過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓http://www.oricon.co.jp/news/25384/
 ┃ 究極のビートルズ来日賞味法!ビートルズが日本に与えたもの ┃2006(平成18)年06月21日(水) 14時00分
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛文/宮永正隆(著述家・ビートルズ大学学長)
 写真◆ビートルズ来日公演のパンフレット
 写真◆ビートルズが宿泊した日本唯一のホテル、キャピトル東急ホテル 
【6月29日】本当はビートルズの到着は28日夕方を予定していた。しかし台風4号が日本を直撃したため、11時間遅れの29日午前3時44分となった。この台風が「ビートルズ到着の騒乱を防いだ神風」とまで表現された理由もここまで読んだあなたには今やすっかり理解できるだろう。  送迎デッキからはるか離れた特別エリアに到着した飛行機。はっぴ姿で姿を見せたビートルズは、タラップで写真撮影をすませ、下に待機していたキャデラックに乗って走り去った。交通規制された首都高をパトカーの先導で走りぬけ、東京ヒルトンへと直行したのである。ビートルズが乗ってきた日航機の客室乗務員たちが記者会見を開いたが「皆さん、ジェントルな英国紳士でした」という談話ばかりでマスコミは拍子抜けした。ビートルズの落花狼藉ぶりを期待していたのだ。  その日の午後、ビートルズの記者会見が東京ヒルトン真珠の間にて行われた。まるで裁判のような代表質問形式に面食らいながらも、ビートルズは大人社会が繰り出す質問に答えていった。「ビートルズ公演に武道館を使用することは伝統的な日本武道の精神に反するという意見もあるが……」という質問にポールは聡明にこう答えた。「もし日本の舞踏団がイギリスの王立劇場に出演してもイギリスの伝統を汚すことにはならない。僕たちの国にも伝統はある。それに僕らはそこでやってほしいと依頼されたのだ」。ジョンも横から付け加える。「少なくとも取っ組み合いより平和的さ」。  午後5時頃、ビートルズが滞在したプレジデンシャルスイートを東芝レコードの石坂範一郎専務、ビートルズ担当・高島弘之ディレクターとともに加山雄三が訪問した。ビートルズは加山雄三の最新アルバム『ハワイの休日』を一緒に聴き、すき焼きを食べて過ごしたようだ。

 

 ビートルズ来日が教科書に載るわけ
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13112578088
 ビートルズが来日45年だそうですが、当時を知ってる方はいますか?
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1464225574

 映像◆ビートルズ最初で最後の来日deAth④(=^◇^=) http://video.fc2.com/content/20110703XGUxWVmP
 アニメ◆動画:ビートルズ最初で最後の来日deAth④(=^◇^=)
 ダイジェスト◆動画:ビートルズ最初で最後の来日deAth④(=^◇^=)
 静止画◆動画:ビートルズ最初で最後の来日deAth④(=^◇^=)

 映像◆ビートルズ騒動 1966  https://youtu.be/27HUmnD2CJ8
 
 映像◆ビートルズ来日の舞台裏1966*BEATLES Japan  https://youtu.be/u_G4YEEfZrE
 

 映像◆The Beatles - Live In Japan 1966 1_4  http://youtu.be/Ou__mIGfimU
 
 Beatles Japan 1966 Press Conference - True Stereo (Temp Mix)  http://youtu.be/o3LGZOymkQY
 
『毎日ニュース』希望訪問「やァ やァ やァ」―希望者・福島・田中紀子さん― http://youtu.be/JgehLBGkbJE
 

 映像◆Beatles 1966 News in Japan on Yomiuri ビートルズ ニュース映像  https://youtu.be/AVIFS_D7kzs
 

 映像◆2009年 世界・ふしぎ発見!.http://video.fc2.com/content/20150118wY4dPHRq
『ビート ルズがやってきたヤァ!ヤァ!日本滞在103時間の謎』
 映像◆[昭和41年6月] 中日ニュース 650 1「ビートルズ無事〝着陸〟」 https://youtu.be/G3jNLULIn8g
 
 映像◆【1966年6月29日】ザ・ビートルズ来日 厳戒態勢の3日間 https://youtu.be/rkwi5BQ48_0
    【1966年6月29日】ザ・ビートルズ来日 厳戒態勢の3日間(懐かしの毎日ニュース)00:02:42
 ■内容・ストーリー1966年6月29日、英国の超人気グループ「ザ・ビートルズ」が来日。はっぴ姿で飛行機のタラップを降りた4人は、延べ4万5000人の警察官が警備に当たる厳戒態勢の中、行く先々でファンの歓声を浴びながら3日間の日程を終えた。■キャスト・スタッフ毎日映画社、毎日新聞デジタル
 ■配信期間2013年6月30日~未定http://gyao.yahoo.co.jp/player/01061/v00001/v0000000000000000222/
 

[recommend]ビートルズ来日50周年を記念して全世界1966個限定の公認グッズを要チェック!
2017年08月13日 執筆者:中村俊夫
古くはレコードやカセット、80年代半ば以降からはCDなどパッケージ化された音楽ソフトが主体だった時代から、配信やストリーミングなどによる音楽ファイル主体の時代へと音楽作品鑑賞の手段の激変によって、CDセールス不振に意気消沈な昨今の音楽業界だが、アーティストのコンサートなど実演の場はけっこう景気が良いなんて話を耳にする(まぁ、ビッグネームに限られるのだろうけど)。今や絶滅貴種状態のCDショップに代わる音楽ソフトの販売チャンネルとしても、ライヴ会場での即売が以前よりも重要な役割を担っているのは間違いないだろう。
ミュージシャンのライヴ会場即売において、ひと昔前はCDが主力商品だったが、現在はTシャツや様々なグッズなど所謂アーティストのキャラクター商品の売り上げが伸びており、会場で即売開始後、短時間で完売するというケースも珍しくない。この現象はライヴハウスを中心に活動しているようなインディーズ系バンドも例外では無く、今やグッズ販売は彼らの重要な資金源となっているのである。CDをTシャツ等とセットにして販売しているバンドも多く、こうなるとどちらがメイン商品なのかわからなくなってくる。
いずれにせよ、CDの価値・存在感が悲しいほどに軽くなっている現実があるわけで、CDを選挙投票券変わりにしたAKB商法に至っては、NHK朝ドラ『ひよっこ』でも描かれていた、ビートルズ来日公演のチケットをエサに歯磨きを買わせた後援スポンサー企業の手口を連想させるが、もはや音楽ソフトは歯磨きの空き箱程度の価値しかないのだろうか…。
ビートルズ来日公演の会場である日本武道館でレコード即売があったのかどうかは知る由も無いが、英国オリジナル・アルバムの『Please Please Me』『With The Beatles』を、それぞれ曲順とジャケットを替え、来日記念盤と銘打って『ステレオ!これがビートルズVol.1』『ステレオ!これがビートルズVol.2』のタイトルで、公演の1カ月前である66年5月25日にリリースされている(各\1,800)。
また、これも会場で販売されていたかは知らないが、来日前からビートルズの様々なキャラクター・グッズが市場に出回っていた。当時の資料によると、カツラ(\15,000)、水着(\2,800)、ランチ・ボックス&ポット(\1,850)、ブラウス(\1,500)、セーター(\950)、バスタオル(\600)、トランプ(\500)、紙製バッグ(\400)、ブレスレット(\400)、ハンカチ(\80)などがあったらしい。公務員の初任給が大卒\17,000、高卒\12,000、かけそば\50、ラーメン\70、週刊誌\50、喫茶店のコーヒー\80という時代背景を考え合わせると、レコードもグッズもけっこう高額商品だったと言わざるを得ない。
基本的に音楽作品以外のビートルズ商品は、64年2月のビートルズ米国上陸を機に、無認可海賊商品の氾濫に業を煮やしたブライアン・エプスタインによって設立された代理店『セルテーブ(Seltaeb)』(Beatlesのスペルを逆に並べたもの)によって一括管理していたが、当時日本で売られたグッズが果たしてどこまでセルテーブ認可商品だったかは不明。現在でもコンサート会場のそばで堂々と非公認グッズが販売されていることを考えれば、著作権意識の低かった当時は、かなりの数の海賊商品が出回っていたものと思われる。1966年6~7月のビートルズ来日時は、これらのグッズ(公認・非公認関係なく)を身につけたファンたちが日本武道館やヒルトン・ホテル(当時)周辺に多数群がったのだろう。
あれから半世紀の歳月を経た昨年2016年、ビートルズ来日50周年を記念して新しいグッズが発売された。それがTHE BEATLESオフィシャルウォッチである。もちろんアップル・コープ社の公認グッズで、全世界限定1966個(来日の年に由来)というプレミアム商品。大人のビートルズ・マニア諸兄には堪らないアイテムなのでは?詳しくは下記URLにアクセス!
Beatles来日50周年記念オフィシャルウォッチ>
≪著者略歴≫中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。  
http://music-calendar.jp/2017081301
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ビートルズ来日50周年記念 THE BEATLES オフィシャルウォッチ
9:50 2018/01/29(mon)現在情報
月々6,500円(+消費税)×8回払い
一括価格 49,800円(+消費税)
発送手数料 600円(+消費税)
仕様
●材質:ケース=ステンレス、ダイヤモンド1石、バンド=人工皮革、風防=ミネラルガラス ピンズ=24金仕上げ真鍮
●ケースサイズ(約):直径36×厚さ13.5mm
●手首回り(約):13~19㎝
●ムーブメント:自動巻き(手巻きも可能)
●石数:21石
●精度:日差-20~+40秒
●駆動時間:最大巻き上げ時で約40時間
●1年間品質保証
●日本製
https://iei.jp/50090379401/?utm_source=music-calendar&utm_medium=affiliate&utm_campaign=beatles

2016/6/29
ザ・ビートルズが来日してから50年となる記念すべき2016年、
ライヴ・ドキュメンタリー映画(配給:KADOKAWA)が秋に全国公開されるのにあわせて、
全24タイトルを期間限定仕様で発売
●従来の商品からオビが変わります⇒映画情報が入った、アップル・マーク入りの新装オビになります。
●外付特典:映画公開用の写真を使用した「フォト・シート」(A5サイズ)1枚をお付けします
https://www.amazon.co.jp/dp/B01G1FRJX8

 Vol.1 4人を日本へ連れてきたジェット機…JA8008の数奇な一生
 2000(平成12)年09月13日(水) 記
■ぷろろーぐ
‡1966(昭和41)年06月29日(水)。台風一過、払暁の羽田空港。THE BEATLESの一行を乗せた日本航空(JAL)のDC-8(JA8008,“MATSUSHIMA”)が到着し、同社のハッピを着た4人がタラップを降りて、日本の地を踏みました。このシーンを「演出」したDC-8“MATSUSHIMA”。実は同機も、数あるJALのDC-8の中では、非常に数奇な一生を送った機体だったのです。今回は、この機体の遍歴にスポットを当てて見ました。
■“再生”された機体
 1960~1970年代にかけ、JALの国際線・国内線ネットワークの主力として活躍したダグラスDC-8。当初、この機体はJA8003“HAKONE”として、
 1960(昭和35)年09月13日(火)に登録されました。(因みに、この当時のJALの旅客機にはすべて愛称がつけられていました。DC-8には日本国内の観光地の名前が、また同時期に導入されたコンベア880には花の名前が、そして1965年から国内線に投入されたボーイング727-100には川の名前が付けられたのです)ところが就航後ほどなくして、JA8003は羽田空港への着陸時に事故を起こして大破し、1961年7月に登録抹消。その後修理の上、1963年2月に再登録されたのです。この時に機体番号はJA8008、愛称は“MATSUSHIMA”に改められました。「再生」されたJA8008は、拡張を続けていたJALの国際線用機材として、他のDC-8やコンベア880(1971年に退役)と共に活躍を続けます。そしてあの台風明けの払暁、ロンドンのヒースロー空港から4人を乗せ、アンカレジ経由で羽田にランディングしたのでした。
■主役を降りて…そして、失われた絆を繋いで
 1970(昭和45)年、「ジャンボジェット」ことボーイング747-100がJALの国際線に就航し、空の大量輸送時代の幕開けを告げました。ジャンボからJALのマーキングは新しいものに変更され(1985年の御巣鷹山事故まで、標準塗装となっていたデザインです)、それまで在籍していた各機も1970~1972年頃に新塗装へ変更されました。JA8008もこの対象となり、“MATSUSHIMA”の愛称もなくなりました。ジャンボの就航により、客席数が130席そこそこのDC-8は主役の座を降り、国際線でも「ローカル」な路線に転用されました。その後、JA8008は1975年9月にJALからJAA(日本アジア航空)へ転籍したのですが…。日本アジア航空は、1972年9月の「日中共同声明」により台湾との国交が絶たれたため、JALが台湾路線を運行することが出来なくなり、その復活のためJALの100%出資で新たに設立された会社なのです。その会社のキック・オフ・フリートとして、もう1機のDC-8と共に転籍したJA8008は、いわば日本と台湾の「失われた絆」を繋ぐ役割を担って、飛び続けることとなったのでした。
■えぴろーぐ
 1981(昭和56)年07月。JA8008はJAAでの登録を抹消され、日本の空を去って、ペルーの航空会社へ売却されました。最新の資料によると、現在でも在籍している…とのことですが、既に機齢ほぼ40年。実際はどうなのでしょうか…?JALのハッピを着たTHE BEATLESの一行を、羽田に降り立たせた瞬間。きっとそれが、JA8008にとっても「一世一代」の晴れ姿だったのでしょう。
■この原稿は、
 2000(平成12)年06月14日(水)に「BEATLESであそぼー」のBBSに寄稿した内容を元に加筆・再構成しました。
 参考文献 … 「日本の旅客機2000-2001」(1999-11・イカロス出版)
 http://moving.la.coocan.jp/yabunirami1.htm


 ♪ビートルズに会えなかった♪
 http://www.uta-net.com/song/175881/
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 ┃ ビジネス特集 65年でどう進化?ビジネス・ファーストの旅 ┃
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 2019(令和元)年07月26日(金) 16時55分
 1966年、羽田空港に降り立った「ビートルズ」が着ていた「はっぴ」。実は、旅客機のファーストクラスのサービスと関係があったこと、知っていましたか?その根底に流れるのは「日本のおもてなしの心」。あれから半世紀余り。ビジネス・ファーストクラスは大きな変化を遂げています。(経済部記者 木下健)
 ◎全席ファーストクラスから ⇒ ビジネスやファーストクラスの歴史をひもとくと、65年前にさかのぼります。日本航空は、1954年に東京(羽田空港)-サンフランシスコ線に定期便を就航。当初、国際線は、座席すべてがファーストクラスでした。当時は留学や仕事などの目的を持つ人にしかパスポートは支給されず、観光目的での海外旅行は認められていませんでした。サンフランシスコまでの運賃は片道650ドル、1ドル=360円だったことから日本円で23万4000円。当時の大卒初任給がおよそ1万円。とても高額なフライトだったことがわかります。機体もまだ小さく、第1便の乗客はわずか21人でした。
 ◎はっぴに着物、日本らしさを追求 ⇒ ファーストクラスでは一風変わったサービスも行われていました。それが、冒頭でも紹介した「はっぴ」です。
 ビートルズのメンバーが着ていたのは、「ハッピーコート」と言われるもので、1960年代にファーストクラスを利用していた乗客に機内のリラックスウェアとして提供されていたものです。背中には「寿」の文字があしらわれ、襟の部分には「日航」と「JAL」の文字がデザインされていました。
 1970年には、ジャンボジェット機を導入。座席数が大幅に増え、他の航空会社との間で顧客の争奪戦が起こります。ナショナルフラッグとして、ファーストクラスでは日本らしさを前面にアピールします。ファーストクラスの前方の壁には、戦後を代表する日本画家、加山又造の巨大な日本画が描かれ、客室乗務員は着物でサービスを行っていました。日本では、大阪万博が開催されていて、訪れる要人に日本らしさを機内から感じてほしいという思いからでした。
 ◎快適性を追求 進化する座席
 1985年のプラザ合意で急激な円高が進むと、バブル景気も後押しして、海外旅行が一般化。ビジネスクラスでの海外出張も盛んになります。
 1986年から国際線に参入した全日空は、こうした需要を取り込もうと、成田ーロサンゼルス線にビジネスクラスを導入しました。最初はエコノミーの座席が大きくなっただけのものでしたが、その後、快適性を追求して座席は進化していきます。長距離や直行便が増えたことで、機内で少しでも眠りたいという要望が多く寄せられます。2002年には、座席が完全に水平とはいかないものの、座面が平らになる「ライフラットシート」が登場。そして、2010年。ライフラットでは角度があるためやっぱり寝にくい!という声に応えて、完全に水平になるフルフラットシートが登場。機内でいかに快適に過ごせるかがポイントになっていきます。
 ◎最新の機体 日本らしさを ⇒ この7月。9年ぶりにビジネスやファーストクラスのデザインを一新しました。公開された新しいデザインでまず目を引いたのが、木の存在感です。建築家の隈研吾さんがデザインの監修を行っていて、機内は座席に木目調のパネルを使い日本らしさが感じられるつくりになっています。ビジネスクラスは全席にドアが付いて個室にすることができるようになります。そして、シートの幅はこれまでの2倍となり、座席を水平に倒すと寝返りを打つこともできます。
 写真◆全日空 平子裕志社長「洗練さと日本の美を兼ね備えて最上級のくつろぎ空間を実現した。『見る、食べる、寝る』だけでなく、大切な時間を有効に活用できるように最大限工夫した」
 新しいシートは羽田とロンドンを結ぶ路線に導入され、今後、ビジネス需要の高いニューヨーク線などにも導入していくとしています。
 ◎ビジネス・ファーストは会社の顔 ⇒ ビジネスやファーストクラスには、海外の航空会社も力を入れています。例えば、中東のエティハド航空は、ベッドのほか、トイレ、シャワーなどがあり、まるでマンションの1室のように広いファーストクラスを導入。カタール航空はビジネスクラスに、席の仕切りを取るとダブルベッドにもなる座席を2年前に取り入れました。
 写真◆カタール航空のビジネスクラス
 なぜ各社は、座席数の少ない上位クラスの座席に力を入れるのでしょうか。まず、収益性が高いことがあります。ビジネスマンや富裕層を中心に、機内で快適に過ごしたいという需要があり、そうした利用客を取り込もうと、より快適な空間をアピールしようとしているのです。そして何よりも会社の「ブランド」のためでもあります。ビジネスやファーストクラスは、その会社の「顔」とも言える存在で、会社のステータスを示すためにも欠かせない存在なのです。
「日本のおもてなしの心」でどうライバルに対抗していくのか。これからのビジネス・ファーストクラスの進化に注目したいと思います。
 経済部記者 木下健 ⇒ 平成20年入局 さいたま局、 山口局岩国報道室などを経て 現在 国土交通省を担当
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190726/k10012009461000.html?utm_int=detail_contents_tokushu_001

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