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┃ 宮沢りえ ┃
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1992(平成四)年11月27日(金) 貴花田(当時関脇、現在の貴乃花親方)との婚約を発表。当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は“世紀のカップル誕生”と大きな話題となる。しかし、
1993(平成五)年01月27日(水)「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、わずか2か月間で婚約解消を発表
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E3%82%8A%E3%81%88
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宮沢りえ「悲劇のヒロインになりたくない」やせ我慢発言から生まれた女優人生
2020(令和二)年09月17日(木) 16:00 週刊女性PRIME [シュージョプライム]
2020(令和二)年09月29日(火)号『週刊女性』
‡2020(令和二)年10月06日(火)号『週刊女性』
写真◆貴乃花と破局、会見をした宮沢りえ 週刊女性PRIME 貴乃花と破局、会見をした宮沢りえ
“世紀の婚約”と世間を驚かせた宮沢りえと貴乃花(当時・貴花田)が“世紀の破局”を迎えたのは、わずか2か月後のことだった。1993年1月、単独で会見を開いたりえは「人生最高のパートナーにはなれなかった」「もっと話し合う時間があれば」として、「悲劇のヒロインにはなりたくない」と、発言。一方、貴乃花も単独会見で「自分の愛情がなくなりました」と語った。りえの引退を前提としていた花田家側と、それを拒んだ宮沢サイドという、双方のズレが真相とはいえ、りえが棄てられたかのような構図だ。
■破局会見からの宮沢りえ■それゆえ、彼女は誰の目にも「悲劇のヒロイン」に映ったが、そう見られることを自ら否定してみせた。しかし、そう言いつつも、その後「悲劇のヒロイン」を地で行くような姿を世に示してしまう。中村勘三郎(当時・勘九郎)との不倫疑惑と自殺未遂騒動、激やせからの仕事の降板、そして休養。なかでも、'95年10月、ゴルフイベントで見せた憔悴ぶりは衝撃をもたらした。筆者はその日、テレビ朝日で梨元勝氏のインタビューを受けていたので、なおさら思い出深い。ちょうど摂食障害に関する本を出したばかりで、りえの激やせについての分析を求められたのだ。なお、りえに対してはその7年前、彼女が15歳のときに取材したが、印象はあまりよくなかった。りえママこと宮沢光子マネージャーに操られる人形みたいだという、のちに広まるイメージに近い姿を目の当たりにしたからだ。とはいえ、人形みたいだからこそ、アイドルとして成功できたのだろう。ふんどしカレンダーやヌード写真集が売れたのも、母が狙い、世間が期待した新時代のセックスシンボルという役割を彼女が一生懸命、演じたからにほかならない。また、筆者と同じ時期に取材した知人からはこんな話を聞かされた。「地球が滅亡するとしたら、最後の日をどう過ごしたいか」という質問に、彼女はこう答えたという。「お母さんと一緒にいる。一緒にいて、サンドウィッチを食べたい」親の離婚で父とすぐに生き別れ、母とも10歳まで別々に住んでいたというりえ。そう、彼女は愛に飢えた子どもであり、哀しみという感情を持った人形だった。そこを秘めつつ、明るく振る舞ったところに、アイドルとしての魅力があったわけだ。が、破局とその後の迷走は彼女が実は無理をしていたことを浮き彫りにした。そして、その身の上に同情したり、悲劇性に欲情したりする人が現れる。例えば、倉本聰や山田洋次は彼女に薄倖な役を与え、新たな魅力を引き出した。正直なところ、破局したころの彼女は女優としての評価がいまひとつだったものだ。当時のメディアは「代表作がなかったりえにとって、この会見が代表作になるだろう」などと書いた。そこを変えたのが「悲劇のヒロインにはなりたくない」というやせ我慢発言である。これにより、彼女の明るさが一種の強がりで、心の奥底では悲劇のヒロインになりたがっていたのでは、と気づく人が出てきたのだ。彼女自身、役の上でなら自分の哀しみを表現できるようになった。それは破局後の彼女に世間が抱いたイメージとも見事にハマり、女優開眼がもたらされるわけだ。いわば、ひとつの名言が女優・宮沢りえを作ったのである。
PROFILE●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。
https://www.jprime.jp/articles/-/18865
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┃『原爆の子~広島の少年少女のうったえ~』┃
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‡1951(昭和26)年10月XX日(X) 長田新編 岩波書店 刊行
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┃ 『原爆体験記』 ┃
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1965(昭和40)年07月XX日(X) 広島市原爆体験記刊行会編 朝日新聞社刊行
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%80%9C%E5%BA%83%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%88
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98_(%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82)
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ジャンクフードを食べる犯罪者
2010(平成22)年07月30日(金) 20:05
http://www.1616bbs.com/bbs/taku223_tree_p_564.html
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┃ 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 ┃
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2014(平成26)年10月24日(金) 発売日
矢部宏治・著 ¥1,200(本体)+税 288ページ
詳細・・・日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは何か? その謎を解き、進むべき未来を提示する。大ヒットシリーズ「〈戦後再発見〉双書」の企画&編集総責任者が放つ、「戦後日本」の真実の歴史。公文書によって次々と明らかになる、驚くべき日本の歪んだ現状。精緻な構造分析によって、その原因を探り、解決策を明らかにする!
ISBN・・・978-4-7976-7289-3
刷数・・・第11刷
著者略歴・・・矢部宏治(やべ・こうじ)1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表。著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)。共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。企画編集シリーズに「〈知の再発見〉双書(既刊165冊)」「J.M.ロバーツ 世界の歴史(全10巻)」「〈戦後再発見〉双書(既刊3冊)」(いずれも創元社刊)。
目次
PART1 沖縄の謎──基地と憲法
PART2 福島の謎──日本はなぜ、原発を止められないのか
PART3 安保村の謎①──昭和天皇と日本国憲法
PART4 安保村の謎②──国連憲章と第2次大戦後の世界
PART5 最後の謎──自発的隷従とその歴史的起源
お知らせ・・・お詫びと訂正『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 2015年02月23日
関連動画
矢部宏治・孫崎享 対談(約40分)
矢部宏治・孫崎享 対談 ダイジェスト版(約10分)
矢部宏治・岩上安身 対談 前編(約170分)
矢部宏治・岩上安身 対談 後編(約190分)
関連リンク
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 facebookページ
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』英語版
関連書籍・・・日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
https://www.shueisha-int.co.jp/publish/日本はなぜ%ef%bd%a4%ef%bd%a2基地%ef%bd%a3と%ef%bd%a2原発%ef%bd%a3を止められない
「お客がいるんだ!頼む!!」 高速バス運転士の神対応に反響...当時の心境を本人に聞いた
2019(令和元)年10月09日(水) 06:00 地元の反応
夜遅くに到着するはずの高速バスの動きが鈍くなった。渋滞に巻き込まれたからである。そんな時、とある乗客が運転士に、
“「間に合わないですか...」と声をかけたという。
その乗客は、新宿でバスを降りた後、すぐに別のバスへ乗り継ぐ予定だったのだ。
渋滞は避けられぬものだ。ハマってしまえば抜けられるかは運任せ。高速を走るバスならなおさらだ。そして、定刻に遅れてしまえば、乗り継ぎ便は発車してしまう。
写真◆何が起きたのか(画像はジェイアールバス関東提供)
さて、その乗客はどうなったのだろうか。
結論から言うと、乗客は予定通り次のバスに乗ることができた。しかしその背景には、バス運転士の「神対応」があったという。
一体、何が車内で起こっていたのか。Jタウンネット編集部は、一連のやり取りを目撃した乗客と運転士、双方に詳しい話を聞いた。
◎「福山便あと5分だけ止めてくれ!」
ことの始終は、会津若松(福島県)から「バスタ新宿」(東京都)へ向かう「夢街道会津号」(ジェイアールバス関東)で起こった。
一端を目撃した、ツイッターのユーザーのSUI子さん(@_sui26)は、9月30日、ツイッター上に経緯を投稿した。
“「あのね、昨日帰りのJR高速バスが渋滞に巻き込まれたんだけど なんと、乗客の中に広島便の高速バスにバスタで乗り継ぐってお客様がいらっしゃったの。 それでね、運転士さんに間に合わないですか...って相談していて...」
最前列に座っていた彼女は、運転士の様子がよく見えたのだ。「間に合わないですか」と頼まれた運転士は、何回も時計を見て、間に合うかどうか首を傾けていたという。
2019(令和元)年10月01日(火)当時の状況をSUI子さんは、Jタウンネットの取材に対し、
“「乗り継ぎのお客様は切羽詰まった感じと半分(絶望からなのか?)諦めてしまって、憔悴している感じでした。途中、車内で立つ等は全く無かったですが、休憩地でずっと運転士さんとご相談されている感じでした」
と振り返る。そして到着までの間、運転士は何度も乗客を気遣いながら、バスはようやく目的地にたどり着いた。
とはいえ、バスは30分程度遅れ、乗り継ぎ便は、発車時間のほんの少し前であった。
すると運転士は無線を持った人に、
“「おい!悪い!福山便あと5分だけ止めてくれ!お客さんがいるんだ!頼む!」
と窓を開けて呼びかけたという。また、車内に向けて、
“「すみません、広島便のお客様を先に通してあげてください、すみません」
とも。そして皆、乗り継ごうとする乗客を先に通した。降車したのち、無事にバスタ新宿の停留所へ向かっていったという。
その後、運転士は、ほかの乗客が後から降車するときに、
“「ありがとうございます」
と述べていたと話す。SUI子さんは、そんな運転士さんに対して、
“「本当に気持ちのいい、優しい、情に厚い運転士さんだった。いつかまた、その運転士さんのバスに乗りたいし、自分もそういう人になりたいと思う方だった。素晴らしい運転士さんに拍手!でした」
と述べた。
◎運転士から手書きの返事が!
一連のやりとり、また運転士の対応に心打たれたSUI子さんは、ジェイアールバス関東へメールを送ったと話す。その文面を記者にも見せてくれたので、ご紹介したい。
“「運転士さん、お疲れ様でした。
そして素晴らしいお仕事を見せていただいてありがとうございました。
運転士さんみたいな優しく人情のある人間に私もなりたいと思います。
運転士さんは運転士の鑑、人の鑑だと思います。
いつかまたお会いしたい忘れられない運転士さんです。
そして、JRバスさんをこれからも使っていきたいと思います」
なんとも心温まる話である。
ぜひ、ことの次第やネットでの賞賛を運転士にも伝えたい。Jタウンネットは、10月1日、ジェイアールバス関東に、運転士本人に話を伺えないかと尋ねた。すると、広報担当者から運転士の手書きメッセージが返ってきた。
■2019(令和元)年10月06日(日)に運転士から手書きの返事が届いた(画像はジェイアールバス関東提供)
こちらが、運転士から届いた返事である(名前は本人希望により伏せた)。
“「(当時の心境について)9月29日は日曜日会津便上り16号 案の定3か所渋滞のためお客さまに案内し大谷PAで停車、休憩中広島便乗り継ぎの方が電話をしても時間外で連絡がつかずキャンセルもできず。何とか間に合わせたい思いで走っていたところ、渋滞が思ったよりも早く解消され広島便発車の3分前、バスタ入口到着。徐行しながら窓越しに誘導員さんへ伝えました。
何とか間に合いホットしましたが、その反面乗継便のJRバス中国の運転士さんや待っていただいた 客さまに御迷惑をおかけしてしまう結果に対し、深く反省すると共に寛容な対応に心から感謝申し上げます」
“「(SUI子さんのメールについて)異常時及び渋滞の際は常に同じ対応をしているので、今回の事は突然で驚いております。渋滞が解消されたとは言え、車内のお客さまの御協力があってこその事と感謝しております。多くの方々からのお声をいただいた事に大変感謝すると共に今後の励みと致します」 長距離バスの運転士だ。日々、乗客を目的地に運び、安全を届けている。忙しい仕事の合間に書いてくれたのだろう。返事を読むと、乗り継ぎ先であるJRバス中国の運転士や、待たせてしまった客への詫び言とともに、客の寛容な対応に感謝を述べている。ふとした瞬間、人のやさしさに心打たれる。今日も運転士はどこかで、一期一会の乗客のために奮闘しているのかもしれない。
https://j-town.net/tokyo/column/gotochicolumn/295816.html?p=all
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┃ 1940年東京オリンピック ┃
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第12回オリンピック競技大会
1940(昭和15)年09月21日(土) 開始予定
‡1940(昭和15)年10月06日(日) 終了予定
1937(昭和12)年03月20日(土) 衆議院予算総会では河野一郎(政友会、後に日本陸上競技連盟会長)が「今日のような一触即発の国際情勢において、オリンピックを開催するのはいかがと思う」旨を発言[14]。しかし当時これを真剣に受け取る者はいなかった
1937(昭和12)年06月23日(水)に行われた閣議で軍部からの圧力を受けた内閣総理大臣の近衛文麿公爵は、戦争遂行以外の各資材の使用を制限する需要計画を決定し、この中に五輪の中止が明記されていたことから、事実上五輪の開催返上が内定
1937(昭和12)年07月15日(木) 国内情勢が返上に傾いた日本政府は、閣議で開催権を正式に返上した。東京市が1930年から返上までの間、拠出した五輪関係費用は90万円(2017年8月現在の価値で約23億4千万円)にのぼる
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┃ 1964年東京オリンピック ┃
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第18回オリンピック競技大会
1964(昭和39)年10月10日(土) 開会式
1964(昭和39)年10月24日(土) 閉会式
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1940年東京オリンピック
https://ja.wikipedia.org/wiki/1964年東京オリンピック
https://www.uta-net.com/song/38563
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JR山陽線列車故障で乗客400人が3時間閉じ込め
2019(令和元)年10月07日(日) 12:00 掲載 TSSテレビ新広島ニュース
‡2019(令和元)年10月06日(土) きのう東広島市のJR山陽線の八本松・瀬野駅間で電車が故障し、乗客およそ400人が3時間に渡り、車内に閉じ込められました。きのう午後2時半ごろJR山陽線・八本松駅から瀬野駅に向かっていた上り普通電車の運転席で、車両の異常を知らせる表示が点灯し緊急停車しました。車両の点検でも状況が改善せず、乗客およそ400人は代わりの電車が到着するまで3時間、車内で待たされました。
【乗客】「何か固いものがぶつかったようなカーンっていう音が一回だけなんですけど、急だったんですごいびっくりしたのは覚えている。途中、空調が止まったみたいでクーラーも効かなかったので、ちょっと暑くて制汗シートもってたので何とかなったが、結構きつかった」
JR山陽線はこの影響で、西条ー瀬野駅間の上下線がおよそ5時間の運転見合わせとなり、乗客およそ18000人に影響がでました。
www.tss-tv.co.jp/tssnews/000002261.html
コンビニ「牛丼」はチェーン店とは別物? セブンとローソンで実食比較
‡2019(令和元)年10月06日(日) 15:00
セブン-イレブン『熟成肉の特製牛丼 具の大盛』(左)、ローソン『コク旨醤油仕立て!牛丼』(右)
牛丼といえば、吉野家、松屋、すき家などといった有名専門チェーンで食べるもの……と考えている人も少なくないだろう。しかし、コンビニエンスストアでも牛丼は販売されている。コンビニグルメに詳しいフリーライターの小浦大生氏はこう話す。
「コンビニの“丼もの”のお弁当メニューは季節によってラインナップが変わるんですが、そのなかで定番となっているのがカツ丼。あとは親子丼なども販売される頻度が高いです。一方の牛丼は、1年通してどこのコンビニでも販売されているわけではなく、カツ丼や親子丼に次いで、3番手くらいのポジション。やはり“牛丼といえばチェーン店”というイメージが強いということも影響しているのでしょう。しかし、コンビニの牛丼にはチェーン店の牛丼にはない魅力もあります」
そこで、コンビニの牛丼弁当をマネーポストのコンビニグルメ担当記者Aが実食リポート。今回は
2019(令和元)年09月29日(日)現在、公式サイト上で牛丼が商品として掲載されているセブン-イレブンとローソンで比較する。
◎甘くて濃厚なセブン-イレブンの牛丼
写真◆セブン-イレブン『熟成肉の特製牛丼 具の大盛』
セブン-イレブンで販売されているのは『熟成肉の特製牛丼 具の大盛』(税別398円)だ。まず、特徴的なのが、具の部分とご飯の部分がセパレートで盛りつけされている点。電子レンジで温めてから、具を白いご飯に乗せて食べるスタイルとなっている。
「お肉は薄切りで、とても柔らかいです。たまねぎもクッタクタに柔らかくなっています。そして、なによりインパクトが強いのが、甘くて濃いタレの味。口に入れた瞬間にジュワッと濃厚でパワフルな味が広がります。牛丼チェーンの牛丼とはまったく異なるイメージです」(記者A・以下同)
全体的につゆは多めだという。
「ノーマルな状態で“つゆだく”といった感じですね。ご飯もちょっと柔らかめなのか、食べ進めていった最後のほうは、おじやのような状態になりました。お箸でかき込むというよりも、スプーンですくったほうが食べやすいかもしれません。また“具の大盛り”というだけあって、たしかにボリューム感はバッチリ。味の濃さも相まって、食べごたえは十分だと思います」
https://www.moneypost.jp/589234
◎一体感バツグンなローソンの牛丼
写真◆ローソン『コク旨醤油仕立て!牛丼』
ローソンでは『コク旨醤油仕立て!牛丼』(税別398円)が販売されている。こちらはセブン-イレブンの牛丼とは違い、直盛り。電子レンジで温めてそのまま食べるスタイルだ。
「チェーン店の牛丼に比べると、お肉はかなり細かくカットされています。お肉だけを先に食べてしまうというようなこともなく、最初から最後まで、お肉とご飯をバランスよく食べることができます」
“つゆだく”度でいうと、セブン-イレブンに比べて控えめになっているようだ。
「直盛りなので、ご飯につゆが染みてシャバシャバになりそうなものですが、意外とそんなことはなく、牛丼チェーンで食べる普通の牛丼に近いスタイルです。ナチュラルにつゆだくといった感じでもありません。
また、タレの味については、セブン-イレブンの牛丼は甘くて濃厚な点が特徴的ですが、ローソンの方は旨味が強いイメージ。肉の大きさやつゆの量、そして味の濃さも含めて、一体感があります。まあまあボリュームはあるんですが、そんな一体感のおかげもあってか、一気に食べ終わってしまいました」
カロリーの方は、セブン-イレブンの『熟成肉の特製牛丼 具の大盛』が640kcal、ローソンの『コク旨醤油仕立て!牛丼』は567kcal。ちなみに吉野家の牛丼並盛は652kcal、松屋のプレミアム牛めし並盛は711kcal、すき家の牛丼並盛は733kcalとなっている。
「単純にカロリーだけを見ると、牛丼チェーンの方が高めですが、食べた感覚での“ガッツリ感”は、味が濃い分だけコンビニ牛丼の方が強かった気がします。価格的にはチェーン店の牛丼の方が安めですが、カロリーを抑えられるという点はコンビニ牛丼のメリットかもしれません」
チェーン店とは一味違うコンビニの牛丼。その魅力を探求するのも面白いかも?
https://www.moneypost.jp/589234/2/
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┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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1981(昭和56)年10月06日(火) エジプトのサダト大統領が暗殺される ⇒ 軍事パレードを観閲中のエジプトのサダト大統領が、イスラム復興主義過激派の兵士らに暗殺された。同大統領はイスラエルとの単独和平締結や、国内の反対派への強硬な取り締まりなどで、国民から反発を受けていた。写真は大統領に発砲するエジプト軍兵士【AFP時事】
1969(昭和44)年10月06日(月) 千葉県松戸市が市民の声に素早く対応する「すぐやる課」を設置 ※2020(令和二)年記事追加
1976(昭和51)年10月06日(水) 中国で江青ら4人組が逮捕され、文化大革命が終了 ※2020(令和二)年記事追加
2007(平成19)年10月06日(土) ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤被害者の結合双生児の兄グエン・ベトさん死去 ※2020(令和二)年記事削除
2015(平成27)年10月06日(火) 梶田隆章氏にノーベル物理学賞。日本人の同賞受賞は11人目 ※2020(令和二)年記事削除
https://www.jiji.com/jc/daily
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┃ 王貞治 節目の記録 ┃
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‡1970(昭和45)年10月06日(火) 1500安打 対広島東洋カープ21回戦 広島市民球場 4回表に外木場義郎から右越ソロ ※史上27人目
‡1969(昭和44)年10月06日(日) 1000打点 対大洋ホエールズ25回戦 川崎球場 8回表に平松政次から右前適時打 ※史上7人目
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https://ja.wikipedia.org/wiki/王貞治
https://www.uta-net.com/song/2025
https://www.uta-net.com/song/78844
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①┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡1996(平成八)年10月6日(日) 11.5ゲーム差からの大逆転! 長嶋巨人のメークドラマが完結
‡2017(平成29)年10月6日(金) 7:05
写真◆優勝を決め、マウンドで絶叫する川口
このゲーム差を超える逆転劇もあるのだが、大差をつけられた2位チームの優勝の可能性を語る際、必ず出てくるのが「メークドラマ」という言葉だ。
1996(平成八)年のセントラル・リーグの激闘の中で一時、首位・広島に11.5ゲーム差をつけられた巨人・長嶋茂雄監督が口にした言葉で、いわゆる和製英語だが、長嶋監督もそれを知りつつ「ファンに親しみやすい言葉だったから」と使い続けた。
選手も、マスコミも、ファンも、この「長嶋マジック」に乗り、日に日に「まだいける!」という雰囲気に変わっていった。斎藤雅樹、ガルベスが先発の軸となり、仁志敏久、清水隆行の新人コンビが躍動、松井秀喜のバットも活躍……結果論で申し訳ないが、そもそも、この戦力で負けるはずがなかった、とも言えるだろう。
‡1996(平成八)年10月6日(日)は、その大逆転劇が完結した日だ。ナゴヤ球場での中日戦。この試合まで3日間、試合がなかった巨人に対し、2位につけていた中日は前日までに6連勝と勢いがあった。
しかし、巨人は強い。大森剛のソロ、マックの3ラン、清水のソロの本塁打で挙げた5点を宮本和知、木田優夫、河野博文、水野雄仁、川口和久のリレーが2失点で抑えて守り切り、勝利。胴上げ投手となった川口は、マウンドで雄たけびをあげ、グラウンドを1周する際は号泣していた。
1995(平成七)年にFAで広島から加入した左腕。1年目は思うような活躍ができず、優勝を逸した戦犯のように言われた。この年も故障に苦しみ、ついに先発からリリーフ転向。体も一から作り直した。夏場の復帰後は抑えとして大活躍し、この日、最後に投げるのも長嶋監督から試合前のホテルで告げられていたという。おそらくは、長嶋監督からの復活のご褒美だったのだろう。
「2アウトの時点で、最後は、どういうポーズが一番いいのかなって思ったけど、結局、頭が真っ白になって涙が止まらなくなった。それだけ懸けるものがあった年です」と、のちの川口。試合後の長嶋監督は、「今年は選手のパワーに乗ってやってきました。選手に助けられての優勝です」と言って、満面の笑みを浮かべた。
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②┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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1989(平成元)年10月12日(木) 奇跡の逆転優勝に導いたブライアント4連発
2017(平成29)年10月12日(木) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月12日だ。
◎崖っぷちからの逆襲
写真◆3打席連続弾のシーン。手前でマウンドにヒザを着いているのが渡辺久
前年の1988(昭和63)年、あの「10.19(水)」で時間との戦いにも敗れ、つかみかけていた優勝を2厘差で逃した近鉄バファローズ。その途方もない虚しさと悔しさから、翌89年を前に、個性派ぞろいの、いてまえ男たちが「今年こそは優勝!」と一つになった。
しかし、ケガ人の続出に加え、22試合連続三振もあった四番・ブライアントの不振もあって出足でつまずく。対して破壊力満点の“ブルーサンダー打線”を擁する新生オリックス・ブレーブスが独走態勢を固めていた。
それでも夏場に入り、近鉄はブライアントの復調もあって猛烈な追い上げを見せ、ついにはオリックス、近鉄、西武の三つ巴の混戦にもつれ込んだ。最初に脱落したのが
1989(平成元)年10月5日(木)にオリックスに敗れ、自力優勝が消滅した近鉄と思われた。
その日、近鉄グループの総帥・佐伯勇が死去の悲報も届く。一時期を除き、創設以来ずっとオーナーの座にあって、弱かった時代に「近鉄グループのお荷物」と批判があっても「ドラ息子だが、かわいいところもある」とかばい続けた人物だ。
喪章をつけて戦った翌
‡1989(平成元)年10月06日(金)のオリックス戦(藤井寺)から奇跡が始まる。1対2から9回裏二死に同点に追いつき、10回裏リベラがサヨナラ本塁打。仰木彬監督は「オーナーが見守ってくれたんでしょう」と声を震わせた。
◎1人で3本塁打
その後、
1989(平成元)年10月10日(火)までの5連勝で近鉄は自力優勝が復活。この時点で1位・西武、2位・近鉄、3位・オリックスとなったが、近鉄、オリックスとも西武とのゲーム差はわずか1だった。翌
1989(平成元)年10月11日(水)、西武─近鉄戦は雨で試合中止。日程が詰まっていたこともあって、
1989(平成元)年10月12日(木)が対西武のダブルヘッダー(西武)となった。
まず第1試合、近鉄は、西武の辻発彦に2ランを浴びるなど、3回までに0対4とリードを許す。4回に四番・ブライアントが46号ソロを放つも、5回裏に1点を返され、1対5で迎えた6回表だった。
この回、西武先発の郭泰源が突然崩れ、無死満塁でブライアントに回る。マウンドに行った森祇晶監督は「歩かせてもいいから。初球は必ずボールで」と指示したが、ブライアントは吸い込まれるように入った高めの甘いスライダーをとらえ、満塁弾。5対5と振り出しに戻った。
8回から西武・渡辺久信がマウンドに上がったとき、スタンドから少しざわめきが起こった。2日前の近鉄戦で8イニング131球を投げ、2対2からの8回にリベラに決勝本塁打を浴びていたからだ。この年、初めてのリリーフだったが、ブライアントとの相性の良さを見込まれてのスクランブル登板だろう。
そして打席には再びブライアント。渡辺久がカウント2ストライク1ボールから投じた速球だった。ブライアントが豪快なフルスイングをすると、打球はライトスタンド上段に突き刺さり、3打席連続ホームラン。近鉄ベンチから選手が飛び出し、ブライアントを手荒く祝福し、渡辺久は呆然とした表情でマウンドにヒザを着いた。
渡辺は試合後、記者たちに「あの高めの球は今まで打たれていないんだ、クソ」と吐き捨てた。森監督からは「なぜフォークを投げなかったんだ」と詰問されたというが、渡辺久は現役引退会見で「後悔しないように一番自信を持っていた球を投げた」と語っている。
◎ついに悲願達成
これが決勝点となり、近鉄が6対5で勝利。この日、西武が1戦目に勝てばだが、川崎球場で2位のオリックスがロッテと同じくダブルヘッダーを戦っており、オリックスが1試合に負けか引き分けで2戦目での西武優勝の可能性もあったが、ブライアントのバットがそれを打ち砕いた。
2試合目、観客は1試合目よりさらに増えた。「10.19(水)」以来、近鉄ファンは関東圏でも急増。「パ・リーグ元年」と言われ、人気面でもセ・リーグを追い上げ始めた時期だ。
まず近鉄が2点先制も、西武打線が近鉄の先発・阿波野秀幸の立ち上がりを攻め、2対2の同点。そしてブライアントが2打席目でセンター左にホームラン。1打席目は敬遠だったので、4打数連続本塁打となる。勢いに乗った近鉄は15安打、14得点で大勝。ついにマジック2を点灯させた。
1日にして首位を陥落し、3位となった西武・森監督は「想像もせんことになった。でも、これも野球だ」と語り、仰木監督は「あと2勝は考えない。最後の最後まで。130試合全力で戦うという最初からの目標を実現させるだけ」と表情を引き締めた。
歓喜の胴上げは
1989(平成元)年10月14日(土)、本拠地・藤井寺でのダイエー戦で実現する。「10.19」だけでも、「10.12」だけでもなく、「10.19」から「10.14」まで。これが、仰木近鉄が球史に残した、渾身のドラマだ。
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┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 特大号
┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.600 ┃ 80円
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1969(昭和44)年10月06日(月)特大号 乱数表の元祖は近鉄だった?
2019(令和元)年11月29日(金) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎激化するスパイ合戦
写真◆表紙は巨人・柴田勲
今回は『1969年10月6日特大号』。定価は80円。
優勝争いを展開する阪急、近鉄のサイン盗み騒動が激化していたが(いずれも否定はしていた)、そのさなか、9月13日の西鉄─近鉄戦で事件が起こった。
近鉄の佐々木投手が、グラブにサインの解読法を書いたカンニングペーパー、のちの乱数表(知ってますか?)の元祖みたいなヤツを張り付けていたのを審判にとがめられたのだ。
野球規則、「投手のグラブは、そのグラブの色と異なった色のものをグラブにつけてはいけない」に引っかかった。
それでも近鉄はあきらめず、15日の南海戦でもやって、再び審判に注意された。
これは三原脩監督がサイン盗みを恐れ、サインを複雑化したためだった。ただ、相手はいずれも西鉄、南海ではない。優勝を争っていた阪急だ。スパイ団が近鉄が試合をする各球場に来ているという。
「阪急さんはサインを盗んで、解読するのがうまいからね」
と近鉄・三原脩監督。
三原によれば、阪急はスコアボードの隙間からのぞき(これは西宮だけか)、トランシーバーで連絡しているという。
阪急側は逆に「うちはやってない。やっているのは近鉄さん。スコアボードを動かして合図を出している」と主張した。
サイン盗みはパだけではなくセでも噂され、「サインを相手チームに売る選手もいる」と言われた。
このあたりから記事は突然、きな臭くなる。
全国的に野球の賭け屋が増えてきたという話に変わる。そして問題は、彼らが八百長を持ちかけたりしないか……と。
この記事では「八百長するような選手は一人もいない」と断言しながらも、賭け屋が選手に取り入るさまざまな手口を紹介し、さらに、あるチームにトレードで来た選手の例を挙げている。
「キャンプ地で知人を名乗る人が、その選手に10万円を渡そうとしているのを、ほかの選手が見た」というのだ。それを聞いた監督は「なにか仕組まれていそうで気持ち悪くて使えない」と、この年、その選手を使っていない、と。
マスコミは、みんな知っていたのだろう。
阪急を引退したロベルト・バルボンの連載手記「チコのニッポン日記」がスタート。その中に、こんな一文があった。
「キューバの人間は後悔なんかしない。いつもあすを夢見て、明るく笑っています」
野球は楽しくやりたいものだ。
では、また月曜日に。<次回に続く>
備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB
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