過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 日本武道館 1966-1979 http://www.livehis.com/livelist/bd_1960.html
 日本武道館 1980-1984 http://www.livehis.com/livelist/bd_1980.html
 日本武道館 1985-1989 http://www.livehis.com/livelist/bd_1985.html
 1964/09/15 日本武道館完成
 1964/10/03 日本武道館開館式
 1966/06/30 THE BEATLES 18:30 1 初の武道館公演。前座:尾藤イサオ、内田裕也、望月浩、桜井五郎、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージーンズ(寺内タケシとブルージーンズ)、ザ・ドリフターズ
 1966/07/01 THE BEATLES 14:00 2
 1966/07/01 THE BEATLES 18:30 3
‡1966/07/02 THE BEATLES 14:00 4
‡1966/07/02 THE BEATLES 18:30 5
 1967/12/02 ザ・タイガース/ブルーコメッツ/スパイダース

 音源◆The Beatlles 日本武道館公演 https://youtu.be/l9VB8ygbTxI
 
 
 映像◆2003年 B_e_a_t_l_e_s_関連の古いニュースTV http://video.fc2.com/content/20150603Qh4k7TJL
映像◆2006年8月21日放送 1966.6.30ビートルズの来日初演を見て(三島由紀夫 遠藤周作)https://youtu.be/01UrOoWV29o

 映像◆2006年 来日40周年 ザ・ビートルズの103時間http://video.fc2.com/content/20150604SHHcVSB7
『プレミアム10』
 映像◆2009年 世界・ふしぎ発見!.http://video.fc2.com/content/20150118wY4dPHRq
『ビート ルズがやってきたヤァ!ヤァ!日本滞在103時間の謎』
 映像◆[昭和41年6月] 中日ニュース 650 1「ビートルズ無事〝着陸〟」 https://youtu.be/G3jNLULIn8g
 
 映像◆【1966年6月29日】ザ・ビートルズ来日 厳戒態勢の3日間 https://youtu.be/rkwi5BQ48_0
    【1966年6月29日】ザ・ビートルズ来日 厳戒態勢の3日間(懐かしの毎日ニュース)00:02:42
 ■内容・ストーリー1966年6月29日、英国の超人気グループ「ザ・ビートルズ」が来日。はっぴ姿で飛行機のタラップを降りた4人は、延べ4万5000人の警察官が警備に当たる厳戒態勢の中、行く先々でファンの歓声を浴びながら3日間の日程を終えた。■キャスト・スタッフ毎日映画社、毎日新聞デジタル
 ■配信期間2013年6月30日~未定http://gyao.yahoo.co.jp/player/01061/v00001/v0000000000000000222/
 

 音源◆The Beatles - Live in Japan (Full Performance) https://youtu.be/XPTEZlIZNYE
 From the last concert the Beatles played in Japan on July 2, 1966.
 
  映像◆The beatles 日本公演 前座(最長版)http://youtu.be/Xrt8Ego2kvQ
  
  今夜の映像◆http://video.fc2.com/content/20110702d26HCNSz
 ザ・ビートルズ日本公演映像◆http://video.fc2.com/content/20140518tyLnzL1u/
  アニメ◆動画:1966年6月29日に、来日した「ザ・ビートルズ」の日本武道館ライブコンサート
  ダイジェスト◆動画:1966年6月29日に、来日した「ザ・ビートルズ」の日本武道館ライブコンサート
  静止画◆動画:1966年6月29日に、来日した「ザ・ビートルズ」の日本武道館ライブコンサート
 ビートルズ来日も利用!日本人洗脳計画とは!! 映像◆http://video.fc2.com/content/201406174pKPdfgt/
  アニメ◆動画:ビートルズ来日も利用!日本人洗脳計画とは!!
  ダイジェスト◆動画:ビートルズ来日も利用!日本人洗脳計画とは!!
  静止画◆動画:ビートルズ来日も利用!日本人洗脳計画とは!!
 ビートルズ日本公演の価値がわからなかったTBS映像◆http://video.fc2.com/content/20140827bSPEBHzY/
  アニメ◆動画:ビートルズ日本公演の価値がわからなかったTBS
 映像◆1988.11.3(thu) CH.4 12:00映像◆http://video.fc2.com/content/20130411rqkU3pgv/
  アニメ◆動画:ビートルズ 日本武道館【再放送】
  ダイジェスト◆動画:ビートルズ 日本武道館【再放送】
  静止画◆動画:ビートルズ 日本武道館【再放送】
 映像◆The Beatles at Budokan Hall, Tokyo, Japan 2 July 1966 https://youtu.be/N8AM1bSb-F4
 
 
 映像◆ビートルズ来日公演取材のスクープ秘話ー佐々木恵子カメラマンが語る。 http://youtu.be/hk_cAqiEwRE
 
 音源◆The Beatles - Live in Japan (Full Performance) https://youtu.be/XPTEZlIZNYE
 From the last concert the Beatles played in Japan on July 2, 1966.
 
 
 映像◆ビートルズ騒動 1966 https://youtu.be/27HUmnD2CJ8
 
 映像◆ビートルズ来日の舞台裏1966*BEATLES Japan https://youtu.be/u_G4YEEfZrE
 
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓http://www.oricon.co.jp/news/25384/
 ┃ 究極のビートルズ来日賞味法!ビートルズが日本に与えたもの ┃2006(平成18)年06月21日(水) 14時00分
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛文/宮永正隆(著述家・ビートルズ大学学長)
 写真◆ビートルズ来日公演のパンフレット
 写真◆ビートルズが宿泊した日本唯一のホテル、キャピトル東急ホテル
【7月2日】星加ルミ子氏がプレジデンシャルスイートを訪れる。部屋でくつろぐ4人を紹介した日本の雑誌はこの『ミュージック・ライフ』が唯一である。  なんといっても私が重要視するのは、羽織を着て「シェー!」(赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』の登場人物「イヤミ」が行うギャグで1960年代に日本全国を席捲した)をするジョンの写真だ。日本の漫画は独自の発展を遂げ、今や世界中が賞賛する文化となっている。この写真は、日本文化とビートルズが接点を持った貴重な記録といえよう。来日の醍醐味ここにあり。  星加氏も加山雄三も、部屋でビートルズが絵を描いて過ごす姿を目撃している。退屈しのぎにみんなで絵を描くとはなんと文化的なバンドだろうか。イギリス人だからという問題ではないはずだ。こうしてあっという間の4日間がすぎ、この翌朝ビートルズは次の公演地マニラへと向かった……。 台風一過の、夏の始まりの日のようないつまでも瑞々しく若々しいビートルズ それから40年。日本はめざましい経済成長を遂げ、今では世界のトップスターが次々と訪れる先進国となった。洋楽のリスナー人口もビートルズ来日を契機として格段に増加し、今や国際的に重要なマーケットとなっている。ビートルズによって初めて音楽コンサートに使用された武道館は、世界のミュージシャンの憧れの場となって現在に至る。ビートルズが滞在した東京ヒルトンは、キャピトル東急ホテルと改称しその姿を保って存在していたが今年11月末の取り壊しが決定し、ビートルズ来日回顧を大々的に行う。  ビートルズのビジュアルイメージは日本の歌謡界にも影響を及ぼした。それがGSである。もちろん来日前から活動していたGSもいるが、百花繚乱の全盛期はやはり翌67年だろう。この年のレコード大賞をブルーコメッツが受賞しているのは象徴的だ(長髪でなかったブルーコメッツだけは紅白にも出場した。ジャズベーシックのバンドゆえ、いろんな意味で大人社会も許容できる本格派と位置づけられていたのだ)。67年にビートルズがリリースした『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の軍楽隊の服装をGSはミリタリー・ルックと呼んでこぞって取り入れた。GSのアイドルとしての全盛期に、本家ビートルズのほうは口ひげをはやし哲学者のような風貌でアイドルを脱皮していたのは皮肉な状況でもあった。ビートルズの置き土産はまだある。和製カバーポップスの終焉である。東京ビートルズを聴けば明らかなように、ロックに日本語が乗らなくなったのである。この“ロックに日本語が乗らない”という認識が当たり前になった頃、はっぴいえんどが登場し“日本語とロックの融合”を成し遂げた。すべての“J-POP”の出発点であり、各メンバー(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)が今なお多大な影響をシーンに与え続けていること、知的で諧謔味にあふれているバンドだったこと、エンジニアリングまで追求したこと等も含め、“日本のビートルズ”と位置づけて過言ではないだろう。ビートルズはその後も人々を魅了しつづけ、ポールやリンゴのコンサートには親子3代に渡る客層が詰めかけている。21世紀最初のアルバムチャートは世界各国で『ビートルズ1』が1位に輝いた。 いつまでも古びない音楽を形容する言葉はいろいろ存在する。“スタンダード”、“クラシック”……ビートルズには“エヴァーグリーン”という言葉がふさわしい。台風一過の、あの夏の始まりの日のようないつまでも瑞々しく若々しいスピリッツである。 現在よりずっと父権が強かった時代の大人社会にとって“若者をたぶらかしている、けしからんもの”であったビートルズは、今や音楽の教科書にも載っている存在である。当時のビートルズファンが願った“早く自分たちが世の中を動かせる立場になればいいのに”という社会が現実化したのだ。今の親は、歴史始まって以来の“ロックを聴いて育った親”である。その子供たちは生まれながらにしてロックが流れている家庭に育ち、作り出す音楽には古今東西のロックが自然に内包されている。ビートルズ来日で日本に蒔かれた種子からどんな花々が育っていくかこれからも賞味していきたい。  これをご覧になっているメディア関係者・芸能関係者各位においては、この機会に自社の「ビートルズ来日アーカイヴ」を余すところなく把握していただければ幸いである。貴重な過去のコンテンツを“宝の持ち腐れ”にすることなく、当時のまま又は新しい切り口で呈示していくことは今後ますます問われていく機能となるだろう。ビートルズをキーワードに日本の変化をさまざまな形で検証できれば次の40年は一層輝かしいものとなるに違いない。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ チケットに付いていた注意事項(黄色) ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐全てA席券
 |1966(昭和41)年 6月30日(木)|(初日)
 |1966(昭和41)年 7月 1日(金)|夜の部
 |1966(昭和41)年 7月 2日(土)|夜の部
 └─――――――――――――┘
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ チケットについていた注意事項(オレンジ色) ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐
 |1966(昭和41)年 7月 1日(金)|昼の部B席券
 |1966(昭和41)年 7月 2日(土)|昼の部C席券
 └─――――――――――――┘
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‡http://www.thefabfourarchives.com/Gallery-1-memorabilia-.html
 http://www.fsinet.or.jp/~magumi/BEATLES/japan/japandocument.html
 http://tsugu.cside.com/b-ken/history2/1966a.html http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 1966年 ザ・ビートルズ来日日記 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐日本のみやげを購入する機会もないことから
 |1966(昭和41)年 7月 2日(土)|(ジョージとリンゴはまったく外出せず)
 └─――――――――――――┘業者が品物を持ってスイートに入り、ビートルズのメンバーはカメラや着物などを選んだ。
  13時30分頃、『ミュージック・ライフ』編集長の星加ルミ子とカメラマンの長谷部宏がスイートを訪問する。ビートルズのメンバーへの単独取材は一切許可されていなかったが、前年に同誌がロンドンでの取材に成功していた実績などから、広報担当のトニー・バーロウがこの会見を手配した。
  武道館で昼の公演(ビートルズの出演は15時から)
  武道館で夜の公演(ビートルズの出演は19時30分から)これが最後の公演
  22時頃、『週刊読売』ビートルズ特集号の編集チーフをつとめていた音楽評論家の湯川れい子がビートルズのスイートを訪問する。たとえ主催者の雑誌であっても個別の取材ができなかったため、メンバーが欲しがっていた関係者の腕章を届けるという名目で面会の機会が作られた。夜、ビートルズはホテル内のスターヒル・クラブでピアノを弾くなどしてくつろいだ。
  ♪ビートルズ日本公演演奏曲 (5公演共通)
  01.♪ロック・アンド・ロール・ミュージック♪
  02.♪シーズ・ア・ウーマン♪
  03.♪恋をするなら♪
  04.♪デイ・トリッパー♪
  05.♪ベイビーズ・イン・ブラック♪
  06.♪アイ・フィール・ファイン♪
  07.♪イエスタデイ♪
  08.♪アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン♪
  09.♪ひとりぼっちのあいつ♪
  10.♪ペイパーバック・ライター♪
  11.♪アイム・ダウン♪
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 http://sp.universal-music.co.jp/beatles/special/2011_rainichi.php
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ザ・ビートルズ来日 今日の出来事 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐午前11時 おみやげ業者が部屋を訪問
 |1966(昭和41)年 7月 2日(土)|      みやげ物の購入や絵を描いて過ごす。ジョンはメガネを購入
 └─――――――――――――┘午後00時 『ミュージックライフ』誌の星加ルミ子編集長と長谷部宏カメラマンが部屋を訪問(単独で取材できた唯一のマスコミだった)。読者人気投票で1位になったので記念の盾を手渡す。星加「当時赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』のイヤミの「シェー」のポーズを教えたらジョンとポールが乗ってやってくれた(シェーをするジョンの写真が残っている)」。しかしリンゴは「こんなに稼いでいるのにいったいどこで金を使えばいいんだ?」、ジョンが「世界中に行っても窓から見る景色しか知らない。もう解散だ!」とヒステリーを起こして叫ぶのを聞いた。エプスタインから「今の発言は絶対に書くな!」と真顔で頼まれたという。星加らは午後2時15分ごろまでインタビューなどをし、4人が描いた絵を貰ったが、部屋に置き忘れてしまった。
  午後02時 昼の部開演。オープニング・アクト始まる
  午後02時20分 ビートルズ、ホテルを出発。およそ5分で武道館に到着。
  午後03時 ビートルズのステージ始まる(第4回)。
  午後03時35分 終演。夜の部まで楽屋で過ごす。楽屋には楽器屋などが訪れて売り込みをする。
  午後06時30分 夜の部。オープニング・アクト始まる
  午後07時30分 ビートルズのステージ始まる(第5回)。ジョンは丸いサングラスをかけていた。
  午後08時03分 終演。この日救護所に運ばれたのは18人。これですべての公演が終わり、ビートルズは楽屋に戻らず直接車でホテルへ。機材は羽田空港の国際貨物に運ばれた。
  午後10時 音楽評論家湯川れい子、週刊読売の契約記者として「武道館」と日本語で書かれた腕章を渡すという名目で部屋を訪問。(公式な取材ではないのでいつ追い出されるか内心どきどきしながら)30分ほど会談。カメラマンの同行が不可だったため、持参のカメラでリンゴとツーショットの記念写真を撮り、絵を貰った。湯川談「何かと気を遣ってくれるのはポールで、言いつけられて椅子や何かを持ってくるのはジョージだった。1枚残ったフィルムでリンゴと一緒に撮りたいと言ったら、リンゴは真っ赤になってうれしそうにしていた。ジョンだけは端っこで無愛想にしていた」。湯川がビートルズ解散後何年かたってダコタアパートに訪ねた時、湯川「ホテルでのあなたは冷たかったわね?」と聞いたら、ジョンは「あの時の僕は何もかもうんざりしていたんだ」と答えたという。ビートルズの連中との全会話は回想録『湯川れい子のロック50年―見た!聞いた!会った!世界のスーパースター達』に掲載されている。
  午後11時 メンバーはホテル内のナイトクラブ「スターヒル」に行く。ピアノなどを弾いてくつろぐ
**************** http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html
 http://www.fsinet.or.jp/~magumi/BEATLES/japan/japandocument.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ザ・ビートルズ来日 今日の出来事 ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――――――――┐PM2:00より第4回目の公演
 |1966(昭和41)年 7月 2日(土)|PM6:30より第5回目の公演
 └─――――――――――――┘6時からの公演の様子は、街頭テレビで放映された。新橋で200人、上野で80人が集まった。以外と少ない数字であるが、この当時、白黒テレビがかなりの普及率であったのを考えれば妥当な数字であろう。
**************** http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html
 http://www.fsinet.or.jp/~magumi/BEATLES/japan/japandocument.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ ザ・ビートルズ来日トミビア(=^◇^=) ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛●カメラマン浅井慎平はヒルトンのビートルズと同じ階の部屋に泊まり撮影が許された。しかし実際に部屋に入って彼らを撮影できたのはたったの2時間(いつか不明)。この2時間の間ジョージに「君はニヒルだと言われているけどニヒリストなのか?」と質問したら「何だ?そのニヒリストって?」。ジョンがその「ニヒルとは」を30分かけて説明、それを聞いたジョージが「それなら俺はニヒルじゃないよ」と答えたそうだ。あとは公演中の留守の部屋に入って彼らが使った灰皿やら飲みかけのビール瓶などを撮った。部屋のドアを少し開けて寝て、明け方に赤いパンツ姿で廊下を歩くジョンの撮影に成功した。これが浅井の最初にして最後の「盗撮写真」だそうだ。これらは写真集『ビートルズ東京 100時間のロマン』として出版された。しかし当時の写真家たちからは無視され、評価されたのはずっと後になってからである。因みにこの写真集のギャラはすべて中間に立った人に取られ、一切もらってないそうで、また写真集に載った以外の何千枚もの写真も行方不明だそうだ。浅井は当時のことなどを『気分はビートルズ(角川文庫)』『シリーズ20世紀の記憶・高度成長ビートルズの時代』などに書いている。
**************** http://www.yunioshi.com/beatlesinjapan.html
 http://www.fsinet.or.jp/~magumi/BEATLES/japan/japandocument.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ 1966年ビルボード年間トップ100ヒットチャート ┃
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┌─――――――┐番 外 ♪家へは帰れない♪ ザ・シャングリラス
 | 7月2日(土) |第①位 ♪夜のストレンジャー♪ フランク・シナトラ
 └─――――――┘この年の春には再び東京に舞い戻り青砥にアパートを借りて上野にあったジャズ喫茶テネシーの近くに就職。京成電鉄の定期券で青砥⇔上野間を通勤。休日にはテネシーの近くにあったラーメン屋で腹ごしらえをして スパイダースやドリフターズを観にテネシーへ、そんなある日そのラーメン屋さんで食事していたら目の前にドリフの長さんが入ってきて ラーメンライス(110円)をオーダーするのを聞いて庶民的な人なんだな~と親しみを感じたものでした。
 ナイト・トレインはサーフインにルイルイはモンキーダンスにピッタリの曲で欲しいなぁと思っていた1曲でした。これをアメ横ブラで偶然見つけた。330円から370円に値上がっていましたが迷わずゲット。笑点、ウルトラマン、奥様は魔女(日本語吹替え版)放映始まる。カー、クーラー、カラーテレビが新3種の神器と発表。私の3種の神器はシャンプーとリンス、それに鼻かんでポイして使い捨てするティッシュペーパー、これにはこの年流行した「びっくりしたな~もう」文字通りビックリした!上野松坂屋でこのキャビネットを買い担いで電車に乗りアパートまで運んだ、重かった。けど、整理ができてスッキリした。恋する二人/メリー・ウェルズ ビートルズのナンバーの「恋する二人」を魅惑的な声で メリー・ウェルズが歌っています。マイベスト10の一曲です♪欲しかったレコードや気になっていたレコードがコンパクト盤やLP盤で発売されていたので購入。これらを手に入れた頃より色んなことで忙しくなり私が追っかけた ポピュラー・ミュージックは終わりましたヨ(=^◇^=)
****************** http://www15.ocn.ne.jp/~cross24/1966.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/1966%E5%B9%B4
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 随筆 「オーディオ道 11 ビートルズ アビーロード」 素晴らしすぎるな!
 2014-07-02(wed) 23:40:35 http://ameblo.jp/kazukazu721/entry-11887949321.html

MUSIC LIFE ザ・ビートルズ日本公演 1966
シンコー・ミュージック・ムック
\ 1,944 (本体 1,800+税)
発売日:2016/06/17
サイズ:B5判
ページ数:196ページ
ISBN:978-4-401-64311-0
https://www.shinko-music.co.jp/item/pid1643119/


 Here Comes The Sun (ビートルズに会えなかった) 渡辺美里 http://www.uta-net.com/song/175881/
 ビートルズが教えてくれた 吉田拓郎
 ビートルズはもう聞かない ガロ
 ビートルズを聴いてはいけません 村田和人
 僕の見たビートルズはTVの中 斉藤和義


コレクターズRoom Vol.19「ザ・ビートルズグッズ」
2016 Aug.10
■西原’s ザ・ビートルズグッズコレクション お気に入りベスト3■
 ザ・ビートルズ日本武道館公演のチケット半券「1966年に行なわれた日本武道館公演は高校1年生のときに観に行きました。でも、正直なところ当時はがっかりしたんですよね。というのも、ザ・ドリフターズなどの前座が終わって、ようやくザ・ビートルズが出てきたと思ったら、30分で終わっちゃったんですよ。
それに当時一番好きな曲だった“ロックンロール・ミュージック”を1曲目にやったんですけど、レコードよりもテンポが遅くて『あれ?』と思いました。また曲目もヒット曲をたくさんやるのかと思っていたら、当時まだ出ていない新曲をやったりしていて。当時2公演のチケットを持っていたんですけど、弟に頼み込まれて1枚譲っちゃったんですよね。今思えば観に行けばよかった…」
http://www.d-laboweb.jp/special/sp447/


 映像◆BEATLES - '66 NIPPON BUDOKAN HALL 8MM FILM https://youtu.be/1S3kttyy0Ko
 June 30-July 2, 1966: The Beatles performed five concerts at the Nippon Budokan Hall in Tokyo, Japan. Two shows, on June 30 and July 1, were videotaped. At both shows, they performed "Rock and Roll Music", 'She's A Woman", "If I Needed Someone", "Day Tripper", "I Wanna Be Your Man", "Baby's in Black", "I Feel Fine", "Yesterday", "Nowhere Man", "Paperback Writer", and "I'm Down." The Jun 30 show features The Beatles performing in dark suits, while the July 1 show has The Beatles in lighter suits. Both shows have been licensed for release by Apple in Japan, and therefore have easily made it into the bootleg market in the US. A segment of "Paperback Writer" from Jun 30 as well as "Rock and Roll Music" and "Yesterday" from July 1 are included on "The Beatles Anthology," Tape # 5
 oyajikick 2年前10:10 2017/04/06 これは警視庁が警備の記録に撮った8ミリフィルムです。今も霞ヶ関あたりに保存されてるんじゃないかな。完全マスターがオークションに出ようものならそれは悪徳な警察官が流失させたと断言できますw?
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓ 1966(昭和41)年6月30日(木) 夜
 ┃ ザ・ビートルズ日本公演 ┃ 1966(昭和41)年7月01日(金) 昼+夜
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛‡1966(昭和41)年7月02日(土) 昼+夜
‡1966(昭和41)年7月01日(金)昼の部を日本テレビが録画
‡1966(昭和41)年7月01日(金)21時から1時間カラー放送。視聴率56.5%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)
 2007(平成19)年9月現在特別番組視聴率日本最高記録
 1978(昭和3)年10月12日(木)『ビートルズ日本公演!今世紀最初で最後たった1度の再放送』
 1966(昭和41)年6月30日(木)夜公演、再放送ではない。VHS&レーザーディスク発売バージョン
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 http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Vocal/6398/tvdata.htm
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
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51年前の今日、ビートルズが初来日。武道館公演の全曲完全解説
2017年06月29日 執筆者:川瀬泰雄
1966年6月29日午前3時39分、台風騒動の中、日航機412便「松島」がビートルズを乗せて羽田空港に到着。この日は1日中、記者会見や取材などが中心となった。
翌30日夜から7月1日昼夜、7月2日昼夜の3日間の5公演が武道館コンサート。
初日30日夜、前座が終了した後19時35分頃、待ちに待ったビートルズが登場。
ダーク・グリーンの大きな襟のついた、黒い上下のスーツ。上着はダブルのボタンで、赤いシャツ、というのが生で初めて見るビートルズの衣装だった。
見慣れたリンゴのラディックのドラムと、ポールのヘフナーのバイオリン・ベース。しかし、ジョンとジョージのギターは初めて見るエピフォン・カジノだ。
この日のギターやベースのチューニングは半音下げてあった。台風の中の来日での疲れのせいでの考慮だったのだろう。ただ、そのために全体のチューニングにしまりがなく、それに加え、武道館のステージのマイク・スタンドのセッティングやステージの揺れなどのおかげで、回転してしまうマイクをポール・マッカートニーが歌いながら何度も直すシーンがあるという、あまり良いステージではなかった。
この公演でテレビで収録されたのは6月30日の夜と7月1日の昼の部の2回。
7月1日の昼の部はさすがに前日のマイクセッティングなどは直してあり、ビートルズの楽器もレコードで聴くのと同じ、正しいチューニングに直されていた。
前日の衣装の黒い上着が白地に赤のピン・ストライプの上着に変わっている。黒のズボンと赤いシャツは同じだった。日本テレビでオンエアされたのは、この1日の昼間に収録されたステージが、その日の夜にオンエアされた。
今回はこの7月1日昼の部のコンサートと、レコーディングされた音源とを比較してみることにする。
1曲目「ロック・アンド・ロール・ミュージック」
ビートルズは登場すると、簡単なチューニングやギターの音が出ているかどうかを確認する。ジョン・レノンがいきなり、ギターでコード「E7」を「♪キャ・キャ・キャ・キャ」と弾き、歌い始める。ジョンの歌に続いて、全員の音が入って来た時に、軽い驚きがあった。
この曲のイメージとしてはリンゴ・スターの叩くシンバルは8分音符で叩いているのだと思い込んでいた。ステージで1小節で4回という4分音符でシンバルを叩くのを見て、「あれ!こんなに楽に叩いているの?」と手を抜いているのではないかと思ったほどだった。1957年にイギリスで発売されて以来、ビートルズがずっと聴きまくっていたチャック・ベリーの曲。レコーディングでこの曲はポール・マッカートニーがピアノを弾き、そのために珍しくジョージ・ハリスンがベースを弾いて4人で演奏している。しかもテイク1でOKを出しているほど演奏し慣れた曲なのだ。このポールの弾くピアノのドライブ感が耳に残っていたためにちょっと弾んだ8ビートと錯覚していたのだった。
ステージではいつものビートルズと同じ編成でポールがベースを弾き、ジョージがギターを弾いている。その結果、ピアノで弾いていた「♪If You wanna dance with me」の歌のバックのユニゾンのフレーズはギターが弾いている。
曲が終わると同時にジョンが2曲目「シーズ・ア・ウーマン」のイントロの「E7」を2拍、4拍のリズムで「♪ンッ・キャ・ンッ・キャ」と弾き始める。「♪E7→D7」を2小節ずつ弾き次の「A7」を弾くと同時にポールのベースと、リンゴのドラムスが参加してくる。そしてポールのリード・ボーカルだ。ワン・コーラス目はジョージはまったくギターを弾かず客席に向かって手を振っている。この曲もレコードのリズムトラックのレコーディングではジョージは間奏しか弾いていないのだ。ツー・コーラス目からはポールのピアノが歌のメロディをなぞる音がオーバーダビングされているのだが、ステージではそれをジョージがギターで弾いている。間奏後のサビはカットされていて、エンディングのポールのシャウトで盛り上がって終わる。
初めてポールの喋りが入ってきた。「ドウモ、ドウモ、サンキュー」という日本語混じり。次にジョージが歌う曲を紹介する。3曲目「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」。ジョージはギターを来日直前に入手した2台目のリッケンバッカー360/12、新しい12弦ギターに持ち替える。7フレット目にカポタストが付いている。ちなみに前日30日夜の半音下げたチューニングの時は、6フレット目にカポが付いていた。サビのジョンのスリー・フィンガー風のピッキングは良く聴こえている。
曲が終わると、今度はジョンの喋り。4曲目「デイ・トリッパー」を紹介する。ほとんどレコードと変わらない構成。ジョンの魅力的な声が印象的だ。
曲終りですぐに喋り無しで5曲目の「ベイビーズ・イン・ブラック」のイントロだ。このボブ・ディランにインスパイアされた曲も、この時期よく演奏していただけあって、ほとんどレコードと変わらない演奏である。間奏ではワルツを踊るようなステップを見せる余裕さえある。ビートルズの実力が発揮されている。4人だけでこのサウンドをキープしているのは、ハンブルク時代から演奏し続けてきた4人のライブ経験が生きている。前座をつとめた日本人のバンドはほとんどが、歌手とバンドという昔からのスタイルだった。ビートルズは演奏と歌やコーラスを4人だけで賄っているのである。
今度はジョージが挨拶代わりの曲紹介、6曲目「アイ・フィール・ファイン」。ジョンがイントロのフィードバックの「ギヨーン」という音を出そうとして、ギターをアンプに近づけて、ギターの4弦の開放音の「D」を弾くが、それ程効果は出ていない。そのまま印象的なイントロのリフをアップ・ストローク中心のピッキングで弾く。この曲もレコード通りのグレードの高さを見せつける。
曲が終わるとまたジョージの喋りで7曲目「イエスタデイ」を紹介する。曲紹介と同時に、ジョージではなく、ジョンがギターでコードを弾き始める。ポールがベースを静かに、ほとんど触る程度に弾きながら歌っている。たまにジョージがストリングスのフレーズのようなオブリを入れるが基本的にはジョンのギター1本のバックでポールが歌っている。これまでのステージでの「イエスタデイ」はポールがアコースティック・ギターに持ち替えて歌うというケースが多かったので、このパターンは初めてだった。
ポールの歌が「ウー・ウー・ウー・ウー・イエスタデイ」で終わると、そのままポールがリンゴの歌う8曲目「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を紹介。リンゴはこの意外とテクニックが必要な、少し弾んだリズムのドラムスを難なく叩きながら歌っている。前日はリンゴのボーカルマイクのセッティングが低すぎて、歌いにくそうだったが、このステージでは正しい高さに直っている。
歌い終わってリンゴが左手でマイク・スタンドをどけている時に、「サンキュー・リンゴ」とジョンの声が入り、9曲目「ノー・ホエアー・マン」を紹介する。「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」についで一番新しいアルバム『ラバー・ソウル』からの選曲だ。
この2曲はコーラスが中心の曲なので、セット・リストに入らないと勝手に思いこんでいた。これは嬉しい驚きだった。レコードではジョージが間奏の最後で出す、1弦の5フレットでのハーモニックスの「ピーン」という音は昨日、5フレット目の「E」が出にくかったために7フレット目の「B」を弾き直し「ピーン、ピーン」と2発鳴らしたが、この日は始めから7フレット目の「B」のハーモニックスを鳴らしていた。間奏後のコーラスで、ジョンが歌詞を間違えポールを見ながら適当に誤魔化すシーンがあったが、これも良くあるジョンらしいので、よいシーンが見られたということだろう。
ポールの「ドウモ、ドウモ」の喋りの後、またまた驚きの曲紹介だ。わずか2週間前に発売されたばかりの複雑なコーラスの10曲目「ペイパーバック・ライター」を紹介した。さすがにこの曲は絶対にセット・リストに入らないと思っていただけに、本当にビックリ。突然、ジョンとポールのハーモニーで「♪ペイパーバック・ライター」と歌いだし、伸ばしているところに重ねて、ジョージが「♪ペイパーバック・ライター」と追いかける。そこにギターのリフが重なってくるという複雑な構成の曲だ。レコードではコーラスのダブル・トラッキングなどで、もっと複雑な音の積み重ねだったが、ステージでも十分に聴きごたえのあるハーモニーやアレンジになっていた。
そして、とうとう最後の曲になってしまった。11曲目「アイム・ダウン」である。ポールがずっと作り上げたかった本物のロックン・ロールであり、「ロング・トール・サリー」に匹敵する曲を作るということを意識して作った曲だ。いまや、この2曲はステージ最後の曲の定番になっている。レコーディングでは2回ある間奏の2回目は、ジョンがVOXのオルガンを弾いていて、前年の1965年8月15日の伝説のシェイ・スタジアムのコンサートでもジョンは肘でオルガンを弾いていた。武道館のステージにもVOXのオルガンはセットしてあったのだが、残念ながら、一度もオルガンを使うことはなかった。曲が終わると、アンコールは無し。4人は手を振りながらステージの後ろに消えていった。
3日間で全5回のステージをこなし、最初で最後のビートルズ来日公演は終了した。
≪著者略歴≫川瀬泰雄(かわせ・やすお):東京音楽出版(ホリプロ)で井上陽水、浜田省吾、山口百恵など、キティ・レコードでH2O、岩城滉一、吉永小百合などの音楽プロデュースを担当。独立後は、松田聖子、 岩崎宏美、裕木奈江などを制作。約 1,600曲を手がけた。『真実のビートルズ・サウンド』、『プレイバック 制作ディレク ター回想記』、『ニッポンの編曲家』、4月13日発売の「真実のビートルズ・サウンド完全版 全213曲の音楽的マジックを解明」(リットーミュージック)の著書もある。
http://music-calendar.jp/2017062901
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