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過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|September 19|262
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃| 9月19日 |
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********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17130
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/009/0919.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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①┃ THE BEATLES of 1963  ┃(sat)23 February
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 Concert: Granada Cinema, West Gate, Mansfield, Nottinghamshire
 First night on the second leg of the Helen Shapiro tour.
 "A scarce signed Helen Shapiro/Beatles concert programme 1963
 from the show at the Granada Cinema, Mansfield, 23rd February, autographed on an inside page by the Beatles in blue ballpoint and brown felt pens, together with a used concert ticket
 programme with central horizontal fold and other creasing, small split at bottom spine, small tear to back cover, pin holes top right
 This was the first night of the second leg of the Shapiro tour: the Beatles were 4th on the bill."
‡Source: (tue)19 September 2000『Sothebys』
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②┃ THE BEATLES of 1963  ┃(sat)20 April
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 Concert: Ballroom, Mersey View Pleasure Grounds, Overton Hills, Frodsham, Cheshire
 "An autographed Beatles concert ticket, 1963
 from the Mersey View Ballroom, 20th April, the reverse signed by the group in blue ballpoint 9 by 11.5 cm; 3 1/2 by 4 1/2 in, front discoloured by tape overall, creased, reverse dirty The group's only appearance at this venue, in Frodsham, Cheshire. The following day they appeared at the Empire Pool, Wembley, their biggest concert to date, playing to an audience of some 10000 at the NME Poll-Winners' All-Star Concert!"
‡Source: (tue)19 September 2000, Sotheby's auction
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 ①http://www.multiplusbooks.com/630223.html
 ②http://www.multiplusbooks.com/630420.html
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 ┃ Brian Epstein ブライアン・エプスタイン ┃‡1934(昭和九)年9月19日(wed) born
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 1967(昭和42)年8月27日(sun) died
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%97%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3
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人生のすべてをビートルズに捧げたマネージャー、ブライアン・エプスタインの憂鬱
2016年09月19日 執筆者:藤本国彦
「新鮮で純粋だった。何と言っても存在感があった」
『レット・イット・ビー』以来46年ぶりとなるアップル公認のライヴ・ドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』(9月22日から全国公開)には、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインのそんな発言が出てくる。1961年11月9日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブで演奏する4人を初めて見た時のコメントだ。決して大袈裟ではなく、その瞬間、彼は人生のすべてをボーイズ(エプスタインは彼らをそう呼んだ)に捧げたと言ってもいいだろう。
ブライアン・エプスタインは1934年9月19日、家具店を営む裕福な家庭に生まれた。父親のハリー・エプスタインが大きな家具店(North End Music Store)を経営していたため、経済的には何の不自由もなく育ったものの、勉強嫌いで学校を7回も変わるという落第生だったらしい。その後デザイナーになろうとしたが、父親の反対で家業を継ぐも長続きせず、元来の芝居好きが高じて俳優になろうと決心しロンドンへと向かう。22歳の時のことだ。だが、“他人に興味がなく敗北を異常に恐れる”俳優たちを目の当たりにして失望し、再びリヴァプールに舞い戻り、58年からNEMSの経営者として家具店のレコード売り場を切り盛りすることになった。
売れたレコードと在庫の確認を日々怠らず、客の注文がきたら即座に対応できる態勢をとる。“NEMSに行けばどんなレコードでも手に入る”――彼のそんなプロ意識をぐらつかせたのはビートルズだった。61年10月にレイモンド・ジョーンズという10代の若者が「マイ・ボニー」のシングルを探しに店に来たが、エプスタインはそのシングルのことを知らなかったという(エプスタインは、ビル・ハリーが創刊したリヴァプールの音楽情報誌『マージー・ビート』のレコード評を担当するなど、地元の音楽シーンに強い関心を持っていたので、それ以前に“ビートルズ”の名前を目にしていた可能性もある)。エプスタインがビートルズに興味を持つ最初のきっかけはそうして生まれた。そして、キャヴァーン・クラブでのステージを見てビートルズに惚れこんだ彼は、61年12月21日に、キャヴァーン・クラブのDJボブ・ウーラーの仲介でマネージャーとして契約を結ぶ(正式契約62年1月24日)。
多くの人が望むものを、時期を逃さずに提供すること――NEMSのレコード売り場での経験は、そのままビートルズの売り出しにも生かされた。清潔なイメージ戦略もそうだし、64年のフランス市場拡大や66年の日本を含むアジア戦略もそうだ。ライヴを軸にビートルズの魅力を世界的に広げていったエプスタインの頂点は、前述の映画と同時上映されるシェイ・スタジアム公演(65年8月15日)だろう。その映像には、5万5600人の観客を見渡しながら、ステージ横でビートルズの演奏を恍惚とした表情で見守るエプスタインの姿が映し出されている。デビュー後3年足らずでビートルズを世界一のライヴ・バンドに育てたエプスタインに対し、ポールはビートルズにMBE勲章が授与されることが決まった時に「MBEは“Mr.Brian Epstein”の略だ」と感謝の意を表した。
しかし、ビートルズのライヴ活動の終焉(66年8月)は、「4人がよく見えるように」と常に気にかけてきたエプスタインとボーイズとの別離を表わしてもいた。ビートルズがマハリシ・マへシ・ヨギの講義を受けるためにウェールズに滞在中だった67年8月27日、エプスタインはドラッグの服用過多により32歳の若さでこの世を去ってしまう。生き甲斐だったビートルズが“ファンのいない場所”へとどんどん遠ざかっていくことに耐え切れなかったのだろう。もしエプスタインが生きていたら、69年1月30日のアップル・ビル屋上での“再結成ライヴ”をどんな思いで見つめたのだろうか。?
ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years>
cApple Corps Limited. All Rights Reserved.
2016年9/22(木・祝)より 角川シネマ有楽町ほか全国公開
配給:KADOKAWA 
http://music-calendar.jp/2016091901
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 13.Brian was a beautiful guy ... he presented us well" (Lennon speaking to David Wigg for BBC Radio 1's Scene and Heard) October 1971 New York City 0:10 
 14.I secured them ... a Beatle drink even then" (Brian Epstein reading from A Cellarful of Noise) 13 October 1964EMI Studios, London 0:18 
 20.Well, the recording test ... by my artists" (Epstein reading from A Cellarful of Noise) 13 October 1964 EMI Studios 0:32 
 29.We were performers ... in Britain" (Lennon speaking to Wenner) 8 December 1970 New York City 0:12 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓1995/11/20(mon) UK
 ┃ 『THE BEATLES ANTHOLOGY 1』 ┃1995/11/21(tue) JP、US
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 〇Disc one〇
 13.Speech:John 1971年のジョンのコメント。 
 14.Speech:Brian Epstein 1964/10/13 エプスタインはジョージ・マーティン・プロデュースのもと、自らの自伝本の朗読をレコーディングしたとかで、このコメントはその一部を抜粋したもの。 
 20.Speech:Brian Epstein 1964/10/13 これもエプスタインによる自伝の朗読
 29.Speech:John 70年のジョンのコメント
************** https://en.wikipedia.org/wiki/Anthology_1
 http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/beaAlb20.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.45 P.252 1968年09月19日「ダークホースの輝き」◎ジョージが♪Something♪のメロディーを披露した日◎
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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‡|1968(昭和43)年 9月19日(木)|「妻を想って名曲誕生」
‡|2009(平成21)年 9月19日(土)|甲虫日記更新日 No.058
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ビートルズのシングル盤A面をジョージ・ハリソンが初めて飾った「Something」は、競馬に例えて言うと、先頭を争う名馬2頭を最終コーナーで抜き去ったダーク・ホースのような驚きがあった。
「ホワイト・アルバム」の制作中、妻パティにインスパイアされたジョージがピアノでメロディーをつくった。ポールが何かの曲をオーバーダビングしている間、誰もいないアビイ・ロードの第1スタジオに入ってつくり始めたという。
「すらっと書けたけれど、真ん中の部分だけは決めるのに時間がかかった」
「僕があれを書いた時には、レイ・チャールズが歌うのがきこえた」
1968年9月19日、ジョージはスタジオで自作曲「Piggies」のハープシコード(チェンバロ)の部分を練習している時、ジョージ・マーティンの助手クリス・トーマスにメロディーを披露した。
「最高だね、何でその曲をやらないの」とトーマスが喜んでみせると、「気に入ったかい、本当にいいと思う」とジョージはトーマスの顔をのぞき込んだ。「もちろんさ」。トーマスが返すと、驚いたことにジョージはジャッキー・ロマックスに曲を提供する考えを明かした。アップルと契約して面倒をみていた新人アーティストだ。友人の歌手ジョー・コッカーには、ビートルズよりも先に録音を許している。
「あの曲は、ちょっとの間、保留にしていた。簡単すぎて、あまりにもシンプルな曲に聞こえてしまうと思ったからだ」
ジョージは、簡単にメロディーが完成してしまったことに戸惑っていた。「他人の曲ではないか」と心配したポールが、ジョージ・マーティンに背中を押されてようやく「Yesterday」の録音に踏み切るまでの経緯と少し似たところがある。
メロディーに比べて、作詞には時間がかかった。年が明けた69年1月のゲット・バック・セッション。ジョージは冒頭の歌詞「Something in the way she moves」の後にどんな言葉を続ければいいか、ポールに相談した。「頭に浮かんだことを何でも言ってみればいいんだよ。Attracts me …… a cauliflower……そのうち言葉がみつかるさ」。そばにいたジョンがアドバイスした。
冒頭の歌詞は、アップルと契約していたジェームス・テイラーのアルバム「JAMES TAYLOR」(68年12月)のなかの作品「Something in the way she moves」(彼女の言葉のやさしい響き)から取ったという説がある。
テイラーのアルバムは、68年7月~10月にかけてロンドンのソーホーにあるトライデント・スタジオで録音された。ポールも1曲ベースを弾いた。同じ頃、ビートルズはアビイ・ロード・スタジオで「ホワイト・アルバム」を制作中だった。問題の曲をポールが聴いたのは間違いないし、この時期にトライデントでジョージが「Savoy Truffle」を録音している事実もある。
テイラー自身は「それ以上のことはわからない」としながらも、「意識的にせよ、無意識にせよ、ジョージがぼくの曲の歌詞を使ってくれたとしたらすごく光栄な話だ」と歓迎するコメントをしている。
 ◎マイケル・ジャクソンとジョージのインタビューで……次のページへ
作者26歳の誕生日にあたる69年2月25日、ジョージによる弾き語りのデモ・バージョンが録音される。「ANTHOLOGY 3」で聴くことができるこのデモ・バージョンには、4月に録音された完成バージョンでカットされた詞の部分もある。
ジョンはアルバム「ABBEY ROAD」のなかで一番いい曲だと言った。英国ではアルバム収録曲からシングル・カットした初めての曲にもなった。シングル・チャートは最高4位にとどまったが、米国では1位を記録した。
「Something」は多くの歌手を魅了した。レイ・チャールズはもとよりフランク・シナトラ、エルビス・プレスリーら150以上もの優れたカバー・バージョンが生まれている。ジョージはスモーキー・ロビンソンとジェイムズ・ブラウンのカバーを気に入っていた。妻パティのお気に入りは、キンファンスの自宅のキッチンで初めてジョージが聴かせてくれた弾き語りバージョンだと、自伝に記している。
「サムシングは突然現れたって感じだった。すごく美しいメロディーで、構成もほんとによくできていて、とても気に入っている」とポール。「レノン&マッカートニー王国」の下でもがいていた弟分ジョージについて、「彼がそこに入り込むのは楽なことじゃなかっただろう。だけどついに彼は『サムシング』を生みだした。ジェラシーなんかなかった」と回想している。
ジョージ・マーティンは過去を振り返り、率直に反省と後悔の弁を口にする。
「ジョージの辛さは、優れたソングライティングの素質を持つ者として認められなかったことだと思う。誰も彼を同じレベルで見ていなかった。ジョンも、ポールも、私も。その点で私は罪の意識を感じている」
ジョンにはポールがいた。2人はアイデアをぶつけ合うことができたし、一緒に書かなくてもライバル関係として競合できる仲間でいた。しかし、ジョージはまったく1人だった。それでも辛抱して努力を続け、ついに「Something」が生まれた。
「あの当時の誰が書いたものにもまったく引けを取らない。(中略)おもしろいものだね。ジョージが前に出てくると同時に、僕らは解散にむかっていたんだから」
達観したリンゴの言葉には、4人の男たちの成長と別れという定めを感じる。
解散後のある日、ジョージはBBCでマイケル・ジャクソンと一緒にインタビューを受けた。話題が「Something」になって、突然、マイケルが真顔で驚いた。
「えっ、あなたが書いたんですか。レノン&マッカートニーだと思っていた」
 ◎『この日のビートルズ』の次回は10月12日(更新は9日)です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ 「オールタイム・ベスト」は、ジョージ・ハリソン初のレーベルを超えたベスト・アルバム。ビートルズ解散後のオリジナルアルバムや映画のサントラ、CD未収録曲など19曲の構成。オリビア・ハリソンが選曲した。「Something」などビートルズ時代の代表曲3曲は、1971年のライヴアルバム「バングラデシュ・コンサート」から紹介している。
オールタイム・ベスト
2009年7月8日 EMIミュージック・ジャパン 
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/090918.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃    『THE BEATLES Interviews Database』    ┃
 ┃ 163 Beatles interviews & press conferences ┃
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‡1969(昭和44)年9月19日(金)
‡No.137(07) 1969-09-19(fri) McCartney / BBC-Radio, Scene And Heard (1 photo) David Wigg interviews Paul from George's chair at the Apple offices. 
 Paul McCartney Interview: Apple Offices, London 9/19/1969
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 http://www.beatlesinterviews.org/db1969.0919.beatles.html
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 ┃ The Savage Young Beatles 1950s 1962 ┃
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‡Late September 1962 - Wednesday Liverpool docks, Liverpool
 Photographer: Les Chadwick
 The next Peter Kaye photo session was the exterior shots taken around the Liverpool docks. As for date, all I have is that it was a drizzly Wednesday. According to Kaye, "We worked on principle, contrasting their appearance in suits against drains and rubble. The group looked neater than they really were. Toward the end of the session we finished up on the Pier Head, against the Liver Building. Then we used the fire salvage vessel, The Salvor." Another account I have relates the locations as follows... The first location was a derelict bonded warehouse. The location with the car was a local beauty spot called 'The Bally' on the dock road. After this they went onto to the Albert dock and had photos taken in front of and on board 'The Salvor'. Then they had the famous photo taken of them in front of the Liver building. Quotes taken from Gareth Pawloski's How They Became The Beatles.
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 http://www.beatlesource.com/savage/1962/62.09.XX%20peter%20kaye/62.09.xxkaye.html
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  ┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studios 1, 2
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①┃ ♪Piggies♪  ┃takes 1-11
 ┗━━━━━━━━┛No.1 この曲が録音開始されたのはアビイ・ロード第1スタジオ。当初、第2スタジオでビートルズはセッションを行っていたが、この日のプロデューサー、クリス・トーマス(マーティン卿は休暇をとっていた)が第1スタジオにハープシコードが置いてあるのを発見。これを第2スタジオに持ち込もうとすると、同じくスタジオスタッフのケン・スコットに「だめだぞ!」と怒られてしまい、仕方なくビートルズ側が第1スタジオに移動する事になった。この曲にハープシコードを入れるアイデアを思いついたのはクリス・トーマスである。それをジョージに伝えると「君が弾けばいい」と言われたそうである。 二人でハープシコードをいじっている時にジョージはクリスに後の「サムシング」になる曲を聴かせたそうである。この時ジョージは「そうか。いい曲なのか。じゃあジャッキー・ロマックスに歌わせようかなあ」と言ったそうだwトーマスのハープシコード、ジョージのアコギ、ポールのベース、リンゴのバスドラとタンバリンの編成で ベーシックトラックを全部で11テイク録音した。ベストは第11テイク。テイクの合間にはポールが「レット・イット・ビー」をすでに歌っていたそうである。
 ┏━━━━━━━━━┓
②┃ ♪Something♪  ┃
 ┗━━━━━━━━━┛1968(昭和43)年9月19日(木) ♪Piggies♪のセッションの際にクリス・トーマスに聴かせている
  Producer: Chris Thomas
  Engineer: Ken Scott
  2nd Engineer: Mike Sheady
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③┃ ♪LET IT BE♪  ┃リハーサル演奏
 ┗━━━━━━━━━┛この時の音源は2018年に発売された『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)50周年記念エディション』に収録されているヨ(=^◇^=)
  英:McCartney first began to play around with "Let It Be" in the recording studio in between takes of "Piggies" on 19 September 1968.
  訳:マッカートニーは、1968年9月19日に♪Piggies♪のテイクの合間にレコーディングスタジオで♪LET IT BE♪をいじり始めましたヨ(=^◇^=)OK♂♀
 ‡1968(昭和43)年9月19日(thu)
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①https://beatlesdata.info/10/12_piggies.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Piggies
②https://beatlesdata.info/13/02_something.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/Something_(Beatles_song)
③https://beatlesdata.info/14/06_letitbe.html
 https://ja.wikipedia.org/wiki/レット・イット・ビー_(曲)
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‡1968(昭和43)年9月19日(thu) BBC-TV's『Top Of The Pops』broadcasts a documentary about the recording of ♪Revolution♪

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ The Quarrymen Live at The Casbah Coffee Club ┃
 ┃  ザ・クオリーメン  ザ・カスバ・コーヒー・クラブ  ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 No.1 1959(昭和34)年 8月29日(sat) The Casbah Coffee Club
 No.2 1959(昭和34)年 9月 5日(sat) The Casbah Coffee Club
 No.3 1959(昭和34)年 9月12日(sat) The Casbah Coffee Club
‡No.4 1959(昭和34)年 9月19日(sat) The Casbah Coffee Club
 No.5 1959(昭和34)年 9月26日(sat) The Casbah Coffee Club
 No.6 1959(昭和34)年10月 3日(sat) The Casbah Coffee Club
 No.7 1959(昭和34)年10月10日(sat) The Casbah Coffee Club ※THE END.
**************** https://en.wikipedia.org/wiki/The_Quarrymen
 http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19590829_live_casbahcoffeeclub1.html
 http://gejirin.com/beatles/history/1926-1959/19591010_live_casbahcoffeeclub7.html
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