過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 


 音源◆The Beatles - The Evolution Of『Revolver』https://youtu.be/7uF27XTV6Vg
 March 1966 
 22 June 1966
 Revolver, The Beatles' seventh UK long player, was released on 5 August 1966, and three days later in the United States. It ushered in an era in which the group became increasingly interested in exploring production techniques in the studio. The album was released just before The Beatles' final US tour in August 1966. None of its songs, however, were performed live. The group considered many of the songs too complex and unsuitable for live performance, during a time in which they were often unable to even hear themselves play above the screams of audiences.
- He Said He Said (Various Demo Takes)
- She Said She Said (Various Demo Takes)
- Tomorrow Never Knows (Early Tape Loops)
- Tomorrow Never Knows (Take 1)
- Tomorrow Never Knows (Take 3 Basic Track)
- Got To Get You Into My Life (Take 5)
- Paperback Writer (Take 1)
- Paperback Writer (Take 2)
- Rain (Take 5 Original Rhythm Track)
- Rain (Vocal & Bass Overdub)
- Rain (Backwards Vocals)
- And Your Bird Can Sing (Take 2)
- And Your Bird Can Sing (Take 2 With Vocal Overdubs)
- Taxman (Rhythm Track)
- Taxman (Take 11)
- Eleanor Rigby (Take 14 Instrumental)
- Eleanor Rigby (Vocal Track)
- I'm Only Sleeping (Rehearsal Take)
- I'm Only Sleeping (Take 1)
- For No One (Rehearsal Take)
- For No One (Take 1)
- For No One (Take 2)
- For No One (Unknown Take 1)
- For No One (Unknown Take 2)
- For No One (Unknown Take 3)
- For No One (Take 10)
- For No One (Take 14)
- Got To Get You Into My Life (Brass Track)
- Yellow Submarine (Take 1)
- Yellow Submarine (Take 4)
- Yellow Submarine (Rhythm Track)
- Yellow Submarine (Sound Effects)
- Yellow Submarine (Take 5 Intro)
- Good Day Sunshine (Rhythm Track)
- Good Day Sunshine (Vocal Track)
- Here, There And Everywhere (Take 7)
- Here, There And Everywhere (Backing Vocals)
- Tomorrow Never Knows (Final Version)
 

 映像◆ジョンレノン イマジン共作認定https://youtu.be/B_2Zxp14xfI
‡2017(平成29)年06月21日(水) 3,490回視聴
 
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 「ジョンは米政府に殺された」… オノ・ヨーコ、惨劇を回想
 2020(令和二)年12月07日(月) 19:07配信 NIKKEI STYLE 編集委員:小林明
■♪イマジン♪共作が正式認定、ヨーコさんが身を引いた理由とは?■不朽の名作「イマジン」にもエピソードが多い。リリースされた71年から46年後の2017年、同楽曲の共作者としてヨーコさんの名前がクレジットに追加されることが米音楽出版社協会により正式に認められた。生前、ジョン自身もそう希望していたという。ヨーコさんの詩をまとめた作品集「グレープフルーツ」を読めば、「イマジン」の歌詞が明らかに大きな影響を受けていたことがすぐに分かる。「実はあの曲はジョンと私が一緒に作ったのよ。でも、私はそうだとはずっと言わないようにしてきたの。もし私との共作として発表していたら、世界の皆が曲をちゃんと聴いてくれなかったと思うから」楽曲を世界に普及させるために、あえて自分は身を引いたというわけだ。でも正式に「イマジン」の共作者として認められたヨーコさんは視線を上げ、言葉の調子を強め、晴れ晴れとした表情でこう強調してみせた。「まあ、色々なことがあったけど、結局、私は『イマジン』を作るために生まれてきたような気がするのよ……」。ヨーコさんの満足そうな表情と相まって、それはインタビューを通して筆者が感じた最も印象的な言葉だった。
 https://news.yahoo.co.jp/articles/5e268fc6cac4b3ef706f70a62032f178e68f2cb7


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 ┃ 『YESTERDAY イエスタデイ』 ┃
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 2019(令和元)年05月04日(sat) Tribeca Film Festival
‡2019(令和元)年06月21日(fri) UK local premiere, Gorleston Palace cinema
 2019(令和元)年06月28日(fri) UK Released ※wikiUS
 2019(令和元)年10月11日(fri) JP Released
 2019(令和元)年09月13日(fri) Initial release schedule
 2020(令和二)年04月08日(wed) 先行デジタル配信
 2020(令和二)年04月22日(wed) \3,990+TAX BLU-RAY+DVD
 2020(令和二)年04月22日(wed) \3,990+TAX BLU-RAY+4K Ultra HD
 昨日まで、世界中の誰もが
 知っていたビートルズ。
 今日、僕以外の誰も知らない─―。
 あらすじ・・・“イエスタデイ<昨日>”まで、地球上の誰もがザ・ビートルズを知っていた。しかし今日、彼らの名曲を覚えているのは世界で一人、ジャックだけ・・・ジャックは突然、信じられない不思議な世界に身を置くこととなってしまった!ジャックは、イギリスの小さな海辺の町に住む、悩めるシンガーソングライター。幼なじみで親友のエリーから献身的に支えられているもののまったく売れず、音楽で有名になりたいという夢に限界を感じていた。そんな時、世界規模で瞬間的な停電が起こり、彼は交通事故に遭う。昏睡状態から目を覚ますと、この世には史上最も有名なバンド、ザ・ビートルズが存在していなかったことになっていることに気づくが・・・。
 「もしも自分以外の誰もザ・ビートルズを知らない世界になってしまったとしたら!?」
 ダニー・ボイル監督 × 脚本家リチャード・カーティス最新作
 amazon・・・売れないシンガーソングライターのジャックが音楽で有名になるという夢をあきらめた日、12秒 間、世界規模で謎の大停電が発生──。真っ暗闇の中、交通事故に遭ったジャックが昏睡状態から目を覚ますと…あのビートルズが世の中に存在していない世界に! 彼らを知っているのはジャックひとりだけ!? ジャックがビートルズの曲を歌うとライブは大盛況。そしてエド・シーランのツアーのオープニングアクトを任され、ついにメジャーデビューのオファーが舞い込んでくる。思いがけず夢を叶えたかに見えたジャックだったが──。
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 ┃ 『YESTERDAY ORIGINAL MOTION PICTURE SOUNDTRACK』 ┃
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‡2019(令和元)年06月21日(fri) ORIGINAL released
 2019(令和元)年10月02日(wed) JP Released
 レーベル Polydor
  発売元 ユニバーサル ミュージック合同会社
  発売国 日本
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 https://www.universal-music.co.jp/yesterdaymovie/about-movie/
 https://www.universal-music.co.jp/yesterdaymovie/products/uicy-15834/
 https://en.wikipedia.org/wiki/Yesterday_(2019_film)
字https://www.amazon.co.jp/dp/B084WR9GWP
吹https://www.amazon.co.jp/dp/B086868X52
 https://www.nbcuni.co.jp/movie/sp/yesterdaymovie/
 https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=2TdVNAb5#area06
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年06月21日(水) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (82日目)
 7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1962(昭和37)年06月21日(木) ライヴ演奏:タワー・ボールルーム/ワラジー
 これはワラジー (Wallasey) のニュー・ブライトン (New Brighton) にあるタワー・ボールルーム (Tower Ballroom) へのビートルズの15回目の出演であった。このショーはブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) が経営するNEMS (North End Music Store) が主催し、ブルース・チャネル (Bruce Channel) を花形スターとした。彼のヒット曲『Hey! Baby』は最近のチャートでトップ10入りしていた。彼はザ・バロンズ (The Barons) をバックバンドとして、デルバート・マクリントン (Delbert McLinton) のハーモニカを加えている。
 ブルース・チャネル『The Cavern』スペンサー・レイ ⇒ 大勢の子供達がいた。人の海だった。そして僕はデルバートに言った「彼らが僕らを見に来たということは有り得ないよ。」そしてすぐにビートルズはとても人気があることがわかった。デルバートは [キャバーンの] 楽屋でジョン・レノンと一緒だった。彼はデルバートのハープ*に興味を持ったので、デルバートは彼のために何か演奏したが、どうやらジョンはそのアイデアを『Love Me Do』のサウンドに使ったんだね。僕らはジミー・リード (Jimmy Reed) のブルースのレコードでハーモニカを聴いていたし、みんなそれが好きだった。それが『Hey! Baby』にも影響を与えてる。僕らのレコードがビートルズに影響を与え、僕らの音楽が偉大なグループに評価されてると知った時はワクワクしたよ。 
 *ハーモニカの別名
 ブルース・チャネルはこのように主張しているが、ビートルズが『Love Me Do』をレコーディングする時に『Hey! Baby』の影響を受けたとは考えられない。すでに彼らは1962年6月6日にその曲をアビー・ロードで録音しているからである。その後録音し直してレコードリリースされたわけだが、6月6日に録音した未発表のテイクも後に「アンソロジー1」に収録された。
 1962(昭和37)年06月06日に録音したテイクのジョンのハーモニカ部分は、シングルおよびアルバムに収録されたテイクとほぼ同じであるから、デルバート・マクリントンがキャバーンでジョンに何らかの音楽的な教授をしたとしても、また『Love Me Do』と『Hey! Baby』の間に何らかの類似があったとしても、それは単なる偶然ということになる。
 デルバート・マクリントン『The Cavern』スペンサー・レイ ⇒ 僕らは戦争中からの古い救急車でツアーしてたんだが、不精な顔つきになってきたのでひげを剃る場所を見つけなきゃならなかった。特別なアダプターが要るとは知らず電気カミソリは動かない。それで早い時間 [ランチタイム] にキャバーンに行って、冷たい水でひげを剃らなければならなかったのを覚えているよ。リヴァプールのほとんどすべてのバンドは、何かやって見せてくれと僕に頼んできたけど、ジョン・レノンも例外じゃなかった。僕らは2日間居たので僕はジョンにいくつか見せたよ。それ以来彼には会ってないし、あまり深く考えたこともないけど、みんな『Hey! Baby』と『Love Me Do』は似てるって言うね。
 その他の出演者はザ・ビッグ・スリー (The Big Three)、ザ・ステイツメン (The Statesmen)、それにザ・フォー・ジェイズ (The Four Jays) だった。
 撮影者:マイク・マッカートニー
 タワー・ボールルームはニュー・ブライトン遊歩道にあり、5000人の収容能力があった。ニュー・ブライトン・タワー (New Brighten Tower) は1900年にオープンし、567フィートのその高さはブラック・プール・タワー (Blackpool Tower) のそれを凌いだ。1000トンの鉄格子展望タワーはウィラル半島 (Wirral Peninsula) を見下ろし、完成時には英国随一の高層建築物であった。だがその運命は多難であった。第一次大戦中は閉鎖されていたが、その間に腐食が進み安全上の問題から再オープンは断念され、1919年~1921年の間に解体された。しかしタワーの土台部分の建物にあったボールルームは、50年近くに渡って利用されたが、1969年に火災により倒壊している。その跡地はリバー・ビュー・パーク (River View Park) として再開発されている。
 ビートルズはタワー・ボールルームに27回出演しているヨ(=^◇^=)
 1961(昭和36)年11月10日 24日
 1961(昭和36)年12月01日 08日 15日 26日
 1962(昭和37)年01月12日 19日 26日
 1962(昭和37)年02月15日 16日 23日
 1962(昭和37)年03月02日
 1962(昭和37)年04月06日
‡1962(昭和37)年06月21日 29日
 1962(昭和37)年07月13日 21日 27日
 1962(昭和37)年08月17日
 1962(昭和37)年09月14日 21日
 1962(昭和37)年10月12日
 1962(昭和37)年11月23日
 1962(昭和37)年12月01日 07日
 1963(昭和38)年06月14日
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620621_live_Tower_Ballroom.html
  https://music.amazon.co.jp/albums/B00BKB6N3G
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓┌─――――┐
 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  June 21|172
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|6月21日|
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 1960(昭和35)年06月21日(火) ドラムのトミー・ムーアが脱退してしまったために、しばらくはドラマー無しでステージに立つ。
 1961(昭和36)年06月21日(水) 2度の契約更新の後、2度目のハンブルグ巡業が4月1日より7月1日まで行われ、92日間、のべ503時間トップ・テン・クラブのステージに立つ。前回の最初のハンブルグ巡業と並んで、ビートルズのスタミナと実力を飛躍的に向上させた有意義な巡業となった。
 1962(昭和37)年06月21日(木) ワラシーのタワー・ボールルームでコンサート。エプスタインの戦略で、人気アーティストをリヴァプールに呼び、ビートルズを前座として数多く出演させた。この日はひと月ほど前にトップテン・ヒット「Hey Baby」をリリースしたブルース・チャネルがメインだった。チャネルのバックでハーモニカを担当していたデルバート・マクリントンのハーモニカ・プレイにジョンはインスピレーションを受け、初期ビートルズ・サウンドに影響を与えた。
 1963(昭和38)年06月21日(金) ギルドフォードのオデオン・シネマでコンサート
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17040
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/006/0621.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15746104.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.41 P.230 1968年06月21日「曲に託した"暴力否定"」◎♪Revolution 1♪レコーディング完了日◎
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
 ┌─――――――――――――┐
 |1968(昭和43)年 6月21日(金)|「曲に託した「暴力否定」
 |2011(平成23)年 6月21日(火)|甲虫日記更新日 No.092
 └─――――――――――――┘
1968年春、ビートルズは超越瞑想(めいそう)の修行のためにインドを旅した。ツアーをやめて以降、「All You Need Is Love」や「Strawberry Fields Forever」など名作をつくりだしてきたジョンだが、アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND」を制作していた頃は、半ば引きこもりに近い状態だったとされる。そんな時期、環境の変化が再び創作意欲を駆り立てた。「Revolution」は、東洋の異境で次々と書き上げた新曲のひとつである。長い髪を真ん中から分けて丸眼鏡をかけた若者。その風貌(ふうぼう)からジョンは「左翼寄り」と、一般には見られていた。そんな彼が「革命」というタイトルで曲をかけば、反体制側にシンパシーを寄せた内容だと、勝手に期待されたのだろう。ところが、ジョンが「Revolution」で表明したのは、革命家への称賛でも体制を転覆させる企てでもない。価値ある革命は個々の内面の変化によって達成されるべきだとして、「暴力の否定」を宣言したのだ。「どんな種類の平和でも、それを確実に永遠にさせる唯一の方法は、人々の心を変えることだ。それ以外の方法はない」古い権威主義的な価値観と、自由と平等を掲げた新しい価値観。両者が対立した1960年代は、労働者や若者によるデモや騒動が世界各地で頻発した。こうした状況をメディアによる情報で見聞きしていたジョンが、次第に先鋭化していく反体制運動に対して彼なりの回答を曲の形で表現したのだ。「僕は革命について感じたことを表現したいと思った。発言すべき時期だと思った」かつて、記者会見でベトナム戦争を批判したように、政治的なメッセージを曲に託そうとした。ただ、彼自身に迷いがあったのは事実だ。その迷いが批判の対象となり、論争にも発展した。最初の「Revolution」は、68年6月21日に録音が終了した。2枚組の通称「ホワイト・アルバム」に収録された、スロー・バージョンの「Revolution 1」のことだ。ジョンは、「Revolution」がベトナム戦争や革命に対するビートルズの立場表明になると考え、シングルでリリースすべきだと主張した。しかし、ポールとジョージはテンポが遅すぎるからヒット曲にならないと反対した。「ジョンの最高傑作に入らない」とするジョージは、この曲の価値が歌詞にあることは認めるが、「政治意識の強い曲は他にもたくさん世界に出回っていた」と冷静に評価している。ジョンの幼なじみだったピート・ショットンは、政治的なメッセージ・ソングだからこそポールが反対したと推測している。「ポールは根っこからのノンポリだから、ビートルズがそんな重いテーマに手を出すのは気が進まなかったと思うんだ」そこでジョンは、テンポアップして大音量にアレンジしたバージョンを録音することにした。それが、シングル「Hey Jude」のB面に収録された「Revolution」となる。
 ◎二つの「Revolution」、少し違う歌詞が論争の火種に… 次のページへ
この二つのバージョンは曲のテンポの違いだけではなく、ちょっとした歌詞の違いもあって、それが論争のもとになった。問題になったのは、革命とともに起こるであろう破壊活動について触れた1番の歌詞の部分、「When you talk about destruction / don't you know that you can count me out」(破壊活動となれば話は別、悪いけど僕は外してくれ)のくだりだ。スローなアルバム・バージョンでは「count me out」のすぐ後に、「in」(入れてくれ)と続け、どっちつかずの表現になっている。「確信がなかったから、両方入れたんだよ」とジョンは明かす。ところが、テンポアップしたシングル・バージョンには「in」のひと言が続かない。一部の左翼系新聞や雑誌はこの点をほじくり出し、「裏切り」とか「プチ・ブルのなげかわしい泣き言」などと批判した。タイム誌にいたっては、「世界中の過激派を批判した曲」と評した。歌詞を巡って、ジョンはキール大学の学生と往復書簡で意見を交換している。その内容は校内誌に掲載された。「世界を変えるためには、世界のどこがよくないかを理解する必要がある」と息巻く学生は、ジョンの「暴力の否定」について「優しい革命なんてものは存在しないのだ」と痛罵(つうば)を浴びせた。この挑発に「世界のどこが悪いのか、僕が教えてあげよう」とジョンは受けて立ち、「それは人間だよ。君たちは人間を破壊したいのかい」と切り返した。そして続けた。「change your head」(君の頭を変えろ)と。別のインタビューではロシア革命を例に、「体制が破壊されると、こんどは破壊した側が体制になる」と指摘。ジョンは、負の連鎖を繰り返す人間そのものに根本の問題があると言いたかったようだ。「暴力の否定」は、凶弾に倒れるまで貫いた。1980年に受けたインタビューでは、問題になった歌詞の部分を強く意識した、こんなコメントを残している。「暴力のためにやるのなら、僕を外してほしい。花で飾られたバリケードでないかぎり、僕がそこに立つことを期待しないでくれ」
 ◎『この日のビートルズ』の次回は6月29日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ スローテンポの「Revolution 1」が収められている通称「ホワイト・アルバム」には、ジョンがヨーコの影響を受けて作ったとされるサウンド・コラージュ「Revolution 9」もある。シングルカットされた「Revolution」は通称「青盤」の名で親しまれるベスト盤「ザ・ビートルズ 1967~1970」で聴くことができる。
 『The BEATLES (WHITE ALBUM)』2009年09月09日 EMIミュージック・ジャパン
 『The BEATLES 1967~1970』青盤 2010年10月18日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/110621.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
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‡(thu)21 June 1962 The Tower Ballroom, New Brighton
 Photographer: Mike McCartney
 The rather goofy photo below is a bit of a mystery regarding date and location. Typically, I have seen it referenced as simply The Tower Ballroom with no date. One reference source places it on this date. I asked Pete where this was taken. He said "possibly Port Sunlight" (I can't seem to place his reference within the 1961-62 time frame). I'm convinced this is The Tower Ballroom and I'm inclined to go with this date for two simple reasons - George and Pete's shirts. They appear to be the same as the photo to the right. However, John and Paul's hair raises questions. John's hair looks different in the two photos but with it combed back in photo one, it's difficult to tell. On the other hand, Paul's hair looks completely different. I have to question how it looks so different between the two photos.
 写真◆Backstage with Delbert McLinton and Bruce Channel 
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 http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.06.21%20tower/62.07.27tower.html
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 ┃ THE BEATLES Live 1961 ┃
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‡(wed)21 June 1961 Hamburg, Germany, The Top Ten Club ※27 March~2 July 1961
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 ┃ Summer 1963 UK Tour“THE BEATLES SHOW” ┃
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‡No.08 (fri)21 June 1963 Guildford, England, Odeon Cinema 
   Romford & Guilford Concert Programme (UK)£400.00 22:09 2017/03/18 An original concert programme from The Beatles concerts at Romford on 16th June 1963 and Guilford on 21st June 1963. The 8-page programme features a red and white striped cover. It measures 26cm x 20cm (10.25 inches x 8 inches). Condition is excellent.(image of cover may vary slightly)
   https://www.tracks.co.uk/product/b22920-the-beatles-1963-romford-guilford-concert-programme-uk/
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 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_the_Beatles%27_live_performances
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    ┛ THE BEATLES 1966 Stereo mixing  ┛Studio 3 (control room only)
   ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-1:00pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓♪Granny Smith♪ working title of ♪Love You to♪
①┃         ♪Love You to♪ ┃remixes 1-3, from take 07
②┃     ♪I Want to Tell You♪ ┃remixes 1, 2, from take 04
③┃ ♪Here, There and Everywhere♪  ┃remixes 1, 2, from take 14
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
       ┛THE BEATLES 1966 Editing ┛Studio 3 (control room only)
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-1:00pm
 ┏━━━━━━━━━━┓♪Granny Smith♪ working title of ♪Love You to♪
①┃ ♪Love You to♪  ┃of stereo remixes 1-3
 ┗━━━━━━━━━━┛
   ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
    ┛ THE BEATLES 1966 Stereo mixing  ┛Studio 3 (control room only)
   ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00am-1:00pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
③┃ ♪Here, There and Everywhere♪  ┃remixes 2, 3, from take 14
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
     ┛ THE BEATLES 1966 Mono mixing  ┛Studio 3 (control room only)
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-6:30pm
 ┏━━━━━━━━━━┓
④┃   ♪For No One♪ ┃remixes 7, 8, from take 14
⑤┃ ♪Doctor Robert♪ ┃remixes 4-6, from take 7
⑥┃     ♪Taxman♪ ┃remixes 5, 6, from take 12
 ┗━━━━━━━━━━┛♪Taxman♪No.4 ■レコラス(ト)????■モノ・ステレオの両方のミックスダウン時に、エンディングにギターソロ部分が追加される。これは、曲中盤で出てくるギターソロ部分と全く同じものをテープ編集で挿入したもの。このギターソロはジョージの曲にもかかわらずポールが弾いている
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
       ┛THE BEATLES 1966 Editing ┛Studio 3 (control room only)
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-6:30pm
 ┏━━━━━━━━━━┓
⑤┃ ♪Doctor Robert♪ ┃of remix mono 6
⑥┃     ♪Taxman♪ ┃of mono remixes 5, 6
⑥┃     ♪Taxman♪ ┃of stereo remixes 1, 2
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    ┛ THE BEATLES 1966 Stereo mixing  ┛Studio 3 (control room only)
   ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-6:30pm
 ┏━━━━━━━━━━┓
④┃   ♪For No One♪ ┃remix 1, from take 14
⑥┃     ♪Taxman♪ ┃remixes 1, 2, from take 12
 ┗━━━━━━━━━━┛
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  ┛THE BEATLES 1966 Recording Sessions ┛Studio 2
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓takes 1-3, 
⑦┃ ♪She Said She Said♪  ┃tape reduction take 3 into take 4,
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛overdub onto take 4
  ♪Untitled♪ working title of ♪She Said She Said♪
  ♪She Said She Said♪ gets its title during the session
  ■レコラス(ト)■アビイ・ロード第2スタジオにて録音が開始された。このアルバムのセッションで一番最後に録音された曲である。
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Phil McDonald
 ‡1966(昭和41)年6月21日(tue) 
  Note・・・6月21日と6月22日にかけてステレオ、モノラルのミックスダウンを終わらせてアルバムが完成した。9日後にビートルズは日本公演を行うために日本の地に立つ事になる。この曲は25テイクのリハーサルを繰り返した後に、正規の録音が開始された。 第3テイク目をベストとし、そこにジョンのヴォーカルとジョンとジョージによるコーラスがオーバーダブされる。そしてピンポンで1トラック空けた所に、ジョージのギターとジョンのオルガンを足して完成させた。いずれかの段階で回転操作が加えられていると推測できる。キーAで録音されている(開放弦を多用しているのが判別できる)ものが、半音上のB♭まで上がっている。また、ポール自身が「ジョンと口論してスタジオを飛び出したためにこの曲の録音には参加していない」と発言しているが、確かにベースの音の切り方、フレーズ、音の粒などはポールの物ではない気もする。だからこそ25テイクものリハーサルが必要だったのか?とも推測できる。しかし、高音部分のコーラスはポールに聞こえる(少なくともずっとそう思っていた)ので、これは管理者には判断が付きかねるために保留とさせていただきます。
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 ①https://beatlesdata.info/7/04_loveyouto.html①https://en.wikipedia.org/wiki/Love_You_To
 ②https://beatlesdata.info/7/12_iwanttotellyou.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/I_Want_to_Tell_You
 ③https://beatlesdata.info/7/05_herethereandeverywhere.html
 ③https://en.wikipedia.org/wiki/Here,_There_and_Everywhere
 ④https://beatlesdata.info/7/10_fornoone.html④https://en.wikipedia.org/wiki/For_No_One
 ⑤https://beatlesdata.info/7/11_doctorrobert.html
 ⑤https://en.wikipedia.org/wiki/Doctor_Robert
 ⑥https://beatlesdata.info/7/01_taxman.html⑥https://en.wikipedia.org/wiki/Taxman
 ⑦https://beatlesdata.info/7/07_shesaidshesaid.html
 ⑦https://en.wikipedia.org/wiki/She_Said_She_Said
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 ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Abbey Road, Room 53
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛4:30-5:00pm
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 ┃ ♪All You Need Is Love (愛こそはすべて)♪  ┃remix 1, from take 10
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  Producer: George Martin
  Engineer: Malcolm Addey
  2nd Engineer: Phil McDonald
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 ┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 3 (control room only)
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00-11:30pm
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 ┃ ♪All You Need Is Love (愛こそはすべて)♪  ┃demo remix, unnumbered
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
 ‡1967(昭和42)年6月21日(wed)
  Demo remix of ♪All You Need Is Love♪ for Derek Burrell Davis, director of the BBC crew for the transmision of『Our World』
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 https://beatlesdata.info/9/11_allyouneedislove.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/All_You_Need_Is_Love
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  ┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:30-9:00pm
 ┏━━━━━━━━━━┓ overdub onto take 20,
①┃ ♪Revolution 1♪ ┃tape reduction take 20 into takes 21, 22, 
 ┗━━━━━━━━━━┛          overdub onto take 22
  ♪Revolution♪ working title of ♪Revolution 1♪
     Recording of brasses for ♪Revolution 1♪
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush/Nick Webb

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  ┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00pm-3:30am
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②┃ ♪Revolution 9♪  ┃overdub onto master version
 ┗━━━━━━━━━━━┛No.5 アビイ・ロード第2スタジオ。この日は「レボリューション1」のホーンセクションのオーバーダブセッションも行われている。ジョンとジョージはサウンド・エフェクトの最終オーバーダブを施した(おそらく、レボリューション1の後半部分の「rrrrright!」の叫び声などをミックスする事を思いついたのだろう)
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    ┛THE BEATLES 1968 Stereo mixing ┛Studio 2
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛10:00pm-3:30am
 ┏━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Revolution 1♪  ┃remixes 1-7, from take 22
②┃ ♪Revolution 9♪  ┃remixes 1, 2, from master version
 ┗━━━━━━━━━━━┛
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
 ‡1968(昭和43)年6月21日(fri)
  Paul announces that the next records will be edited by the label Apple throughout the world, at Capitol's convention in Hollywood
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 https://beatlesdata.info/11/08_revolution1.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_(Beatles_song)
 https://beatlesdata.info/11/12_revolution9.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_9
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 ┃ 『Londra Ultima Ora』  ┃  recorded (fri)June 18, 1965
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛‡Broadcast (wed)June 23, 1965
  Italian radio program, with interview on the Beatles 
  http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17037
  http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17042
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓http://www.oricon.co.jp/news/25384/
 ┃ 究極のビートルズ来日賞味法!ビートルズが日本に与えたもの ┃◆2006(平成18)年06月21日(水) 14時00分
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛文/宮永正隆(著述家・ビートルズ大学学長)
 写真◇ビートルズ来日公演のパンフレット
 写真◇ビートルズが宿泊した日本唯一のホテル、キャピトル東急ホテル 
【来日前】1966年4月27日、読売新聞に社告が出された。「世界最高の人気グループ ザ・ビートルズを招く 6月下旬、東京で演奏会」。日本の大人社会はビートルズを大変なものと誤解して大騒ぎとなった。女のような長い髪、ギターをかき鳴らして演奏するのは音楽というより騒音、コンサート会場では客は演奏も聴かずに立ち上がり半狂乱、行く先々では暴動まで起きている…。  そうなのだ。ビートルズ来日は最近の出来事にたとえるなら、ヨン様やベッカム様ではない。「ワールドカップでフーリガンが上陸」というニュースに「オウム信者急増中」「キレる若者」といったニュースまで合わさったような大変なものだったのだ。その一方で「なぜかイギリスでは女王から勲章までもらっている国賓だから失礼にも扱えん」という、日本の大人社会にとって訳の分からない存在であった。  仕方なく日本はこういう対応をすることにした。――英国の珍しいカブトムシが世界巡業で日本にもやってくる。観客が殺到してカブトムシに何かあっては大変、カブト虫のバイ菌で日本人が汚染されても大変。よって滞日中の数日間はカゴから一切出さぬよう厳重警備せよ――  これがビートルズ来日を賞味する極意である。この視点さえ腑に落としておけばさまざまな狂騒が読み解けるだろう。学校が「ビートルズ公演に行けば処分する」と通告したのも、警視庁がビートルズ特別補導体制をしいたのも、右翼が「青少年を不良化させるビートルズを日本から叩き出せ」と街宣して回ったのも、そういうわけだったのだ。    
【6月29日】本当はビートルズの到着は28日夕方を予定していた。しかし台風4号が日本を直撃したため、11時間遅れの29日午前3時44分となった。この台風が「ビートルズ到着の騒乱を防いだ神風」とまで表現された理由もここまで読んだあなたには今やすっかり理解できるだろう。  送迎デッキからはるか離れた特別エリアに到着した飛行機。はっぴ姿で姿を見せたビートルズは、タラップで写真撮影をすませ、下に待機していたキャデラックに乗って走り去った。交通規制された首都高をパトカーの先導で走りぬけ、東京ヒルトンへと直行したのである。ビートルズが乗ってきた日航機の客室乗務員たちが記者会見を開いたが「皆さん、ジェントルな英国紳士でした」という談話ばかりでマスコミは拍子抜けした。ビートルズの落花狼藉ぶりを期待していたのだ。  その日の午後、ビートルズの記者会見が東京ヒルトン真珠の間にて行われた。まるで裁判のような代表質問形式に面食らいながらも、ビートルズは大人社会が繰り出す質問に答えていった。「ビートルズ公演に武道館を使用することは伝統的な日本武道の精神に反するという意見もあるが……」という質問にポールは聡明にこう答えた。「もし日本の舞踏団がイギリスの王立劇場に出演してもイギリスの伝統を汚すことにはならない。僕たちの国にも伝統はある。それに僕らはそこでやってほしいと依頼されたのだ」。ジョンも横から付け加える。「少なくとも取っ組み合いより平和的さ」。  午後5時頃、ビートルズが滞在したプレジデンシャルスイートを東芝レコードの石坂範一郎専務、ビートルズ担当・高島弘之ディレクターとともに加山雄三が訪問した。ビートルズは加山雄三の最新アルバム『ハワイの休日』を一緒に聴き、すき焼きを食べて過ごしたようだ。
【6月30日】この日、プロモーターである共同企画(現・キョードー)代表・永島達司氏は、鎌倉から箱根へのドライブを予定していた。しかし前夜に警視庁から「ビートルズを外に出すことまかりならぬ。もしそれに従わねば警備に責任を負わない」と強く言い渡され中止となった。ビートルズは囚人でもないのに牢獄のような5日間を送ることとなったのだ。コンサートはこの日の夜の部から始まり、昼夜・昼夜と全5回開催された。  司会はE・H・エリック。前座の出演者は、尾藤イサオ 内田裕也 望月浩 桜井五郎 ジャッキー吉川とブルーコメッツ ブルー・ジーンズ ザ・ドリフターズ(以上、パンフレット記載順)。連日、客席にはビートルズというものを見てみようと作家や芸能人の姿も見受けられた。当時の雑誌やスポーツ新聞からざっと挙げれば、大仏次郎、三島由紀夫、加山雄三、二谷英明、中村八大、大島渚、司葉子、安倍寧、加賀まりこ、田宮二郎、川内康範、野坂昭如、草柳大蔵、青島幸男、遠藤周作、北杜夫という名が連なる。もちろん当時のGS(グループサウンズ)も大挙して観にいった。  コンサートはシングルB面曲やアルバムのみの収録曲まで盛り込んだ本格的な選曲だった。1曲目にカバー曲「ロックンロール・ミュージック」を据えたのは、もしかするとそれが日本でいちばん売れていたビートルズのシングルだったことが関係しているのかもしれない。「デイ・トリッパー」「ノーウェア・マン」そして最新シングル「ペイパーバック・ライター」のように、演奏するだけでも複雑な曲を笑顔でやすやすと歌う姿に同業者たちは腰を抜かした。  この日の公演はテレビ収録されたが、マネージャーのブライアン・エプスタインはそれをNGにした。マイクの首が固定されておらずグルグル回りっぱなしだったことも大きな理由だろうが、「もっと客席の反応を映すように、客席の歓声ももっと拾うように」と注文を出したそうだ。ロックのコンサート映像はどうあるべきか、日本のテレビ局が世界の最前線から伝授された瞬間である。
【7月 1日】この日の昼公演が、夜9時から『ザ・ビートルズ日本公演』として日本テレビで放映された。視聴率は59.8%。ワールドカップやWBCのように国民の関心を寄せた出来事なのである。 
【7月 2日】星加ルミ子氏がプレジデンシャルスイートを訪れる。部屋でくつろぐ4人を紹介した日本の雑誌はこの『ミュージック・ライフ』が唯一である。  なんといっても私が重要視するのは、羽織を着て「シェー!」(赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』の登場人物「イヤミ」が行うギャグで1960年代に日本全国を席捲した)をするジョンの写真だ。日本の漫画は独自の発展を遂げ、今や世界中が賞賛する文化となっている。この写真は、日本文化とビートルズが接点を持った貴重な記録といえよう。来日の醍醐味ここにあり。  星加氏も加山雄三も、部屋でビートルズが絵を描いて過ごす姿を目撃している。退屈しのぎにみんなで絵を描くとはなんと文化的なバンドだろうか。イギリス人だからという問題ではないはずだ。こうしてあっという間の4日間がすぎ、この翌朝ビートルズは次の公演地マニラへと向かった……。 台風一過の、夏の始まりの日のようないつまでも瑞々しく若々しいビートルズ それから40年。日本はめざましい経済成長を遂げ、今では世界のトップスターが次々と訪れる先進国となった。洋楽のリスナー人口もビートルズ来日を契機として格段に増加し、今や国際的に重要なマーケットとなっている。ビートルズによって初めて音楽コンサートに使用された武道館は、世界のミュージシャンの憧れの場となって現在に至る。ビートルズが滞在した東京ヒルトンは、キャピトル東急ホテルと改称しその姿を保って存在していたが今年11月末の取り壊しが決定し、ビートルズ来日回顧を大々的に行う。  ビートルズのビジュアルイメージは日本の歌謡界にも影響を及ぼした。それがGSである。もちろん来日前から活動していたGSもいるが、百花繚乱の全盛期はやはり翌67年だろう。この年のレコード大賞をブルーコメッツが受賞しているのは象徴的だ(長髪でなかったブルーコメッツだけは紅白にも出場した。ジャズベーシックのバンドゆえ、いろんな意味で大人社会も許容できる本格派と位置づけられていたのだ)。67年にビートルズがリリースした『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の軍楽隊の服装をGSはミリタリー・ルックと呼んでこぞって取り入れた。GSのアイドルとしての全盛期に、本家ビートルズのほうは口ひげをはやし哲学者のような風貌でアイドルを脱皮していたのは皮肉な状況でもあった。ビートルズの置き土産はまだある。和製カバーポップスの終焉である。東京ビートルズを聴けば明らかなように、ロックに日本語が乗らなくなったのである。この“ロックに日本語が乗らない”という認識が当たり前になった頃、はっぴいえんどが登場し“日本語とロックの融合”を成し遂げた。すべての“J-POP”の出発点であり、各メンバー(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)が今なお多大な影響をシーンに与え続けていること、知的で諧謔味にあふれているバンドだったこと、エンジニアリングまで追求したこと等も含め、“日本のビートルズ”と位置づけて過言ではないだろう。ビートルズはその後も人々を魅了しつづけ、ポールやリンゴのコンサートには親子3代に渡る客層が詰めかけている。21世紀最初のアルバムチャートは世界各国で『ビートルズ1』が1位に輝いた。 いつまでも古びない音楽を形容する言葉はいろいろ存在する。“スタンダード”、“クラシック”……ビートルズには“エヴァーグリーン”という言葉がふさわしい。台風一過の、あの夏の始まりの日のようないつまでも瑞々しく若々しいスピリッツである。 現在よりずっと父権が強かった時代の大人社会にとって“若者をたぶらかしている、けしからんもの”であったビートルズは、今や音楽の教科書にも載っている存在である。当時のビートルズファンが願った“早く自分たちが世の中を動かせる立場になればいいのに”という社会が現実化したのだ。今の親は、歴史始まって以来の“ロックを聴いて育った親”である。その子供たちは生まれながらにしてロックが流れている家庭に育ち、作り出す音楽には古今東西のロックが自然に内包されている。ビートルズ来日で日本に蒔かれた種子からどんな花々が育っていくかこれからも賞味していきたい。  これをご覧になっているメディア関係者・芸能関係者各位においては、この機会に自社の「ビートルズ来日アーカイヴ」を余すところなく把握していただければ幸いである。貴重な過去のコンテンツを“宝の持ち腐れ”にすることなく、当時のまま又は新しい切り口で呈示していくことは今後ますます問われていく機能となるだろう。ビートルズをキーワードに日本の変化をさまざまな形で検証できれば次の40年は一層輝かしいものとなるに違いない。 

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 ┃ The Beatles Forever '83 ┃83-05
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 1983(昭和58)年05月21日(土) 発売 
 1)『プリーズ・プリーズ・ミー』
 2)『ウィズ・ザ・ビートルズ』 
 3)『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』
 4)『ビートルズ・フォー・セール』 
 5)『4人はアイドル』
 6)『ラバー・ソウル』
 7)『リボルバー』
 8)『オールディーズ』 
 9)『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
 10)『ザ・ビートルズ』★
 11)『イエロー・サブマリン』
 12)『アビイ・ロード』
 13)『レット・イット・ビー』
 14)『ザ・ビートルズ/1962年~1966年』★
 15)『ザ・ビートルズ/1967年~1970年』★
‡1983(昭和58)年06月21日(火) 発売 
 16)『ミート・ザ・ビートルズ』
 17)『ザ・ビートルズ・セカンド・アルバム』
 18)『サムシング・ニュー』
 19)『ビートルズ物語』★
 20)『アーリー・ビートルズ』
 21)『ビートルズ VI』
 22)『ヘルプ(4人はアイドル)』
 23)『イエスタデイ・アンド・トゥデイ』
 24)『マジカル・ミステリー・ツアー』
 25)『ヘイ・ジュード』
 1983(昭和58)年10月21日(金) 発売 
 26)『ビートルズ!』
 27)『ビートルズ No.2!』
 28)『ビートルズ No.5!』 
 29)『ロックン・ロール・ミュージック』★
 30)『スーパー・ライヴ!』
 1983(昭和58)年11月21日(月) 発売
 31)『ラヴ・ソングス』■
  32)『グレイテスト・ヒッツ』
 33)『ザ・ビートルズ・ビート』
 34)『レアリティーズ』○
 35)『レアリティーズ Vol.2』
 36)『バラード・ベスト20』□
 37)『ロックン・ロール・ミュージック Vol.1』●
 38)『ロックン・ロール・ミュージック Vol.2』●
 39)『ザ・ビートルズ・ボックス』<好評発売㊥> \18,400
 40)『リール・ミュージック』
 41)『ビートルズ・イン・イタリー』
 42)『20グレイテスト・ヒッツ』□  
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 無印 \2,500 ○印 \2,000 ●印 \2,300
 □印 \2,800 ■印 \3,600 ★印 \4,400
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
 ㊤↑The Beatles Forever わし所有乾電池情報(=^◇^=)
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