それでも、私は生きる。

9才~12才まで、母親から虐待・言葉の暴力を受ける。大人になり、発達障害を知り、私は発達障害だと気づく。。。

昔はおしゃぶり、今はぬいぐるみ。

2014-09-02 09:19:48 | 一生学び、一生初心者。
幼い頃、私は、おしゃぶりがだーいすきだった。
口に常にあるのは、安心した。
でも、でもある日、いきなりとられた。 父親がごみ燃やしをしていて、母親に『あれは?』と聞いていたと思う。
『ないよ。すてたよ。』と言われ、すごくかんしゃくを起こしていた。
泣いて、暴れて、代わりになるものを見つけた。
毛布だった。暫くは、毛布を親指に巻き付けて、唇をスリスリし始めた。
それは、小学校くらいまで続いていたと思う。もしかしたら、中学年くらいまで続いていたんじゃないかなあ??

今は、大人になり、ぬいぐるみがないと眠れない。
ふわふわなぬいぐるみに、顔をスリスリするのが至福の一時だ。
だから、私にとって、ぬいぐるみは『いづれ捨てるもの』ではない。『一緒に過ごす仲間』である。
これでも、私は、大人です。
でも、好きなんだもの、しょうがないでしょ?

発達障害

2014-08-18 13:34:49 | 一生学び、一生初心者。
結局は、私は、大人になっても、親の理解をえられることはなく、生きている。


私は、教科書が読めない子だった。母親に、強制的に『自宅学習』という名の拷問を受けた。
友達と遊びに行ける時間は、『自宅学習が終わってから』だ。

母親のいう『自宅学習』とは、学校から提出される宿題とは別に、 教科書の朗読、漢字練習、計算ドリル、など複数の課題をクリアしなければ、遊びに行かせてもらえなかった。こうみると、教育熱心ママ、でしょ?

でも、問題はそこである。
私の捉え方は、地獄。遊びに行きたいのに、行けない。教科書を読み終えるまで、行けない。母親の目の前で読まされ、強制された。
教科書も、約20ページはあっただろう。
なにが問題か。

私は、文章を読めなかったのである。
1つの文を呼んで、次の段落に移ろうとすると、さっき呼んだ段落が目についてしまう。
そして、『声に出して音読しているのに、頭に意味が残らない』のである。

うまくすらすらと読めなくて、悲しくて、友達と遊びたいのに、急いで読み上げたつもりでも、『あとなんページでおわるの、、』と、悔しくて涙が出た。

母親は、うまく読めないでいる私に『はやく読みなさい』と強制し、私が本当は『読めない』のがわかる日はこなかった。

一時『よめない、、(;_;)』と言い、何度も癇癪を起こした。(今思えば、あれは癇癪だった)

母親は
『練習しないあなたが悪い。早く読みなさい。練習すれば誰だってできるの。努力が足りないからよ。努力しなさい』といい放った。
それ以来、私は理解されず、『私は練習すればきっとできるんだ。努力したら誰だって練習すれば、読めるはずなんだ。』と、
つい最近まで信じていた。

、、、が、私は、あるお世話になっている方に、『あなたは学習障害かもね』『読めないのよ』と、そっと、教えてくれた。

、、。そう、私は、この何十年、『努力を重ねても読めない現実』を突きつけられる結果になった。


何故、私が『読めない現実』に気づかなかったのか。
それは『幼い頃からの、母親の言葉(受け売り)を盲信していたから』である。
『出来ないのは努力が足りない』からだ、と。

人間は、人それぞれ、意見が異なり、賛同する時もあれば、異論もある。
が、しかし、母親は友達もおらず、相談できる相手もいなかった。母親は『自分が正しい』と思って生きてきた。
母親の持論を、私は『絶対的な正しい意見 である』と、信じきっていた。

が、それが、崩れる時がきた。
私は、読めなかったのである。
大好きな小説の内容も、実は頭にはのこっていない。
読めない自分にムチを打ってきたのは、この私である。

もう疲れた。
努力じゃ叶わない事もある。


私は、いつか頑張って読みきろうと思っていた本も、売りに出そうかと思っている。(そもそも読書は楽しむもので、苦痛なものではないのにね(;_;))

真実に気づくには、言葉を聞かなきゃならない。そう実感した瞬間でもあった。

もしかしたら、他にも、小さい頃から本当は『無理』なのに、続けてきたものもあるのかもしれない。
信じやすい幼い頃の私は、未だ健在だ。

よし、これから、長旅になるだろう。少し、休憩しておやつでも食べる事にします。