ゆったり日記

私と息子と家族日記

リホーム計画

2018-09-25 10:26:43 | 日記
放射線治療を終え、リフォームの計画を具体化することに
なりました。まずは、友人の建築士に概要の説明を行い
こちらの希望や要望を伝えることに。

時はすでに年末近くなっていました。
年末と言えば、そろそろ掃除などの家事で忙しくなります。
少し慌ただしい中でしたが、妻は明るい顔で話をしてました。

とりあえず、友人には」年明けに具体的提案をお願いしました。
その後、病院に行った妻は良い知らせがあると言いました。

腫瘍マーカーの数値が下がっていたとのこと、年末に
嬉しい知らせでした。
辛かった放射線治療の効果でしょう。

ただ全く不安が解消されたわけでもありません。
しかし、その年の年末年始は穏やかに過ぎていきました。
翌年のリホーム計画の楽しみが明るい材料となっていました。

妻の首のあざも、治療終了と同時に少しづつ消えていきました。
私は心の中で、このまま全ての癌が消えうせろと願いました。

放射線治療の終わりが見えて

2018-09-24 22:29:05 | 日記
放射線治療は、3ヶ月にも及ぶ長いものでした。
照射する首の表面は、みるみるあざのごとく色が
変わりました。

外出時には必ず首が見えない様に注意しました。
晩秋の時期であり、マフラーなどをしていても
何の違和感もありません。

この頃は妻はパズルを盛んに作っていました。
100ピースくらいになると私などは目がクラクラします。

そんなパズルでも根気よく取り組んでいる姿は今でも
思い出します。これまで健康な時は「全く何もせず、ぐうたら
生活だったのに」と私は思いましたが、まあ暖かく見守りました。

今では完成した数々のパズルは遺品となりましたが、私の事務所
や寝室などに飾ってあります。
治療は厳しいものでしたが、まだ穏やかな日々が続いてました。

このブログを作成している今の時期、田んぼのあぜ道などに彼岸花が
綺麗に咲いています。今年の彼岸花は妻とは見れない悲しい秋です。

紅葉も一緒に見れない、思わず涙が出てしまいます。

放射線治療の始まり

2018-09-14 12:55:27 | 日記
左の首にある癌を退治するため放射線治療が始まりました。
妻自身のブログ記事にもありますが、何回か通う必要が
あります。

周りにも同じような方がいるようで、治療前の表情は
殆どが暗い顔をしているようです。

ただ、それはこれから始めて治療をする人がほとんでで、
治療が進み終わりが見えてきた人の表情は明るい表情だそうです。

隣町の病院に10回ほど通い治療をしますが、放射線を当てる部分が
みるみる、あざの様になっていきます。
一般の人が見れば私(夫)からDVを受けている様にも受け取れる
あざです。

痛みもあるようで、見ている側も心が痛みました。
ただ癌が死滅するにはこれを乗り越えなければならないと心を
鬼として治療を進めました。

妻は治療費の事をしきりに気にしていました。私は治療費について
気にした発言をしたときは必ず妻に、「金は稼げばいくらでも稼げるもの」
今はそんなこと気にせず「治療に専念せよ」と一言のみ言いました。

この言葉は、妻が治療費の事を言うたび使いました。
月日は普通に流れますが、我が家は常に癌との戦いが色々な意味で
影を落としているのも事実でした。

闘病を忘れる日々

2018-09-10 12:10:14 | 日記
がん再発後の抗がん治療は、日常生活に出来るだけ影響が無い様に
配慮されたものでした。

妻の不安はいかほどであったかは今の時点ではもう分りません。
ただリフォーム計画が持ち上がってからは、病気を忘れるくらい
キッチンリフォーム、風呂の改装計画を話し合いました。

そして友人の建築士に、とにかく「冬、窓につく結露を何とかしてほしい」
と強くお願いしました。あとは暖かい部屋になるように要望しながら
キッチンの構想など、こちらの希望を伝えて図面を作成してもらいます。

その図面を見ながら完成後の創造をするだけで楽しい日々を過ごしました。
妻自信が念願の対面キッチンや冬に寒い、タイル張りの風呂の改装などに
嬉しそうに希望の構想を話してくれる姿は今でも目に浮かびます。

病は気からとの格言通り、楽しい事が闘病を忘れるくらい明るい表情を
していました。

しかし、首にある腫瘍には抗がん剤の効果があまり出ない状況でした。
私は強く妻に、医師に対して放射線治療を提案するよう伝えました。

私の気持ちにも医師に対して、「何をもたもたしているのか?」と言った
気持ちがありました。効果のありそうな治療を次々提案するくらいの医師
でなければおかしいだろとも思っていました。

今から思うと、妻は自身のおかれている立場や病気の厳しい状況を
把握していなかった気がします。もう少し私がこの時点で関与して「共に
癌と戦えば良かったのでは」と悔いばかりの思いです。

ただ私も状況を把握していたわけでなく、医師の指示や治療方針について
はなるべく従い、時々意見を述べるようにしていました。

闘病はこのようなものでしたが、リフォームの構想が具体化してくるこの頃
の妻は、とても明るい表情をしており病気を忘れる日々ではなかったか?と
思います。

リフォーム計画

2018-09-05 17:43:54 | 日記
サンテラスの効果に満足した私は、次にリビングの
リフォームを考えました。

和風の我が家のリビング、キッチンは冬は寒く、夏は暑い
といった感じでした。当然エアコンやストーブで室温を
調整しますがもう少し何とかならないか?と思うのです。

テレビのリフォーム番組を見ながら、我が家のキッチンに
足りないものは何か?もう少し過ごし易くならないか?

妻があこがれている対面キッチンに出来ないか?などなど。
やはりこうしたものは知り合いの建築士に相談するのが一番
手っ取り早い訳で、早速相談に行きました。

建築時の図面を持参し、キッチン、リビングを冬暖かく、夏は
涼しくすること、風呂の改造、寝室を暖かくするの3点に絞り
知り合いに相談しました。

闘病する妻に少しでも楽してもらいたい、良い環境で生活して
もらいたい、ただこれだけでした。
予算的な心配もありましたがリホーム計画はこうして前進して
行くのです。