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過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(sat)04 May
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 Photo◆Photo published May 4th in Boyfriend magazine. Date and location of shoot unknown.
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 Photo◆♪Please Please Me♪ hits #40 in Los Angeles…
 Photo◆…and Riverside/San Bernardino, California.
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 http://www.multiplusbooks.com/630504.html
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年05月04日(木) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (34日目)
 7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1962(昭和37)年05月04日(金) ライヴ演奏:スター☆クラブ/ハンブルグ (21日目)
⑥1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(1)
 場所:スター・クラブ (Star-Club)
 撮影:ドリス・ケンプフェルト (Doris Laempfert)
 写真◆撮影日は未詳 ピアノを弾いているのはロイ・ヤング (Roy Young)
⑦1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(2)
 場所:スター・クラブ (Star-Club)
 撮影:マンフレッド・ヴァイスリーダー (Manfred Weissleder)
 写真◆1964(昭和39)年03月12日(木)~26日(木)発行FIRST BEATLES COLOURPICとタイトル付『MERSEY BEAT』にカラーで掲載(右)
 1964(昭和39)年03月12日(thu)~26日(thu) The photo to the right appeared in the March 12-26, 1964 issue of Mersey Beat with the caption, "First Beatles Colour Pic".
⑧1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(3)
 場所:スター・クラブ (Star-Club)
 撮影:マンフレッド・ヴァイスリーダー (Manfred Weissleder)
 写真◆ジーン・ヴィンセントとのスナップ
 写真◆クラブの経営者で親友のホルスト・ファッシャー
 写真◆"Ruth"と呼ばれる女性らしい
 写真◆手に持つのは精力剤として当時流行ったプレルディン
⑨1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(4)
 場所:スチュアート・サトクリフのアトリエ (キルヒャー家の屋根裏部屋)
 撮影:アストリッド・キルヒャー (Astrid Kirchherr)
 写真◆右はありし日のスチュアート
 写真◆ジョンはどうしても同じ場所に立つ写真を撮りたがったという
⑩1962(昭和37)年04月13日(金)~05月31日(木) ハンブルグ写真集(5)
 場所:ハンブルグとオッシー (Ostsee) の間の地
 撮影:不明
 写真◆ジェリー&ザ・ペースメーカーズ (Gerry & The Pacemakers) と外に出かけた時のスナップ。
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413_live_StarClub.html
 ⑥https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos1.html
 ⑦https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos2.html
 ⑧https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos3.html
 ⑨https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos4.html
 ⑩https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620413-531_Hanburg_photos5.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  May  04|124
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|5月04日|
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 1961(昭和36)年05月04日(木) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業が4月1日より7月1日まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
 1962(昭和37)年05月04日(金) 3度目のハンブルグ巡業18日目。出演場所はオープンしたばかりのロック専門「スター・クラブ」。1時間演奏して1時間休憩というローテーションで3~4時間演奏した。今回は7週間の巡業で、そのうち2週間はジーン・ビンセントが競演した
 1963(昭和38)年05月04日(土) 4月28日(日)より休暇。ポール、ジョージ、リンゴはカナリア諸島のテネリフェにあるサンタクルーズへ、ジョンとブライアン・エプスタインはスペインへ旅行。
 1964(昭和39)年05月04日(月) 5月02日(土)より長い休暇に入る。ジョンとシンシア、ジョージとパティはタヒチへ、リンゴとモーリーン、ポールとジェーンはヴァージン諸島へ。
 1964(昭和39)年05月26日(火) ジョンとジョージの帰国
 1964(昭和39)年05月27日(水) ポールとリンゴの帰国
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=16992
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/005/0504.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15724577.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(thu)04 May 1961 Hamburg, Germany, The Top Ten Club ※27 March~2 July 1961
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 ┃ THE BEATLES Live 1962 ┃
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‡(fri)04 May 1962 Hamburg, Germany, Star-Club ※13 April~31 May
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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  ┛ THE BEATLES 1967 Mono mixing  ┛Studio 3
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 ┃ ♪MAGICAL MYSTERY TOUR♪ ┃remixes 1-7, from take 9
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  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
 ‡1967(昭和42)年5月4日(thu)
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 https://beatlesdata.info/9/01_magicalmysterytour.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Magical_Mystery_Tour_(song)
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 ┃ ♪SGT PEPPERS LONELY HEARTS CLUB BAND♪  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛1967年2月10日に行われた♪A DAY IN THE LIFE♪のオーケストラ・セッションの際に録音された物を流用。冒頭の観客のざわめきは、アビイ・ロード・スタジオの倉庫にあったライブラリテープ「第28巻:観客の喝采と観客のざわめき、ロイヤル・アルバート・ホールおよびクイーン・エリザベス・ホールにて録音」から流用。次の曲、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」へのつなぎ目部分に挿入された観客の絶叫は、この当時録音だけされて発表の予定もなかった●『ビートルズ・スーパーライヴ!(The Beatles at the Hollywood Bowl)』未CD化から流用されたものである。このオーバーダブを終えて、この曲は完成に至るヨ(=^◇^=)
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 https://beatlesdata.info/8/01_sgtpepperslonelyheartsclubband.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Sgt._Pepper%27s_Lonely_Hearts_Club_Band_(song)
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 ┃ 『The Beatles At The Hollywood Bowl』 ┃
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 Capitol SMAS 11638 - May 6, 1977
 Parlophone EMTV 4 - May 6, 1977
 Music For Pleasure MFP 4156761 - September 3, 1984
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 ┃ 『The Beatles First』             ┃Polydor 236 201 March 19, 1964
‡┃ 『The Beatles Circa 1960 - In The Beginning』 ┃Polydor 24-4504    May 4, 1970
 ┃ 『The Early Years』                    ┃Contour  287001  June 18, 1971
 ┃ 『The Beatles Featuring Tony Sheridan』    ┃Contour CN 2007   June 4, 1976
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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ポール・マッカートニーのお宝楽器
2015年05月04日 執筆者:岩根健一
ポール・マッカートニーが日本を去り、一週間が経った。
今回は49年ぶりの武道館公演もあり、キャンセルされた昨年の公演のリベンジってことでもその盛り上がりは想像どおり、大変なものだった。
彼がステージで手にする楽器には新しい存在もあるが博物館級のお宝楽器も登場する。
まずポールのトレードマークであるヘフナーのバイオリン・ベース 500/1である。1961年にドイツで別注したものを1963年に再びオーダーして作ったサウスポー用のものでリッケンバッカーと並び、多くのビートルズの楽曲で使用された歴史的価値の高い楽器だ。そして2本のエピフォンのギター。ひとつはエピフォン・カジノ E230TDV。1964年に手に入れた62年型のホロウボディだ。「涙の乗車券(Ticket To Ride)」で使用して以来、たくさんのビートルズ楽曲で使われているもので「Taxman」「Drive My Car」などのソロも弾いている。ジョン、ジョージも手に入れたまさに「ビートル・ギター」だ。
そしてもう一つはビートルズというより、ポール的に最重要的なギターでエピフォンFT79 テキサン。彼はこのギターで「Yesterday」を弾き語りしている。「I’ve Just Seen A Face」「Michelle」などで使っているのもこのギターだ。いずれも当時のギブソンが作ったギターでギブソンのセミブランド的な性質もある。
現在のポールのライブではギブソン・レスポール・スタンダード、ギブソンJ185/12、マーティンJ18などのギター(いずれも左用)やマジック・ピアノなども登場しているが、やはり見ものは上記した博物館級の3本だ。テキサンはピックアップを増設してエレクトリック化、カジノは裏面の再塗装など手を入れているようだが、歴史的な楽器が現代のステージで見られることは、ポールが現役であるのと同様すごいことなのだ。
http://music-calendar.jp/2015050401


アメリカで初めてビートルズの曲をラジオで放送した局はどこだ?(その163) 
2018-03-30  
3 これまでの通説に対する異論
(1)これまでの通説は正しいのか? ⇒ この展示では上記のように説明されていましたし、おそらくそれが通説だと思います。ところが、それに異論を唱える説があるのです。つまり、この時よりも前にアメリカでビートルズの曲が放送されていたと主張する説です。ここからは、展示内容とズレますのでご注意下さい。「I Want Hold Your Hand」よりも先に「Please Please Me」がアメリカのいくつかの主要都市で放送されていたという確かな証拠があるとするいくつかの新しい情報が2013年に入って公表されました
(2)Please Please Meが最初だった? ⇒ 歴史家のJ・A・バートレットは、自身のブログで次のように主張しています「数年前に私が研究した結果、ビートルズの曲は、1963年初めにアメリカのラジオで放送されていた。私は、1955年から1996年にかけて行われたラジオ局(現存するのは35,487局)で放送された音楽に関する資料(Airheads Radio Survey Archive)を調査した。それによれば、アメリカのラジオで最初に放送されたのは『Please Please Me』であった。さらに、5つのラジオ局が1963年12月以前に『Please Please Me』を放送したことが明らかとなった。」
「シカゴのWLSでは、
1963年3月8日から
3月15日までにかけて、『Please Please Me』がチャートインし、最高35位に達した。ケント・コタルが徹底的に研究した結果、WLSが
1963年2月の終わり、つまり、海を越えてアメリカでビートルマニア現象が生じたほぼ1年前に、彼らの曲を放送した最初の放送局であるとしている」
その時のチャートがこれです。左側の緑色のチャートを見てください。
3月15日のものでちょっと見づらいですが、確かに35位に「Please Please Me」がチャートインしています。
そしてビートルズのスペルは、ヴィージェイレコードと同じようにTが二つ重なったミススペルになっています
「カリフォルニア州サンベルナルディノのKFXMでは、
4月6日の週間チャートでこの曲がチャートインし、
4月27日、
5月4日、
5月11日でもチャートインした。
4月15日と
22日の週は不明だが、
4月27日の週間チャートの最初で『Please Please Me』と表示されているので、おそらくランクインしなかったと推測される。」
「マイアミのWQAMでは、
4月の最後の2週間、ヒューストンのKNUZでは
5月3日の週、サンフランシスコのKEWBでは、
5月4日にそれぞれチャートインした
コタルの研究の中で最も目を引くのは、イリノイ州ウェスト・フランクフォートにあるWFRXが
1963年6月に『Please Please Me』を放送したと主張していることだ。セントルイス・ポスト・ディスパッチの1997年の記事によると、ジョージ・ハリスンの母親がレコードのコピーをイリノイ州ベントンに住んでいた彼の姉の自宅(ジョージは、ここで
1963年9月に休暇で3週間を過ごした)に送り、彼女は、それを自宅近くのWFRXのDJに渡したとしている」これは、兄のピーターと一緒にルイーズの自宅で休暇を取っていたジョージです。
(3)通説を覆す数々の証拠「さらに、ニューヨークのDJ、マーレー・ザ・K(後にビートルズのアメリカツアーに同行した)は、
1963年9月末にビートルズの曲を放送したと主張している」
「これらの初期の調査結果によると、『Please Please Me』が放送されたと記録されているが、その殆どでバンド名が『The beattles』と誤ったスペルで表記されていた。この誤ったスペルで表記したレコードは、シカゴのヴィージェイレーベルのものである。シカゴの放送局は、地元のレーベルのリリースには特別な注意を払っていた可能性が高いため、WLSの最初の主張の信憑性が高い」
「1963年当時WLS、現在はWLS-FMに籍を置くディック・ビオニディは、自分がビートルズをアメリカで放送した最初のDJだったと長い間主張してきており、彼の主張を覆す証拠は存在しない。」
(4)それでもブレイクしたのはWWDCの放送がきっかけ ⇒ 何だか話がややこしくなってきましたが(^_^;)、これまで通説とされてきた
「1963年12月10日のWWDCが、アメリカで最初にビートルズの曲を放送した」というのは、どうやら事実ではないようです。特に、ラジオ局の多くがバンド名のスペルを「THE BEATTLES」と間違えていたのは、まさしくヴィージェイレコードがプレスした時のミススペルであり、それに気がつかないまま放送したとすれば説明が付きます。それがこのレコードです。ただ、これまでの通説が覆されたとしても、WWDCの放送がアメリカでビートルズがブレイクしたきっかけとなったという事実は揺るぎません。というのも、確かに、それまでにいくつかの放送局でビートルズの曲が実際に放送され、チャートインしていても、それだけでは、本当にブレイクしたとはいえないからです。ケネディ大統領が暗殺されたのは、
1963年11月22日でした。アメリカ国民は、失意のドン底へ叩き落とされたのです。さらに、当時のアメリカは、ヴェトナム戦争の激化、核戦争の恐怖、公民権運動に伴う全米での暴動など暗いニュースばかりでした。そこへビートルズの明るい、それまでにはなかった斬新な曲が登場したから、若者たちが一斉に飛びついたとも分析できます。WWDCの放送直後から、曲にはものすごい反響が寄せられ、レコードは、他の都市のラジオ局にも送られて、同じような大きな反響を巻き起こしました。ここからアメリカでもビートルマニア現象が爆発的に拡大したのです。 
 http://abbeyroad0310.hatenadiary.jp/entry/2018/03/30/220000

 


『ザ・ビートルズ・ スーパー・ライヴ!The Beatles at the Hollywood Bowl』
日本1977年5月20日
イン1977年5月6日
アメ1977年5月4日 
ハリ1964年8月23日
ハリ1965年8月30日 
『Live at the Hollywood Bowlライヴ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル』
9月9日世界同時発売決定!
9 September 2016 
23 August 1964Hollywood Bowl 
29 August 1965, Hollywood Bowl 
30 August 1965, Hollywood Bowl 
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_at_the_Hollywood_Bowl
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 ┃ 『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』 ┃ (sun)23 August 1964 Recording
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛‡(thu)27 August 1964 Stereo mixing
  Studio, Capitol Records, 1750 North Vine Street, Hollywood, California, US.
  All songs from Live Concert at the Hollywood Bowl, August 23. 1964
  01♪Twist And Shout♪
  02♪You Can't Do That♪
  03♪All My Loving♪
  04♪She Loves You♪
  05♪Things We Said Today♪
  06♪Roll Over Beethoven♪
  07♪Can't Buy Me Love♪
  08♪If I Fell♪
  09♪I Want To Hold Your Hand♪
  10♪Boys♪
  11♪A Hard Day's Night♪
  12♪Long Tall Sally♪
  Producer: Voyle Gilmore
  Engineer: Hugh Davies
  2nd Engineer: not assigned
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 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17107
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_at_the_Hollywood_Bowl
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 ┃ 『The Beatles At The Hollywood Bowl』 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 Capitol SMAS 11638 - May 6, 1977
 Parlophone EMTV 4 - May 6, 1977
 Music For Pleasure MFP 4156761 - September 3, 1984
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 音源◆ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ! AT THE HOLLYWOOD BOWL https://youtu.be/X7Jwl-DQlDw
 

 ■削除■音源◆HOLLYWOOD BOWL Concert August 23 1964 THE BEATLES  http://youtu.be/D15ojax_T8k
 Live At The Hollywood Bowl, Los Angeles, CA, USA August 23rd 1964
 01. 00:00 Opening / Twist and Shout
 02. 02:02 You Can't Do That
 03. 04:38 All My Loving
 04. 07:00 She Loves You
 05. 09:33 Things We Said Today
 06. 11:54 Roll Over Beethoven
 07. 14:12 Can't Buy Me Love
 08. 17:00 If I Fell
 09. 19:34 I Want to Hold Your Hand
 10. 22:00 Boys
 11. 24:48 A Hard Day's Night
 12. 27:20 Long Tall Sally

 音源◆"The Beatles At The Hollywood Bowl" (U.S. Stereo Live LP - Capitol) [Full Album] http://youtu.be/lGdWN_N8u8g
 01. 00:00 "Introduction / Twist and Shout"
 02. 01:31 "She's a Woman"
 03. 04:48 "Dizzy Miss Lizzy"
 04. 08:28 "Ticket to Ride"
 05. 10:51 "Can't Buy Me Love"
 06. 13:15 "Things We Said Today"
 07. 15:25 "Roll Over Beethoven"
 08. 17:56 "Boys"
 09. 20:35 "A Hard Day's Night"
 10. 23:41 "Help!"
 11. 26:15 "All My Loving"
 12. 28:28 "She Loves You"
 13. 31:37 "Long Tall Sally"
 

LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL CDを聴いて(その1)
Beatlesのl『LIVE AT THE HOLLYWOOD BOWL』CDも結局HMVの4点セット買いで注文していた。8日に発送され10日午前に届いた(関東圏なら9日に到着していただろう)*映画サントラとして発売された感が強いデザイン 発売までにネットで3曲ほどプロモーション的に聴けた。それらを聴いて受けた印象は「77年のオリジナルLP(以後、旧盤と呼ぶ)とあまり変わらない」と言うものだった。 
今日ようやく商品としてのCDを自分のオーディオで聴けた。4回は繰り返したし、比較のために各国の旧盤やらブートも引っ張り出した。CDを聴いての率直な印象としては、事前にネットで聴いた印象の通り、あんまり旧盤と変わらない。remixで歓声の音量レベルが下げられて、聴きやすくなったというのは間違いではないけれど、正直、旧盤についてもDrumsやボーカルが十分に良い音で録音されていたことはよくわかっていた。特にDrumsは。
旧盤が、「歓声が演奏よりも大きくて聴けなかった」という意見の人もあるようだが、当時どういうアナログオーディオを使って、どれくらいの音量で聴いていたか?これによって印象が大きく変わると思う。
僕の推測だが、もし今回、旧盤のオリジナルマスターをそのまま使用したCDが登場していたとしても、そのように言っている方々はきっと「旧LPよりも聴きやすくなった」と言ってる気がする。
なぜなら旧盤当時の普及クラスのオーディオ機器の(特にアナログ関連の)実力は、現在のCDプレーヤーのそれに比べると、同価格帯の場合実力が劣っていると思われるからだ。
想像するに、ナローレンジな再生音で、ちょうど一番耳につく帯域に歓声が飛び込んできてしまう、みたいな。でも、それはレコードに刻まれた音信号のせいではなく、使用していたオーディオ装置のせいであり、高い実力を持つアナログオーディオで再生すれば、旧盤も(歓声の音量レベルは下げようがないが)問題なく聴けるし、旧盤の音に驚くことだろう。
*デジパックの中は、そっけないデザイン。編集盤『1』から、デザインのクオリティは音楽に反比例して下がっているとは言うものの、今回のCDは実際に音質が向上しているのは事実だ。冒頭の「Here they are the Beatles」のアナウンスから旧盤よりも明らかに音質が向上しているとわかる。マスターの音に近づいたのだ。
推測になるが、旧盤制作時に使用された3トラックのマスターはコピーtapeだったのではなかろうか?今回はCapitol recordsに保管されていた3トラックマスターを使ったとのこと。さらに、77年当時は3トラックを一度アナログのマルチトラックテープ(普通に考えれば24トラック)にコピーし直してマルチトラックでのミキシング・マスタリング作業をしており、そのようなtape to tapeでの作業においても音質劣化が当然発生する。
今回はオリジナルマスターをそのままデジタルに変換しての作業だったなら、旧盤との比較で2世代以上の音質差が生じてもおかしくないだろう。
そのように、オリジナルの3トラックマスターに納められた収録音の音質劣化は旧盤よりも避けられているので、それぞれがより明瞭になり、細かなニュアンスが以前よりもわかるというのも事実だ。
では、今回のミキシングや新たな技術の効果(成果)はどうだったのか?長くなるので、次回に持ち越し。
http://jdanalog.blog111.fc2.com/blog-entry-1041.html
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1964(昭和39)年 8月23日(日)|「よみがえったライブ演奏」
 |2010(平成22)年 8月23日(月)|甲虫日記更新日 No.079
 └─――――――――――――┘
1964年8月~9月、ビートルズは2回目の米国公演に出かける。カナダの3都市を含めた25都市を巡る大規模な演奏旅行の全行程は、2万2千マイルを超えた。その年の2月、「I Want To Hold Your Hand」が全米ナンバー・ワン・ソングに輝き、初の米国公演が実現。ワシントンのD.C.コロシアムとニューヨークのカーネギー・ホールでの歴史的な公演は、英国のポップ・ミュージシャンにとって快挙となる「全米制覇」の象徴的な出来事になった。彼らの勢いは、半年たっても衰えることはなかった。映画「A HARD DAY'S NIGHT」は全米で500以上の映画館で上映され、レコードも大ヒットしていた。ツアーが始まると、舞台にはジョージが「好物だ」と発言したゼリー・ビーンズが雨あられと投げ込まれ、しばしば演奏が中断することもあった。熱狂した女性がステージに押し寄せようとしたことから、演奏の途中でショーが中止されるハプニングも起きた。前売り券は、瞬く間に売り切れた。8月23日にロサンゼルスのハリウッド・ボウルであった公演は、フランク・シナトラとディーン・マーチンですら切符が買えないほどだった、という逸話もある。このハリウッドの丘陵にある野外音楽場でロックンロールが演奏されるのは、それが初めてだった。1万8700人分の入場券は売り切れ、600人以上のファンが会場の外にあふれ、木によじ登って演奏を見ようとしたファンもいた。この異様な雰囲気のなか、駐車場で男児を出産したファンもいたという記録も残っている。巨大な貝のような壁に囲まれた野外音楽場は、音響効果がいいことでも知られていた。キャバーン・クラブでのライブ演奏を録音しようと考えたことがあるジョージ・マーティンは、キャピトル・レコードのエンジニアを手配した。
その夜、演奏されたのは12曲。ジョンの「森の中にようこそ」というあいさつで幕を開けたショーは、「Twist And Shout」で始まり、「Long Tall Sally」で閉じられた。約29分間の演奏すべてが3トラックのテープに収録された。ところが、4日後にテープのミキシング作業を始めたマーティンは、頭を抱えた。「観客の絶叫がまるでジャンボ・ジェット機のエンジンの後ろに置いたマイクで拾ったようなサウンドで全体を覆ってしまった」キャピトルはライブ・レコードのリリースをあきらめなかった。翌65年8月29、30の両日、3回目の米国公演を果たしたビートルズは、再びハリウッド・ボウルでコンサートを開く。そして、その両日ともコンサート全曲が録音された。だが、
1965(昭和40)年8月29日(日)の公演は最初の4曲でポールのボーカルの声が入っていないなど技術的な欠陥が発覚して没になった。
1965(昭和40)年8月30日(月)の公演も、舞台での演奏より観客の悲鳴のほうに圧倒されるような録音だった。結局、ビートルズは発表すべきではない判断した。
 ◎最悪のコンディションのライブ音源。しかしレコード化に… 次のページへ
この歴史的なテープが日の目を見るのは、最初の録音から約13年後の77年5月。EMIの保管室に埋もれていたテープをキャピトルの社長が見つけ、マーティンにレコード化を依頼したのがきっかけだった。しぶしぶテープに耳を傾けたとされるマーティンだが、当時のしびれるような雰囲気と演奏から醸し出されるエネルギーに圧倒され、心を動かされた。ビートルズのスタジオ・エンジニアを担当したジェフ・エメリックの協力を得てテープを磨き直し、レコードとして見事に編集した。アルバム「THE BEATLES AT THE HOLLYWOOD BOWL」は、64年と65年の双方の公演からベスト曲が収録されている。現在では当然とされている、ボーカルや楽器のオーバーダビングが一切されずにオリジナル演奏だけが収められた。
1964(昭和39)年8月23日(日)の公演からは「All My Loving」「She Loves You」「Things We Said Today(今日の誓い)」「Roll Over Beethoven」「Boys」「Long Tall Sally」の6曲。
1965(昭和40)年8月30日(月)の公演からは「Twist And Shout」「She's A Woman」「Dizzy Miss Lizzy」「Ticket To Ride(涙の乗車券)」「Can't Buy Me Love」「A Hard Day's Night」「HELP!」の7曲が選ばれた。
ビートルズ唯一の公認ライブ・レコードは、英国で音楽チャートの1位、米国でも最高3位を記録した。今と比べて音楽に関する情報量が圧倒的に少なかったころ、レコードとはいえ初めてビートルズのライブ演奏を体験した。ジョンがニューヨークのマンションで「主夫」生活をしていたころでもあり、中学生だった僕に「再結成」という淡い夢を抱かせてくれた。 ハリウッド・ボウル公演の録音テープは、ライブ・レコード以外でも使われている。64年11月に米国で発売された企画盤「THE BEATLES STORY」には、「Twist And Shout」が48秒間だけ抜粋されている。このほか
1965(昭和40)年8月15日(日)のシェア・スタジアム公演のテレビ番組用サウンドトラックを修正するため、8月30日のハリウッド・ボウルでのライブ収録テープが使われている。ビートルズのライブ演奏は、その熱狂的な観客の歓声も含めて歴史的ドキュメントとしての価値がある。96年3月に発売されたシングル「Real Love」には、
1965(昭和40)年8月30日(月)に演奏されたもののレコードには収録漏れした「Baby's In Black」が収められた。CD化が待たれる名盤だ。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は9月11日(更新は10日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ シングル「Real Love」は、「Free As A Bird」(95年)に続く第2弾のマキシシングルとしてリリース。「Baby's In Black」に加え、「Yellow Submarine」「Here There And Everywhere」の未公開バージョンが収められた。
 リアル・ラブ 1996年3月4日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/100823.html
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記者は見た!警視庁が秘蔵の「武道館のビートルズ」記録
2018(平成30)年5月4日(金) 19時16分 田中恭太
1966年、日本武道館で行われたビートルズの日本公演=朝日新聞社撮影
 1966年夏、日本武道館であったビートルズの日本公演。「国賓級」といわれた厳重な警備態勢を記録した約35分のフィルムが警視庁に保管されている。大部分は未公開だが、半世紀以上を経た現在、映像の全面公開を求める裁判が続いている。
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 映像は66年6月29日~7月3日に警視庁が撮影したもの。2014年に一部報道で存在が広く知られるようになった。このうち約17秒分は、16年公開のドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ~EIGHT(エイト) DAYS(デイズ) A(ア) WEEK(ウィーク)」にも提供された。
 ビートルズファンで、全国市民オンブズマン連絡会議事務局長の新海聡弁護士(愛知県弁護士会)が「歴史的な資料」として15年、警視庁に情報公開請求をした。
 警視庁は一般人の顔が識別できるなどとして、モザイク処理した上での一部公開を提案したが、新海弁護士は「50年以上前の映像で個人の識別はできない」「一部は映画に提供されており、条例で開示義務がある情報にあたる」などと主張。全面公開を求めて昨年1月に東京地裁に提訴した。
ビートルズの日本公演で熱狂するファン=朝日新聞社撮影
 昨年12月の地裁判決は、映像は鮮明であり「特定の個人を識別できる」などとして請求を棄却した。
 判決を不服として、東京高裁に控訴した新海弁護士は「歴史的にもオープンにされるべき資料。個人情報とは何かが十分に理解されずに、何でも非公開にされているのではないか。情報公開の現状を問題提起したい」と語った。
 警視庁は取材に「現時点では映像を公開する予定はありません。適切に保管していく予定です」としている。
ビートルズの日本公演が行われた武道館は、厳重な警備が敷かれた=朝日新聞社撮影
切り出し画像を記者が裁判所で閲覧
 裁判で、警視庁を管轄する東京都側は、フィルムから切り出した画像70枚を資料として提出している。どんな映像が残っているのか――。東京高裁に確認すると、コピーは無理だが閲覧ならできるという。せめて雰囲気だけでも伝えたいと、ビートルマニアの記者(28)が閲覧し、模写してきた。
 資料には、武道館周辺の警備や…
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