****************************************
 THE BAD BOYS のデビューアルバム『MEET THE BAD BOYS』制作、及びデビュー前後のこと
‡2017(平成29)年09月20日(水) 執筆者:廣田龍人/リッキー廣田
 1972(昭和47)年05月14日(日)だったかな? 第4回「日本語のふぉーくとろっくのコンサート」というタイトル! これも定かではありませんが、とにかくデビュー1年前に東京に武者修行に来たのです。場所はハッキリ覚えています。日比谷野外音楽堂で僕等の出演のひとつ前が人気上昇中の「猫」というフォークグループでした。当時、関西では人気のあったTHE BAD BOYSのメンバーを大阪からスカウトして4人を東京に連れて来た上野氏は、関東のステージでどこまで通用するかを試したかったと言ってました。すでにザ・フォーク・クルセーダーズや、はしだのりひことシューベルツのマネージャーをやっていた彼の本心はブライアン・エプスタインになりたかった様です。ところが、その日、彼の心配とは裏腹にステージは大ウケのライブとなり、翌年のデビューへの足掛かりになったのです。
 1973(昭和48)年05月01日(火)、遂に上京。実は、私以外の3人は東京進出を強く拒んでいました。ビートルズがリバプールからロンドンに行って成功した様に、首都東京に行かなければ何も出来ないよ! と何度も説得してやっと連れて来たメンバーは不安がいっぱいだったのかも知れません。私は自信に溢れていました。先ずはレコード会社のオーディションを受ける事になってワーナーパイオニアのスタジオでオリジナルナンバーやビートルズナンバーを何曲か演奏しました。結果は不合格でした。ビートルズがデッカのオーディションに落ちた状況と似てます。そして2社目、運命の東芝EMIレコードのオーディションに 受かったのです。ディレクターはザ・リガニーズにいた新田さんです。ひと通りオリジナル曲を演奏し、最後に、「君達の得意な曲を聴かせて欲しい」と言われ、迷わずビートルズナンバーを歌いました。ところが皮肉なことにそれが大いに喜ばれ、結果的にはこれが『MEET THE BAD BOYS』を作ろうというキッカケになったのです。僕等は1年先輩のキャロルやチューリップの様に、オリジナル曲でデビュー出来ると思っていました。キャロルはビートルズのデビュー前のイメージ、チューリップはビートルズの後期のイメージでやっていたので、僕等は一番カッコいい初期のビートルズの様なオリジナル曲を目指そうと考えていたのです。ところが、デビューシングルは吉田拓郎の「ビートルズが教えてくれた」で、デビューアルバムは『MEET THE BEATLES』のパロディにしようとスタッフ内で決められてしまいました。今更大阪に帰れない僕等は従うしかなかったのです。当時は大胆で斬新なアイディアだったかも知れないけれど、僕等には迷惑な話でした。赤坂溜池にあった東芝レコードの第7スタジオでレコーディングは行われました。アルバムは徹底的にビートルズと同じにしようという事でジャケットまでこだわりました。スタジオには最新の8チャンネルのレコーダーがすでにありましたが、基本的には2ャンネルしか使わないという事になりました。でも、どうしてもあの雰囲気が出せません。機械も状況も違う訳ですから。ポールの清水君はヘフナーとリッケンバッカー、フェンダープレシジョンを使い、ベースアンプはVOX。ジョージの川端君はフェンダーテレキャスターで、私は当時日本に一本しかなかったリッケンバッカー、アンプはフェンダーツインリバーブ。リンゴの城間君はラディックで彼が一番ビートルズサウンドに近かったですね。面白かったのは「Please Please Me」でジョンが2番の歌詞を間違って歌ってるので同じ様に歌おうと、その後の“Come On!”でジョンが笑って歌う箇所までコピーしましたが…この部分は笑えましたね。シングル曲の「ビートルズが教えてくれた」に関しては、スタジオに行ったらすでにオケ(カラオケ)が用意されていて、僕等はボーカルだけ入れれば良いという事で、この一件はかなりショックでした。オケは六文銭のメンバーで録音されていた。何故? っていう感じでメンバーも凄く憤慨しました。モンキーズじゃないんだから!結局、ブツブツ言いながら歌いましたけどね。スタジオ内の不満は全てミキサー室に筒抜けで、ディレクターの新田さんから「君達!嫌なら帰っていいよ!」と言われてスタジオを飛び出す一幕もありました。慌ててマネージャーの上野氏が止めましたけどね。デビュー後は、ビートルズが大好きなファンからは大いに支持されました。ビートルズのステージを再現する訳ですから。僕等も、ステージを見に来てる人達から「ジョン!」「ポール!」とか叫ばれて、気持ち悪かったです。全く自分達が描いていたデビューとは違う方向に進んで行ってしまい、毎回、何でビートルズばかりを歌ってるのだろう? と自問しました。それでもデビュー2年目の頃にはオリジナルもちょこちょこ入れましたが、やっぱり来てる人達はビートルズナンバーを期待している人達が圧倒的でした。スタジオワークで驚いたのは、録音スタッフにほとんどビートルズの知識がなかったことです。録音技術は認めますが、ビートルズの曲に関しての知識は僕らの方が詳しかったのです。でも、当時はまだ曲の細かいニュアンスをうまく伝えることができませんでした。だからもう言う通りにするしかなかった。違うと思ってもう1テークやりたいと言っても理解されず、拒否されてしまい、くやしい思いをしました。それも今となっては良い思い出です。(c)2016Yellow Doragon
 ◆リッキー&ミッシェル、リボルバー他スケジュール>
 ≪著者略歴≫廣田龍人/リッキー廣田(ひろた・りゅうじん):THE BAD BOYS として、
‡1973(昭和48)年09月20日(木)、東芝EMIレコードよりアルバム『MEET THE BAD BOYS』でデビュー。ビートルズの完全コピーバンドとして全国のビートルズファンに認知される。現在はリボルバーのリーダーの他、ソロ活動を中心に「リッキー&ミッシェル」「ホットレッグス」「ビーブラッズ」など幅広く活躍。
 http://music-calendar.jp/2017092001


 動画◆ビートルズのラストアルバム『アビーロード』の次の作品があった!?[リバプールに住みたい!] https://youtu.be/QcEqJviRY0E
 1969(昭和44)年09月08日(月) ロンドン・アップル本社ビル
 ◎ジョン、ポール、ジョージの3人の会話録音。リンゴは腸の検査で入院中
 ◎次回作の担当はジョン提案:ジョン4曲、ポール4曲、ジョージ4曲
 ◎ソングライターチーム:レノンマッカートニーの解消を提案+別々の名義にする提案
 ◎ポールのジョージ批判:『アビーロード』を作るまで、ジョージの曲はたいして良くないと思ってた
 ◎ジョンのポールの楽曲批判:♪MAXWELL'S SILCER HUNMMER♪バンドの誰一人として良い曲だと思っていない。メリーホプキンなんかの別の外部のパフォーマーに提供すべきだった
 ◎ポールはお気に入りだ。口喧嘩!
 1969(昭和44)年09月13日(土) ジョン、トロントでのイベントに参加 
‡1969(昭和44)年09月20日(土) ジョン、ザ・ビートルズ脱退をメンバーに伝える
 

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES ON ED SULLIVAN 1964-1970 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─―――――――――――――┐PERFORMANCE of THE BEATLES Vol.2
 | 『The Ed Sullivan Show』 |2nd broadcast
 └─―――――――――――――┘
 1964(昭和39)年02月16日(sun) live performance & broadcast (live audience) 8:00pm
  ♪She Loves You♪
  ♪This Boy♪
  ♪All My Loving♪
  ♪I Saw Her Standing There♪
  ♪From Me to You♪
  ♪I Want to Hold Your Hand♪
 ┌─―――――――――――――┐
 | 『The Ed Sullivan Show』 |7th broadcast
 └─―――――――――――――┘
‡1964(昭和39)年09月20日(sun) TV broadcast 8:00pm Repeat of 1964(昭和39)年2月16日(日) broadcast 
**************************************************
 http://www.rarebeatles.com/photopg7/sullivan.htm
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Ed_Sullivan_Show#The_Beatles
 https://www.uta-net.com/song/4221 https://www.uta-net.com/song/46551
 https://www.uta-net.com/song/38557 https://www.uta-net.com/song/51514
**************************************************

‡1993/09/20 UK album releases:『The Beatles 1962-1966』and『The Beatles 1967-1970』on CD
 1993/10/05 US album releases:『The Beatles 1962-1966』and『The Beatles 1967-1970』on CD

『ザ・ビートルズ 1962年~1966年』赤盤
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
 ┌─――――――――――――┐
 |1962(昭和37)年10月12日(金)|「アイドルと共演、スタイル直伝」
 |2010(平成22)年10月12日(火)|甲虫日記更新日 No.082
 └─――――――――――――┘
 ◎お知らせ ⇒ ビートルズのベスト盤として親しまれてきた「ザ・ビートルズ 1962~1966」(通称:赤盤)、「ザ・ビートルズ 1967~1970」(通称:青盤)のリマスター版が、昨年9月発売のオリジナル・アルバムのリマスター版に続き、10月18日ついに発売される。従来通り各2枚組で、オリジナルのライナー・ノート、貴重な写真などが収められた新しいブックレットが付属する。
『The BEATLES 1962~1966』赤盤 
‡2010(平成22)年10月18日(月) EMIミュージック・ジャパン
『The BEATLES 1967~1970』青盤 
‡2010(平成22)年10月18日(月) EMIミュージック・ジャパン

 『The BEATLES 1962-1966』赤盤 
 1998(平成十)年3月11日(水) EMIミュージック・ジャパン

 ◎お知らせ ⇒ 「赤盤」の名で親しまれているこのアルバムは、「シー・ラヴズ・ユー」など、1962年から1966年にかけてイギリスで発売されたシングルのA面が収められている
『ザ・ビートルズ 1962年~1966年(赤盤)』
 2007年10月31日(水) EMIミュージック・ジャパン 
 
 ◎お知らせ ⇒ 通称「赤盤」「青盤」の名で親しまれたベスト盤「ザ・ビートルズ 1962~1966」と「ザ・ビートルズ 1967~1970」は、昨年10月に発売されたリマスター盤が国内で2セット合わせ計32万枚売れた。各2枚組。オリジナルのライナー・ノート、貴重な写真などが収められた新しいブックレットがついている。
 『The BEATLES 1962~1966』赤盤 2010年10月18日 EMIミュージック・ジャパン
 『The BEATLES 1967~1970』青盤 2010年10月18日 EMIミュージック・ジャパン

 ◎お知らせ ⇒ スローテンポの「Revolution 1」が収められている通称「ホワイト・アルバム」には、ジョンがヨーコの影響を受けて作ったとされるサウンド・コラージュ「Revolution 9」もある。シングルカットされた「Revolution」は通称「青盤」の名で親しまれるベスト盤「ザ・ビートルズ 1967~1970」で聴くことができる。
 『The BEATLES (WHITE ALBUM)』2009年09月09日 EMIミュージック・ジャパン
 『The BEATLES 1967~1970』青盤 2010年10月18日 EMIミュージック・ジャパン

***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/101012.html
********************************************************

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(sat)26 January 1963
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 Concert: King's Hall, Glebe Street, Stoke-on-Trent, Staffordshire
 John and Paul started to compose "Misery" backstage at King's Hall, crafting it specifically for imminent tourmate Helen Shapiro. This concert contained a one-off Beatles performance of the Rooftop Singers' current hit "Walk Right In".
 A complete ticket from this show was auctioned for £646 at Sotheby's on 
‡(thu)20 September, 2001.
*******************************************
 http://www.multiplusbooks.com/630126.html
*******************************************
‡9/20/64 New York Paramount Theatre 1 show $ 500.00
 http://www.rarebeatles.com/photopg7/tourprog.htm
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
①1960(昭和35)年09月20日(火) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (35日目)
②1961(昭和36)年09月20日(水) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) /リヴァプール
③1962(昭和37)年09月20日(木) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
 ------------------------------------------------------------
①1960(昭和35)年09月20日(火) ライヴ演奏:インドラ・クラブ/ハンブルグ (35日目)
 平日の夜は、
 08:00pm~09:30pm
 10:00pm~11:00pm
 11:30pm~00:30am
 01:00am~02:00am 以上、4時間半の演奏良好だヨ(=^◇^=)
************************************************************
 ①https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600817_live_indra1.html
  https://gejirin.com/beatles/history/1960/19600818_live_indra2.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1961/0history_index-1961.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─―――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|September 20|263
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 9月20日 |
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛└─―――――┘
‡1964(昭和39)年09月20日(日) ニューヨーク州ニューヨーク・シティ パラマウント・シアター公演)
 ★観客数3,682人 宿泊先リビエラ・アイドルワイルド・ホテル
 ★全米ツアー最終公演はチャリティ・コンサートであった。
【コメント】
 ★ジョージ・マーティン、、、「休演日のない大型サーカスのようなものだった。」
 ★ニューヨーク・タイムズ、、、「ビートルズは観客の中にモンスターを創り出した。彼らが金儲け以外に何か関心を持てるなら、観客たちのマス・ヒステリアが制御不可能な状態に陥る前に、何とかコントロールできるように注意を向けるべきだろう。」
 https://beatlepedia.web.fc2.com/usa-tour-64.html
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17131
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/009/0920.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
*******************************************

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1969(昭和44)年9月20日(土)
‡No.138(08) 1969-09-20(sat) Lennon / New Musical Express (2 photos) Interview with John entitled, "I've Formed A New Group!" 
 John Lennon Interview: New Musical Express 9/20/1969
***********************************************************
 http://www.beatlesinterviews.org/db1969.0920.beatles.html
***********************************************************

 NHK『おしゃべり人物伝』ジョン・レノン①https://youtu.be/BDhmJbbSIsQ
‡1985(昭和60)年9月20日(金)放映
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
①┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 (wed)22 August 1962 The Cavern Club, Liverpool
 Photographers - Bill Connell, Les Chadwick
 This early morning rehearsal was in preparation for the afternoon's Granada TV filming. These might be the first photos with Ringo.
 The famous Mersey Beat article is from the Aug 23(thu) - Sep 6(thu) issue.
 This was on the stands when these photos were taken
 The next issue (Sept 6(thu)-●20(thu) featured a photo from this rehearsal.
************************************************************
 http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.08.22%20cavern%201%20reh/62.08.22cavernReh.html
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ The Savage Young Beatles 1950s  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
†circa 1959 Liverpool 
 Photographer: unknown
 In her book John, Cynthia Lennon says these photos taken in 1959 in Liverpool. The friends are Tony Carricker and John Hague, their collegues in Liverpool Art College. Cynthia is obviously correct and we can verify this. John Hague was the painter that John helped in 1968 in a gallery exibition. There's a photo of the two friends and Hague's face is exactly the same as seen in these old photos. According to Cynthia, the car belongs to Hague's mother. (Description provided by Eduardo Ribeiro.)
************************************************************
 http://www.beatlesource.com/savage/1950s/59.xx.xx%20liverpool/59.xx.xxliverpool.html
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ Summer 1964 United States & Canada Tour ┃THE BEATLES SHOW
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 No.01 (wed)19 August 1964 Daly City(San Francisco area), United States, Cow Palace 
 No.02 (thu)20 August 1964 Las Vegas, United States, Convention Hall 
 No.03 (fri)21 August 1964 Seattle, United States, Seattle Center Coliseum 
 No.04 (sat)22 August 1964 Vancouver, Canada, Empire Stadium 
 No.05 (sun)23 August 1964 Los Angeles, United States, Hollywood Bowl 
 No.06 (wed)26 August 1964 Morrison (Denver area), United States, Red Rocks Amphitheatre 
 No.07 (thu)27 August 1964 Cincinnati, United States, Cincinnati Gardens 
 No.08 (fri)28 August 1964 New York City, United States, Forest Hills Stadium 
 No.09 (sat)29 August 1964 New York City, United States, Forest Hills Stadium (2days)
 No.10 (sun)30 August 1964 Atlantic City, United States, Convention Hall 
 No.11 (wed)02 September 1964 Philadelphia, United States, Convention Hall 
 No.12 (thu)03 September 1964 Indianapolis, United States, Indiana State Fairgrounds 
 No.13 (fri)04 September 1964 Milwaukee, United States, Milwaukee Arena 
 No.14 (sat)05 September 1964 Chicago, United States, International Amphitheatre 
 No.15 (sun)06 September 1964 Detroit, United States, Olympia Stadium 
 No.16 (mon)07 September 1964 Toronto, Canada, Maple Leaf Gardens 
 No.17 (tue)08 September 1964 Montreal, Canada, Montreal Forum 
 No.18 (fri)11 September 1964 Jacksonville, United States, Gator Bowl Stadium 
 No.19 (sat)12 September 1964 Boston, United States, Boston Garden 
 No.20 (sun)13 September 1964 Baltimore, United States, Baltimore Civic Center 
 No.21 (mon)14 September 1964 Pittsburgh, United States, Civic Arena 
 No.22 (tue)15 September 1964 Cleveland, United States, Public Auditorium 
 No.23 (wed)16 September 1964 New Orleans, United States, City Park Stadium 
 No.24 (thu)17 September 1964 Kansas City, United States, Municipal Stadium 
 No.25 (fri)18 September 1964 Dallas, United States,  Memorial Auditorium 
†No.26 (sun)20 September 1964 New York City, United States, Paramount Theater ※THE END. Summer 1964 United States & Canada Tour 
************************************************************
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
************************************************************


    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
    ┛ THE BEATLES 1968 Tape copying ┛Studio 2
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00-11:00pm
 ┏━━━━━━━━┓
 ┃ ♪Piggies♪  ┃of take 11 into take 12
 ┗━━━━━━━━┛
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
  ┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00-11:00pm
 ┏━━━━━━━━┓
 ┃ ♪Piggies♪  ┃overdub onto take 12
 ┗━━━━━━━━┛No.2  第2スタジオ。まず昨日の4トラックテープを、8トラックレコーダーに移し替えてこれを第12テイクとする。これにコーラスなどの各種オーバーダブ、そしてリード・ヴォーカル(エフェクト処理含む)を空きトラックに録音。このセッションの合間に、ジョンはコントロールルームでサウンドライブラリから「ブタの鳴き声」のループを作成した。
  Copy of ♪Piggies♪ from 4- to 8-track tapes. Recording of vocals and pigs' sounds for "Piggies
  Producer: Chris Thomas
  Engineer: Ken Scott
  2nd Engineer: Mike Sheady
 ‡1968(昭和43)年9月20日(fri)
***************************************
 https://beatlesdata.info/10/12_piggies.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Piggies
***************************************

 ┏━━━━━━━━━━━━━┓1999(平成11)年 2月26日(金) United States
 ┃ 『eight days a week』  ┃1999(平成11)年10月 9日(土) France/Germany
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛https://en.wikipedia.org/wiki/Eight_Days_a_Week_(film)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『EIGHT DAYS A WEEK  THE TOURING YEARS』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐
 |2016(平成28)年 9月15日(木)|United Kingdom
 |2016(平成28)年 9月16日(金)|United States
 |2016(平成28)年 9月20日(火)|JAPAN
 |2016(平成28)年12月21日(水)|Blu-ray&DVD
 └─――――――――――――┘
*********************** http://thebeatles-eightdaysaweek.jp/
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles:_Eight_Days_a_Week
 http://altbeatles.progoo.com/bbs/?pid=altbeatles&mode=pr&parent_id=1010&mode2=2
************************************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『The Beatles 1962-1966』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 Apple SKBO 3403 - April 2, 1973
 Apple PCSP 717 - April 19, 1973
 Capitol SEBX 11842 (Red Vinyl) - August 1978
 Parlophone PCSPR 717 (Red Vinyl) - September 30, 1979
 Capitol C1-90435 - July 28, 1988
‡(CD) Apple CDP 7 97036 2 September 20, 1993 (UK)
 (CD) Apple CDP 7 97036 2 October 5, 1993 (US)
 Capitol C1-97036 (Red Vinyl) - February 22, 1994
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『The Beatles 1967-1970』  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
 Apple SKBO 3404 - April 2, 1973
 Apple PCSP 718 - April 19, 1973
 Capitol SEBX 11843 (Blue Vinyl) - August 1978
 Parlophone PCSPB 718 (Blue Vinyl) - September 30, 1979
 Capitol C1-90438 - July 28, 1988
‡(CD) Apple CDP 7 97039 2 September 20, 1993 (UK)
 (CD) Apple CDP 7 97039 2 October 5, 1993 (US)
 Capitol C1-97039 (Blue Vinyl) - January 22, 1994
****************************************
 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
****************************************
 ┏━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『Beatleworlrd nowhere』 ┃vol.11 ポール死亡説の謎
 ┗━━━━━━━━━━━━━━┛
‡1996(平成八)年09月20日(金) 発行 プロデュースセンター出版局
 http://home.q04.itscom.net/hiropon/books&mags.htm

「ザ・ビートルズ MONO LP BOX」 究極のアナログ盤が欲しい!!!!  
‡2014(平成26)-09-20(sat) 11:28:14 
 http://ameblo.jp/kazukazu721/entry-11927584181.html


『平凡パンチ』
‡1965(昭和40)年9月20日(月)号 
 国内雑誌 NB6-01 4,800円
 特報グラフ「アメリカのビートルズ騒動」巻頭7ページ シェアスタジアムコンサート
 http://www.tracks-japan.com/memorabiria/book.html

 

1969年9月13日、ジョン・レノンがトロントでライヴ
2018年09月13日 執筆者:藤本国彦
69年9月13日、ジョン・レノンは、自分のバンド、プラスティック・オノ・バンドとともに、カナダのトロントで「お披露目」ライヴを行なった。「お披露目」と言っても、結果的にそうなったと言ったほうがいいだろう。ザ・ビートルズの実質的なラスト・アルバム『アビイ・ロード』が出る約2週間前の出来事だった。ビートルズはまだバンドとしては存続していたものの、実際は解散に向けてのカウントダウンの時期でもあった。一方、69年7月にプラスティック・オノ・バンドのデビュー・シングル「平和を我等に」を発表していたジョンからすれば、「バンド」としては66年8月以来となる公のライヴを行なうことは自然な流れだったのかもしれない。
そんな解散間際の微妙な(だからこそ面白い)時期に行なわれたライヴは、とはいえ、ジョンの単独公演だったわけではない。トロントのヴァーシティ・スタジアムで行なわれたのは、チャック・ベリー、リトル・リチャード、ボー・ディドリー、ジェリー・リー・ルイスらが出演するロックンロール・リヴァイヴァル・ショーだった。だが、チケットの売れ行きが芳しくなかったため、ロックンロール・ヒーローが一同に会するこのコンサートに、前日に出演依頼を受けたにもかかわらず、ジョンは出演を決めたのだった。
そこでジョンは、エリック・クラプトン、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイトに声をかけ、特別にチャーターした飛行機の機内で即席のリハーサルを行ない、本番に備えた。極度の緊張で本番前に吐いたというジョンは、バンドを従えて、「ブルー・スウェード・シューズ」や、ビートルズのレパートリーでもあったカヴァー曲「マネー」「ディジー・ミス・リジー」などをまずは演奏。最初は手探り状態だったバンドはまとまりが徐々に良くなり、ジョンとクラプトンのギター・バトルも次第に白熱していく。スリリングなステージの模様は、「ヤー・ブルース」でさらに盛り上がりをみせる。そして、ビートルズとしてのレコーディングを拒否されたと言われる新曲「コールド・ターキー」や、ジョンが「この曲をやるために来た」と語る「平和を我等に」、同じく「〈トロント1984〉とでも言ったほうがいいようなものだった」と後に語った、ヨーコのヴォイスをフィーチャーした「ジョン、ジョン」で締めくくった。
急ごしらえのバンドだからこそすぐに演奏できるロックンロールのカヴァー曲は、ロックンロール・リヴァイヴァル・ショーのテーマに合っていたし、ビートルズのこの時点での最新アルバム『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』からの曲やプラスティック・オノ・バンドの未発表の新曲まで交えて披露された内容は、ある意味、ジョンの凝縮された「ロック史」を瞬時につかめるような面白さでもあった。この時の模様を収めたライヴ・アルバム『平和の祈りをこめて(LIVE PEACE IN TORONTO 1969)』は、69年12月12日に発売された。89年には『スウィート・トロント』と題した映像作品も発売されている。 
そして、このライヴから1週間後の
9月20日、ジョンは、ビートルズの当時置かれていた状況よりもヨーコとの活動を最優先し、ビートルズ脱退を他のメンバーに伝えたのだった。
≪著者略歴≫藤本国彦(ふじもと・くにひこ):『ビートルズ・ストーリー』編集長。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』『ビートルズは何を歌っているのか?』『ビートルズはここで生まれた』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめ ビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数
http://music-calendar.jp/2018091301

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る