過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 


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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年07月02日(日) 移動:ハンブルグからリヴァプール
 2度目のハンブルグ滞在でトップ・テン・クラブ (Top Ten Club) における連続92日におよぶ出演を終えた後、ビートルズは
‡7月02日(日)~03日(月)の旅を経てリヴァプールに帰る。その旅程は前回の帰国に比べれば、逮捕も国外追放もない実に平穏なものであった。彼らは丸3ヶ月無休で働いていたため、
 7月04日(火)から12日(水)まで9日間の休暇を取り、7月13日(木)に帰国後初のステージに上る。 
②1962(昭和37)年07月03日(火) ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610702_travel_hamburg_liverpool.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  July 03|184
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|7月03日|
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 1960(昭和35)年07月03日(土) 自ら面倒を見ていたシルヴァー・ビートルズを含むいくつかのバンドのデモ・テープを持ってハンブルグのクラブに売り込むためにドイツに渡っていたアラン・ウィリアムズだが、肝心のテープの音が消えてしまい、売り込みに失敗してリヴァプールに戻った。
 1961(昭和36)年07月03日(日) 3か月のハンブルグ巡業を終えて、前日にハンブルグを出発してこの日リヴァプールへ戻った。
 1962(昭和37)年07月03日(月) キャバーン・クラブでランチタイムのステージで演奏。
 1963(昭和38)年07月03日(火) マンチェスターのプレイハウス・シアターで、BBCのラジオ番組「ザ・ビート・ショー」の収録。午後4時からリハーサルを開始。午後8時から9時にかけて観客の入った会場で収録された。セットリスト「From Me To You」「A Taste Of Honey」「Twist And Shout」。
********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17052
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/007/0703.html
 https://blogs.yahoo.co.jp/fab4city/15751106.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 ┃ THE BEATLES of 1963  ┃(thu)16 May
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 Television performance (live):『Pops And Lenny』
 Television Theatre, Shepherd's Bush Green, London
 rehearsal: 1.30 pm
 broadcast: 5.00 pm - 5.30 pm, BBC
 ♪From Me To You♪
 ♪Please Please Me♪ (truncated to 1:05)
 After You've Gone (with host Terry Hall, guests Patsy Ann Noble, the Raindrops, and the Bert Hayes Octet)
 "Going for a song 
 ONE Liverpool woman is in for a windfall thanks to the discovery of some rare 60s photos. 
 They capture an early appearance of The Beatles on a 1963 telly show called Pops and Lenny. 
 The Beatles sang From Me To You, a short version of Please Please Me and they also joined the star - Lenny the Lion and his ventriloquist boss Terry Hall for a song called After You've Gone. 
 The woman from North Liverpool was only 13 at the time when she snapped the Fab Four as she watched them on the TV. Now the photographs are expected to fetch hundreds of pounds at auction. 
 The owner, who wishes to remain anonymous, has kept them safe ever since but has now put the originals - sadly there are no negatives - up for auction at this year's Beatles sale in Lipa as part of the Beatles Convention week. 
 Stephen Bailey, manager of the Beatle Shop, who coordinates the massive memorabilia sale on August 23 says they are quite a find. "There's a lot of collectors who would love to have these snaps. I expect all eight will have a collective starting price of £600. We always check with Beatle valuers and archive experts such as author Keith Badman who did a trawl of all Beatle footage for Apple in 1992 and this show has never surfaced. The BBC may have a Lenny the Lion tape from 1963 but it will not have The Beatles on it." 
 The insider contacted the vast BBC Archive department in London who said they did have one listing of an edition of Pops and Lenny but no details of just who was actually on their only edition of the long-running series. 
 Adds Stephen from The Beatle Shop: "It certainly won't have The Beatles on it. The BBC rarely kept tapes in the early 60s. If they did have the tape with The Beatles - it would be priceless. But I am confident these snaps are the only record - a piece of history.""
‡Source: Liverpool Echo, (thu)3 July 2003
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 http://www.multiplusbooks.com/630516.html
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1966(昭和41)年 7月 5日(火)|「恐怖と混乱 マニラ脱出劇」
 |2009(平成21)年 7月 3日(金)|甲虫日記更新日 No.052
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「人生であれほど恐怖を覚えたことはなかった。もう二度と行かない」(ジョージ)
「今はあそこの上空を飛ぶことすら嫌だ」(ジョン)
「あそこにもう一度行くかって? 冗談じゃない!」(リンゴ)
「絶対にあそこには行きたくない」(ポール)
ビートルズが恐怖におののく「あそこ」とは、1966年7月5日、這々の体で空港を飛び立ったフィリピンの首都マニラのことだ。
7月3日、日本公演を終えたビートルズは香港を経由してマニラに上陸する。翌4日、リサール・メモリアル・フットボール・スタジアムで2回の公演を予定していた。
ジョージは、誰かがホテルの部屋のドアを叩く音で起こされた。
「何している。君たちは宮殿に行くはずじゃないか。テレビをつけてみろ」
マラカニアン宮殿からの生中継だった。長い大理石の廊下の両脇に、ずらっと人が並び、大勢の子どもたちが待っている。テレビのコメンテーターが説明する。「まだ現れません。ビートルズはもう到着するはずですが」
ジョージは呆然とテレビ画面をみつめるしかなかった。
宮殿の主は、前年の大統領選挙で当選したフェルディナンド・マルコス。86年の人民革命で打倒されるまで、事実上の独裁者として君臨した。
朝食が部屋に運ばれるのを待っていたジョンとリンゴも、その恐ろしい番組をみることになる。
「マダム・マルコスが叫んでいるんだ、『私は侮辱された』って。カメラマンは空っぽの皿とか、ちっちゃい子の顔とかアップにして映していた。子どもはみんな泣いているんだ、ビートルズが来てくれなかったって」
ロード・マネジャーのニール・アスピノールと街を見学してホテルに戻ってきたポールは、「大統領官邸に行く約束を忘れたのか」と周囲の男たちに責められた。
ビートルズは金持ちや有名人からの招待を断るのが常だった。
「どういうことなんだ」。ニールはマネジャーのブライアン・エプスタインに訊(たず)ねた。「僕がキャンセルした。出席する予定などなかった」
マニラ公演の興行主ラモン・ラモスがエプスタインに示した日程表には、午後4時にスタジアムに到着する以前の「午後3時に宮殿に赴き、大統領夫人を訪問し、その後スタジアムに向かう」と書かれていた。宮殿訪問は「ビートルズとその一行の了解」に基づくものと強調されていた。
ブライアンは招待を断った。開演2時間前にスタジアムに到着したいと考えていたため、実際は無理な話だった。
ところが、ラモスは、ビートルズが訪問できないことを宮殿側に連絡しなかった。しかも宮殿側が設定した訪問時間は午前11時だった。
 ◎窮地に追い込まれる4人… 次のページへ
午後6時半すぎ、ビートルズは、5万人の観衆を前に1回目の公演を終えてホテルに戻ってきた。
夕方のテレビ・ニュースは、ビートルズがマルコス大統領夫妻と、集まった子どもたちを冷たくあしらった、と伝えていた。その放送を広報担当のトニー・バーロウはぞっとする思いでみた。テレビ局にかけあい、ブライアンにテレビで事情説明する機会を与えるように手配した。
「午後、最初の公演を行う前に宮殿を訪問することを私たちが了解したかに関する問い合わせは、私もビートルズに同行した部下も聞いていません。200人の子どもたちが待っていたことも、今夜のテレビで初めて知りました」
ブライアンによる声明はテレビで読み上げられたが、なぜかブライアンの声は波長が変えられ、聞き取れないほど音質が悪かった。
すでに、ある意図が働き始めていた。
公演は2回とも大成功だった。しかし、翌朝、部屋に届けられた新聞の一面には、「ビートルズ、大統領にひじ鉄」とデカデカと書いてあった。
ブライアンの部下、ヴィック・ルイスの部屋をある男がノックした。税務当局者だった。昨晩の公演にかかる所得税8万ドルの支払いを求めてきた。ルイスは契約書を示し、支払いの義務は興行主にあると説明したが、男はなかなか引き下がらなかった。
英国大使館やホテルには殺害予告の脅迫電話もかかっていた。ホテルから荷物を運ぼうとしても誰も手伝ってくれなかった。ようやく車を見つけ、空港に着くとアロハ・シャツを着た一団がいて、一行を殴ろうと怒鳴りながら拳を振りかざしていた。一方、その向こうでファンの若い子たちが騒いでいた。
「突如として国中が僕らを攻撃してきた」(ジョージ)
警護にあたっていた警官は任務を解かれていた。空港へ入ると、エスカレーターが止まっていた。ポーターらしき人もいなかった。全員が手分けしてアンプやスーツ・ケースを運んだ。そこへブーイングしたり叫んだりする一団が追いかけてきた。ビートルズはとっさに聖職者の集団の後ろに隠れた。
「ここはカトリックの国だ。尼さんを殴ることはしないだろう」(リンゴ)
側近たちはビートルズを守った。ブライアンは蹴られたり顔を殴られたりした。マル・エバンズは数回殴られ、床に倒された。2人とも出血した。お抱え運転手のアルフ・ビックネルは、突き飛ばされて階段から転げ落ち、あばら骨を折った。ルイスは、もし銃撃されたとしても軽傷で済むかも知れないと思い、手を頭の後ろに回して滑走路を走った。
機内に乗り込むと、全員が座席にキスをした。
ところが、離陸直前になってアナウンスが流れた。マル、トニーの2人がターミナルに戻るよう命令された。
「マルは僕の横を抜けていく時に泣き出して、通路で僕の方を向くと『(妻の)リルに愛していると言ってくれ』と言った」(ジョージ)
トニーとマルの入国記録がないから、不法移民と見なされ、出国は許可できないと通告された。結局、ツアーで稼いだ額と同じ金額を「マニラ式出国税」として支払うことで出国が許可された。
「あれでみんな、ツアーに嫌気がさしたんだよ。あれが棺に打ち込まれた最後の釘の1本だったかも知れないね」(ニール)
ビートルズは次の米国公演終了後、公演は一切しないという結論に達した。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は7月17日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ 66年、ビートルズのワールドツアーはやっかいなことが続いた。6月の日本公演は日本武道館の使用をめぐって右翼の猛烈な抗議、マニラ空港での脱出劇、最後の米国公演は「キリスト発言」の謝罪会見。8月に発売されたアルバム・タイトルが「リボルバー=回転式連発銃」なのは、ビートルズが警備にあたった警官の拳銃を目の当たりにしたからだ、という説も流布された。
 リボルバー
 1998(平成十)年03月11日(水) EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090703.html
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 ◎お知らせ ⇒ 映画『HOW I WON THE WAR』は英国でアヴァンギャルドな作品として扱われた。日本では「大勝利」という邦題までつけられたが、公開は見送られ、何度かテレビ放映されたのち。現在は「ジョン・レノンの僕の戦争」のタイトルでDVDが発売されている。
 映画『ジョン・レノンの僕の戦争』
‡2009(平成21)年7月3日(金) 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

 1969/12/17 オンタリオ州ニューサイエンスセンターでは、ジョンとヨーコが
 1970年7月3日~5日にトロントで開催される「平和と詩祭」を発表する記者会見を開催します。
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17219
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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 1965(昭和40)年6月16日(水)
 No.068(09) 1965-06-16(wed) Lennon / BBC-Radio, World Of Books, John Lennon interview about his second book "A Spaniard In The Works." 
 John Lennon Interview: World Of Books 6/16/1965
 This radio interview with John Lennon was recorded on (wed)June 16th, and was later broadcast on 
●(sat)July 3rd as part of the BBC radio program 'The World Of Books.' Lennon was promoting his second book 'A Spaniard In The Works,' which would be released in the UK on (thu)6/24/65
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1965.0616.beatles.html
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 ┏━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE BEAT SHOW』  ┃BBC 25th appearance
 ┗━━━━━━━━━━━┛EMI audition of The Fourmost
 ‡1963/7/3(wed)   rec. 8:00-9:00pm The Playhouse Theatre, Manchester
  1963/7/4(thu) trans. 1:00-1:30pm broadcast
  Recording for BBC's『THE BEAT SHOW』
  ♪From Me To You♪
  ♪A Taste Of Honey♪
  ♪Twist And Shout♪ 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ BBC's radio
 ┃ 『THE WORLD OF BOOKS』 ┃ 1965/6/16(wed)   rec.
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛‡1965/7/03(sat) trans.  broadcast
                 John Discusses with Wilfred De'Ath 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 『THE BEEB'S LOST BEATLES TAPES』 ┃
 ┃   Episode 10: Automatic Pier   ┃29:52 (sat)3 December 1988
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡08.『THE WORLD OF BOOKS』Interview,(sat)3 July 1965
 『HELP!』赤白マフラー写真◆音源◆https://youtu.be/G5HHOfOua_o
 
********* https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
 http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beeb%27s_Lost_Beatles_Tapes
 https://www.youtube.com/playlist?list=PL073eZJnP1VSVL0DHZ-N_GATBFD-ou2eG
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES' 1965 European tour ┃
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 No.01 (sun)20 June 1965   Paris City, France, Palais des Sports (Afternoon)
 No.02 (sun)20 June 1965   Paris City, France, Palais des Sports (Evening)
 No.03 (tue)22 June 1965   Lyon City, France, Palais d'Hiver (Afternoon)
 No.04 (tue)22 June 1965   Lyon City, France, Palais d'Hiver (Evening)
 No.05 (thu)24 June 1965   Milan City,  Italy, Velodromo Vigorelli (Afternoon)
 No.06 (thu)24 June 1965   Milan City,  Italy, Velodromo Vigorelli (Evening)
 No.07 (sat)26 June 1965   Genoa City,  Italy, Palazzo dello Sport (Afternoon)
 No.08 (sat)26 June 1965   Genoa City,  Italy, Palazzo dello Sport (Evening)
 No.09 (sun)27 June 1965   Rome City,  Italy, Teatro Adriano (Afternoon)
 No.10 (sun)27 June 1965   Rome City,  Italy, Teatro Adriano (Evening)
 No.11 (mon)28 June 1965   Rome City,  Italy, Teatro Adriano (Afternoon)
 No.12 (mon)28 June 1965   Rome City,  Italy, Teatro Adriano (Evening)
 No.13 (wed)30 June 1965   Nice City, France, Palais des Expositions 
 No.14 (fri)02 July 1965   Madrid City, Spain, Plaza de Toros de Las Ventas 
†No.15 (sat)03 July 1965 Barcelona City, Spain, Plaza de Toros La Monumental ※THE END. 1965 European tour
  01.♪Twist and Shout♪
  02.♪She's a Woman♪
  03.♪I'm A Loser♪
  04.♪Can't Buy Me Love♪
  05.♪Baby's in Black♪
  06.♪I Wanna Be Your Man♪
  07.♪A Hard Day's Night♪
  08.♪Everybody's Trying to Be My Baby♪
  09.♪Rock and Roll Music♪
  10.♪I Feel Fine♪
  11.♪Ticket to Ride♪
  12.♪Long Tall Sally♪
 白黒映像◆https://youtu.be/qF2__D220uw
 
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 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles%27_1965_European_tour
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 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
  ┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛8:00pm-3:15am
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓takes 1-7, 
①┃ ♪Ob-La-Di, Ob-La-Da♪ ┃overdub onto take 3, 
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛overdub onto take 7
  No.1 この曲が録音開始されたのはアビイ・ロード第2スタジオにて。リズムトラックを7テイク録音した後、第7テイクにヴォーカルとアコースティックギターがオーバーダブされたが ポールは第4テイクの方がよかったと判断して、第4テイクにアコースティックギターを再オーバーダブする。
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
 ‡1968(昭和43)年7月3日(wed)
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1996/10/28(mon) JP、UK
②┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 3』 ┃1996/10/29(tue) US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 11.♪Ob-La-Di, Ob-La-Da♪ (Take 5) 3-5 July 1968 EMI Studios 2:56 
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 ①https://beatlesdata.info/10/04_obladioblada.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Ob-La-Di,_Ob-La-Da
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_3 https://www.amazon.co.jp/dp/B0000070GX
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       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
       ┛THE BEATLES 1969 Editing ┛Studio 2
       ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛3:00-8:30pm
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
①┃  ♪Golden Slumbers♪  ┃of takes 13, 15, called take 13
②┃ ♪Carry That Weight♪  ┃of takes 13, 15, called take 13
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛♪Golden Slumbers♪ working title of ♪Golden Slumbers♪/♪Carry That Weight♪
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
  ┛THE BEATLES 1969 Recording Sessions ┛Studio 2
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛3:00-8:30pm
  ┏━━━━━━━━━━━━┓ overdub onto take 13, 
 ①┃ ♪Golden Slumbers♪  ┃tape reduction take 13 into takes 16, 17
  ┗━━━━━━━━━━━━┛No.2 アビイ・ロード第2スタジオ。前日のテイクから第13テイクと第15テイクを選んで編集を行い、これを第13テイクとした。この第13テイクの「キャリー・ザット・ウェイト」部分に、ポールとジョージがギターをオーバーダブし、3人によるユニゾンコーラスもオーバーダブする。この時点で8トラックがいっぱいになったのでリダクションを行い、第16、第17テイクを作成した。
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ overdub onto take 13, 
②┃ ♪Carry That Weight♪  ┃tape reduction take 13 into takes 16, 17
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛No.2 アビイ・ロード第2スタジオ。前日のテイクから第13テイクと第15テイクを選んで編集を行い、これを第13テイクとした。この第13テイクのこの曲の部分に、ポールとジョージがギターをオーバーダブし、3人によるユニゾンコーラスもオーバーダブする。この時点で8トラックがいっぱいになったのでリダクションを行い、第16、第17テイクを作成した。
   Note・・・1969年7月3日 この曲の歌詞、「Boy, you're gonna carry that weight, Carry that weight a long time(ボーイ、お前はこの重荷を背負っていくんだ。ずっと長い間)」だが、ジョンがいない間に他の3人で歌われた(1969年7月3日)というのも興味深い話である。この時、ジョンはヨーコとの活動が増えており、ポールがジョンに向けてこの歌詞を書いた、と考えてしまったりもするし、実際ジョンは映画「イマジン」の中で「あれはオレに向けて書かれた曲だ」と発言もしている。
   ♪Golden Slumbers♪ working title of ♪Golden Slumbers♪/♪Carry That Weight♪
   Producer: George Martin
   Engineer: Phil McDonald
   2nd Engineer: Chris Blair
  ‡1969(昭和44)年7月3日(thu)
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 ①https://beatlesdata.info/13/14_goldenslumbers.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Golden_Slumbers
 ②https://beatlesdata.info/13/15_carrythatweight.html
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Carry_That_Weight
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 ┃ 『Songs, Pictures and Stories of the Fabulous Beatles』  ┃
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 VeeJay VJLP 1092; SR 1092 - Late July, 1964
 Same track listing as VJLP 1062 (Version 2)
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 http://www.beatlesagain.com/btlps.html
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1963(昭和38)年12月 2日(月)|「最高におかしなテレビ出演」 
 |1964(昭和39)年 4月18日(土)|「最高におかしなテレビ出演」 初放送
 |2009(平成21)年12月 2日(水)|甲虫日記更新日 No.063
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ビートルズの誕生から解散までの軌跡を未発表曲や秘蔵映像、インタビューなどで系統立てて掘り起こしたアンソロジー・プロジェクトによって、ファンは改めてファブ・フォーの魅力を堪能することができた。なかでも映像版とCDの両方に収録されたテレビ番組「モーカム・アンド・ワイズ・ショー」の出演シーンは、僕の一番のお気に入りだ。英国の人気コメディー・デュオ、つっこみ役のエリック・モーカムとボケ役のアーニー・ワイズが司会をしていた1960年代から70年代にかけた人気番組。ビートルズは63年12月2日、当時あった民放アソシエイテッド・テレビジョン(ATV)のエルストリー・スタジオ・センターで番組のリハーサルと収録に参加した。英国でのビートルズ人気は、63年初頭に「Please Please Me」が初のナンバー・ワン・ソングに輝いてから、全米制覇を遂げた64年の暮れにかけて最高潮に達していた。例えば、「モーカム・アンド・ワイズ・ショー」が収録される約1カ月前に出演した「ロイヤル・コマンド・パフォーマンス」のテレビ視聴率は40%を超えた。人気絶頂のポップ・グループとコメディー界のトップ・チームの初顔合わせ。おもしろくないはずがない。スタジオ見学者はわずかだった。ビートルズはその見学者の前で、「This Boy(こいつ)」と「All My Loving」を生演奏した。その後、モーカムとワイズによるコメディー寸劇が収録された。再び登場した4人は、11月下旬にシングルが発売になったばかりの新曲「I want hold your hand(抱きしめたい)」を披露した。
歌い終わって楽器を置いたジョン、ポール、ジョージが、モーカムとワイズが控えていたステージ前に歩み寄っていった。モーカムは長髪の3人に向かって、50年代後半に活躍した英国の女性トリオ・シンガー「ケイ・シスターズ」とわざと勘違いしたようにみせ、軽くスタジオを沸かせる。
「かつらをかぶったケイ・シスターズ?」続けてモーカムはステージ後方のドラム・セットに座ったままのリンゴに向かって、「ハロー、バンゴ!」と叫んだ。スタジオはかなり盛り上がってきた。さあ、ビートルズの番だ。まず、ポールがあいさつ代わりにモーカムに突っ込む。
「短くて毛だらけの足の人だね」モーカムが相棒のワイズをだしにした得意のジョーク「太くて短い毛むくじゃらの足をしたアーニー(・ワイズ)」を、ポールが仕返しとばかりにわざと間違えてみせた。ジョージがたたみかけた。
「僕らは頭が毛だらけ」十八番のジョークを見事にパロディーにされたモーカムは言葉がない。にやりとしたジョージは一歩モーカムに歩み寄って、
「参った?」スタジオは爆笑の渦に包まれた。
 ◎ジョージの意外なユーモア・センス… 次のページへ
「静かなビートル」、「第三のビートル」、とかくジョージに冠する枕ことばは地味なものだが、彼のユーモア・センスは意外と鋭い。EMIプロデューサー、ジョージ・マーティンとの緊張の初顔合わせの時、「あなたのネクタイが気に入らない」とかまして、一気にその場を和ませたのも最年少ビートルだった。「率直さ」「はつらつさ」など若者らしさを振りまくだけではなく、こうした自分たちをネタにして人を笑わせるビートルズのセンスを英国人は愛した。一本取られた形のモーカムが、今度はジョンに話しかける。
「大人気だね」
「君の時代とは違う」キツーいジョークを真顔で飛ばすジョン。間があって、スタジオは再び爆笑の渦に。
「これは侮辱だ」とモーカム。リンゴに向かっては
「ハロー、ボンゾ! もう帰れよ」モーカムは気を取り直し、再びジョンにたずねた。
「君の時代っていつごろ?」ジョンは少しひざを曲げ、手のひらをひざぐらいまで下げ、小さな子どもの背丈を表現した。
「ずいぶん若いお父さんだね」真打ち登場!とばかりに一本取り返したモーカム。これには、ビートルズもスタジオも大爆笑だ。そんなやり取りの後、ワイズとビートルズが一緒に歌うことになった。4人は縦じまのジャケットにカンカン帽という装いに着替えた。曲は、51年に映画「ON MOONLIGHT BAY」でドリス・デイが歌って有名になった「Moonlight Bay」。
この曲を歌う44秒間が最大の見ものだろう。ステージを一度下がったモーカムが「ビートルズかつら」をかぶり、襟なしジャケットを着て再登場する。このおかしな姿に期待が膨らまないわけがない。ジョン、ポール、ジョージとワイズが歌っているわきで、モーカムは「Yeah year year」と叫び、「Twist and shout」とわめく。スタジオは再び爆笑の渦と化した。歌は最後にビートルズのトレード・マークのフレーズである「ウー」の声でしめられた。台本はあったとされるが、それを上回るノリの良さに絶頂期の勢いが伝わってくる。番組は
 1964(昭和39)年4月18日(土)の午後8時25分~9時にATVで放映され、好評を博すと
‡1965(昭和40)年7月■日(?)にも再放送された。後にポールは、「ビートルズが出演した数多くのテレビ番組で、一番気に入っているものは?」という質問に迷うことなく「モーカム・アンド・ワイズ・ショー」と答えている。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は12月31日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ ビートルズのオリジナルアルバムのデジタルリマスター版が9月に発売されたのをきっかけに、邦楽のポップ、ロック、レゲエ、洋楽、演歌のアーチストらが集い、ビートルズを題材にしたコンピレーション・アルバムがリリースされた。過去に発売された同種のアルバムの中から厳選された曲に加え、布袋寅泰、原田知世、坂本冬美らが新録音で参加している。
 『LOVE LOVE LOVE』2009年10月14日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/091202.html
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 映像◆ビートルズ騒動 1966  https://youtu.be/27HUmnD2CJ8
 
 映像◆ビートルズ来日の舞台裏1966*BEATLES Japan  https://youtu.be/u_G4YEEfZrE
 
 THE BEATLES を呼んだ男!永島達司 (日本公演の舞台裏) http://video.fc2.com/content/20150407uq9h75Nv/
  アニメ◆動画: THE BEATLES を呼んだ男!永島達司 (日本公演の舞台裏) 
  ダイジェスト◆動画: THE BEATLES を呼んだ男!永島達司 (日本公演の舞台裏) 
  静止画◆動画: THE BEATLES を呼んだ男!永島達司 (日本公演の舞台裏) 
 正力 売国 松太郎「ビートルズ」の武道館ライヴの様子はテレビ局より収録されたが、おそらくライン(今流行のラインではない)からの音がほとんどだったのではないかと思う。普通、音楽ライヴの音はラインと現場の生の音を半分ずつ使うのだが、このライヴは8割がたラインの音を使ったのではないかと思う。何故なら、演奏が聞こえるからである。「ビートルズ」の当時のコンサートは半分ずつ音を使ったのでは演奏は聞こえないと思う。当時、コンサートに足を運んだ人によると、演奏はファンの歓声でほぼ聞こえなかったらしい。女の子の叫ぶ声を聴きにいったようなものだと答えている。演奏がこれだけハッキリ聞こえるのは、上記のような状態でないとテレビ放送は不可能だったと思う。私も含め、「ミック・ジャガー」の言葉を借りれば、当時の「ビートルズ」の人気は、現代の人達では想像すらできないほど凄かったと発言している。なので、自分たちの年代のミュージシャンが一番と思うのは大きな間違いで、番組冒頭に出てくるMJでさえ脇役扱いになってしまう。これは好き嫌いの問題ではなく、厳然たる事実なのだからしょうがない。 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ビートルズ来日時の新聞報道 ┃
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 ┌─――――――――――――┐
 |1966(昭和41)年 7月 3日(日)|ビートルズの離日を報じる記事
 └─――――――――――――┘http://www.thefabfourarchives.com/Gallery-1-memorabilia-.html
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 ┃ ザ・ビートルズ来日 今日の出来事 ┃
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 ┌─――――――――――――┐09時43分 ビートルズ一行がホテルを出発し、
 |1966(昭和41)年 7月 3日(日)|  羽田空港へ向かう。このとき、ジョンは前日にもらった腕章を付けていた
 └─――――――――――――┘10時43分発の飛行機に乗り、香港を経由して、次の公演地であるフィリピンに向かった。
 http://sp.universal-music.co.jp/beatles/special/2011_rainichi.php
 ┌─――――――――――――┐午前0時 羽田空港に警備体制が敷かれ、
 |1966(昭和41)年 7月 3日(日)|    見送りに来た約2000人のファンが追い返される
 └─――――――――――――┘早朝 テーラー山形屋、仕立てあがったスーツを届ける。メンバーが試着し購入。1着46,000円のところ35,000円に割り引いたそうだ(しつこいが大卒初任給平均が24,900円の時代ですぞ)。その後ヒルトン地下のおみやげ物屋で象牙の中をくりぬいて作った彫刻を1ダース購入。 
  午前9時40分 ビートルズ、部屋をチェックアウト。3分後にキャデラックでホテルを出発。もちろん警視庁の交通規制下。 
  午前10時7分 一行は約千人の警官・機動隊に守られた羽田空港に到着、日本航空機ダグラスDC8「鎌倉」に乗り込む。 
  午前10時43分 一行を乗せた飛行機が離陸。次の公演地、フィリピンのマニラに旅立つ。日本に滞在したのはのべ約103時間。結局警備にはのべ8,000人が動員され、補導されたティーンエジャーは合計6,500人を越えた。 
 ┌─――――――――――――┐午前10時43分、
 |1966(昭和41)年 7月 日|ビートルズ、日航機"KAMAKURA"にて離日。
 └─――――――――――――┘来日期間中に動員された警官は述べ8370人。また補導された青少年は6520人。
ちなみにビートルズの日本滞在時間は延べ103時間であった。離日の際、次の公演地であるフィリピンへは当初キャセイ航空に搭乗する予定であった。これは同航空会社が「ビートルズ及びその一行の航空運賃を無料にするので、当社の旅客機に搭乗してくれないか」という打診があったためである。航空会社からすれば、“ビートルズが乗った飛行機”というPR作戦であった。なぜ日本航空に搭乗したかは不明。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ビートルズのマネージャー、
 ┃ ザ・ビートルズ来日トミビア(=^◇^=) ┃ブライアン・エプスタインを取材した
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛浅井慎平は禁じられていた彼の写真を撮ってしまい、「何故撮るんだ?」と怒られるが「俺はカメラマンだから」と答えたらOKとなったそうだ。エプスタインは若い頃ハムレットを演じたくて王立演劇学校に入ったことなど話してくれたという。エプスタインはよく知られるように同性愛者である(徴兵された軍隊をその理由で除隊されている)。何とジョンとも噂があり、二人だけでスペイン旅行に行ったことがある(映画『僕たちの時間』参照)。この来日時は「彼氏」同伴でビートルズとは別の部屋に泊まっていた。彼はこの来日から約1年後1967年8月に亡くなっている。ビートルズをつくった男―ブライアン・エプスタイン (新潮文庫)
**************** http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html
 http://www.fsinet.or.jp/~magumi/BEATLES/japan/japandocument.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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 映像◆『毎日ニュース』希望訪問「やァ やァ やァ」―希望者・福島・田中紀子さん― http://youtu.be/JgehLBGkbJE
 

 ♪ビートルズに会えなかった♪http://www.uta-net.com/song/175881/

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