┏━━━━━━━━━━━┓ BBC's radio
①┃ 『THE PUBLIC EAR』 ┃ 1964/3/18(wed) rec.
┗━━━━━━━━━━━┛‡1964/3/22(sun) trans. broadcast
Letter from listener, Ringo
John reads from In His Own Write
George Interviews Paul
George And Ringo Read The Credits
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEEB'S LOST BEATLES TAPES』 ┃
②┃ Episode 10: Automatic Pier ┃29:52 (sat)3 December 1988
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡03.『THE PUBLIC EAR』Interview,(sun)22 March 1964
‡05.『THE PUBLIC EAR』Interview,(sun)22 March 1964
06.『THE PUBLIC EAR』Interview,(tue)24 March 1964
『HELP!』赤白マフラー写真◆削除音源◆https://youtu.be/G5HHOfOua_o
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『THE BEATLES Interviews Database』 ┃
③┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
†1964(昭和39)年3月18日(水)
†No.028(12) 1964-03-18(wed) Beatles / BBC-Radio『THE PUBLIC EAR』George Harrison interviews all three fellow Beatles.
Beatles Interview:『THE PUBLIC EAR』3/18/1964
******** https://en.wikipedia.org/wiki/Dig_It_(Beatles_song)
①http://beatleslist.web.fc2.com/bbc.html http://www.webers-records.com/134_1420.html
②https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beeb%27s_Lost_Beatles_Tapes
②https://www.youtube.com/playlist?list=PL073eZJnP1VSVL0DHZ-N_GATBFD-ou2eG
③http://www.beatlesinterviews.org/db1964.0318.beatles.html
***********************************************************
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ザ・ビートルズ来日 今日の出来事 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┌─――――――――――――┐
|1966(昭和41)年 3月22日(火)|協同企画の永島達司、ロンドンでエプスタインと交渉
└─――――――――――――┘永島は高額なギャラを想定し、「ビートルズを扱うことは名誉だし、入場料を1万円としても客は来るだろう。だがファンは未成年が多い。5千円でも負担が多すぎて弊害が生じるだろう」と考え、辞退するつもりだったという。ところがエプスタイン側から「日本公演は金儲けが目的ではない。むしろ入場料が高すぎてビートルズの評判が落ちることはこちらも望まない。ギャラの点は相談に乗るのでとにかく(ロンドンに)来て欲しい」と言われたという。その交渉の結果、エプスタインからはギャラは「1ステージ10万ドル」、「1万人以上収容できる屋内会場。入場料はティーンエジャーの負担にならないように6ドル(当時のレートで2,160円)以下」という条件が掲示された。これはビートルズが行ったコンサートの中でも最低の金額だった。実は前年行われたイタリア・ミラノのコンサートでは入場料が高すぎて2万人のところ7千人しか集まらなかったという失敗があったからである。
備考・・・永島氏、ブライアン・エプスタインの元へ交渉のためロンドンへ向かう。永島氏の提示した「1ステージ10万ドル」の条件を了承。この際、エプスタインの条件提示は「1万人以上収容できる屋内会場。入場料は6ドル以下」というものヨ(=^◇^=)
**************** http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html
http://www.fsinet.or.jp/~magumi/BEATLES/japan/japandocument.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
************************************************************
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 2
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛7:00pm-2:15am
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ♪Within You Without You♪ ┃overdub onto take 1, tape reduction take 1 into take 2
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛
┛THE BEATLES 1967 Mono mixing ┛Studio 1 (control room only)
┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛11:00pm-12:30am
┏━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ♪Within You Without You♪ ┃remix 1, from take 2
┗━━━━━━━━━━━━━━━┛No.2 アビイ・ロード第2スタジオ。またもジョージの友人がディルルーバを2回オーバーダブする。(回転を上げて録音された)これをリダクションして第2テイクを制作。
Note・・・・『The Beatles Anthology 2』1967年3月22日時点の第2テイクが収録されている。1967年4月3日のセッション前のマスターなので、ストリングス、ボーカル、ギター、シタールは入っておらず、純粋なインド楽器によるインストゥルメンタルを聞くことが出来る
‡1967(昭和42)年3月22日(wed)
Recording: ♪Within You Without You♪
Producer: George Martin
Engineer: Geoff Emerick
2nd Engineer: Richard Lush
Tape operator Graham Kirkby oversees the playback of Sgt Pepper's titles finished to date, for any Beatle interested
******************************************************
https://beatlesdata.info/8/08_withinyouwithoutyou.html
Mexican EP写真◆https://en.wikipedia.org/wiki/Within_You_Without_You
******************************************************
削除音源◆The Beatles - Sgt. Pepper Outtakes Medley https://youtu.be/8yC8uVImDh0
06 December 1966 EMI Studios, Abbey Road
‡22 March 1967 EMI Studios, Abbey Road
01. When I'm Sixty-Four (Unknown Take) [0:00]
1966年12月6日、ビートルズは海賊局のラジオロンドンとラジオ・キャロラインのクリスマスメッセージを記録した。その後、彼らはリズムトラックの2つのテイクが記録される前に、私が64歳のときにリハーサルをしていた。サグ。ペッパーは4日間にわたって記録された
02. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Unknown Take) [0:29]
03. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Unknown Take) [1:39]
1967年2月1日、ビートルズはリズムトラックを9回テイクしましたが、最初と最後のリズムトラックは完成しました。彼らはドラム、ベースと2つのギターを録音しました。後者はMcCartneyとHarrisonが演奏しました
04. Fixing A Hole (Unknown Take) [2:00]
1967年2月9日にAホールの録音が始まりました。ビートルズはロンドンのリージェント・サウンド・スタジオをアビーロードとして利用できませんでした。このグループが別のスタジオを使ってEMIを記録したのは初めてのことです。
05. Good Morning Good Morning (Unknown Take) [2:25]
1967年2月8日にGood Morning Good Morningを録音し始めた。彼らは8回のテイクを記録した。
06. Being For The Benefit Of Mr. Kite (Take 7) [2:54]
07. Being For The Benefit Of Mr. Kite (Unknown Takes) [3:06]
1967年2月17日カイト氏の最初の7つのテイクは、録音された。ペニー・レーン/ストロベリー・フィールド・フォーエヴァー・シングルが英国でリリースされた日。 Abbey Roadのスタジオ2では、彼らはリズムトラック(ベース、ドラム、ハーモニウム)のみを録音し、レノンの最初のヴォーカルは7弦にオーバーダビングされています。
08. Lovely Rita (Unknown Takes) [3:29]
1967年2月23日、ラブリーリタはアビーロードのスタジオ2で始まりました。ジョージ・ハリスンとジョン・レノンのアコースティック・ギター、リンゴのドラムとポールのピアノでの8曲のリズム・トラックが収録されました。 Take 8が最高だったし、このMcCartneyに彼のベースパートが加えられた
09. Lucy In The Sky With Diamonds (Unknown Take) [4:01]
10. Lucy In The Sky With Diamonds (Unknown Take) [4:39]
1967年2月28日に8時間のナイトタイムセッションを過ごし、レコーディングを行わずにダイアモンドのスカイでリサイタルを行いました。
11. Getting Better (Unknown Take) [4:52]
12. Getting Better (Unknown Take) [5:02]
13. Getting Better (Unknown Take) [5:24]
1967年3月9日木曜日Getting Getting Better録音開始。ジョージ・マーティンのピアノとギター、ベースとドラムから構成されたリズム・トラックが7回収録され、楽器の弦が直接叩かれて演奏されました。彼女はLeave HomeにはThe Beatlesで演奏された楽器は一切含まれていませんでした。代わりに、ハープ、バイオリン、ビオラ、チェロ、ダブルベースのストリングバッキングを持っていました。ジョージ・マーティンはマッカートニーの短期予告で入手できなかったため、フリー・プロデューサーでありアレンジャーでもあるマイク・リアンダーによって得点された。
14. She's Leaving Home (Unknown Take) [5:56]
15. She's Leaving Home (Unknown Take) [6:06]
16. With A Little Help From My Friends (Unknown Take) [6:17]
17. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band Reprise (Unknown Take) [6:28]
1967年4月1日土曜日に Sgt Pepper(Reprise)Abbey Roadの広大なスタジオで録音されました。午後7時から午前6時までビートルズはリズムトラックの9テイクを録音し、マッカートニーはガイドボーカルを歌いました。彼らはその後、余分な楽器と一緒に9を取るためにボーカルをオーバーダビングしました。ジョージ・ハリソンは、あなたなしのあなたの中に録音された唯一のビートルです。彼とNeil Aspinallはタンブラを演奏し、インドのミュージシャンは伝統的な楽器を演奏した。
18. Within You Without You (Unknown Take) [6:35]
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ THE BEATLES America Single Release ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
‡37.1982(昭和57)年03月22日(sun) 1 23 Capitol B5107 ♪The Beatles' Movie Medley♪/♪I'm Happy Just to Dance With You♪【米;2週12位】
英.1982(昭和57)年05月24日(sun) - - Parlophone ♪The Beatles' Movie Medley♪/♪I'm Happy Just To Dance With You♪
英.1982(昭和57)年10月04日(mon) - - ♪Love Me Do♪/♪P.S. I Love You♪■http://www.45cat.com/record/45r4949
00.1982(昭和57)年11月19日(fri) 米 ♪Love Me Do♪/♪P.S. I Love You" http://www.45cat.com/record/pb5189us
音源◆"Fab Four On Film" 1982 B-Side Promo Unreleased https://youtu.be/HvIaSqdyygU
*************************** http://www.uta-net.com/song/8783
http://yokono.co.uk/collection/beatles/usa/single/usa_single.html
http://kcawo.blog.fc2.com/blog-entry-821.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%81%AE%E4%BD%9C%E5%93%81
************************************************************
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃『THE RUTLES in ALL YOU NEED IS CASH』┃
┃『オール・ユー・ニード・イズ・キャッシュ』┃
┃ 『金こそすべて(四人もアイドル)』 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
1978(昭和53)年02月22日(水) 東京12チャンネル吹替放送時誤植
‡1978(昭和53)年03月22日(水) 全米NBC系列(ネットワーク)
1978(昭和53)年11月03日(金) 23時10分から
1978(昭和53)年11月04日(土) 00時35分まで東京12チャンネル吹替放送
『モンティー・パイソンのザ・ラットルズ』
『ザ・ラットルズ~金こそすべて』
『ラトルズ 4人もアイドル!』
日本版のVHS、LD、DVDはすべて字幕。邦題は3種類、それぞれに微妙にカットが異なる部分があり、収録時間の違いもあるが、ほぼ同じ内容と言っても良いヨ(=^◇^=)
映像◆https://youtu.be/dBBmubmSY9I
削除映像◆ザ・ラッドるスhttp://video.fc2.com/content/20140226ZdfasEnW
イギリスのギャグ番組モンティ・パイソンのエリック・アイドルが監督・脚本・主演したビ-トルずの歴史と歌のパロディ版。原題は「All You Need Is Cash」ですが、1992年発売の日本ビデオ版は「The Rutles」エリック・アイドルはポール役とTVキャスター役。 歌もそれらしい替え歌(音楽はジョン・レモン役のニール・イネス。グラミー賞コメディ音楽部門にノミネートされた)で、「レット・イット・BE」等のドキュメンタリー映像までパロディ版を作ってしまう徹底ぶりです。RutはRatに通ずというわけでデビューの頃の演奏場を模したロケではネズミがたくさん出演しています
削除映像◆ザ・ラッドるスhttp://video.fc2.com/content/20140215tVtQtMRK
㊤↑の2動画は凍結されており、視聴できません。FC2利用規約に違反したため、現在、この動画は配信を停止されています。
****************************************************
https://en.wikipedia.org/wiki/All_You_Need_Is_Cash
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA
****************************************************
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ どらくスペシャル 編集長この一枚あの一枚 最終回 ┃
┃ 『PLEASE PLEASE ME』1963(昭和38)年3月22日(金)発売 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛さて、早いもので最終回。ドクダンに充ち満ちた、おススメの3枚…もとい、今回は残り4枚を。今宵、一杯かたむけながら、針を落としてみませんか…。デビューアルバムの『PLEASE PLEASE ME』最高傑作とうたわれる『REVOLVER』どん底期にこしらえた『Yellow Submarine』そして、わたしたちの前に最後に登場した『LET IT BE』をお届けします()
■わずか7年しかレコーディング・キャリアをもたなかったビートルズの、記念すべきファーストアルバム。アルバムの表紙におさまった、ロンドンのEMI本社ビルの吹き抜けから下をのぞきこむ4人の表情は前途洋々として、自信にあふれている。1960年代初頭、英国はポップス興隆の地というわけではなかった。ロックンロールという若者の魂を揺さぶる表現方法は1954年、エルビス・プレスリーらによって米国で生まれた。英国のポップスは世界からは見下されていて、それがまた、英国のバンドがオリジナリティーを形成する力を生み出せない理由ともいわれていた。4人が育ったリバプールは音楽の素になるものは何もない――そんな歴史がいまでも伝わる。だが、実はこの港町のマージー河地区は当時、300ものバンドが活動していたという。互いがしのぎを削り、スタイルを奪い合い、ゴキゲンな音楽を作り続けていた。そのうちの一組のバンドがビートルズだった。ビートルズはだれひとりとして正式な音楽教育は受けていなかったが、ロックンロールに吸い寄せられ、信じられない力を発揮していく。ブライアン・エプスタインというマネジャーに見いだされ、小さかったとはいえ「バローフォン」というレコード会社と契約できたという二重の幸運が彼らを一躍スターダムにのし上げていくわけだが、それは偶然の産物ではない。ほかのバンドを蹴散らす底知れない才能と野心、発想と行動があったからだ。何より、彼らはエルビス・プレスリーより有名になりたかった。このアルバムはわずか12時間で録音されたが、ジョン・レノンとポール・マッカートニーは曲作りに異常にのめりこみ、デビューまでに捨てた曲は50曲~100曲もあったといわれる。それを支えたのは、いまとなってはうさんくさく聞こえてしまうが、長いライブ活動でつながった4人の信頼関係だった。ポールのカウントからはじまる「I Saw Her Standing There(アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア)」から、曲数が足りなくなって急遽(きゅうきょ)録音したジョンの絶叫ナンバー「Twist And Shout(ツイスト・アンド・シャウト)」まで、ライブ感覚にあふれたフルスピードの演奏は、ガレージバンドとして出演を続けたキャバーン・クラブで発散されたエネルギーと同質のものを感じずにはいられない。ロックンロールの歴史は結局、「ビートルズ以前」と「ビートルズ以後」で語られていくことになるが、「以前」の音楽を総括・集大成化したのが彼ら4人であり、「以後」の音楽界はビートルズなくしては成立しなかった。そのビートルズの出発点が、このアルバムだった。
【A面】I Saw Her Standing There(アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア) Misery(ミズリー) Anna(Go To Him)(アンナ) Chains(チェインズ) Boys(ボーイズ) Ask Me Why (アスク・ミー・ホワイ)Please Please Me(プリーズ・プリーズ・ミー)
【B面】Love Me Do(ラヴ・ミー・ドゥ) P.S. I Love You(P.S.アイ・ラヴ・ユー) Baby It's You(ベイビー・イッツ・ユー) Do You Want To Know A Secret(ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット) A Taste Of Honey(蜜の味) There's A Place(ゼアズ・ア・プレイス) Twist And Shout(ツイスト・アンド・シャウト)
(注)ここで取り上げているのは、すべて英国版オリジナルアルバムです。
参考文献『TELL ME WHY』Tim Riley)各ライナーノーツ
『ビートルズを知るために』ビートルズ公式サイト 東芝EMI
☆プロフィール☆小野 高道(おの・たかみち)「どらく」編集長。1958年、東京生まれ。獅子座のB型。1984年、朝日新聞社に入社し、東京本社社会部、「be」副編集長などをへて、現職。じつはクラシックもジャズも、リズム&ブルースも、好き。ことばとは裏腹に「優柔不断」が信条?
http://doraku.asahi.com/special/beatles/060921_2.html
■ビートルズ 『ピンナップ(写真)』(LP「PLEASE PLEASE ME」 売上25万枚突破記念?)5枚セット
ビートルズ(BEATLES)のピンナップ 5枚セットです。かつて東京と大阪に店舗が存在したビートルズ専門店の
‡1986(昭和61)年8月1日(金)に発行された会報誌によれば、メンバー個々の計4枚のピンナップは『英国においてファーストアルバム「PLEASE PLEASE ME」の売上枚数が25万枚を突破した記念として、限定挿入されたもの』ということです。長い間、出品者もそう思っておりましたが、最近それは誤った情報であると思うに至りました。結論からすれば、そのような記念として挿入されたものではなく、当時の一般的な販促品、もしくは、NEMSショップ等でグッズ販売されていたものと推察します。メンバー個々の写真だけではなく、4人全員の集合写真も1枚別に存在しておりますので、今回はそれも合わせた5枚セットとなります。それでも「当時もの」ということは変わりませんので、比較的レアなピンナップだと思います ※画像の写真(ピンナップ5枚セット)のみの出品で、レコードは付属しません。
サイズ:25.4センチ × 20.3センチ(6ツ切/5枚共通)
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g257626180
◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆保存版◆
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ O R I G I N A L M A S T E R R E C O R D I N G ┃MUSIC&MOVIES
┃ -モービル・フィディリティ・サウンド・インプレッション- ┃
┃ mobile fidelity sound impression ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
Sep.1982 Box Set
Mar.1987 UK Export
Dec.1979 MFSL-1-023『ABBEY ROAD』
Feb.1981 MFSL-1-047『MAGICAL MYSTERY TOUR』
Jan.1982 MFSL-2-072『The BEATLES』※White Album
June1985 MFSL-1-100『SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』
Jan.1987 MFSL-1-101『PLEASE PLEASE ME』
Nov.1986 MFSL-1-102『with the beatles』
Feb.1987 MFSL-1-103『A HARD DAY'S NIGHT』
Mar.1987 MFSL-1-104『BEATLES FOR SALE』
Nov.1985 MFSL-1-105『HELP!』
June1984 MFSL-1-106『RUBBER SOUL』
Oct.1986 MFSL-1-107『REVOLVER』
Sep.1987 MFSL-1-108『YELLOW SUBMARINE』
Nov.1986 MFSL-1-109『LET IT BE』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Dec.1979 MFSL-1-023『ABBEY ROAD』
Feb.1981 MFSL-1-047『MAGICAL MYSTERY TOUR』
Jan.1982 MFSL-2-072『The BEATLES』※White Album
June1984 MFSL-1-106『RUBBER SOUL』
June1985 MFSL-1-100『SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND』
Nov.1985 MFSL-1-105『HELP!』
Oct.1986 MFSL-1-107『REVOLVER』
Nov.1986 MFSL-1-102『with the beatles』
Nov.1986 MFSL-1-109『LET IT BE』
Jan.1987 MFSL-1-101『PLEASE PLEASE ME』
Feb.1987 MFSL-1-103『A HARD DAY'S NIGHT』
Mar.1987 MFSL-1-104『BEATLES FOR SALE』
Sep.1987 MFSL-1-108『YELLOW SUBMARINE』
*********************************************
①http://parlophone.fc2web.com/MFSL/AR.html
②http://parlophone.fc2web.com/MFSL/MMT.html
③http://parlophone.fc2web.com/MFSL/WHT.html
④http://parlophone.fc2web.com/MFSL/SGT.html
⑤http://parlophone.fc2web.com/MFSL/PPM/PPM.html
⑥http://parlophone.fc2web.com/MFSL/with/with.html
⑦http://parlophone.fc2web.com/MFSL/HDN.html
⑧http://parlophone.fc2web.com/MFSL/FS.html
⑨http://parlophone.fc2web.com/MFSL/HELP.html
⑩http://parlophone.fc2web.com/MFSL/RS.html
⑪http://parlophone.fc2web.com/MFSL/REV.html
⑫http://www.thebeatles.co.jp/contents/labo/11_ys/ys_frameset.htm
⑬http://parlophone.fc2web.com/MFSL/LIB.html
http://collectorsfrenzy.com/Details.aspx?id=300406573244
*********************************************
The Beatles Story 1963 前半 02/11~
《 ビートルズイギリス公式盤ファースト・。オリジナル・アルバム『Please Please Me』リリース 》
<アルバム『Please Please Me』のレコーディング>ビートルズイギリス公式盤オリジナル・デビューアルバム『Please Please Me』は、3枚目シングル「From Me To You / Thank You Girl」が発売される3週間前の
‡1963(昭和38)年03月22日(金)にリリースされます。このアルバムのレコーディングは、
1963(昭和38)年02月11日(月)に行われ、音楽録音史上、これほど実りの多い「585分」は他には無く、ビートルズはファーストLP用の新曲10曲をたったこれだけの時間内に録音したのです。ジョージ・マーティンは語ります
「シングル盤“Please Please Me”が成功したからには、商業的見地から、なるべく早くLPを出さなければならなかった。すぐにレコーディング出来る曲がどのくらいあるか、彼らに訪ねたんだ。答えはステージ用のレパートリーだったよ。」
(レコーディング・シート - E.M.I. Studio 2, 10.00 am - 1.00 pm)
「僕の場合、あのアルバムはやるまでの時期とかセッションとか、全てがぼやけちゃっててね。それにアルバムそのものも、はっきり覚えてないんだよ。ファースト・アルバムのリハーサルはしなかった。僕の記憶では「ライヴ」で録ったんだ。まず全曲を通してやって、それぞれの曲のサウンドをある程度つかんで、その後はひたすら曲をこなしていた。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。アルバム『Please Please Me』のレコーディングは、既に午後10時を回ろうとしており、それはスタジオを閉める時間でもあります。しかし、後1曲足らず、全員がE.M.I.スタジオの簡易食堂に行き、コーヒーを飲みにビスケットをつまみながら、その最後の1曲をどの曲にするのかを話し合います。何曲か候補があがり、友好的な議論がなされます。その結果についてノーマン・スミスは語ります、
「ジョンのリード・ボーカルで“Twist and Shout”をやろうって誰かが言いだしたんだ。でもその時はもう、みんな声を使い過ぎて喉をだいぶ痛めてたんだ。セッションを始めて12時間も経ったんだからね。特にジョンは声を完全に潰す一歩手前だった。だから本当に一発録りで決めるしかなかった。それでビートルズはスタジオに、僕たちはコントロール・ルームに戻った。ジョンはまたのど飴をいくつか口の掘り込み、ミルクでうがいをして、いざ本番に入ったんだ」この第1テイクでジョンが歌ったものを、私たちは今日でもレコードで耳にしているわけですが、これほど迫力のあるロックンン・ロール・ボーカルとインストゥルメンタル・パーフォーマンスは、他にはちょっとないでしょう。ジョンが声を振り絞って歌うこの2分半の曲は、大きな安堵のため息を持って終わります。午後10時を回り、ビートルズはファースト・アルバムを完成させます。ジョージ・マーティンはあの晩のことを振り返ります
「私は彼らが何をやれるかは把握するためにキャバーンに行った。彼らのレパートリーを知り、演奏できる曲目を知っていた私は彼らにこう提案した、『君たちが持っている曲を全部やろう。スタジオに下りて来なさい。何とか一日で演奏してみよう』。午後11時頃に始めて、夜の11時頃までーーその時間内で、アルバムまるまる一枚録音したんだよ。ビートルズは最初、レコーディングに関してあまり意見を言わなかった。彼らがスタジオ・テクニックに興味を持ち始めたのは、1年目が過ぎてからだよ。しかし、彼らの凄さは、この時から常にきちんとしたものを作りたいと思っていたことだよ。だから、作業は1テイクでは終わらなかった。最初のテイクを聴き、それから2~3テイクやって、納得できるものを仕上げた。時間をたくさん掛けて何テイクも録り直しをゆるされるようになるのは、もっと後になってからだ。「ツイスト・アンド・シャウト」が凄く咽喉に負担をかけることは分かっていた。私はジョンにこう言ったんだ、『この曲をやるとしたら、最後にしよう。これを先にレコーディングしたら、その後声が出なくなってしまうかもしれない』って。話し合いの結果もあるが、この曲はそう云う理由であの晩の最後の曲に回したんだ。2テイクやると、ジョンは全く声が出なくなった。だが、あのレコードはあれで良かったんだよ。ああ云う、“布を引き裂くような声”が必要だったんだよ....。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。ジョンは語ります
「最後の曲で死にそうになった。しばらく声が戻らなかった。何か飲むたびに、ヤスリをかけられているみたいでさ。ずっとあれが恥ずかしくてたならなかった。『もっとうまく歌えるのに』って思ってね。だけどもう気にならない。必死になって頑張ったのが伝わってくるだろう。ほとんど休みなしに12時間歌い続けた。“僕ら”は風邪をひいててね。それがどうなるか気になってた。一日が終わると、とにかく何パイントもミルクを飲みたいってことしか頭になかったね。あのLPのプレイバックを持っている間と云うのは、ほんと不安で仕方なかった。僕らは完全主義なんだよ。少しでの古臭く聴こえたら全部最初からやり直したくなるだろう。でも実際聴いてみたら凄く満足できた。(書籍『Anthology』抜粋参照)」そして、『Please Please Me』は、
‡1963(昭和38)年3月22日(金)にビートルズ・イギリス公式盤オリジナル・デビュー・アルバムとしてリリースされます。ジョージは語ります
「アルバムのジャケット写真は、マンチェスター・スクエアのE.M.I.ビルのバルコニーから僕らが顔を覗かせてるのを撮ったのものだ。撮影者は"アンガス・マクビーン”で、僕はあの時着たスーツを今でも持っているよ。1990年に、あれを着てパーティーに行った。50年代の衣装を着て行くことになってたんだけど、ごまかして60年代のアレを着て行ったんだ。サイズがピッタリに見えただろうけど、実はズボンのウエストが締まらなかった。1969年にまたあそこに行って、“赤盤”と“青盤“のアルバムのために同じ写真を撮った。本当は『Let It Be』のジャケットにするつもりだったんだけどね。サイケデリックの時代まで、いやサイケデリックの時代になっても、E.M.I.はお役所みたいだった。エンジニアが全員しっかり訓練を受けてたのは確かだけどね。テープ・コピーから始まって、次にテープ・オペレーター、その次にデモ・セッションのアシスタントになる。様々な部署をすべて経験した後、ようやくでも・セッションのアシスタントにしてもらえる可能性が出てくるってこと。或いは、空いているエンジニアが居なくなった場合に、見習いが大抜擢されるかもしれない。ほんと、訓練は行き届いていたよ。だけど、1967になっても『職場ではスーツにネクタイ着用』なんて、ちょっと馬鹿げてるよね。とにかく、E.M.I.はエンジニアをきちんと訓練してた。だけどやっぱり・・・1967年になっても、まだスーツにネクタイで作業に入るのは、ちょっと間抜けだったよ。(書籍『Anthology』抜粋参照)」。
https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/1963%E5%89%8D%E5%8D%8A-02-11/
The beatles会議-22アルバム『Please Please Me』32分45秒
1963年03月22日リリースされた記念すべきデビューアルバムです。トップアイドルとしてのビートルズの地位を決定づけた作品で、彼らの出世作となったセカンドシングルをタイトル曲としてフィーチャー。シングル曲を除く全曲を約10時間のレコーディングセッションで録音するという有名なエピソードがあり、録音はほとんど一発収録。ハンブルグやキャヴァーンの、ハウスバンド時代の演奏に最も近い音が収録されたアルバムです。ジョンやジョージが「ビートルズが最高だった時期!」と呼ぶ時代の音です。『プリーズ・プリーズ・ミー』("Please Please Me" / "Please Please Me with Love Me Do and 12 Other Songs")は、イギリスにおいて
1963年03月22日(モノラル盤)が、更に翌月の
1963年04月26日(ステレオ盤)が発売されたビートルズの最初のイギリス盤公式オリジナル・アルバムです。アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』はシングル「プリーズ・プリーズ・ミー / アスク・ミー・ホワイ」(1963年1月11日)のヒットを受け、急遽制作されることとなります。当初はキャバーン・クラブでのライヴ・レコーディングが計画されますが、レコーディング環境として劣悪なため見送りとなり、アビイ・ロードのEMIスタジオにてスタジオ・ライヴ形式でほとんどの曲を一発録り(2トラック録音のため、演奏と歌を同時に録音し、オーヴァー・ダブは最小限のみ)で制作されます。しかし記録としてはイギリスのメロディ・メーカー誌で30週間もの間1位を独占します。31週目にこのアルバムの1位を阻止したのはセカンド・アルバムの「ウィズ・ザ・ビートルズ」です。既発シングルの4曲を除く10曲は
1963年02月11日 10時間程度でレコーディングされます。収録曲14曲中6曲は、このころのビートルズがライヴで好んで演奏していたアメリカのR&B、ロックンロールなどのカヴァーが収録されています。レコーディング当日ジョン・レノンは風邪をひいておりヴォーカルがやや鼻声になっています。このアルバムは当時の慣習でモノラル盤・ステレオ盤の双方がリリースされている。CDでは1987年にモノラルで発売され、
2009年09月09日 ステレオ盤がCD化されます。ステレオ・ヴァージョンが存在しない「ラヴ・ミー・ドゥ」と「P.S.アイ・ラヴ・ユー」の2曲はLP盤では疑似ステレオ・ヴァージョンが収録されていたが、CDではモノラル・ヴァージョンのまま収録されます。日本での本アルバムのリリースは遅く、ビートルズ解散から6年後の1976年6月のことであった。ただしそれ以前に『ステレオ! これがビートルズ Vol.1』と題して曲順替えされたものがリリースされていた。また本作はアメリカではCD期までリリースされず、編集盤がヴィージェイ・レコードから "Introducing... The Beatles" というタイトルで、キャピトル・レコードから『ジ・アーリー・ビートルズ』というタイトルでリリース。ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500で39位にランクインされています。(wikipedia 記事抜粋参照)
Please Please me[FULL ALBUM] 2 3 4 MONO 2
1963年02月11日 録音
1963年03月22日 PMC 1202(mono) イギリス パーロフォン
1963年04月26日 PCS 3042(stereo) イギリス
1976年06月20日 CDP 7 46435 2(stereo) 日本
プロデュース:ジョージ・マーティン
チャート最高順位
1位(UKチャート、メロディー・メーカー)
3位(オリコン、1987年盤
https://beatles-in-ashtray.jimdofree.com/01-please-please-me/