過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

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 51年前の今日、ビートルズが初来日。武道館公演の全曲完全解説
‡2017(平成29)年06月29日(木) 執筆者:川瀬泰雄
‡1966(昭和41)年06月29日(水)午前3時39分、台風騒動の中、日航機412便「松島」がビートルズを乗せて羽田空港に到着。この日は1日中、記者会見や取材などが中心となった。翌30日夜から7月1日昼夜、7月2日昼夜の3日間の5公演が武道館コンサート。初日30日夜、前座が終了した後19時35分頃、待ちに待ったビートルズが登場。ダーク・グリーンの大きな襟のついた、黒い上下のスーツ。上着はダブルのボタンで、赤いシャツ、というのが生で初めて見るビートルズの衣装だった。見慣れたリンゴのラディックのドラムと、ポールのヘフナーのバイオリン・ベース。しかし、ジョンとジョージのギターは初めて見るエピフォン・カジノだ。この日のギターやベースのチューニングは半音下げてあった。台風の中の来日での疲れのせいでの考慮だったのだろう。ただ、そのために全体のチューニングにしまりがなく、それに加え、武道館のステージのマイク・スタンドのセッティングやステージの揺れなどのおかげで、回転してしまうマイクをポール・マッカートニーが歌いながら何度も直すシーンがあるという、あまり良いステージではなかった。この公演でテレビで収録されたのは6月30日の夜と7月1日の昼の部の2回。7月1日の昼の部はさすがに前日のマイクセッティングなどは直してあり、ビートルズの楽器もレコードで聴くのと同じ、正しいチューニングに直されていた。前日の衣装の黒い上着が白地に赤のピン・ストライプの上着に変わっている。黒のズボンと赤いシャツは同じだった。日本テレビでオンエアされたのは、この1日の昼間に収録されたステージが、その日の夜にオンエアされた。今回はこの
 1966(昭和41)年07月01日(金)昼の部のコンサートと、レコーディングされた音源とを比較してみることにする。1曲目「ロック・アンド・ロール・ミュージック」ビートルズは登場すると、簡単なチューニングやギターの音が出ているかどうかを確認する。ジョン・レノンがいきなり、ギターでコード「E7」を「♪キャ・キャ・キャ・キャ」と弾き、歌い始める。ジョンの歌に続いて、全員の音が入って来た時に、軽い驚きがあった。この曲のイメージとしてはリンゴ・スターの叩くシンバルは8分音符で叩いているのだと思い込んでいた。ステージで1小節で4回という4分音符でシンバルを叩くのを見て、「あれ!こんなに楽に叩いているの?」と手を抜いているのではないかと思ったほどだった。1957年にイギリスで発売されて以来、ビートルズがずっと聴きまくっていたチャック・ベリーの曲。レコーディングでこの曲はポール・マッカートニーがピアノを弾き、そのために珍しくジョージ・ハリスンがベースを弾いて4人で演奏している。しかもテイク1でOKを出しているほど演奏し慣れた曲なのだ。このポールの弾くピアノのドライブ感が耳に残っていたためにちょっと弾んだ8ビートと錯覚していたのだった。ステージではいつものビートルズと同じ編成でポールがベースを弾き、ジョージがギターを弾いている。その結果、ピアノで弾いていた「♪If You wanna dance with me」の歌のバックのユニゾンのフレーズはギターが弾いている。曲が終わると同時にジョンが2曲目「シーズ・ア・ウーマン」のイントロの「E7」を2拍、4拍のリズムで「♪ンッ・キャ・ンッ・キャ」と弾き始める。「♪E7→D7」を2小節ずつ弾き次の「A7」を弾くと同時にポールのベースと、リンゴのドラムスが参加してくる。そしてポールのリード・ボーカルだ。ワン・コーラス目はジョージはまったくギターを弾かず客席に向かって手を振っている。この曲もレコードのリズムトラックのレコーディングではジョージは間奏しか弾いていないのだ。ツー・コーラス目からはポールのピアノが歌のメロディをなぞる音がオーバーダビングされているのだが、ステージではそれをジョージがギターで弾いている。間奏後のサビはカットされていて、エンディングのポールのシャウトで盛り上がって終わる。初めてポールの喋りが入ってきた。「ドウモ、ドウモ、サンキュー」という日本語混じり。次にジョージが歌う曲を紹介する。3曲目「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」。ジョージはギターを来日直前に入手した2台目のリッケンバッカー360/12、新しい12弦ギターに持ち替える。7フレット目にカポタストが付いている。ちなみに前日30日夜の半音下げたチューニングの時は、6フレット目にカポが付いていた。サビのジョンのスリー・フィンガー風のピッキングは良く聴こえている。曲が終わると、今度はジョンの喋り。4曲目「デイ・トリッパー」を紹介する。ほとんどレコードと変わらない構成。ジョンの魅力的な声が印象的だ。曲終りですぐに喋り無しで5曲目の「ベイビーズ・イン・ブラック」のイントロだ。このボブ・ディランにインスパイアされた曲も、この時期よく演奏していただけあって、ほとんどレコードと変わらない演奏である。間奏ではワルツを踊るようなステップを見せる余裕さえある。ビートルズの実力が発揮されている。4人だけでこのサウンドをキープしているのは、ハンブルク時代から演奏し続けてきた4人のライブ経験が生きている。前座をつとめた日本人のバンドはほとんどが、歌手とバンドという昔からのスタイルだった。ビートルズは演奏と歌やコーラスを4人だけで賄っているのである。今度はジョージが挨拶代わりの曲紹介、6曲目「アイ・フィール・ファイン」。ジョンがイントロのフィードバックの「ギヨーン」という音を出そうとして、ギターをアンプに近づけて、ギターの4弦の開放音の「D」を弾くが、それ程効果は出ていない。そのまま印象的なイントロのリフをアップ・ストローク中心のピッキングで弾く。この曲もレコード通りのグレードの高さを見せつける。曲が終わるとまたジョージの喋りで7曲目「イエスタデイ」を紹介する。曲紹介と同時に、ジョージではなく、ジョンがギターでコードを弾き始める。ポールがベースを静かに、ほとんど触る程度に弾きながら歌っている。たまにジョージがストリングスのフレーズのようなオブリを入れるが基本的にはジョンのギター1本のバックでポールが歌っている。これまでのステージでの「イエスタデイ」はポールがアコースティック・ギターに持ち替えて歌うというケースが多かったので、このパターンは初めてだった。ポールの歌が「ウー・ウー・ウー・ウー・イエスタデイ」で終わると、そのままポールがリンゴの歌う8曲目「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を紹介。リンゴはこの意外とテクニックが必要な、少し弾んだリズムのドラムスを難なく叩きながら歌っている。前日はリンゴのボーカルマイクのセッティングが低すぎて、歌いにくそうだったが、このステージでは正しい高さに直っている。歌い終わってリンゴが左手でマイク・スタンドをどけている時に、「サンキュー・リンゴ」とジョンの声が入り、9曲目「ノー・ホエアー・マン」を紹介する。「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」についで一番新しいアルバム『ラバー・ソウル』からの選曲だ。この2曲はコーラスが中心の曲なので、セット・リストに入らないと勝手に思いこんでいた。これは嬉しい驚きだった。レコードではジョージが間奏の最後で出す、1弦の5フレットでのハーモニックスの「ピーン」という音は昨日、5フレット目の「E」が出にくかったために7フレット目の「B」を弾き直し「ピーン、ピーン」と2発鳴らしたが、この日は始めから7フレット目の「B」のハーモニックスを鳴らしていた。間奏後のコーラスで、ジョンが歌詞を間違えポールを見ながら適当に誤魔化すシーンがあったが、これも良くあるジョンらしいので、よいシーンが見られたということだろう。ポールの「ドウモ、ドウモ」の喋りの後、またまた驚きの曲紹介だ。わずか2週間前に発売されたばかりの複雑なコーラスの10曲目「ペイパーバック・ライター」を紹介した。さすがにこの曲は絶対にセット・リストに入らないと思っていただけに、本当にビックリ。突然、ジョンとポールのハーモニーで「♪ペイパーバック・ライター」と歌いだし、伸ばしているところに重ねて、ジョージが「♪ペイパーバック・ライター」と追いかける。そこにギターのリフが重なってくるという複雑な構成の曲だ。レコードではコーラスのダブル・トラッキングなどで、もっと複雑な音の積み重ねだったが、ステージでも十分に聴きごたえのあるハーモニーやアレンジになっていた。そして、とうとう最後の曲になってしまった。11曲目「アイム・ダウン」である。ポールがずっと作り上げたかった本物のロックン・ロールであり、「ロング・トール・サリー」に匹敵する曲を作るということを意識して作った曲だ。いまや、この2曲はステージ最後の曲の定番になっている。レコーディングでは2回ある間奏の2回目は、ジョンがVOXのオルガンを弾いていて、前年の1965年8月15日の伝説のシェイ・スタジアムのコンサートでもジョンは肘でオルガンを弾いていた。武道館のステージにもVOXのオルガンはセットしてあったのだが、残念ながら、一度もオルガンを使うことはなかった。曲が終わると、アンコールは無し。4人は手を振りながらステージの後ろに消えていった。3日間で全5回のステージをこなし、最初で最後のビートルズ来日公演は終了した。
 ≪著者略歴≫川瀬泰雄(かわせ・やすお):東京音楽出版(ホリプロ)で井上陽水、浜田省吾、山口百恵など、キティ・レコードでH2O、岩城滉一、吉永小百合などの音楽プロデュースを担当。独立後は、松田聖子、 岩崎宏美、裕木奈江などを制作。約 1,600曲を手がけた。『真実のビートルズ・サウンド』、『プレイバック 制作ディレク ター回想記』、『ニッポンの編曲家』、4月13日発売の「真実のビートルズ・サウンド完全版 全213曲の音楽的マジックを解明」(リットーミュージック)の著書もある。  
 http://music-calendar.jp/2017062901

 ビートルズ来日45周年記念シングル「ロック・アンド・ロール・ミュージック」
 2011-05-25 レコード #洋楽 今年はビートルズ来日45周年という事で、「何か出て来るかな」と期待していたところ、レコード・コレクターにとっては朗報が。来る
‡6月29日(45年前にFAB4が日本に上陸した日)にEMIミュージックジャパンから、「ロック・アンド・ロール・ミュージック」のアナログ・シングル盤が1500円で発売予定。どうやら数量限定、シリアルナンバー付きの様です。 伝説の来日公演の1曲目、という事でこの曲に白羽の矢が立ったのだと思いますが、B面が「エブリー・リトル・シング」なら、昨年のRSDで本家EMIが発売した「Paperback Writer/Rain」」の焼き直しではなく、当時のこの日本独自選曲盤をこの時代に発売にこぎつけたEMIミュージックジャパンに(今回だけは)拍手を贈りたいと思います。次はジャケットはどうなるかが楽しみで、この当時のジャケットの復刻か、来日ステージショットか、JALハッピ姿か、いずれにせよ日本関係には間違いないでしょう。限定発売ということですが、5000枚くらいはプレスするでしょうし、これを買う人はマニアとコレクターだけでしょうから090909の時のような事態にはならないとは思いますが、果たして...
 https://sha-pmc.hatenablog.com/entry/53760349
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 ┃ 『ザ・ビートルズ・イン・東京』 ┃
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‡1986(昭和61)年6月29日(日)発行
 http://beasma.web.fc2.com/newpage15.html
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 ┃ 『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』 ┃
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 2015(平成27)年06月10日(水) 第007回 ザ・ビートルズ初来日 熱狂の103時間
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 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%AC%E6%BC%94
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA_%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E5%88%86%E5%B2%90%E7%82%B9
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 ビートルズ、武道館2公演の音源をLP版で発売
‡2020(令和二)年06月29日(月) 14時1分 
 写真◆66年06月30日の演奏版のビートルズのLPジャケット
 ビートルズの日本公演10+ 件から54年の記念日にあたる6月30日、当時のライブ音源がLPでよみがえることになった。
 2020(令和二)年06月30日(火)に1966(昭和41)年06月30日(木)の演奏版、
 2020(令和二)年07月01日(水)に1966(昭和41)年07月01日(金)の演奏版がLPで発売される。ビートルズは66年6月30日から7月2日まで日本武道館で5公演を行ったが、収録されたのは2公演。初公演となった6月30日を収録し、翌7月1日の夜にテレビ放送する予定だったが、マネジャーのブライアン・エプスタイン氏が再収録を要請し、急きょ7月1日の昼の部を収録した。この残された2公演の音源が、秘蔵音源の発掘で知られる音楽レーベルのエターナルグルーブスから高品質な国内プレスのアナログLPとして発売されることになった。同レーベルからは
 2017(平成19)年09月27日(水)、ビートルズの武道館ライブをCD発売したところ完売。オリコンの洋楽チャートで初登場5位、アルバム総合チャート28位にランクインした。レーベル担当者は、今回のLP版を「歴史的に貴重な音源を、ビートルズマニアはもちろんのこと、すべての洋楽ファンにお届けしたい。アナログ人気再燃の今、温かな音とワクワク感を駆り立てるジャケットが1つになったLPレコードの魅力をあらためて感じていただきたい」と話している。
 https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202006290000279.html
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 ┃ ビートルズ武道館に来る 来日 ┃
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‡1966(昭和41)年06月29日(水)、ビートルズを乗せた飛行機は台風の影響でフライトが遅れ、午前3時40分に東京・羽田空港に到着した。当時、「世界最高の人気グループ」と報じられた4人組の到着までに、2000人近いファンが空港ロビーに設けられた関門で追い返されたという。パトカーに囲まれ、ビートルズがホテルに到着したのは午前4時過ぎだった。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section1
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 ┃ ビートルズ武道館に来る 記者会見 ┃
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 日本到着半日後の6月29日午後3時15分、ビートルズはヒルトン・ホテル(当時)=都内=の「真珠の間」で記者会見を開いた。「名誉と財力を得て、つぎに求めているものは?」という質問に対し、「なによりもまして平和(ピース)がほしい」と答えている。部屋に戻ってからは、窓越しに手を振ったり、ホテルのまわりに集まったファンにカメラを向けたり、くつろいでいたという。
 (c)The Yomiuri Shimbun 無断転載、複製はご遠慮ください
 https://www.yomiuri.co.jp/special/thebeatles/chap02.html#section2
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 ┃ ビートルズ詳解 The Beatles’Corpus ┃
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①1961(昭和36)年06月29日(木) ライヴ演奏:トップ・テン・クラブ/ハンブルグ (90日目)
 7月1日のもうひとつの(土)曜日まで92日間、毎日演奏良好だヨ(=^◇^=)
②1962(昭和37)年06月29日(金) ライヴ演奏1:キャバーン・クラブ (昼)/リヴァプール
②1962(昭和37)年06月29日(金) ライヴ演奏:タワー・ボールルーム/ワラジー
 ビートルズはタワー・ボールルームに27回出演しているヨ(=^◇^=)
 1961(昭和36)年11月10日 24日
 1961(昭和36)年12月01日 08日 15日 26日
 1962(昭和37)年01月12日 19日 26日
 1962(昭和37)年02月15日 16日 23日
 1962(昭和37)年03月02日
 1962(昭和37)年04月06日
③1962(昭和37)年06月21日 29日
 1962(昭和37)年07月13日 21日 27日
 1962(昭和37)年08月17日
 1962(昭和37)年09月14日 21日
 1962(昭和37)年10月12日
 1962(昭和37)年11月23日
 1962(昭和37)年12月01日 07日
 1963(昭和38)年06月14日
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 ①https://gejirin.com/beatles/history/1961/19610401_live_top_ten_club.html
 ②https://gejirin.com/beatles/history/1962/0history_index-1962.html
 ③https://gejirin.com/beatles/history/1962/19620621_live_Tower_Ballroom.html
  https://music.amazon.co.jp/albums/B00BKB6N3G
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 ┃ THE BEATLES HISTORY ┃|  June 29|180
 ┃    ザ・ビートルズの今日の出来事   ┃|6月29日|
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********** http://www.thebeatles.co.jp/contents/index2.htm
 http://www.beatlelinks.net/forums/showthread.php?t=17048
 http://beatlesdiary.web.fc2.com/day/006/0629.html
 http://www.beatlesagain.com/bhistory.html
 楽曲資料https://beatlesdata.info/
 歌詞充実http://tsugu.cside.com/index.html
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 映像◆ビートルズ来日の舞台裏1966*BEATLES Japan  https://youtu.be/u_G4YEEfZrE
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛  2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡No.29 P.163 1966年06月29日「ビートルズ台風がやって来た」◎初めての来日◎
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 ┃ 『この日のビートルズ』 ┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月7日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
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 |1966(昭和41)年 6月29日(水)|「ビートルズ台風がやって来た」
 |2011(平成23)年 6月29日(水)|甲虫日記更新日 No.093
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6月には珍しい大型の台風4号が日本本土に接近していた。西ドイツのハンブルクを飛び立ち、日本へ向かっていた日本航空412便「松島」は、急きょ、航路を変更しアラスカのアンカレジ空港に緊急着陸した。そこで、台風の日本通過を待った。「羽田じゃなくて福岡の板付に緊急着陸するかもしれん、みたいなうわさが流れた」高校3年生だった鮎川誠(シーナ&ロケッツ)は、すぐさま仲間と原付きバイクを飛ばした。向かう先は、久留米から40キロばかり離れた福岡空港。雨混じりの強い風の中、1時間半かけて「出迎え」に行った。「ガランとした空港に、そういう連中が他にも何人かいた」45年前、鮎川が体感した空気のにおいが伝わってくる。1966年6月29日午前3時39分、日航412便は予定より10時間以上遅れて羽田空港31番スポットに到着した。ドアが開いた。ポール、ジョン、リンゴ、ジョージの順にビートルズがタラップを降りてくる。全員が日航からプレゼントされた法被を羽織っている。待ち構えるのは、約250人の報道陣と多数の警官。700メートル離れた送迎デッキに、ファンの影はまばらだった。空港は厳重な警備態勢が敷かれていた。500人の機動隊員が配置され、ロビーでは私服刑事が鋭い目を光らせていた。ビートルズを出迎えようと空港に詰めかけたファンの多くは、追い返されていた。午前3時47分、ビートルズを乗せた薄あずき色のキャデラックは、前後5台のパトカーに守られて滑走路わきを出発した。首都高速を走り抜け、午前4時13分、空港から約20キロの東京ヒルトン・ホテルに到着。ここで出迎えたファン約15人に対し、250人以上の警官が警備にあたっていた。午後になると、警官の数は800人以上に増えた。この日の朝日新聞朝刊のコラム天声人語は、こんな書き出しで始まる。「台風4号が去ったあとに、こんどは“ビートルズ台風”である。警視庁では、延べ三万五千人の警官を動員して、『安保・日韓』につぐ警備体制をしくという」ビートルズが日本に滞在したのは約103時間。計5回の公演のためにホテルと日本武道館を往復したのと、出入国のために空港を往復したこと以外、彼らはホテルに“軟禁”されたに等しい状態だった。「コンサートの時間になるまで部屋から出してもらえなかった」とジョージが嘆く。ジョンとポールは警察の目を盗んでこっそり外出したが、リンゴとジョージは93時間もホテルにいたことになる。初来日したリンゴによる日本人観。「日本人というのは時間をものすごく大切にする。僕らが部屋を出るのは7時14分、エレベーターの前に7時15分30秒に到着、エレベーターから車に乗り込むまで1分と8秒、すべてそういう具合」同じくポールの感想。
「すべての車の座席位置もぴっちり決めてあった。驚くべき効率性だね」4人はプレジデンシャル・スイートで仮眠をとった。午前11時すぎ、ルーム・サービスによる遅い朝食。メニューはグレープフルーツ・ジュース、スクランブル・エッグ、トースト、紅茶など。
 ◎午後開かれた記者会見。日本人記者とのトンチンカン?なやり取り… 次のページへ
午後3時20分、ホテルの「紅真珠の間」で記者会見が開かれた。国内外の記者123社216人、カメラマン約70人が出席。会見場の中や受付にもガードマンが立つ、物々しさだった。場を華やいだ雰囲気にしたのは、“4人4様”の服装だ。ひな壇に向かって右端に座ったリンゴは、黄色地に薄いタテ縞の上着と黒いスラックス。その隣のジョージは、ワインレッドのビロードの上着にベージュのスラックス。ポールはモスグリーンのモッズルック・スーツに薄いブルーのシャツ、紺地に白い花模様のネクタイ。左端のジョンはサーモンピンクのスーツ、紫の地に花模様のシャツ。フォトセッションが終わって席についた4人は、すぐにたばこに火をつけた。最初に東京音楽記者会、雑誌芸能記者クラブ、日本外国記者特派員協会の3団体による代表質問が計10問あり、残った時間は自由質問形式で行われた。会見でのやり取りは長い間、通訳を介した言葉が「ビートルズはそう話した」と信じられてきた。音楽誌「THE DIG」(シンコーミュージック・エンタテイメント)は昨年12月発行の「ジョン・レノン特別号」で、当時の記者会見を録音したテープを元に質問者、通訳、ビートルズの3者のやり取りを再現した特集を組んだ。外国人記者や通訳が英語で話している部分も翻訳してある。読んでみると、通訳を介することで、ビートルズの真意が正しく伝わらなかったやり取りもあったことが分かる。MBE勲章を持ってきたのかと尋ねられたジョンは、テーブルの上に置かれたコースターを見せて、「ああ」と茶目っ気たっぷりに返した。外国人記者は笑い出した。だが、どうしたわけか、通訳は「(日本に)持ってまいりました」と訳した。真に受けた日本人記者は、「今見せられたのは略章じゃなくて本物ですね」などとトンチンカンなやり取りを続けた。「“ビートルズ台風”のエネルギーは、マスコミがつくりだしたもの」。ジョンがこう答えたとされるやり取りにも齟齬(そご)があった。質問者は、“ビートルズ台風”という造語は「警備関係者」が命名していると発言したが、通訳は「日本のプレスによると」と間違えてビートルズに伝えていたのだ。天声人語も「ビートルズ台風」と書いていたから、実態として問題ないのだが……。それにしても、いうべきことはしっかり言う若者たちだった、という印象を改めて持った。ビートルズ公演が日本武道館で開催されることを快く思わない日本人がいた。「日本の伝統的な武道のための武道館を冒涜(ぼうとく)しているという人たちがいる」とシビアな質問が向けられると、ポールは即座に切り返した。「もし日本の舞踏団が英国に来ても英国の伝統が冒涜されているとか、伝統的なものを壊そうとしているとは誰も思わないよ。僕たちは頼まれたから日本に来たんだ」ベトナム戦争に関心を持っているかと質問されたジョンは、「毎日考えているよ。いいことだとは思わない。間違っていると思っている。僕たちにできることはそれだけさ」と正直に胸の内を語っている。来日時、4人がそろって公の場に姿を見せたのは、日本武道館と羽田空港以外では記者会見が唯一だった。歴史的な会見は、予定した45分の倍近い1時間25分に延ばされ、午後4時45分に終了した。死者52人、行方不明12人――。29日付の朝日新聞夕刊は、台風4号が日本列島に大きな爪痕を残し、房総沖から三陸沖をへて、北海道東方海上へ抜けたことを報じていた。
 ◎『この日のビートルズ』の次回は7月20日です。この日はなんの日でしょうか? お楽しみに。
 ◎お知らせ ⇒ 来日45周年を記念した45回転のアナログ・シングル盤「ロック・アンド・ロール・ミュージック」が29日、日本限定で発売された。日本公演でオープニングを飾った曲として知られる。税込み1500円。B面は「エヴリー・リトル・シング」。
 ロック・アンド・ロール・ミュージック
 2011年06月29日 EMIミュージック・ジャパン
***************** https://www.amazon.co.jp/dp/4022617802
 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/110629.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓http://www.oricon.co.jp/news/25384/
 ┃ 究極のビートルズ来日賞味法!ビートルズが日本に与えたもの ┃◆2006(平成18)年06月21日(水) 14時00分
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛文/宮永正隆(著述家・ビートルズ大学学長)
 写真◇ビートルズ来日公演のパンフレット
 写真◇ビートルズが宿泊した日本唯一のホテル、キャピトル東急ホテル 
【6月29日】本当はビートルズの到着は28日夕方を予定していた。しかし台風4号が日本を直撃したため、11時間遅れの29日午前3時44分となった。この台風が「ビートルズ到着の騒乱を防いだ神風」とまで表現された理由もここまで読んだあなたには今やすっかり理解できるだろう。  送迎デッキからはるか離れた特別エリアに到着した飛行機。はっぴ姿で姿を見せたビートルズは、タラップで写真撮影をすませ、下に待機していたキャデラックに乗って走り去った。交通規制された首都高をパトカーの先導で走りぬけ、東京ヒルトンへと直行したのである。ビートルズが乗ってきた日航機の客室乗務員たちが記者会見を開いたが「皆さん、ジェントルな英国紳士でした」という談話ばかりでマスコミは拍子抜けした。ビートルズの落花狼藉ぶりを期待していたのだ。  その日の午後、ビートルズの記者会見が東京ヒルトン真珠の間にて行われた。まるで裁判のような代表質問形式に面食らいながらも、ビートルズは大人社会が繰り出す質問に答えていった。「ビートルズ公演に武道館を使用することは伝統的な日本武道の精神に反するという意見もあるが……」という質問にポールは聡明にこう答えた。「もし日本の舞踏団がイギリスの王立劇場に出演してもイギリスの伝統を汚すことにはならない。僕たちの国にも伝統はある。それに僕らはそこでやってほしいと依頼されたのだ」。ジョンも横から付け加える。「少なくとも取っ組み合いより平和的さ」。  午後5時頃、ビートルズが滞在したプレジデンシャルスイートを東芝レコードの石坂範一郎専務、ビートルズ担当・高島弘之ディレクターとともに加山雄三が訪問した。ビートルズは加山雄三の最新アルバム『ハワイの休日』を一緒に聴き、すき焼きを食べて過ごしたようだ。

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