┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:15~13:55
①1977(昭和52)年01月14日(金)川谷拓三
②1980(昭和55)年01月14日(月)国広富之
③1981(昭和56)年01月14日(水)山口小夜子
④1982(昭和57)年01月14日(木)三崎千恵子
⑤1983(昭和58)年01月14日(金)菊島隆三
⑥1985(昭和60)年01月14日(月)明石家さんま
⑦1986(昭和61)年01月14日(火)関根勤
⑧1987(昭和62)年01月14日(水)名古屋章
⑨1988(昭和63)年01月14日(木)川津祐介
⑩1991(平成三)年01月14日(月)増井光子
⑪1992(平成四)年01月14日(火)石澤良昭
⑫1993(平成五)年01月14日(木)ヴォルフガング・サヴァリッシュ
⑬1994(平成六)年01月14日(金)桂米朝
┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:55~14:50
⑭1997(平成九)年01月14日(火)香川照之
┏━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』 ┃ テレビ朝日
┗━━━━━━━━━┛13:20~13:55
⑮1998(平成十)年01月14日(水)ビビアン・スー
http://www.tisen.jp/pukiwiki/?%C5%B0%BB%D2%A4%CE%C9%F4%B2%B0%A1%CA1976%A1%CB
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
┌─――――――――――――――――――┐
|2002(平成14)年 1月14日(月) 佐々木主浩 |第回
└─――――――――――――――――――┘
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-1-14.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2003(平成15)年 1月14(火) 荒木とよひさ |第回
└─――――――――――――――――――┘放送日の出来事・・・貴乃花が休場
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-1-14.html
┌─――――――――――――――――――――┐
|2008(平成20)年 1月14日(月) チュートリアル |第回
└─――――――――――――――――――――┘「大人気チュートリアルが初登場で…」成人式の今日は(特に女性に)大人気のお笑いコンビ・チュートリアルが初登場!「吉本男前ランキング」で3年連続1位となり殿堂入りを果たしたハンサムな徳井義実さん、そして最近、歯並びを治したのが自慢の福田充德さんのコンビで、なんと2人は幼稚園からの友達だった!高校時代にはお互いの彼女から、2人の仲が疑われた(?)くらい仲良しで、小学生の頃、福田さんは「徳井君」という作文を書いたこともあったのだとか…。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/080114.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2009(平成21)年 1月14日(水) 安 めぐみ |第回
└─――――――――――――――――――┘「結婚相手募集の癒やし系…」2005年“結婚したい女性タレントNO.1”に選ばれ、癒し系タレントとして大ブレーク。今でも“結婚したいタレント”として紹介されるという安めぐみさんが初出演。小学校の頃、父親が酔っ払ってシャツや上着を脱ぎ捨てて帰宅した際の丸秘エピソードを披露してくれると共に現在、27歳になった安さんの結婚観も明らかに!!そんな彼女が何故”結婚したいタレントNO.1”になりえたのか・・・・その真意に迫ります。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090114.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2010(平成22)年 1月14日(木) 長谷川京子 |第回
└─――――――――――――――――――┘「結婚出産後の心境を告白」2009年に出産し、およそ1年ぶりのドラマで女優復帰する長谷川京子さん。結婚する前は仕事もプライベートも恋も「猪突猛進」型で、息の抜き方が分からずに迷うこともあったという。今は、子育てと仕事で時間に追われる毎日だが、精神的には非常に充実していると胸中を明かす。また抜群のスタイルを誇る長谷川さんだが、さらに磨きがかかり…。
☆長谷川京子さん主演ドラマ「エンゼルバンクー転職代理人―」毎週木曜日よる9時から放送(一部地域を除く
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/100114.html
┌─―――――――――――――――――――――┐
|2011(平成23)年 1月14日(金) 仲代達矢 仲代圭吾|第8890回
└─―――――――――――――――――――――┘「弟と初出演で感動コラボ…」俳優の仲代達矢さんが、弟でシャンソン歌手の仲代圭吾さんを伴って登場する。今日初めて実現した兄弟でのテレビ出演で、2人の素晴らしいパフォーマンスをスタジオで披露して黒柳を魅了する。78歳の兄と、75歳の弟…。幼い頃から力を合わせて生きてきた兄弟を良く知る女優から、ビデオメッセージが寄せられて…。
仲代達矢さんの舞台「炎の人」の公演予定は 日時 3月11日(金)~21日(祝・月)会場:池袋サンシャイン劇場にて 問い合わせ:無名塾 03-3709-7506(平日・土曜10時~18時)
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/110114.html
┌─―――――――――――――――――――――――┐
|2013(平成25)年 1月14日(月) ナオト・インティライミ|第9396回
└─―――――――――――――――――――――――┘「世界を歌と踊りで旅した人気者登場!」※人気ミュージシャンのナオト・インティライミさんが登場。大学時代に一度はデビューしたものの全く売れず、自信を失って引き籠りの生活をしていた事もあったそう。その時、自分をリセットするため旅に出ようと思い立ち、そこから28カ国、515日に渡る単身での世界一周の旅が始まった。旅慣れた黒柳も驚く逸話の数々を披露する。
☆番組内で紹介した書籍
「世界よ踊れ~歌って蹴って!28ヶ国珍遊日記~ アジア・中東・欧州・南米篇」価格: 840円(税込)
「世界よ踊れ~歌って蹴って!28ヶ国珍遊日記~南米・ジパング・北米篇」価格: 760円(税込) 発行:幻冬舎
☆番組内で紹介した映画『ナオト・インティライミ冒険記 旅歌ダイアリー』2013年4月13日より全国公開予定
☆番組内で紹介した曲 受験生応援ソング「Life pallet」レコチョクほかで、配信中
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/html/130114.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B9%E5%AD%90%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
┌─―――――――――――――――――――――――┐
|2014(平成26)年 1月14日(火) 淡路恵子さん 追悼特集|第9651回
└─―――――――――――――――――――――――┘これまで『徹子の部屋』にご出演していただいた中から珠玉の映像を厳選して、女優・淡路恵子さんの追悼特集をお送りします。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/140114.html
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後12:00~12:30放送
┌─――――――――――――――――――┐
|2015(平成27)年 1月14日(水) 松原のぶえ |第9880回 ※解説放送
└─――――――――――――――――――┘「腎臓移植から5年半…生活が激変!!」生体腎臓移植手術から5年半が経った演歌歌手の松原のぶえさん。今は顔色もすっかり良くなり、晴れやかな心を映したような赤いワンピースで登場する。歌手活動をしながら人工透析をしていた頃は食事制限に加え、顔色を隠すため化粧にも大変な苦労していた。そんな姉の様子を近くで見ていた弟が、自らの腎臓を提供し生体腎移植をしてくれたという。
☆CD『合掌街道』発売:徳間ジャパンコミュニケーションズ
┏━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 『徹子の部屋』過去のお知らせ ┃No.008
┗━━━━━━━━━━━━━━━━┛Since 2014.3.24(mon)
┌─――――――――――――┐
|2015(平成27)年 1月14日(水)|1/15(木)『徹子の部屋』 40周年 Anniversary Book発売!
|2015(平成27)年 1月15日(木)|1,620円(税込) 発売日
└─――――――――――――┘1976年に始まり、今年40年目を迎える、番組のアニバーサリーブックが発売になりました。
番組のこれまではもちろん、黒柳徹子特別インタビューや番組の裏側まで収録した1冊となっております。全国書店・「BOOKぴあ」・ネットショップなどでお求めください。BOOKぴあ:http://piabook.com(外部サイト)
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20150114.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2016(平成28)年 1月14日(木) 三遊亭円楽 |第10161回
└─――――――――――――――――――┘「下町の知恵を伝えてくれた母に感謝」六代目三遊亭円楽さんが、襲名後の初出演を飾る。6年前の楽太郎として最後の出演では、一人息子の会一太郎さんが弟子になったと報告してくれたが、現在は声優として活動しているという。一太郎さんに贅沢をさせているとその親バカぶりも話題になっているが、そこには独自の教育哲学があるそう。下町育ちの円楽さんが、大きな影響を受けた母の言葉は?
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20160114.html
┌─――――――――――――――――――――――┐
|2019(平成31)年01月14日(月) 追悼・市原悦子さん |
|2019(平成31)年01月14日(月) 前川清&次女 侑那 |侑那(ゆきな)
└─――――――――――――――――――――――┘「若かりし頃の貴重な映像も交えながら、女優・市原悦子さんを偲びます。」
予定を変更して『緊急追悼 市原悦子さん』を放送します。本日放送を予定しておりました「前川清 次女 侑那」は
15日(火)放送を予定しておりました「さかなクン」の放送日は未定となっております
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20190114.html
┌─―――――――――――――――――┐
|2020(令和二)年01月14日(火) 岩下尚史 |
└─―――――――――――――――――┘「和」を愛する“異色作家”が初登場!」※解説放送
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20200114.html
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後13:00~13:30放送
┌─――――――――――――――――――┐
|2021(令和二)年01月14日(木) 岸本加世子 |
└─――――――――――――――――――┘「恩人・・・向田邦子さんが急逝し40年」
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20210114.html
┌─―――――――――――――――――┐
|2022(令和四)年01月14日(金) 林真理子 |
└─―――――――――――――――――┘「エッセイが世界記録に! 瀬戸内寂聴さんとの最後の会話も…」
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/bn/20220114.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/徹子の部屋
┏━━━━━━━━━┓ tv asahi
┃ 『徹子の部屋』 ┃(月)曜日~(金)曜日
┗━━━━━━━━━┛午後1:20~1:55放送
┌─――――――――――――――――――┐
|2002(平成14)年 1月14日(月) 佐々木主浩 |第回
└─――――――――――――――――――┘
黒柳「去年、一昨年になりますか新人王を」
佐々木≪はい。取りました≫
「アメリカの野球にいって新人王をお取りになって今は日本でお正月ということですが今はどういう気分ですか」
≪ええもう少しでキャンプも始まりますし今は野球モードっていうか≫
「もうだらっとしてらっしゃらない」
≪はいオフの間も練習しなくてはならないんで≫
「初めてお目にかかってビックリしたんですけど背の高い方で。百何十センチある」
≪190センチですね≫
「あちらに行くとそれほど高い選手じゃない」
≪そうですね2m超える選手もいますし≫
「お小さい時から徹子の部屋があったものですから小さい時から見ていてくれたんですって」
≪夢でした出るのが≫
「まあみなさんお聞きになりました。それのみならずベストテンin仙台といって仙台でやったとき群衆の中にいらした」
≪いました。1人で≫
「すごいですねよっぽどヒマだったんですね」
≪(笑)ヒマでした≫
「高校生ぐらい」
≪そうですね≫
「仙台のご出身」
≪はい≫
「私も最近野球をみるようになってすごいですよ。野茂さんがいかれた時から見てたんですけど”DAIMAJIN”って書いた紙を子供がもってるじゃない」
≪よく効かれるんですよ大魔人ってどういう意味だって。でも説明しようがないですよね。だからゴジラと似たような物だって≫
「そうかするとすごいなって」
≪ゴジラはアメリカで有名ですから≫
「そうか。それとあなたの名前の主浩の”かず”っていうのを書いてらっしゃる人が多いんですけどあなたは”ヒーロー(ひろ)”なんですよね」
≪主浩のかずは一家の柱になるようにって言う意味でつけられたみたいですけど≫
「あらそうなの向こうでは主(かず)に浩(ひろ)をつけて”かず・ヒーロー”何ですよね」
≪日本では大魔人としかいわれないですけどねえ。あれ結構恥ずかしいんですけどねえ≫
「恥ずかしい」
≪自分の子供とかと一緒にいる時に”ああ大魔人だって”言われるとちょと恥ずかしいですね≫
「そうか大魔人ってロボットみたいな感じしないでもないですよね。今お出ししたプリンですけどお好きなんですって」
≪好きです≫
「プリンの上に22と書いてあるんですけど22にまつわる佐々木主浩さんの物語がある」
≪ええとですね午後2時22分に生まれたんです≫
「それも2月22日に」
≪はい。まあそういうこともあって背番号が22です≫
「娘さんですが9歳の方のお嬢さんは」
≪午前2時22分うまれですね。7月9日なんですけど≫
「奥さんも頑張ったんですかね」
≪あわせたんですかね≫
「午前2時22分に・・・でも本当のことをいうと合わせようと思ってもあわせられるものじゃないですよね」
≪そうですね≫
「おまけに仙台の局番号ていうんですか」
≪022ですね≫
「それとあなたをスカウトしてくれた人の背番号が」
≪担当の人が昔22番を付けてたんですけど≫
「そしてマリナーズに出発した日が」
≪1月の22日ですか≫
「それから行こうと思って時計を見たら2時22分」
~会場笑い~
≪家から出る時はそうでした≫
「22という数字はあなたにとってはいい数字。このプリンは何でお好きでしたっけ」
≪たまたま日本にいる時にゲーム前にプリンを食べていたらいいピッチングができたんで次の日も食べたらよかったんでこれは食べなきゃいけないなって≫
「前にいた横浜ベイスターズの食堂のプリンが良かったんですって」
≪はい≫
「そのメーカーのじゃないといやだったんですって」
≪そうでもないですけど≫
「アメリカでは手に入る」
≪はいんないっすねえ≫
「私ビックリしたんですけどどこで出るのかわからないだから体を暖めとかないといけないだから試合が始まった時から体を動かしてるんですって」
≪日本にいる時はロッカーでゆっくりテレビを見ながら7回ぐらいから体を動かし始めたんですけどアメリカにいる時は1回からグラウンドにいないといけないのでじっとしてると駄目なんで何回か動かしてってて言う感じですね≫
「どこにでるって決まってないんですよね」
≪試合展開にもよりますし。大体電話で知らせてくれるんですけど≫
「電話ってどこの電話で?」
≪ベンチからの電話でコーチからこのバッターからいくぞとかあるんですよ≫
「電話かけてもいいんですか。でもそういう精神力ってどういうもの」
≪ぼくははあんまし考えないほうなんでパット切り替えていくぞっていう風に≫
「みんなあなたが出て行くとワーっていうじゃないですか。本当にスーパーマンが出てきたみたいに。大魔人が出たってあの時の気持ちってどう」
≪すごいうれしいんですけどプレッシャーになるんですよね。とくにアメリカの場合ホームだとマリナーズのファンなんで逆に打たれちゃいけないっていうプレッヤーになるんですよね。でもその声援のおかげで気持ちが盛り上がってきていいピッチングができるんですけど≫
「今年のオールスターにこの方がおでになってこのときどういう気持ちだったんですか。あなたで勝利が決まる」
≪最初みんなたくさんいたのに出番で全員でて最後1人取り残されたんですよすごい寂しくてそれがすごいプレッシャーで負けちゃいけないなって≫
「小さいころはお手玉してたって本当?」
≪多分姉貴に脅かされて≫
「女の子とお手玉とかを」
≪そうですねからだあんまし丈夫じゃなかったんで≫
「背はどうだったんですか」
≪大きかったですけど熱ばっかし出してました≫
「でもお父様は牛乳の会社にお勤めだったんであまると家にもって帰ってくる」
≪期限切れのやつとか返品のやつとかを全部家に持って帰ってくるんです≫
「それで段々大きくなっていったんですかね」
≪水より牛乳飲んでましたから≫
「プリンもあまったのを」
≪そうですねそれで少し嫌いになったんですけど≫
「中学2年生の時は背が」
≪185、6あったんじゃないですかね≫
「そのころから野球を」
≪はいそうですねえ≫
「お手玉とかおままごとをしてた子が肝が座ったのはいつからですか」
≪まだ座ってないですよ。結構小心者ですよ≫
「じゃあなんであんなふうにうまく投げられるの」
≪なんとなくじゃないですかね。先のことを考えないからいいんじゃないですかねこれ打たれたらどうしようとか≫
「じゃあ楽天的なのかしら」
≪そうかもしれないですね≫
「もしあなたが出て行って負けた時はくさるの」
≪悔しいですねでも次の日はケロっとしてますね≫
「でもそうやって考えないで済むっていうのがすごいですね。これからも続けばいいですね」
≪余計なこと考え出したら終わりかなって思うんで≫
「去年のオールスターも時お母様が見にいらして」
≪そうですね飛行機乗るの怖いんですけど勇気振り出して見にきましたねお袋が≫
「お父様の写真をもって」
≪そうですね試合見ないでずっと泣いてたって言ってました≫
「うれしかったですか」
≪そうですねいい親孝行できたんで≫
「1年目は1人でいってらして今はご家族で」
≪そうですね家族でシアトルに住んでます≫
「お元気で本当にありがとうございました」
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2002/h14-1-14.html
┌─――――――――――――――――――┐
|2003(平成15)年 1月14(火) 荒木とよひさ |第回
└─――――――――――――――――――┘放送日の出来事・・・貴乃花が休場
黒柳「よくいらしてくださいました作詞家で荒木とよひささんです。でまあさっきご紹介申し上げましたをたくさんのヒット曲がおあわり。特にテレサテンさんの「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」といったような曲を作りになって。あとでテレサテンさんが「つぐない」のことをお話スううしてらっしゃるVTRをご覧に入れるんですけども、その前にですねえなんていったって1番最初にお作りになったので学生の時のが四季の。これはなんと言ってもラッキーだと思うんですけどもこれくちづてに広がっていったんですってね
荒木≪そうですね。作ったが楽曲をですね看護婦さんに教えてあげて
「はじめ大学生時代にスキーで
≪骨折しまして。病院で寝ていてそこで暇つぶしに作っていて
「本当にこれはご存じですよね。
≪ありがとうございます。
「これ(うた)は芹洋子さん。でも10ぐらいのグループが歌ったそうですねこの曲は。看護婦さんや何かが歌うようになって
≪そうです
「すごいですねでもねぇ。病院にいる間に学生時代にお作りになったそうですけども。本当にこれ知らない人がいないくらいに。
≪そうですね。
「それに特に日本人は四季があるということ誇りに思っているところがありますのでね。そうかそういう題名・・・題名じゃないや歌詞なんですね四季の歌という題名ではあっても父や母のことが出てくる。そういうところもまた。100万枚以上売れたという大変な大ヒットだったんですけども日大芸術学部で映画学科
≪はい
「いらっしゃって。映画を作りたい
≪最初はそうですね。あの子供のときの夢が映画監督をやりたかったので
「でもスキー選手というのもあったんですって。
≪そうなんですね。だから2つ向こう道があってスキー選手、運動の方やるか悩んでいたんですけどもまあ事故を起こしていき場所がないでしょう運動ができなくなったので。
「しかも長いんですよね入院が。
≪そうですね2年半ってぐらい闘病
「すごいですね骨折でも2年半てよっぽどの。どこの骨折なんですか?
≪下半身いろいろ骨折しまして。
「すごい。じゃあがっかりしちゃいますよねせっかくいろんな夢があったのにね。
≪そうですね挫折したときにこういう楽曲ができたというか。もしそういうアクシデントがなければを今は作詩家として生きているかどうかは分かりませんけども
「映画の方にお進みになったかまたはスキー選手になってらっしゃるか。だけどたまたまの骨折で病院に2年半も出たり入ったりそういうことがあったので。看護婦さんが口ずさんでいたものをレコード会社の方が大きい気になって。不思議ですよねそれも。
≪そうですね。その当時は今ほど音楽状態が良くなかった。山の音というかいい歌だねということで広まりまして、でだれが作ったんだ?だれが作ったんだ?ということで何人か僕が作った私が作ったという人が名乗りでたんですけども
「そう!。口ずさむものはこういうことになっちゃうんですね。
≪まあ回りの人がおまえが作ったんだから出ていけということでそうなのかということで僕が作ったということに認められたんですけども。
「それで芹洋子さんをはじめ10ぐらいのいろいろな皆さんが競作になったそうなんですけども芹さんの歌ったものがたまたまラジオで火がついたといいますかね。
≪そうですね。
「それから私さっきシンノミカさんのご主人だとご紹介申し上げましたけども後で時間があったらばうがいますけども(笑)あのシンノミカさんとのご結婚おめでとうございました。ちょっと前なんですけどもまあシンノミカさんとご結婚になった。シンノミカさんは演歌歌手とご紹介して
≪そうですねまあ歌手で。
「皆さんよくご存じの有名な歌手の方。もうお年は非常にあちらがお若い。まあそれはともかくとしてですねそういうレコード会社の方から四季の歌が口づてに。それでジャーということでその後ところがその後お作りになったものはあまり売れなかったんですってね。四季の後の、じゃあこれからは作詞でやっていこうかなと思ったら
≪ちゃんと売れましたんで
「四季の歌が売れたんで
≪その当時は学校も中ぶらりんになっていましたからあの仕事もなくて印税、印税というのを初めて知ったんですけども印税というのが入りましてこれはしばらく暮らせるなということで
「足もそんな具合いですからね2年半も病院に行ってらっしゃって。
≪でそんな簡単にヒットするんだったらこの道入ろうかなということで。まあいろいろ曲をもってレコード会社回ったんですけども全然ダメでね
「不思議ですよね。第1曲の四季の歌がそれだけ売れたのに何でそんなにね。
≪偶然神様が微笑んでくれたというか。
「そうですよね。そうでなかったらこの作詞家の道に。なにしろこの40年間にお作りになった曲に2,000曲以上ということですから凄い数なんですけども。そういうことをやったり弾き語りとかをやったりしてらっしゃるときに作曲家のモリタコウイチさんが学校の
≪先輩なんですけどもあのもちろん彼は作曲家としても作家としてもまあグループも売れていまして事務所にきてお前CMを書きなさいよということで。まあ仕事もなくて
「トップギャランという
≪そうですねトップギャランのときですけども。その事務所に行かせていただいてそこでCMの勉強をさせてもらって。
「そのCMをまたねいっぱいお作りになったんですよ。それでずいぶん皆さんの知っている2,000曲ぐらいお作りなった。
≪もっと作っています。
「もっと作ってらっしゃる。すごいですよコマーシャル。短いんですけどもそれでも2,000曲以上。北海道のが多いんですよねわりと
≪多いですね(笑い)
「あのおーいお-い北海道とか。覚えていらっしゃると思います皆さんね。でっかい道とか。
≪でっかい道、北海道
「でっかい道、北海道。そうそうそうそう。あれそうですよね。そういう言葉にかけている。ああいうのが売れてそれでコマーシャルの世界では随分有名におなりになった。
≪そうですねまあまあコマーシャルの世界ではね。
「そこでまたおこれは刹那的だなと。
≪いきなりこういうことをやっていていいのかなということでCMソングは確かにサイクルが早くておもしろいですね。お金にもなりますし面白いんですけどもハタと考えたときにいったいこのままこういうことをしていていいのかなということでもCMをやめようと決めたんですね。その時に最後の仕事をいただきまして。電鉄会社の社歌だったんですね。じゃあその社歌を書いて
「会社の歌ですね
≪会社の歌を書いて会社に打ち合わせに行ってで重役室に行ったんですね。社長さんからまあ重役さんがたくさんいて今度まあ新しい社歌をお願いしたいんですけども、前に書いた社歌があるのでそれをちょっと参考にしてどうぞご覧くださいとおっしゃられたんですね。それがなんと僕が尊敬する詩人のサトウハルオさんの”さんまさんまサンマは苦いかしょっぱいか”とお書きになったってあの佐藤先生がいう社歌を書きになっていたんですね。こういうことを言ってはなんですけども詩人がですね
「あれほどの詩人
≪詩人がまさか僕らみたいなねその社歌を書くとはまさか思っていませんでしたから。ものすごいショックで感動したわけなんですね。逆に。あの先生ですらそういうことをなさっているんだなとまあ1杯のお酒、飯のためにお書きになったがどうかは知りませんけどもそれで感動しまして。何だ僕なんかチンピラなのにそんなね大げさなことを飛んでもないということで、よし!何でもやろうと。とりあえずCMであろうが歌謡曲だろうが演歌だろうが何でも書こうと。そこで少し踏ん切りがねこう吹っ切れたというか。
「でもすごい出会いですね。それもね。
≪そうですね。
「まぁ社歌というのもみなさん一生懸命お作りになるだろうけども。やっぱりヒットするとかそういうものではないですしね。何か特別な人が歌ってくれるわけでもないのでね。会社の歌ですから。それをサトウハルオが書いていたという。それで決心なさってそれが縁で何でも書こうと思った第1作がなんと哀しみ本線日本海。
≪そうです
「これで大当たり。
≪ええ
「森昌子さんでしたっけ
≪浜啓輔先生からご指導を受けて濱先生は僕よりも年下ですけどもまあ歌謡曲では先輩ですから。浜先生の曲をいただきましてこれがまあまた四季の歌のようにねついているなと思ったんですけどもね。
「そうですね。生まれて初めてお作りになった四季の歌ですよ。それでまあコマーシャルもでっかい道、北海道とかいろいろあったんですけどももうこれでそうかと胸を打たれてじゃあとお書きになった第1作といってもいいものが哀しみ本線日本海。だから歌謡曲としては売れた第1作ですよね。
≪はい。
「それでその次にお作りになったのが童の
≪そうですねそれから少しずつ書きましたけども次に大ヒットしたのが三木先生と組ませていただいたあの童ですね。
「メダカの兄弟。
≪とかあの辺の作品になりますね。
「すごいですよね。大ヒット。その後にテレサテンさん
≪そうですね愛人とか時の流れに身をまかせ。
「そうですよねこれ有線大賞の三連覇。も独占の第1位。ダントツですよね。償い愛人時の流れに身をまかせという本当にテレサテンさん若くしてお亡くなりになって残念なんですけども。この徹子の部屋にいらっしゃった時にこの償いの話をしてらっしゃるんですね。
≪ああそうですか。
「皆さんもテレサテンさんお久しぶりでお懐かしいと思いますのでコマーシャルをはさみましてそのテレサテンさんの償いをちょっと話してらっしゃるのでコマーシャルをはさみましていたすことにしますのでちょっとコマーシャルです皆様。
≪
黒柳「テレサテンさんの償い、愛人、時の流れに身をよせてなどの作詞をなさったんですけども本当にテレサテンさんは上品な方でエレガントなところがとてもすてき
荒木≪この日本の女性がちょっと忘れかけていた、日本の女性が強くてたくましくなった分その日本の昔の女性のやさしさとか柔らかさとか控え目とか皆さんの共感を得たじゃないかと
「償いのお話しをしてらっしゃるんですがこれはなくなる10年前のVTRでございますけどもちょっとご覧くださいませ
≪
*************************
黒柳「ま5年ぶりにお出しになった償いという有線大賞がこれは上半期に入るんですか?下半期に入るんですか?うまく行けば何かで年末にいろんなものが
テレサテン≪そうですね。年末は大賞ですね。
「それであなたは償いを日本語で歌っていらっしゃいますけどもそれは中国語でも歌っていらっしゃる
≪ええこの前香港で中国バージョンの償いをレコーディングしました。来年多分発売
「香港で出すときは北京語ですか広東語ですか
≪北京語です
「北京語で。じゃあこれからちょっと聞かせていただくのは日本語で聴かせていただきたいのでこれから~音楽~のは中国の本土で、本土といいますか中国ではあなたの曲があまりにセクシーだというので発売禁止になったことがあるんですって
≪ありました
「何の曲のとき?
≪それはね去年かな。曲じゃなくてこの人だった
「あなたが歌ったものは全部だめ。
≪そうです
「あまりに色っぽいという感じセクシーという感じ。
≪どういうわけかわからないですけども国のシステムが違うから。
「まあね
≪でも今は大丈夫です
「あ!大丈夫になりました
*****************************
「なつかしいとおっしゃっていましたけども。
≪懐かしいですね。
「であれなんですってね。今の曲3曲とも三木たかしさんの黛ジュンさんのお兄さんですけども三木たかしさん天才だよとおっしゃってたけども本当に素晴らしい曲を作りになる方なんですけども。テレサテンさんがいろんな仕事をなさっていたんですけどもこの後なくなるちょっと前にまた作ってほしいということで
≪そうですねあのずっと連続13枚ぐらいのシングル盤を作ったんですけども今まであの同じ作詞作曲家がですね連続12、13枚ということはないんですね。14枚目ぐらいになってなかなかお互いにいい作品ができなくてでやっとこできたんですね。やっと僕の仕事場に曲がきましてディレクターやプロデューサーが来ていい曲だねよしといったところにですねデスクの方に電話がかかって訃報が入ったんですね。
「テレサテンさんの
≪ウソでしょということでまあそんなうわさがで時々流れましたからまた冗談だろうということだったんですけども、僕はなんとなく今度は本当かなという感じがしましたけども。結局最後の歌はで彼女に歌ってもらえなかったというか
「残念でしたね。
≪まあ三木さんは非常に嘆きましてね僕がも少し早く曲を書いていればひょっとしたら人生が変わったかもしれないなぁとか言っていましたけどもね。
「そうですよねそうしたらそれを歌いに日本にいらっしゃっていてとか分からないですけども。でもわからないですけどもね。
≪でもまあ天が召したからどこでどうしてもそれは結果論であってねしかたがないことだったんですけども。
「お葬式に台湾にいらっしゃったらやっぱり彼女は本当にエレガントで穏やかなそういう何かおっしゃった日本の女性が昔持っていた良さみたいなものがあったとおっしゃったけども小さいころから苦労していた
≪そうですね回りが報道されたこととは違って凄く貧しいところでお生まれになったというか多分そうだったと思いますけども。ただ彼女の優しさのウラ側にはも鉄のような強いものが女性としてそういうものが確かにありましたね。
「なるほどね。でもずいぶんお作りになったお仕事の中でも残念な最後の詩になってしまってしかも彼女に歌ってもらえなかったというのはね。まあそういうふうにいろんな経験がおありなんですけども、面白いのはどんぐりコロコロて突然話が変わるんですが
≪(笑)
「まあメダカの兄弟も作ってらっしゃるということですからそういうものもいろんな物も手がけていらっしゃるんですけどもどんぐりコロコロて確かに2番までしかないですって。
≪2番までしかないです
「1番最後に、泣いてはドジョウを困らせた~♪までしかないんですよね。私なんて悲しいなんてドングリはかわいそう。どうしてドジョウを困らせたままで終わっちゃってって私子供のころに思っていたんですね。やっぱりそう思う人は1番2番をお作りになった方はわかってらっしゃるんですってね。
≪ええ、朝日新聞の大阪の朝日新聞のですねコラム欄みたいなところにそこに”ナゾトキタイ”というところがありましてねそこに手紙が投書が来るわけですね。
「ええ
≪あるところから手紙がきましてどんぐりのその泣いてはドジョウを困らせたで終わるんですけども2番で終わるじゃなくて3番4番はあるんですか?ということでその調べたわけですね。やっぱり調べた結果はなくて、その新聞社の方からまあ良かったら書いてもらえないかと言われましてね。だけどあんな名作品にですね手を加えるということは非常に良くないじゃないかとどうしてもとおっしゃるならばその原作者の方に、ご遺族の方にあの聞いて了承をいただければぼくも書いてもいいですということで、心地よく了承していただきまして
「あそうなんですか。これは宮城県の方でアオキアリヨシさんという旧制高校の校長先生をなさっていた方が在職中にお作りになったものなんだそうです。やっぱり調べた結果なんですけども。そうなんですか。
≪それで蛇ということでドングリが泣いたドジョウを困らせてどうしようかな。いろんなふうに作れるんですね。だけど1番その原作者が持っているちょっと大正時代にお作りになった作品なんでややちょっと文語体というかかたい言葉が所々にあるんですね。それをちょっとにおいをそのまま急に新しい形ではなくては僕なりに書いてみたんですけども
「なるほどちょっとコマーシャルをはさみましてあの新しくお作りになった3番4番こんなにどんぐりコロコロというのは有名だというのはすごいですけども、だれでも知っているみたいな歌なんですけども。3番4番新しくお作りになったものを皆様にご紹介致します。コマーシャルです
≪
黒柳「だって長いこと私どんぐりころころどんぶりこ、というのが正しいんですけどもどんぐりこが正しいんだと思っていました。ドンブリコというのが正しいんですね。1番2番はよくみなさんご存じなんですけどもそれはアオキアリヨシさんという方がお作りになったんですけども荒木とよひさ続編というものを私が口ずさんでみますね。ここまではちょっと寂しい感じがあるんですけどもあのこの荒木さんがおつくりになったものはハッピーエンドになったんでよかったなと思いますけども。”どんぐりころころ母さんが夕やけ小焼けの池の淵泣いてる坊やを抱っこしてドジョウにお礼を言いました”、”どんぐりころころそれからはやさしいドジョウの兄さんが恋しくなったら転がって時々遊びに行きました”。
荒木≪(笑)かわいいですね。
「かわいいですよね。これで安心して私も
≪眠れますよね
「親がいないのかとか私ね本当にねドングリはかわいそうと思ったんですよね。ひとりなのかなとかいろいろ思っていたんですけどもこれでお兄さんどじょうのお兄さんにも会いに行けるしお母さんもいるしということが分かってどじょうにも兄弟がいると分かったので。楽しいどじょうの兄さんがというので山から下りてまた会いたくなったらまた行けばいいということで。でもこういう歌をたくさん作ってらっしゃるんですけども歌の歌詞を作らせてもらった四季の歌もそうですけども本当の根底にあるのはお母様かもしれないんですってもしかすると。
≪そうですね。たぶんどんな芸術家も母親の影響が1番大きいと思いますね。やっぱりその母親が持っているこの感性とか厳しさもあるし優しさもあるしそういう、特にわれわれの年代のお母さんは今のママというタイプ元気で明るくていいママじゃなくて僕らの時代の母親はみんな悲しくて切ない母親というね。
「大連から引き上げていらっしゃったということもあって生活が必要なのでお母様は銀座でバーをお開きになった。とてもモダンなお母様で【写真】本当にきれいなお母様ですね。いつも白い帽子白いスーツをお召しになって大変皆さんお客さまがハイカラな方がいらっしゃったそうですけども。そこでずっと座っていらしたのでいろんな会話もお聞きになった。
≪そうですね。だからまあそういう話を聞いていますから多分そういうものが僕のデテールというかモチーフになったのかもしれないし影響力が強いですね母は。
「さっきもおっしゃったように戦争が入って引き上げとか、お父様とお母様のいろんな事とか、それとかお母様が仕事をしてお育てになるとかいろんなこと。そういうことずっと見聞きしているとやっぱり自分の体の中に入ってくるものがある。
≪そうそうですね多分そういうものが僕の肩にポッと母親が乗っかって書かしてくれてるんじゃないかと。
「だから四季の歌なんかそういう感じがありますものね。暖かさとか。そうなんですね。
≪
黒柳「さて作詞家の荒木とよひささんは3年前になりますかシンノミカさんとご結婚になりまして歌手のシンノミカさんですけども。あちらはずいぶんお若いんですってね
テレサテン≪若いですよ(笑い)それはもう僕から比べればずっとで22ぐらい違うんですか。
「22ぐらい。このごろ年の差なんてという感じがありますから驚くことはないんですけどもあちらにとっては逆に大先輩ということになりますよね同じ歌の世界では。
≪ああそうですね。
「それはちょっと大変だと思ったんですけどもあのアレなんですってねお互い初めからすごくいい感じを持ったというよりもシンノミカさんが
≪敬遠していましてね。
「敬遠したんですか?
≪向こうが僕のこと敬遠していました。僕は何も悪いことはしていないのにこうハスで見るんですね。何この売れっ子の作詩家が偉そうにという感じで見ていてでレコーディングも終わって1度みなさんで食事でもしませんかといってじゃそうしましょうということで、そうしたらたまたま彼女のマネジャーの方がいらっしゃらなくて、向こうがひとりで僕がたくさん連れていてもおかしいのでね2人でご飯を食べたんですね。
「ええ
≪なんとなくこれは面白い人かもしれないな
「だって子生意気にもあの子生意気と言ったら失礼ですけどもをこちらから見れば子生意気ですよ。私なんか北海道に行ってしまおうというからなんていったんですか?
≪そう年とったら私は北海道に住みたいと。僕も小さいときから北海道に住みたいと思っていてね僕も少しずつ土地を買っていたんですよ。
「そうなんですか。
≪それでそんなこと言われてね生意気だなこいつと思っていて(笑)そのへんがねちょっと
「でも面白いですよね。あの彼女はご出身は?
≪大阪の貝塚。
「そうでしょう。それなのに北海道に老後住もうと思っていて土地を買っているのって小娘が。こちらもそう思ってらしたから北海道に土地を少しずつ買っているのに何なんだって。でも、シンノさんはご存じのようにNHKのハングル講座でハングル講座でお料理とかいろんなことやっている。歌手のほかにもいろいろご活躍がある方なんですけども。とても面白い方だということが分かって
≪面白いですよ。あのハングル講座をやるようになってあの独学で勉強したんですけども
「そうなんですか。
≪ソウルオリンピックの時に向こうにいって凄い感動してね。音楽も感動してそれから独学で勉強したんですけどもだから最近では料理はですね僕はあっさり系が好きなんですけどもどうしてもそのキムチ系にサラダもそうなるし
「お肉も
≪それがちょっとヘキヘキしているんですけども。
「でもまあ歌手としては99点、恋人として100点妻としては70点というですからその30点はお料理ですかぁじゃ?
≪そうですねそれもありますね(笑)
「そうですかじゃあこれからも良い作品を待っています本当にありがとうございました。荒木とよひささんでした。
http://www.h4.dion.ne.jp/~giten/cont/guest2003/h15-1-14.html
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事