過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)


 A面♪Got To Get You Into My Life♪
 B面♪Helter Skelter♪【米;3週7位】
 1976(昭和51)年05月31日(月) US released Capitol 4274
‡1976(昭和51)年07月05日(月) JP released
 https://ja.wikipedia.org/wiki/ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ


■1967(昭和42)年07月05日(水)
『SGT. PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND』
■1976(昭和51)年07月05日(月)※\600最初のシングル
 ♪イエスタデイ♪/♪恋する二人♪
 ♪ヘルター・スケルター♪/♪ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ♪
■1977(昭和52)年07月05日(火) \600
 EAR-20221 初写01 ♪ラヴ・ミー・ドゥ♪ / ♪P.S.アイ・ラヴ・ユー♪
 EAR-20222 初写02 ♪プリーズ・プリーズ・ミー♪ / ♪アスク・ミー・ホワイ♪
 EAR-20227 初写07 ♪ア・ハード・デイズ・ナイト♪ / ♪今日の誓い♪
 EAR-20232 中写5 ♪ペイパーバック・ライター♪ / ♪レイン♪
 EAR-20235 苺写2 ♪愛こそはすべて♪ / ♪ベイビー・ユーアー・ア・リッチ・マン♪
 EAR-20239 後写1 ♪ゲット・バック♪ / ♪ドント・レット・ミー・ダウン♪
 EAR-20240 後写2 ♪ジョンとヨーコのバラード♪ / ♪オールド・ブラウン・シュー♪
 EAR-20244 初写09 ♪オール・マイ・ラヴィング♪ / ♪ラヴ・ミー・ドゥー♪
 EAR-20246 初写11 ♪恋する二人♪ / ♪ぼくが泣く♪
 EAR-20249 中写7 ♪ロック・アンド・ロール・ミュージック♪ / ♪エヴリー・リトル・シング♪
 EAR-20250 中写8 ♪イエスタディ♪ / ♪アクト・ナチュラリー♪
 http://rock-t.info/beatles-discography-yesterday-ishouldhaveknownbetter.html
 https://www.facebook.com/groups/720792321370235/posts/4120329008083199/

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 ┃ 『SGT. PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND』 ┃
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 1967(昭和42)年05月26日(fri) UK Released 
 1967(昭和42)年06月01日(thu) UK Released 
 1967(昭和42)年06月02日(fri) US released 
‡1967(昭和42)年07月05日(wed) JP released 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band
 http://www.beatlesebooks.com/sgt-pepper-album
 http://www.geocities.jp/mr_tako_seijin/page_lp/sgt.html#
 英Mhttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_mono_p3.html##9-1
 英Shttp://yokono.co.uk/collection/beatles/uk/lp/uk_lp_stereo_p3.html##9-1
 米http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/lp/usa_lp_capitol_st3.html##12-1
 日http://yokono.co.uk/collection/beatles/japanese/lp/lp_op_8163.html
 Ohttps://music.amazon.co.jp/albums/B019GHE32I
 ⑨https://music.amazon.co.jp/albums/B07FT1RYQG
 Shttps://music.amazon.co.jp/albums/B07HBMLBQH
 Dhttps://music.amazon.co.jp/albums/B0727ND1H9
 Dhttps://music.amazon.co.jp/albums/B07FSZRD3T
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 ┃ クイズ:あなたは『Sgt.Pepper』を知っていますか? ┃
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 2017(平成19)年06月01日(thu) Published
  ザ・ビートルズ『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band 』に関する知識をこのクイズでテストしてみよう!
  The 『Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band』 50周年記念盤が発売中!詳細はこちら!ご購入は こちら
 https://www.udiscovermusic.jp/music-quizzes/sgt-pepper-quiz


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 ┃『SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』┃
 ┃アルバム・カヴァーに登場しているのは誰?┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛STORIES
 2020(令和二)年05月30日(土)『discovermusic.jp』Published
 ザ・ビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は、史上最高にアイコニックなアルバム・ジャケットの座をいまだ維持し続けている。ポール・マッカートニーの着想から、イギリスのポップ・アーティスト、ピーター・ブレイクと妻のジャン・ハワースによる最終デザインに至るまで、これは単なるアルバム・ジャケットの枠を超えている。当時を象徴する見事なモダン・アート作品なのだ。このアートワークは、当時としては画期的なデザインだった。また、制作費用が3,000ポンド(現在では5万ポンド以上に相当する)と破格で、当時のポップ・アルバムのジャケットでは最高額である。コンセプトは、ザ・ビートルズが「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に扮して登場し、今ちょうどコンサートを終えたところで影響力の大きな人々の集団に囲まれている、というものだ。合計58人が、最終版のアートワークに登場している。ジャケットに登場した人々は、ジョン、ポール、ジョージ、ピーター・ブレイク、ジャン・ハワース、そしてロンドンの美術品商、ロバート・フレイザーが共同で作ったリストから選ばれた。イエス・キリストとアドルフ・ヒトラーは、掲載には不適切とされ、マハトマ・ガンジーやレオ・ゴーシーといった人々は、別の理由で削除された。また、エルヴィス・プレスリーの顔がないのも気になるが、これはポール・マッカートニーが後年語っているが、「あまりに重要で、雲の上の存在すぎて、口にするだけでも畏れ多い存在」だったからだという。最終ヴァージョンに残った人々は、文化人や重要人物、さらにはザ・ビートルズのメンバーが関心を持つ人々が並ぶ魅惑的な顔ぶれだ。「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」の歌詞のように、「皆さんも長年、このバンドのことは知っているだろう。それでは、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のジャケットに掲載されている残りの人々を皆さんに紹介しよう……」
『Sgt. Pepper』の who's whoのインタラクティヴ・ヴァージョンはこちら(日本語非対応)
 写真◆Beatles Sgt Pepper Map
 01: Sri Yukteswar Giri(スリ・ユクテスワ・ギリ)『The Holy Science』(1894年刊)の著者。同書は「全ての宗教には根本的な一貫性があることをできる限り明確に示す」ことを試みている。スリ・ユクテスワ・ギリは、Sri Mahavatara Babaji(スリ・マハー・アヴァター・ババジ:No. 27)とParamahansa Yogananda(パラマハンサ・ヨガナンダ:No. 33)のグル(導師)だった。彼が左上隅という重要な位置にいるのは、ジョージ・ハリソン(No. 65)がインド哲学への関心を高めていたためだ。1967年8月、アルバムのリリースから2カ月後、ザ・ビートルズはロンドンのパーク・レーンにあるヒルトン・ホテルでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと初対面を果たした。4人はここで、ノース・ウェールズのバンガーで超越瞑想を学ぶよう勧められた。
 02: Aleister Crowley (アレイスター・クロウリー)非常に多くの作品を残した作家。オカルティズム(神秘主義)に共感し、セレマ(Thelema)という自身の宗教を創設した。クロウリーの中心的信条は「汝の意志することを行うことが、法の全てである。愛は法であり、愛は意志の下にある」。
 03: Mae West(メイ・ウエスト)メイ・ウエストは当初、アートワークへの写真使用を拒んだ。ハリウッドの黄金時代にその名を轟かせた魅惑的な彼女は、自分は決してロンリー・ハーツ・クラブには入らないと思っていたのだ。しかし、ザ・ビートルズが直々に手紙を書き、4人全員がファンであることを説明すると、彼女は写真の使用を許可した。1978年、リンゴ・スター(No. 63)はメイ・ウエスト最後の作品となった『結婚狂奏曲セクステット(原題:Sextette)』(1978年)に出演し、恩返しをした。なお、同映画の中では『The Beatles』(通称ホワイト・アルバム)収録の「Honey Pie」のカヴァー・ヴァージョンが使用されている。
 写真◆Mae West Sgt Pepper's◆Mae West(メイ・ウエスト)
 04: Lenny Bruce(レニー・ブルース)レニー・ブルースは、後年のコメディアンの多くに影響を与えた個性的なスタイルで、50年代、60年代のコメディに革命を起こした。『Sgt. Pepper』のジャケットに登場した頃にはわいせつ罪で逮捕されていたが、こうした逮捕によって、彼はザ・ビートルズだけでなく、ビートニックス(*訳注:1950年代の米国のサブカルチャーを支持する若者たちの総称)やボブ・ディラン(No. 15)にとってもさらに反体制文化のヒーローと化した。1966年8月に薬物中毒死。
 05: Karlheinz Stockhausen(カールハインツ・シュトックハウゼン)50年代から60年代、電子音楽を先駆的に利用したドイツの作曲家で、今もアヴァンギャルドのゴッドファーザーであり続けている。限界を押し広げるシュトックハウゼンの音楽に影響を受けたザ・ビートルズは、『Revolver』の「Tomorrow Never Knows」でのテープを使った実験的手法を皮切りに、スタジオで画期的な実験をするようになった。ポール・マッカートニー(No. 64)がシュトックハウゼンの作品を他のメンバーに紹介すると、ジョン・レノン(No. 62)がファンとなった。レノンとオノ・ヨーコは1969年、シュトックハウゼンにクリスマスカードを送ったほどだ。
 06: WC Fields (W.C.フィールズ)アメリカのライター/コメディアン/俳優。無声映画とトーキー映画の両時代に活躍したW.C.フィールズは、万能エンターテイナーの典型例だ。彼の喜劇映画はザ・ビートルズ自身のユーモアを加速させ、また、彼の出自となったヴォードビルの世界は「Your Mother Should Know」といった楽曲に影響を与えた。
 07: Carl Jung(カール・ユング)スイスの精神科医。進歩的な思想家であるユングは、世界に新種の心理学を紹介した。彼が創始した分析心理学は、1900年初頭に個性化と自己実現という概念の先駆となった。
 写真◆Edgar Allen Poe Sgt Pepper「Man, did you see them kicking Edgar Allen Poe?」 (『I Am The Walrus』歌詞より)
 08: Edgar Allan Poe(エドガー・・アラン・ポー)「I Am The Walrus」で名前を出される前に、エドガー・アラン・ポーは『Sgt. Pepper』のコラージュで最上段の右側に登場していた。彼が1820年代から1840年代にかけて執筆した詩と短編小説は、モダンホラーというジャンルを創設し、現代のSF小説や探偵小説の土台を作った。
 09: Fred Astaire(フレッド・アステア)
 写真◆メイ・ウエスト(No.3)とは対照的に、フレッド・アステアは 『Sgt. Pepper』のアルバム・ジャケット登場の依頼を受けて喜んでいたと伝えられている。最初は姉と舞台で踊っていたが、ジンジャー・ロジャースと共演した『トップ・ハット(原題:Top Hat)』や『有頂天時代(原題:Swing Time)』などのハリウッド黄金時代の映画で大成功を収めた。フレッドはまた、ジョン・レノンとオノ・ヨーコとともに1972年のテレビ映画『Imagine』にも出演している。
 10: Richard Merkin (リチャード・マーキン)アメリカの画家/イラストレーター。1938年生まれのリチャード・マーキンは、自身が生まれる前に流行した草創期のジャズに魅了された。彼のモダニストなスタイルは、ジャズの抽象性とマッチしており、1966年にピーター・ブレイクが制作したトリビュート作品『Souvenirs For Richard Merkin』のインスピレーションともなっている。
 11: A Vargas Girl (バーガ・ガール)ペルーの画家、ホワキン・アルベルト・バルガス・イ・チャベスは、1910年代から30年代にブロードウェイを飾った『ジーグフェルド・フォリーズ』のポスターをデザインして名声を手にすると、ピンナップ・ガールを描いた作品の数々を制作した。「バーガ・ガールズ」として知られる一連の作品は、40年代にエスクワイア誌で大々的に取り上げられたほか、第二次世界大戦の戦闘機に描かれた絵の多くをインスパイアした。
 12: Leo Gorcey(レオ・ゴーシー)レオ・ゴーシーは、ハンツ・ホール (No.13)とともにバワリー・ボーイズの一員だった。バワリー・ボーイズは、デッド・エンド・キッズとイースト・サイド・キッズから派生したギャング役を演じる映画俳優のグループだ。バワリー・ボーイズの映画シリーズは、40年年代から50年代にかけて合計48作品にのぼった。レオ・ゴーシーの演じたギャングのリーダーは、ギャング役の原型となり、多くの俳優のお手本となった。なお、彼はザ・ビートルズに写真使用料を求め、この要請は却下されたため、写真使用を認めなかった。
 13: Huntz Hall (ハインツ・ホール)ハンツ・ホールもバワリー・ボーイズの一員だった。お調子者のギャング、ホレス・ドビュッシー・ ‘サッチ’・ジョーンズを演じたことで有名。
 14: Simon Rodia (サイモン・ロディア)1879年、イタリアに生まれたサイモン・ロディアは、15歳の頃に兄とアメリカに移住した。その後35年間はさまざまな場所に住んでいたが、1920年にロサンゼルスのワッツ地区に定住し、翌年からワッツ・タワーの建築に着手した。相互に結びついた17の彫像によって構成される同タワーの完成までには33年を要した。
 15: Bob Dylan(ボブ・ディラン)ボブ・ディランとザ・ビートルズは60年代を通じて影響を与えあっていた。お互いを刺激しあいながら、限界を押し広げ、シンプルな‘ポップ・ミュージック’で可能と考えられていたことを変革する音楽を作っていたのだ。ジョン・レノン(No. 62)に「Help!」という形でより私的な曲を書くきっかけを与えたのはボブ・ディランだった。また、ザ・ビートルズはフルバンドを擁してできることをボブ・ディランに示し、これをヒントにボブ・ディランは1965年、エレクトリック路線へと進んだ。しかし、ボブ・ディランと最も長く友情が続いたのはジョージ・ハリソン(No. 65)で、2人はその後もしばしば一緒に演奏し、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成したほか、お互いのプロジェクトにゲスト参加しあっていた。
 16: Aubrey Beardsley (オーブリー・ビアズリー)19世紀のイラストレーター。オーブリー・ビアズリーのペン画の影響は、クラウス・フォアマンが手がけた『Revolver』のジャケットにも感じ取れる。オーブリー・ビアズリー自身のスタイルは日本の木版術に影響を受けており、耽美主義者として同年代に活動していたオスカー・ワイルド(No. 41)と遠からぬスタンスを取っている。
 17: Sir Robert Peel (サー・ロバート・ピール)現代の保守党を創始したサー・ロバート・ピールは、1834年~1835年、1841年~1846年の2回にわたり、英国首相を務めた。また、英国内務大臣に在任中は、近代警察の基礎を築いた――その名残は今日でも残っており、警察官(複数)はイギリスでは「ボビーズ(訳注:ボビーはロバートの愛称)、アイルランドでは「ピーラーズ」と呼ばれている。
 18: Aldous Huxley(オルダス・ハクスリー)1954年に刊行されたオルダス・ハクスリーの『知覚の扉(原題:The Doors Of Perception)』は、1960年代を生きる反体制文化のエリートにとって必読の書だった。メスカリン(幻覚剤)を使用した自身の経験を詳述した同著は、当時流行していた意識拡大の風潮と一致していた。また、ザ・ドアーズは同著にちなんでグループ名をつけた。オルダス・ハクスリーはノーベル文学賞に7回ノミネートされ、『With The Beatles』のリリース、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺と同日の1963年11月22日に死去した。
 19: Dylan Thomas(ディラン・トマス)人々に愛されたウェールズ著述家。1953年死去。『Sgt. Pepper』のジャケット制作に取りかかる頃までに、ザ・ビートルズの4人はディラン・トマスの詩のファンとなっていた。「4人ともディラン・トマスのファンだったんだ」とポール・マッカートニー(No. 64)は後に回想している。「僕も彼の作品をたくさん読んだ。確かジョンは、彼がきっかけで詩を書きはじめたんじゃないかな」。故サー・ジョージ・マーティンもトマスのファンで、1988年にトマスのラジオ・ドラマ『Under Milk Wood』のミュージカルをプロデュースした。
 写真◆Dylan Thomas ポール・マッカートニーによるとジョン・レノンが、作詞するきっかけとなったウェールズの詩人Dlylan Thomas(ディラン・トマス)
 20: Terry Southern (テリー・サザーン)風刺に富んだ小説家/脚本家。ビート・ジェネレーションとザ・ビートルズの橋渡しをした。彼はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジでビート・ジェネレーションと交流し、1966年にロンドンへと居を移した後は、ザ・ビートルズと親交を結んだ。『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(原題:Dr. Stranger Love Or: How I Learned TO Stop Worrying And Love The Bomb)』、『イージー・ライダー(原題:Easy Rider)』など、60年代を象徴する映画の脚本も手掛けた。
 21: Dion DiMucci(ディオン・ディムチ)ディオン・アンド・ザ・ベルモンツのリーダーだったディオン・ディムチは、「The Wanderer」、「Rundaround Sue」などのヒットでソロ・アーティストとして成功を収めた。ロックン・ロール時代を特徴づける彼のドゥワップ曲は、ザ・ビートルズに大きな影響を与えた。
 写真◆Tony Curtis『お熱いのがお好き』の役柄で知られる Tony Curtis(トニー・カーティス)
 22: Tony Curtis(トニー・カーティス)魅力に溢れた多才多芸のトニー・カーティスは、ハリウッドのアイドルだった。1949年から2008年の間に、目もくらむような数の映画(100作品以上)に出演した。ジャック・レモン、マリリン・モンロー(No. 25)と共演した『お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)』(1959年)での女装姿が忘れられないが、バート・ランカスターと共演した1957年のフィルム・ノワール『成功の甘い香り(The Sweet Smell Of Success)』で演じた早口のプレス・エージェント、シドニー・フィアスコ役も印象深い。
 23: Wallace Berman (ウォレス・バーマン)アメリカのヴィジュアル・アーティスト、ウォレス・バーマンは、アルバム・ジャケットの歴史に名を残す以上の功績を残した。彼が先駆となった「アッサンブラージュ・アート」は、立体的な手法のコラージュ・スタイル。これはピーター・ブレイクが得意とするもので、『Sgt. Pepper』のアルバム・デザインにもこの手法の影響が感じ取れる。
 24: Tommy Handley(トミー・ハンドリー)マックス・ミラー(No.37)と同様、トミー・ハンドリーも戦時中に活躍したイギリスのコメディアンだ。リヴァプール生まれの彼は、ザ・ビートルズにとっては地元の英雄だった。BBCのラジオ番組『ITMA(”It’s That Man Again”)』は、1939年から1949年に彼が脳内出血で急逝するまで、10年にわたって放送された。
 25: Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)メイ・ウエスト(No.3)的な雰囲気を持つマリリン・モンローは、『お熱いのがお好き(原題:Some Like It Hot)』でトニー・カーティス(No.22)と主演を務め、50年代ハリウッドのピンナップ・ガールとなった。彼女の衝撃的な死について、いまだに陰謀説が囁かれている。『Sgt. Pepper』は、マリリンにとって41回目となる誕生日(1967年6月1日)に正式リリースされた。
 26: William Burroughs(ウィリアム・バロウズ)ボブ・ディラン(No.15)からデヴィッド・ボウイ、トム・ウェイツからスティーリー・ダンにいたるまで、ビート・ジェネレーションの作家、ウィリアム・バロウズは何十年にもわたって多数のソングライターに影響を与えてきた。あまり知られていないことだが、ウィリアム・バロウズ本人によれば、ポール・マッカートニー(No. 64)が「Eleanor Rigby」を書いているところに立ち会っていたという。ヴィクター・ボクリスと共著した対談集『ウイリアム・バロウズと夕食を―バンカーからの報告(原題:A Report From The Bunker)』の中で、ポール・マッカートニーがモンタギュー・スクエア34番地にあるザ・ビートルズのアパートに泊めてくれたと語っている。「曲が出来ていくのを見ていたよ。またしても、私は音楽のことなど詳しくないのに、彼が万事を心得ていることが分かった」。
 27: Sri Mahavatara Babaji (スリ・マハー・アヴァター・ババジ)スリ・ユクテスワ・ギリ(No.1)の教え子だったスリ・マハー・アヴァター・ババジは、クリヤー・ヨガの瞑想を復活させたと言われており、クリヤー・ヨガの瞑想はその後、パラマハンサ・ヨガナンダ(No. 33)によって西洋に伝えられた。自叙伝『Autobiography Of A Yogi』の中でヨガナンダはバジジについて、まだヒマラヤに住んでおり、真に神聖な者の前にしか姿を現さない、と記している。
 28: Stan Laurel(スタン・ローレル)スタン・ローレルは、オリヴァー・ハーディ(No.30)とともに107本の映画に出演した。その大半は1920年代から1940年代半ばの映画で、『底抜け極楽大騒動(原題:Block-Heads)』や『宝の山(原題:Way Out Wes)』といったアイコニックな作品も含まれる。2人とも『Sgt. Pepper』がリリースする前に死去している(オリヴァー・ハーディは1957年8月7日、スタン・ローレルは1965年2月23日)。
 29: Richard Lindner (リチャード・リンドナー)リチャード・リンドナーは1901年にドイツで生まれたが、ナチスから逃れるため、1941年にアメリカへと移住した。1950年代、彼は表現主義とシュルレアリスム、ニューヨークで出合った極めて性的なライフスタイルを取り入れた絵画スタイルを生み出した。『Sgt. Pepper』のジャケットに登場後、彼の抽象的なスタイルは、アニメ映画『Yellow Submarine』にも影響を与えた。
 30: Oliver Hardy(オリヴァー・ハーディ)ローレル&ハーディで、口ひげを生やした背の高い方がオリヴァー・ハーディだ。不運なスタン・ローレル(No. 28) を引き立てる短気な役柄を演じた。2人のレコード(「The Trail Of The Lonesome Pine」)は1975年12月、イギリスのシングル・チャートで第2位に入った。
 31: Karl Marx(カール・マルクス)多作な著述家、哲学者、経済学者のカール・マルクスは、1848年のパンフレット『共産党宣言』で最も良く知られている。同書はマルクス自身の学説の中心的な信条を概説しており、この1冊だけで政治運動が始動した。彼の作品は、現在の経済思想にも影響を与え続けている。
 32: HG Wells(HGウェルズ)エドガー・アラン・ポー(No.8)とともに、HGウェルズは現代のSF小説を形作った。1800年代後半に『タイム・マシン(原題:The Time Machine)』、『宇宙戦争(原題:War Of The Worlds)』といった画期的な小説を発表した後、彼はより政治的な作品を執筆するようになり、ノーベル文学賞に4回ノミネートされた。
 33: Sri Paramahansa Yogananda(スリ・パラマハンサ・ヨガナンダ)スリ・パラマハンサ・ヨガナンダはクリヤー・ヨガをスリ・ユクテスワ・ギリ(No. 1)の下で学び、ユクテスワ・ギリはその教義をスリ・マハー・アヴァター・ババジ(No. 27)に伝えた。1920年、ヨガナンダはアメリカへ向かって出港し、アメリカでセルフ・リアリゼーション・フェローシップを創設。西洋世界に瞑想を紹介した。
 34: Hairdressers’ wax dummy No.1(ヘアドレッサーの蝋人形 No.1)地元のヘアドレッサーから借りた蝋人形2体のうちのひとつ。こちらの人形は、レッドとイエローのストライプが入った帽子を被っており、もうひとつの人形(No. 36)はグリーンの帽子を被っている。

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