過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日の走る投げる打つシンプルなゲーム等だヨ(=^◇^=)


 「一蘭ラーメンちぢれ麺 福岡限定」がリニューアル!福岡のおみやげにピッタリなデザインになりました!
‡2019(令和元)年11月01日(金) 10時44分 公開|グルメプレス編集部
 株式会社一蘭のプレスリリース ⇒ 株式会社一蘭(天然とんこつラーメン専門店/創業:昭和35年/本社:福岡県福岡市博多区/代表取締役社長:吉冨 学/https://www.ichiran.com )は、2019年11月初旬より、『一蘭ラーメンちぢれ麺 福岡限定』のデザインをリニューアルいたします。新パッケージに描かれているのはとんこつラーメンのほか、福岡タワーやヤフオクドーム、一蘭の特徴であるオーダー用紙や、提灯が印象的な本社ビルなど。福岡の魅力をたっぷり感じていただけるご当地らしいデザインに生まれ変わりました。福岡旅行の想い出に、福岡県外にお住まいの方へのおみやげに、是非ご活用ください。
■商品概要
 ・商品名:一蘭ラーメンちぢれ麺 福岡限定 一蘭特製 赤い秘伝の粉付
 ・内容量:5食入り
 ・価格 :2,000円(税込)
 ・切替日:11月初旬より、順次切り替え
※旧デザインが販売終了次第、切替いたします。
 ・販売場所:福岡県内の一蘭全店舗ほか
※福岡県内のみの限定販売です。通販は行っておりません。
■商品特性■舌の肥えた福岡の方にも喜んでいただける味わいのため、ご家庭で手軽に納得の味をお楽しみいただけます。
     【麺】スープとの相性を第一に考え、美味しさを最優先に研究を行ってまいりました。大変希少で高価な「粉」を黄金比で配合しております。芳醇な香りとモチモチとした食感にこだわり、味最優先を貫きました。
   【スープ】とんこつ特有の臭みを抑え、美味しさだけを引き出したスープです。これまで培ってきた独自の技術と長年の研究により、濃厚かつ洗練されたとんこつスープの開発に成功いたしました。
【赤い秘伝の粉】世界中の唐辛子から良質なものを厳選して作り上げた、一蘭特製の辛味調味料です。 幾度も配合・微調整を繰り返し、絶妙なバランスに仕上げました。
 一蘭は「とんこつラーメンを世界一研究する会社」です。昨日よりも今日、今日よりも明日、より美味しいラーメンを提供するべく日々研究を行っております。「とんこつラーメンを世界一研究する会社」として恥じぬよう、開発は妥協をせず、味・品質に納得した商品だけを世に送り出しております。これからもお客様がご満足くださる “ 本場・本物 ” のとんこつラーメンをお届けできるよう、現状に満足せず、味・サービスの向上に努めてまいります。
 https://gourmetpress.net/246660/

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 ┃ 楽々園遊園地 ┃
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 1936(昭和11)年09月08日(火) 開園
 1971(昭和46)年08月31日(火) 閉園
 広島県佐伯郡五日市町海老塩浜
 キャッチコピー・・・電車で楽々行ける遊園地
    管理運営・・・①広島瓦斯電軌株式会社 ⇒ ②広島電鉄株式会社 ⇒ ③有限会社楽々園 ⇒ ④広島電鉄株式会社 ⇒ ⑤広電観光株式会社 ⇒ ⑥株式会社広電楽々園
      面積・・・約1万坪
‡2018(平成30)年11月01日(木) 写真◆ショッピングセンター「ファミリータウン広電楽々園」
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 ┃ 株式会社広電楽々園 ┃
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 1960(昭和35)年04月01日(金) 設立
 広島市中区東千田町二丁目9番29号
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E3%80%85%E5%9C%92%E9%81%8A%E5%9C%92%E5%9C%B0
 https://www.uta-net.com/song/55531 https://www.uta-net.com/song/40898
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 真実を求めて  
‡2014(平成26)年11月01日(土) 20:23 
 ちなみに真実を求めてのはんでね-むをクリックすると面白い記事が、てに入ります。
 http://www.shueisha-int.co.jp/pdfdata/0236/nihonhanaze.pdf
 https://signifie.wordpress.com/2014/10/29/%e6%97%a5%e8%93%ae%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%a9%e3%82%93%e3%81%aa%e4%ba%ba%ef%bc%9f/#comments
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 ┃ 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 ┃
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 2014(平成26)年10月24日(金) 発売日
 矢部宏治・著 ¥1,200(本体)+税 288ページ
   詳細・・・日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは何か? その謎を解き、進むべき未来を提示する。大ヒットシリーズ「〈戦後再発見〉双書」の企画&編集総責任者が放つ、「戦後日本」の真実の歴史。公文書によって次々と明らかになる、驚くべき日本の歪んだ現状。精緻な構造分析によって、その原因を探り、解決策を明らかにする!
   ISBN・・・978-4-7976-7289-3
   刷数・・・第11刷
 著者略歴・・・矢部宏治(やべ・こうじ)1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部を経て、1987年より書籍情報社代表。著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』(書籍情報社)。共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。企画編集シリーズに「〈知の再発見〉双書(既刊165冊)」「J.M.ロバーツ 世界の歴史(全10巻)」「〈戦後再発見〉双書(既刊3冊)」(いずれも創元社刊)。
 目次
 PART1 沖縄の謎──基地と憲法
 PART2 福島の謎──日本はなぜ、原発を止められないのか
 PART3 安保村の謎①──昭和天皇と日本国憲法
 PART4 安保村の謎②──国連憲章と第2次大戦後の世界
 PART5 最後の謎──自発的隷従とその歴史的起源
 お知らせ・・・お詫びと訂正『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 2015年02月23日 
 関連動画
 矢部宏治・孫崎享 対談(約40分) 
 矢部宏治・孫崎享 対談 ダイジェスト版(約10分)
 矢部宏治・岩上安身 対談 前編(約170分)
 矢部宏治・岩上安身 対談 後編(約190分)
 関連リンク
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 facebookページ 
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』英語版
 関連書籍・・・日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
 https://www.shueisha-int.co.jp/publish/日本はなぜ%ef%bd%a4%ef%bd%a2基地%ef%bd%a3と%ef%bd%a2原発%ef%bd%a3を止められない

 真実を求めて  
 2014(平成26)年11月01日(土) 20:23 
 ちなみに真実を求めてのはんでね-むをクリックすると面白い記事が、てに入ります。
 http://www.shueisha-int.co.jp/pdfdata/0236/nihonhanaze.pdf
 https://signifie.wordpress.com/2014/10/29/%e6%97%a5%e8%93%ae%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%a9%e3%82%93%e3%81%aa%e4%ba%ba%ef%bc%9f/#comments

 映像◆日本シリーズ第6戦 西武vs読売(フル)https://youtu.be/VBF-U9NOgQg
‡1987(昭和62)年11月01日(日) 西武入場者32323人 
 https://ja.wikipedia.org/wiki/1987年の日本シリーズ#第6戦
 
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 ┃ 今日は何の日? ┃名称、肩書き、年齢などは当時のものです
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 1973(昭和48)年11月01日(木) 巨人、不滅のV9達成 プロ野球日本シリーズ巨人?南海の第5戦が東京・後楽園球場で行われ、巨人が5?1で勝利。4勝1敗で9年連続の日本一を達成した。最優秀選手には2年連続で堀内恒夫投手が選ばれた。写真はペナントを手に場内一周する巨人ナイン。左先頭は川上哲治監督【時事通信社】
 1928(昭和三)年11月01日(木) 東京中央放送局(現NHK)がラジオ体操の放送開始
 1969(昭和44)年11月01日(土) 日銀、新五百円札発行 ※2020(令和二)年記事削除
 1995(平成七)年11月01日(水) 東京・ 臨海副都心を走る「ゆりかもめ」開通
 https://www.jiji.com/jc/daily
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 ┃ プロ野球デキゴトロジー ┃写真=BBM
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‡2012(平成24)年11月01日(木) 当たってない危険球で多田野数人が退場に
‡2017(平成29)年11月01日(水) 7:05 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月1日だ。 
 写真◆顏近くの球。表情で分かるように確かにすさまじい恐怖心があったはず
‡2012(平成24)年11月01日(木)、巨人─日本ハムの日本シリーズで事件は起こった。 
 2勝2敗の五分で迎えた札幌ドームでの第5戦である。互いに中4日での登板となった巨人・内海哲也、日本ハム・吉川光夫の左腕エース対決となったが、ともに立ち上がりは不安定。特に吉川は3回途中5失点で早々に降板となった。 
 迎えた4回表の巨人の攻撃だった。無死一塁で打席に入った加藤健は送りバントの構え。対して、日本ハム2番手・多田野数人が投じた2球目は、加藤の顔付近を通過して捕手の後ろへと逸れたように見えた。 
 しかし、柳田球審はこれを頭部への死球と見なし、危険球で多田野を退場に。日本ハム・栗山英樹監督は必死に抗議したが覆らず、疑惑の判定に札幌ドームはブーイングに包まれた。実際、リプレーの映像を何度も見ても、当たっているようには見えなかった。日本シリーズでの危険球退場は初めて。加藤は「頭が真っ白で何も……」と語っているが、何とも後味の悪いシーンだった。 
 結局、この試合は巨人の大勝。続く第6戦にも勝利し、3年ぶりの日本一となっている。
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20171101-16
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 ┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.388 ┃  60円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1965(昭和40)年11月01日(月)増大号 川上哲治の水平スイングの秘密特訓
 2019(平成31)年01月30日(水) 10:14 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 
◎犬にひっぱられ川上トリプル3目前?
 写真◆表紙は巨人・川上哲治監督
 今回は『1965年11月1日増大号』。定価は10円上がって60円だ。 
 すでにほぼ確定していたのだが、10月13日、巨人のセ・リーグ優勝が決まった。 
 この日、巨人は対サンケイ戦が雨で中止となったが、中日が川崎球場での対大洋戦で敗れたため、自動的に決定した。 
 関係者はこの日、午後10時から日本テレビで祝勝会。背広姿の川上哲治監督がスタジオの中で宙を舞った。 
 そこで川上監督についてのさまざまな逸話も紹介されていたが、あまり優勝とは関係ない逸話を2つ紹介しておこう。 
 川上監督と言えばダウンスイングだが、現役時代の連続写真を見ると、球をしっかり引き付けての美しいレベルスイングだ(1リーグ時代。50年代後半のものはそれまできれいではない)。 
 その秘密に触れた個所があった。 
 大村小学校時代の話だ。川上に野球の指導をした土肥先生は「哲治、バットはシャープに振れ、大物を狙ってはいかん」と言い、一つの特訓をさせた。 
 竹を2本立て、そこに上下に糸を張り、素振りでその間を通すというものだ。最初はストライクゾーンの幅でやっていたが、最後にはバットの幅で行い、糸にかすることなく、振り抜くようになった。 
 まさに神技だが、小学生と考えると、やや大げさになっているような気もする。 
 これは本当かもと思ったのは、1950年の話だ。実は、この年、川上は打率.313、29本塁打、34盗塁とトリプル3に迫った。 
 ただ、49年の盗塁は9。突然増えたのが不思議ではあった。 
 川上は足が遅いわけではなかったようだが、「打てばいいんだろ」とばかりあまり盗塁に熱心ではなかったはずだった。 
 変わったのは三段跳びの選手で64年には東京オリンピックで選手団団長も務めた大島鎌吉に、 
「川上君、スポーツマンは何事もランニングだ。いくつになってもランニングを怠ってはいかん」 
 と言われてからだという。川上が頑固さの半面、球界以外の一流と言われる人の言葉に影響されることがあったらしい。 
 そこから突然、「足を速くするための特訓」を始めたのだが、これがすごい。2月のキャンプインまで毎日、縄で愛犬の首と自分の体をつないで走ったという。 
 西鉄が揺れ始めていた。 
 西亦次郎代表が「独立採算でできるくらい合理化したい」と発言。ベテラン選手の放出、外国人選手の整理、二軍の廃止とウエスタン・リーグからの脱退を検討中と語った。 
 炭鉱の斜陽化に加え、鉄鋼不況で北九州の経済自体が冷え込み、西日本鉄道も大きな痛手を負っていたことが背景にあるらしい。 
 では、またあした。<次回に続く>
************************* https://www.uta-net.com/song/78844
 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190129-01
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①┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.757 ┃  90円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1971(昭和46)年11月01日(月)号 1971年日本シリーズ序章、カギは福本豊?
 2020(令和二)年07月22日(水) 10:57 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎第2戦、川上監督の福本対策
 写真◆福本の足はセにはない異次元のものだった
 今回は『1971年11月1日号』。定価は90円。
 この号では一気に第7戦まで報じられているが、ここでチビチビとやっていく。
 巨人─阪急の日本シリーズ1、2戦の舞台は西宮球場だった。
 第1戦は予想どおり、巨人・堀内恒夫、阪急・足立光宏が先発。
 巨人は長嶋茂雄の先制打と末次民夫の決勝タイムリーで足立を攻略。堀内─森昌彦バッテリーも阪急機動部隊の福本豊、阪本敏三の足を巧妙なクイックモーションと正確なスローイングで封じ、2対1と先勝した。
 続く第2戦は一転して壮絶な打撃戦。巨人は阪急先発の山田久志から王貞治、柳田俊郎が本塁打、リリーフの米田哲也からも長嶋、黒江透修がホームランを放つが、阪急は逆転に次ぐ逆転で8対6と勝利した。
 巨人・川上哲治監督が警戒したのは福本だ。
 第1戦、福本は3安打1四球で4回出塁し、盗塁は1回。足はそこそこ封じたが、川上はバットで福本がラッキーボーイになる危険を感じた。
 当時、福本はチーム内でまだ絶対の信頼を得ているわけではない。1、2戦とも八田正が偵察メンバーで、福本(左打者)、正垣宏倫(右打者)を置いていた。正垣は、この年、規定打席には達していないが、打率は.319だった。
 川上監督は、2戦目で福本を早めに交代させるため、右の関本四十四を先発させ、1回を投げて左腕の高橋一三にスイッチする。阪急はすぐさま福本から正垣に代えた。
 ただ、正垣はヒットこそないが、四球、四球、死球。試合は巨人の本塁打攻勢をしのぎ、12四死球の巨人投手陣の乱調を突いた阪急が制した。
 川上監督の策は投手陣の乱調で空振りに終わった、と言えるかもしれない。
 巨人投手陣の乱調は阪急のサードコーチ、スペンサーの影響があった。巨人は当時ウワサされていたスコアボードからのサイン盗みに関しては、ネット裏の人間が双眼鏡で監視し、何かあったら抗議する手はずを整えていた。
 だが、三塁コーチはそうはいかない。スペンサーが1球1球、意味深のゼスチャーを一塁ベンチに送り、そのたび阪急の選手がわざとらしい声をあげる。
 捕手のサインか投球のクセが盗まれたように見えるし、フェイクのようでもある。堀内は「あれは嫌だったな」と言いながらも自分のピッチングができたが、ほかの投手はそうもいかなかった、ということだろう。
 では、またあした。<次回に続く>
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②┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.758 ┃  90円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
‡1971(昭和46)年11月01日(月)号 1971年日本シリーズ第2章、山田久志がセットでなければ王貞治はホームランを打てなかった
 2020(令和二)年07月23日(木) 10:14 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎1、2戦目、先発は同じ
 写真◆捕手のミットを見るとほぼ真ん中か
 今回は『1971年11月1日号』。定価は90円。
 巨人─阪急の日本シリーズ第2弾。
 西宮での1、2戦を終え、1勝1敗。勢いは、やや第2戦目を制した阪急にあるが、西本幸雄監督が自信を持って送り込んだ若きエースの山田久志、斬り込み隊長の福本豊が完全に機能したとは言えない。
 第3戦は日本シリーズ史上屈指の名勝負となった。
 10月15日、中1日で舞台は後楽園に変わったが、先発は第2戦と同じ。巨人が左打者の福本封じのため、1回だけ投げた関本四十四。阪急は7回4失点、105球を投げた山田だった。
 関本は予想どおり、山田は奇襲。西本監督は、王貞治、柳田俊郎と本塁打を浴びたが、被安打は4の山田の浮かび上がる速球は、十分、巨人打線を苦しめたと判断した。
 期待に応え、山田は完ぺきな投球を続ける。2回一死から末次民夫に右越え三塁打を浴びるが、後続を抑え無失点。1、3、4、5、6、7回はパーフェクトピッチングだ。8回には代打の上田に内野安打を許すが、失点はなく、1回から8回まできれいにゼロを並べた。
 対して阪急打線は関本から2回に1点を奪うが追加点なく、阪急の1対0のまま9回裏、巨人最後の攻撃を迎えた。
 勝利を目前とし、山田は一死後、柴田勲をこの試合初めての四球で歩かせた。
 これが試合の流れを少しだけ変えた。つまりONの一角、長嶋茂雄に打順が回るのだ。
 柳田を右飛で二死の後、長嶋の当たりは山田の右足そばを抜ける。ショート・阪本敏三が定位置にいたら捕れたかもしれないが、長嶋の打球傾向を考え、やや三塁寄りにポジショニングをしていたため届かず、ヒットにし、一、三塁となった。
 次の打席は王。この試合、3打席凡退と抑え込まれていたが、1-1から山田が投じた内角の速球を王がすくい上げ、右翼席に逆転3ラン。珍しく小躍りするようにホームを踏んだ。
 対して、山田はマウンドにうずくまって動かなくなり、西本幸雄監督がうながすまで立ち上がることすらできなかった。
 試合後、山田は「とても僕にはまだ巨人打線を抑えきれないです」と消え入るような声で話したが、のちのインタビューでは「打たれてからしばらくのことをまったく記憶していない」と語った。
 王は山田に対し、「セットポジションになったときは並の投手になる」とも話していた。実際、第2戦のホームランも一塁に走者がいた。
 山田のフォームは大きく振りかぶり、当初はオーバースローのように体を大きく使ってから静かに沈みこみ、そこから荒々しく投げるものだった。
 では、またあした。<次回に続く>
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③┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.759 ┃  90円
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 ■週べ回顧■最後。次からは、■週べ回顧1971年編■
‡1971(昭和46)年11月01日(月)号 1971年日本シリーズ、苦労人末次民夫のMVPをみなが祝福/週べ回顧
 2020(令和二)年07月24日(金) 10:14 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎ざっくばらんな祝勝会
 写真◆大きなスヌーピーに目がいってしまう
 今回は『1971年11月1日号』。定価は90円。
 巨人─阪急の日本シリーズ第3弾。 
 巨人・王貞治の劇的なサヨナラ弾が飛び出した第3戦。
 川上哲治監督は言う。
「負けている試合がいくつもあった。それが思ってもみないことでひっくり返ったこともある。ただ、王の一発は長いこと野球をやっているが、見たことがない」
 単なるサヨナラ本塁打ではなかったということだろう。
 結果的には、これで阪急の心を折った。第4戦7対4、第5戦6対1で巨人が勝利し、日本一。阪急は西宮に戻ることさえできなかった。
 畳みかけた巨人の立役者は末次民夫だった。
 第4戦、巨人キラーと言われた阪急先発・足立光宏が3回に突然崩れる。黒江透修に死球、長嶋茂雄がレフト前で一、三塁になると、王を敬遠。王はこの日、初回、7回も敬遠されているが、足立は、そこまで王を苦手にしていたわけではない。やはり前戦のショックが強烈だったのだろう。
 この後、末次が満塁本塁打で4点を奪い、試合を早々に決定づけた。
 末次は打率.368、7打点でMVPに輝いている。
 負けた西本幸雄監督は「巨人とは力は五分だと思ったが、まだ巨人に勝つためには多少の力ではダメだ。完全に力の差をつけるというプラスアルファがなければ」と言った。
 末次の話をもう少し書く。
 第5戦の勝利の後、MVPが末次と発表。ほかに堀内恒夫、黒江、長嶋、森昌彦、王と候補者がおり、誰が選ばれてもおかしくなかったが、みな末次と聞いて喜んだ。
 王は、
「よかった。今までぱっとしないスエもこれで来年から先が楽しみになった」 
 と言って涙した。末次と王は荒川道場の先輩、後輩で遠征の宿舎では同室だった。
 長嶋も言う。
「スエのような1年間、あまりいいことがなかったやつがシリーズ男に選ばれて本当によかった」
 末次はこの年、打率5割台のハイペースでスタートしながら4月21日の中日戦で死球を受け、左手を骨折。長期離脱となった。
 8月末にようやくシーズン1号本塁打。ナインの1人が「へえ、まだ1号か」と冷やかすと、昼行燈と言われた男が周囲をにらみつけ、怒ったという。
 最終的には92試合の出場で打率.311だった。
 左手甲の痛みは消えず、日本シリーズ前には吉田接骨師に、
「今度のシリーズだけは、なんとか手が痛くならんように、先生、どうか治してください」
 と頼み込んだという。
 日本一決定後、文京区湯島の宿舎「花水館」で7連覇の祝勝会。酔っぱらった川上監督と選手のやり取りを少し抜粋しよう。
「(高橋)一三(この日、完投勝利)、今夜はゆっくり寝ろよ。子どもをたくさんつくれよ」(川上監督)
「子どもがおらんの(柴田)勲ですよ」(黒江)
「おっ、そうじゃ、みんなに発表する。柴田のところは来年5月におめでたじゃった」
 ワーッという爆笑。まるで親戚の飲み会のように和気あいあいの雰囲気になってきた。
「しかし、それにしても変じゃな。ペナントレース中よりシリーズのほうがチームプレーがよかったのはどういうわけじゃ」(川上監督)
「それは監督、罰金がなかったからでしょ」(黒江)
「それは違いますよ。みんなが栄光をかけて戦ったからです」
 マジメくさって答えたのが堀内。ここでまた、爆笑になった。
「おい、末次、あいさつしろ」(長嶋)
 そう言われて立ち上がった末次が一言。
「慣れないことをすると、ほんと疲れます」
 いつもはおとなしい照れ屋の言葉に、一斉に歓声が起こった。
 前号のタイトルの誤字、すいませんでした。
 では、また月曜日に。<次回に続く>
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④┃ 『週刊ベースボール』60周年記念企画 No.760 ┃  90円
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛写真=BBM
 ■週べ回顧1971年編■最初。
‡1971(昭和46)年11月01日(月)号 ロッテ大型移籍の続報と大洋の新外国人/週べ回顧1971年編
 2020(令和二)年07月27日(月) 10:14 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。
◎大洋がハワイから新外国人獲得に動く
 写真◆大洋時代(1期目)の野村収
 今回は『1971年11月1日号』。定価は90円。
 ロッテの大型移籍の続報もあった。
 シーズン最終戦で、江藤慎一が野村収との交換で大洋へ移籍と発表。
 その後、ロペスも外山義明との交換でヤクルトへ移籍した。
 江藤は首位打者、ロペスも3割打者とあって、ロッテ側が損と言われた、という話をした。
 ロペスは、「ボクのアパートのある赤坂から神宮は地下鉄で5分。ヤクルトには親友のデーブ(ロバーツ)もいるし、ハッピーだよ」と喜んでいた。さらに、
「江藤さんと大沢さんは年も近いし、性格も強気で似ている。だからお互いに反目し合ったんじゃないか。ミー? 僕がヤクルトに行ったのは、ミハラさん(三原脩監督)から強く望まれたからさ。それが理由のすべてだよ」
 いつも楽天的な男だった
 江藤を獲得した大洋が最初に狙っていたのは、東映の張本勲だったが、話が新聞に漏れ、大々的に報じられたことで、中部オーナーが「事前に漏れたトレードがうまくいった試しはない」とやめたという。
 その後、江藤にターゲットを絞り、投手を欲しがったロッテに対し、「平松(平松政次)、小谷(小谷正勝)以外なら」と言い、二軍監督時代から野村の才能に注目していた大沢啓二監督の希望もあり、野村と1対1が決まったらしい。
 前年4勝3敗ながら、将来性を買った、と言われれば、江藤を出したかったことを加味すれば分からないではない。
 ただ、ロペスと外山はどうか。二刀流で話題となった外山だが、ロッテの期待は左腕投手として。しかも、すでにヒジの故障に苦しんでいた。
 これもロペスの言葉。
「ボクとトヤマでつり合いが取れているとは思わない。エトーさんとノムラもそうだけど、これは選手だけのトレードと思えない。プラス・キャッシュじゃないかな」
 推測と断りつつ、金銭があったのではと話している。
 実際、ロッテが銀行に返済を迫られている大口の借金3000万円があり、それでなくとも赤字の球団への支出を減らしたがっている、というウワサもあった。
 高額年俸者の放出を進めるとなると、次のターゲットは間違いなく、榎本喜八と言われていた。
 また、江藤を獲った大洋は、次は外国人獲得に動く。交流のあったハワイ・アイランダースの関係者を日本に招き、成績不振のワーハスを引き取ってもらい、誰か代わりをくれないか、と打診。クレート・ボイヤーらの名前が出たが、「それならいらない」と一度、断ったらしい。
 これを聞いて、メジャー通は絶句していたはずだ。
 ボイヤー、メジャー通算1396安打ながら打撃は今一つだが、守備は一流の名三塁手。一言多い性格から干されてハワイでプレーしていた男だ。
 では、またあした。<次回に続く>
 備考・・・2018(平成30)年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。1日に1冊ずつバックナンバーを紹介
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①https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200722-13
②https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200723-01
③https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200724-01
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