🌺歩いてきた道 歩いていく道 どこかへ続いて🌺 『北国からつれづれなんとなくだけど♪』

幸せを探す為に生きています
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日々笑顔で生きたいよね
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関係の断捨離

2015年02月05日 | 世の中に思う

去年そのあとから、そのまま、ずーーーーと鎮静。

 

きのう夢を見た。

「絶対に○○しない」と目の前で思いっきり宣言されている夢だった。

疲れ果てて目が覚めた。

 

ネットで、断捨離の著者さんのコラムを見た。

夫婦関係について。

ほんとは不倫や浮気などと言う話しから始まるのだけれどね。

まぁ、そういうのは置いといて・・夫婦や離婚論として。

 

コラムの中で、その通りだな・・・。と思った言葉。

 

結婚という制度は、どこまでも社会的な制度であって、人の心の中まで制度化することはできない。

結婚という制度は夫婦という「心の結びつき」まで守ってくれるものではない。

結婚という制度は、法的な夫や妻という立場や権利を守ってくれるかもしれない。

そして、自分が被害者であるということは仮に認定してはくれるかもしれない。

けれど、ズタズタになったプライド、傷ついた心を修復してくれるものでもない。

そう、人間関係に、とりわけ夫婦関係に、どちらが正しくてどちらが悪いかという

社会的な判定を持ち込もうとして、そして、その判定が下されたとしても、そ

れですべてが癒されるわけではない。

 

夫婦関係は、どこまでも夫と妻が丸ごとぶつかりあって築いていくもの。

すでに、丸ごとぶつかりあおうとする気持ちが互いにないのだとしたら、

それこそ、夫婦関係はとうに終焉を迎えていると思っていいのかもしれない。

そこに不倫だの、浮気だの、もっともらしい理由を持ち出して後付けすることは、

さらに虚しさを募らせるばかりなんですね。

 

丸ごとぶつかりあおうとする気持ちが互いにない夫婦関係は

とうに終焉を迎えている。

(長い歳月をかけそのまま放置した来たから、今の状況になった。とも言える)

そこは認めずに見ないふりをすることの虚しさ。

どちらがいいとか悪いとかじゃなくね。事実だけを見るということ。

それを著者さんは言っているような気がした。

 


マンガ本は良くない本という考え方?

2015年01月22日 | 世の中に思う

上の子の中学1年生の時の担任はペラペラしゃべるのが仕事のような、本当によくしゃべる
典型的な女教師タイプの先生でした。

上の子が、中学生になって初めての家庭訪問。


その担任は我が家に来て、ある程度の話しが終わったあとに、こう言いました。
「○○さん(上の子名)の勉強机を見せてもらえますか…?」
気持ちのなかには、なんでそこまで、見せなきゃいけないの?という気持ちが本当はあったのですが。
でも、子供から、家庭訪問前に、
「あのねー先生が、「みんなが家で勉強している場所を
見せてもらいます」って言っていたよ~」と
聞いていたので…もはや、見られる覚悟は出来ていた。
どこの家でも、(我が家の子供たちは幼稚園から家庭訪問があったけど)
家庭訪問の時は、この一瞬のために、
どれだけ家の掃除が大変か。と母親たちのあいだでは、毎年話題に上っていたけど。
今回は、それに、子供の机のチェックが加わっただけだし。
中学になると、先生も、子供のそこまで見るようになるんだなー。と思っただけだった。
(でも。実際は、勉強している場所を見せろ。なんて先生は、
長男、次男とかのその後の担任にも、一人もいなかった。
あとにも先にも、この担任ただ一人だった…(・・;))

だいたいにして、家庭訪問なんていうもので、子供の普段の家庭生活を、
先生が見ることができる。と思うのが間違いだと思う。
母親は年末の大掃除以上に、頑張って掃除するだろうし。
自分自身の格好も普段より着飾り…化粧もちゃんとするだろう。
子供部屋だって…子供の机の中だって、普段こんなに綺麗なわけないではないか…。
学校の先生というのは、マジでそれで子供(と親の)普段の生活を、
かいまみれると思ってるのだろか…??
それとも、ただの、人の家庭を覗くための、年一回のいやがらせだろうか??(・・;)(笑)

私は、階段を登り、ドアの横にある本棚の前を通り
担任を子供部屋の中に案内した。
子供部屋と子供の机を見た担任が言った。

「綺麗にしてますね…(^ー^)ここで、○○さん(上の子名)は、いつも勉強してるんですねー(^ー^)」

私は答える。
「えぇ・・。(*^▽^*)(汗)」
(実際子供は自分の机なんかで勉強したことはない。
いつもリビングのテーブルで宿題しているだけ)

そう言いながら・・部屋のドアを出て、二階の廊下へ。
そこにあった本棚を・・その担任は、マジマジと上から下まで見て言った。
「こういう本は、ここに一緒に並べないほうがいいですね。」
当然のように、言い放った。
本棚には、子供たちが小さい頃から読んでいる、絵本や児童書、辞典の他に・・
マンガのコミック本が並んでいた。
その、マンガ本を絵本や児童書と一緒に並べておくな。と言っているらしい。
どうやら、マンガのコミック本が担任の思う、ちゃんとした本と
一緒に並んであったのが気に食わないらしい。

私は、その一言にカチンと来た。
この先生の頭の中では、児童書や辞典は良い本でマンガ本は読まなくていい本という
くくりなのだろう。
私は担任に言葉を返した。
「なぜですか?私はマンガ本もいろいろな勉強になると思いますけど・・」
すると担任は、またもや言い放った。
「勉強に関係ない本があるというのは子供にとって良くないことです。
ここにはなくていいんです。
うちでは(自分の息子)マンガ本なんて見せていませんよ。」

ここは、子供部屋である。あなたの言っているような勉強するための部屋ではない。

その時私はそう思ったけれど。この担任といくら話しても一生わかりあえない気がしたので、
もうそれ以上は反論しなかった。

私は子供にとって、マンガ本を読むこともとても大切だと思っている。
マンガ本にだって、たくさん学ぶところがあると思う。
字もそうだが、言い回しや文章の書き方。
世の中のこと、悲しみや怒りや、笑い、
いろんな喜怒哀楽を体験できる。情緒も豊かになると思う。
恋愛や暴力どが出て来る本は、教育に悪いという母親もいるようだけど・・
そういうものにも勉強になるところはあるんではないだろうか。
小さいときから、親が教育に良いと思う本だけ与え続けられただけで。
大きくなってから、親や先生が「本を読みなさい、本を読みなさい。」
「本を好きになりなさい」と(あくまで自分たち推薦のような本ね)と
言ったところで、
強制されて読まされ続けて来た本が楽しいわけはない。

マンガ本でもいい、本が好きだった子供は、読むということが
大きくなっても好きだと思う。
大きくなって、今度は自分が興味のある本を読み始める、
そういう可能性だって、あるかもしれないではないか。

マンガ本だって立派な教育になると私は思って来た。
私は、子供の頃から、本はなんでも好きだった。
マンガ本もいっぱい読んだ。
そして・・そこで、自分の夢や情緒なども育てて来たように思う。
だから、自分の子供にも好きなようにマンガ本を読ませた。



私は担任に愛想笑いをして階段を降りた。

立派な担任は、当然の発言をしたまで。というような顔をして帰って行った。



この担任は、子供と同年代くらいの男の子の母親でもあった。
その後、うちの子自慢や、自分の子供の話しを入れながら完璧なる子育て論などを
懇談会などでよくしていたこの担任。
その息子は。
元々母親であるその担任とは別の学校へ通学していたのですが、
数年後には。
ワガママいっぱいな子供らしい。
学校で問題ばかり起こしているらしい。
ものすごく太ったらしい。

そのうち・・
不登校らしい。と。
あんなにうちの子は勉強できるって自慢していたのにね。と・・噂が流れだし
一時期、母親たちの井戸端会議の話題独占の。
噂の問題児に成長してしまったようですが・・。

そりゃ、あんなに上から目線で、全てを指示されていたら。
そうなってしまうのも当然のような気がします。
たわめればたわめるほど・・バネは大きく跳ね返るのだと思います。



今日、子供を頭の良い子に育てるには。みたいな本をちょっと読みました。
(偏差値とか点数という頭の良さの話しじゃないんだけどね)
その本は、こんなことを言っていました。

東大の成績優秀な学生にアンケートを取ったところ。
アンケートの答えで成績優秀な学生の答え、全員が○をつけた質問が、
2問だけあったそうで。
それがなんだったのかと言うと・・。

親に一度も勉強しろと言われたことがない。

母親が、いつもニコニコしていた。


だそうです。
なんか、東大の成績優秀な学生さんと言うのは、きっと小さい頃から、
母親が怒りまくり「勉強しなさい、しなさい」と朝から晩まで勉強させられて
いるようなイメージがあるのですが。
子供は、勉強しろ。と言われないから、親に反発することもなく。
かえって親の期待に応えようと頑張ったのだそうです。

そういう話しを読んでいて・・。
なんか、強制と指示というくくりで。あの担任親子を思いだしました。
当然、我が家の子供たちは、東大には入れた(入れる)わけはないですけど。(笑)


でも。
本はたぶん。みんないまだに好きなんじゃないかな・・。


常識とは?

2015年01月16日 | 世の中に思う

常識は、それぞれの考え方で全く違うもの。

家の常識、よその家の非常識と、聞くではないか。

自分が正しいと思うのは自分の勝手だと思うけど。

それに他人を、あてはめようとしたり、それが正しいと。

他人に、なんだかわからない上から目線で思うのは辞めたほうがいい。

なぜなら、相手は、価値観が全く違うのだから・・

その自分の勝手な価値観、考え方を押し付けられても、

すっかり同じ言葉お返ししたくなる気分なだけだろう。

 

そもそも。

自分が正しい。と思っているのは、皆が同じなわけで。

 


デカっ!!!

2015年01月16日 | 世の中に思う

今朝のコーヒー

ここのお店は、ネットで調べたら(Wikipediaだけどぅ。笑)

本格エスプレッソを味わえるお店とのことで。

本格エスプレッソが、どんな味かわかるほど、私はコーヒー通ではありませんが、

でも。飲んで一口でわかること。

うん。ここのコーヒーは美味しい~

そう思った朝でした。

コーヒーって、不思議な飲み物ですよね。

苦すぎに感じて、飲みきれないものもありますし・・。

 

今朝のお散歩・・

最近は、冬なので、お花が少ないですね。

大きな公園なので、バラの花なども一応あるのですが、

柵があり画像撮れないところがけっこうあり・・。

一応、今朝のお花

木になっているのですが、椿や山茶花ともちょっと違う感じだね。

でも、白いお花はけっこう好きだ。

 

散歩していて。笑えたのが・・・・これ。

ピンボケでごめんなさいね。

逃げないんですけど、動くから上手く撮れないんです。

(そういえば、池のカモとかもピンボケしまくるよなぁぁぁ・・

スマホかまえながら。中腰で鳩さん必死に追いかけまわす、あひる。(笑)

えっ・・・

なにが笑えるのかって・・

よーーく見てください。この鳩さん見ていて切ないくらい・・

 

おまえ、ひとりで(ひとりじゃない。笑)

どんだけ食べたんじゃいっ

 

って、思わずツッコミたくなるデカさです。

遠近の画像の差があり、大きさがわかりずらいですが、上の画像、右端の鳩が

普通の鳩で、右側の鳩は頭の大きさと、からだの大きさのバランスがちゃんとしています。

でもこの鳩さんは、からだが大きすぎて~頭が小さく見えすぎるぅー。

他の鳩と比べて、デカすぎ

首のまわりに肉付きすぎ

首の上に肉乗りすぎ

人間がいると寄ってくる鳩さんですが、人間がくれる食べもので。

みんなが同じくらい太っているのならわかりますが・・

公園内のたくさんの鳩さんの中。この鳩さんの食い意地はたぶん。

他の鳩を押しのけるのでしょうね。

 

じゃなきゃ、1羽だけこんなにデカくなれないと思う~

 

あとから追伸

太って見える鳩は、ネット検索したら、寒いから膨らましているか、ボス的な鳩か・・

そんな何かの理由があるようです。

 


出て行く!と言う子供

2015年01月07日 | 世の中に思う

以前、大家族の番組で、幼稚園くらいの女の子が、上のきょうだいと喧嘩になったり、

母親に怒られたりすると「私、出て行くと叫びながら

怒って泣きながら、走って家を出て行くのをテレビで見ていた。

 

夜になる頃。子供が本気で出て行くとは考えずらい。

幼稚園児くらいの子、大人ではない。

夜に。本当はこわいんだろうな・・とも、思う。

その番組を見ていて。

この子は、いつもこうやって、出て行くを繰り返しているんだろうな。

と思った。

家を飛び出そうとすると。周りは、自分を探してくれる。

それを子供は一度わかると。言い分が通らないことや、自分の納得以外の選択が出て来たときなど。

出て行くと言う言動で、形勢を変えようとすることがあたりまえになってしまう…そんな気がする。

 

夜ではないけど、私も子供の頃、母親に叱られたとき。

そういうことをした記憶がある。

そのとき私は、自分は子供だから本当に出て行くことなどできないということは

わかっていたと思う。

でも、なにかで反抗する為に、自分を正当化する為に、

自分の言い分を通したい為に、自分を可哀想だと思ってもらう為に、

家出(って家の付近に隠れるくらいだけど)したのだと思う。

そういうことをする自分に酔っていたところもあったんだと思う。

出て行くという言葉は、思い通りにならない時の脅し文句に使ったような気がする。

 

そういえば、我が家の子供たちもそんなこと言ったことがあったなぁ・・と

それを見て思いだしていた。

 私自身もそんなことをした覚えがあるので、気持ち的にはやりたくなるのは

わかるのですが、でもこれを肯定(正当化)させるわけにはいかないと思いました。

私の母親も。そういうことを私がしても、相手にせず、私を放置しました。

 

私は3人の子供を育てたけど。

どの子も、たぶん出て行くは、一度は言ったように思います。

出て行こうと走る子供の腕を捕まえて

そういうような場面の時、一番最初にいつも私は真剣に子供を怒りました。

(小さかっただろうから。子供は覚えているかどうかわからないけど)

 

「○○(子供名)は、本当に出て行く気でそういうことを言っているの

本当に出て行こうと思って言っているのなら、しょうがない。

今すぐ出て行っていい

でもね、もしも。出て行くってのが、ママを困らせる為にやっているのなら。

そういうずるいことはやめなさいね。

わかる

人を困らせて自分の言い分を通そうとするのは、すごくずるいことなんだよ

でも、本当に出て行く気で言っているのなら、それでいい。

本当に出て行くのなら、今すぐ、出て行きなさい

そうして、今度は私が子供の手を玄関まで引っ張って行った。

子供はたぶん、ここまで怒る母を・・そう見たことはないと思う。

 

どの子も、一度そういうことがあると、大きくなってからも、

脅しのように出て行く。とは、言わなくなった。

中高校生のような、反抗期のときも、なにかの勢いでの、

いつか出て行く。というような言葉も

一度もなかった。(冗談みたいには言ってたけど)

 

あと。

これと同じような言葉で、長女だけど。

「私もう死○でやると言いだしたことがあった。

これも、小学校低~中学年くらいのまだ小さいとき。

自分の思い通りにならなかったとき。

これも、出て行くと一緒で、こちらが驚き腫れ物に触るように、過剰に反応し

それを言うことがクセになると、本当に手がつけられなくなると思った。

なにかすると、そういう言葉を口にし、行動し、自分を

正当化、美化、私は可哀想です。と、するような大人になってしまったら、大変だ。

そういう考えだけは絶対に持って成長して欲しくなかった。

 

この時も真剣に怒った。

泣きながらどこかに行くふり。

私を振り払おうとしながら、私から顔をそむける子供の両腕を押さえつけ、

私のほうに子供の腕を引っ張り、しっかり向き合った。

「それってどういう意味

○○(子供名)は、本当に死○うと思ってそんなこと言ってるの

あのねあなたが今やってるそういうの、

そんなの、可哀想な人でも、カッコイイ人でもなんでもないからね

「そういうことママに言って、ママがどう思うと思ってやっているの

あなたが今やっているのは、ママを脅かしてる。ってことだよ

わかる

「そんなに泣き叫ぶくらい死に○いなら、本当に死ぬ○かないのかもね。

だって、いくら止めたって死○たい人は死○じゃうんだよね

でも、ママにはあなたが今、本当に死○うと思っているようには見えない。

(もしも本当にそう思っているとして)

ママに、死○って宣言してママにどうしろってこと

そういうやりかたって、すごくずるいってわかる

死○。なんてことはそんなに軽々しく言ってはいけないことなんだよ

そういうのママは大嫌い

 

この時も、私はマジ切れ・・し。それから。

長女は大人になるまで。死ぬ。という言葉も決して言わなかった。

これは、出て行く。よりも、もっともっと言ってはいけない言葉だと思うし。

(本当に出て行く気で言っているのなら、本気でいなくなるんだろうから

しかたないだろうけど最終的に出て行かないのに)

出て行くだのという言葉で、人を試してみたり、脅してみたり。

そういうやり方をする人にはなって欲しくはなかった。

 

自分以外の他人のせいで、だから最終的にこうなった。とか。

もしくは、私はこんなことをするくらい可哀想。とか。

本当になにかを実行してみせたりするような。

辛ければ、私はなにするかわからない人間だからね。みたいな・・

そういうやり方で、自分を主張を周りに言い、認めさせようとしたりする、

そういう人には絶対なって欲しくなかったのです。

そうやったことが一度成功すれば、その後もそうなってしまうような気がしました。

子供のうちであれば変えられるかもしれないけど、そのまま大人になってしまったら。

覚えたそういう自分の肯定、正当化のしかたを、変えるのはとてもむずかしいと思った。

 

子供がそうなってしまうのがこわかったから。私はそういうのが大嫌いだから・・

だから、そう言いだした子供を、その場でものすごく叱ったのですが。

普段、滅多に本気で叱らない母親が、マジ切れするのをみた子供は、

たぶんみんな、恐かっただろうと思います。

なんか、わからないけど。これは言ってはいけない言葉らしい。と。

あの頃・・そんなことがあるたびに、それぞれみんな。

私が、あんなにマジ切れして怒った意味をわかってくれてたかなぁぁ・・。


ハンキングバスケット

2014年12月21日 | 世の中に思う

今朝のお散歩中に、見かけた、ハンキングバスケット♪

お花いっぱい、お花満載のバスケットは、たくさん見かけたことがありますが、
これは、ちょっと変わっていて。
冬バージョンと言うか、クリスマスバージョンと言うか…。



私この…キャベツみたいなやつ、ほんとは昔からあまり好きな植物じゃなかったのですが、
このハンキングバスケット作った人のセンスは素晴らしいと思いました。

綺麗で可愛いい。(*´ー`*)


こういうすれ違い

2014年12月17日 | 世の中に思う

皆さまには意味不です。

 

なんだか、こういうすれ違い感覚・・よくわかるような気がする。

子供目線と親目線の違い。

 

小学校、中学校、高校と卒業式は、みんな両親に感謝の言葉を述べながら、

両親へ手紙を渡したりして。みんなが感極まり、親は感動して泣く。

(子供のほうは、男の子は泣かなかったけど女の子はほとんど泣いていた)

というのが、今の時代(の流行)らしい。(学校側の感動させる演出)

(昔は、学校の楽しかったことなどをみんなで言う「呼びかけ」とかだったよね)

高校生になると。子供はみんなさすがに、卒業式で誰も親に対して涙することは

無くなるけど。(女の子とかは、親ではなく友達と離れる寂しさで泣いてたけど)

私も小、中、高と。

幼稚園から始まり。

子供の卒業式のたびに、感謝の言葉を子供に目の前で言われる親として、

子供の成長を感じるとともに、子供からの感謝の言葉に涙していた。

 

そんなことも過去には、たくさんあったはずで。

その前も、その後もいっぱい、いろんなこと感謝の言葉を表されたはずで。

母の日だとか、なんとか感謝の日だとか、お誕生日だとか、卒業式だとか。

でも・・。

そんな、周りに影響されて、世の中を、真似て作って出来た、ものじゃなくてね。

 

その後なにかが変わると、そうなっちゃうのかな。と。

まるであれらは、クリスマスやお正月のような、とりあえずなイベントだったかのようで。

あれらの言葉はなんだったのかな。と。少しわからなく・・悲しくなる。

 

 

まっ。私は・・離婚したわけでも。再婚したわけでもないけど。

でも。

こういう質問みたいな話しを見ると。

この質問者さんは、こういう親目線をこの質問したことで、

ベストアンサー以外の回答も、もらい理解したみたいだけど。

この質問をした最初は全然気づいていない。

普通は、最後まで。わかりあえないのかもね。

 

 

最近のマッサンを見ていて、子供について。

親にとって、子供ってなんなんだろう。と。

ちょっと感じるところがあったのだけれど。

 

産んでくれてありがとう。

育ててくれてありがとう。

いつも頑張ってくれてありがとう。

何度も何度も聞いて来た気がする。

いっぱい感謝してくれていたはずだったけどね。

 

だけど・・??だけど・・??

結局・・。

こうも簡単なもの???

と。

 

親目線と子目線は違うのだろうね。


老夫婦

2014年12月07日 | 世の中に思う

朝早くは、すっごく悪いお天気でしたが、お日様が出始めました。

外がなんか、キラキラ綺麗です。 

 

 

前にも言ったけど。私は、なにか、頭で考えたようなことと似たようなことが。

本当によく起きるのです。

この前、おばあちゃんをエスコートしているおじいちゃん。

みたいなことをブログに書いたけど。

そんとき。お年寄りになっても、そういうことができるって素敵だなって

気持ちで書いたわけだけど。

やっぱり、そんな風に思うことが目の前で起きた。

 

 

きのう。

靴屋さんで、70歳後半くらいの、おばあちゃんが椅子に座って、靴を選んでいた。

その靴屋さんは、1足1万円(前後)以上するような、ちょっと値段高めな靴屋さん。

おばあちゃんの隣に立っているのは、おじいちゃん。

夫婦は、なんか、普段着のほんとに普通のお年寄りって感じ。

 

店員さんが動き出していて、靴は決まったような感じ。

あとは会計って感じになっていた。

すると、おじいちゃんが、おばあちゃんに話しかけ始めた。

 

「ほら、もうすぐクリスマスってやつが来るんだろ

少し早いけど、でもクリスマスだからな。

それ(靴)は俺が買ってやるよ・・ははは。

おじいちゃん言いながら、ほんとにほんとに恥ずかしそうに、

ドラマでよくやるような、頭かきながら言う。

 

どう見てもなんでもない長年連れ添った夫婦だから、

最終的なお金の出どころは一緒のような気はする。

で・・

おばあちゃんは、なんて返すのだろうと私は通りすがりにおばあちゃんを見ていた。

椅子に座って、靴の箱が床に置いてある、おばあちゃんは。

そう言うおじいちゃんに。

目の前のおじいちゃんを見上げてすぐ。

おじいちゃんよりも、ずっとずっと大きな声でニコニコ言った。

「うれしいなっ

通路に響くくらい大きな声で。

ほんとにうれしそうに。

少女のように。

ありがとね。とかじゃない。

うれしいなっ。

 

おばあちゃん良かったねーーーーとひとごとながら心の中で思う。

 

恥ずかしそうに、でも素直に言うおじいちゃんも。

無邪気に素直に、うれしさを表した、おばあちゃんも。

両方がうれしそう。

 

2人は、こんな風に素直に感謝や思いを述べあって生きて来たのだろうな。

自分たちよりずっと若いはずの店員さんが目の前にいても。

他人の目なんて気にない2人の世界が、あるんだろうな。

 

おじいちゃんも、おばあちゃんも、ほんとに素敵でした。

そして幸せそうでした。


世の中はボーナスなんだね

2014年12月06日 | 世の中に思う

テレビを見ていたら、ジャパ○ットタカタのコマーシャルをしていた。

今年最後のチャンス~とか言っている言葉を聞いたときに

これはボーナス商戦というやつなんだな。と思い。

そうかぁ世の中の人は、今頃ボーナスをもらい終わったり。

楽しみにしたりしているんだな。と思い。

そうしたら、こんなことを思い出した。

 

夫くんが会社員をしていた時。

夏はお盆前。冬はクリスマス前ボーナスをもらって来た。

その頃。

ボーナスをもらったら、なにを支払って、なにを買おうか・・

それは年に2回の楽しみだった。

何十年か前か忘れたけど。

 

夫くんの会社は。

給与も賞与も、その会社の考え方で振込ではなく、いつも現金で支給された。

その袋を、そのまま渡される私は。

いつもは、節約に節約を重ねた生活をしていたから。

給与より、たくさんのお金が入ったボーナスの袋と給与を一緒にもらえるのは、

年に2回の幸せだった。

(と言っても、ローンや電化製品の買い替えや車検代だとか来年の車の税金、

クリスマスやお正月と、あっと言う間に消えて行くわけですけどね)

それでも、いつものギリギリ、あるいは足りない生活費となる給与と違い、

ボーナスというものは、現金を手渡されたうれしさとともに

やりくりしながらお金の使い方を考える・・という

わくわく感があった。(もちろん感謝も)

 

その後。

夫くんの仕事が変わった。

ボーナスというものは、無くなったが。

現金で渡されていた給与も、全て振込になった。

通帳に入ったお金が、支払い分は勝手に引き落とされ、生活費を

そこからおろすという生活に変わる。

現金が。働いて得たお給料全額を手に持たない、見えない生活に変わった。

私の仕事の関係もあるけれど、現金に対する価値観が全く変わった。

 

お金がないのも困るけど、お金では幸せにはなれないんだな。

そんなことをなんとなく気づき始めた頃だった。

 

なにもかもうまく行かなくなったとき。

夫くんが言った。

「俺が○○になったのが、悪かったのかそうしなければなにも

変わらなかったのか

それはお金のことだった。

それを言われたときに。

この人はなにを言っているのだろう。と思ったけれど。

夫くんは、生活が一変したことで私が変わって行ったたように見えたのかもしれない。

でもそれは違う。

感謝はしていた。

ただ、それは夫婦両方の甘えなのかもしれない。相手が言わなきゃこちらも言わなくなる。

では、夫くんは、妻である私になにか感謝をいつも述べていたかな。

それとすっかり一緒だと思う。

 

でも夫くんの言った言葉の通りなのかもしれないね。

あの、若い頃の、少ないお給料でやりくりしていた時の幸せ感とか。

お給料全部渡されることで、信頼されているんだな。とか思ってた幸せ感とか。

今月は、お給料多いな頑張って残業してくれたもんな。と思った幸せ感とかは。

もう二度と味わうことは、ないのだろう。

ただ・・だからと言って。

あの、若い頃の大変な生活に戻りたいわけではないのだから

今更それを(もちろんお互いだと思うけど)する気もないわけだけれど。

矛盾する言葉のようになるけど。

でも、その頃は確かに。そのときなりの幸せ感があったのかもね。

それは過ぎた今だから思うのであって・・。

 

もしかしてあのままなにも変わらなければ。

夫くんの言いたいのはそう言うことだったのだろう。と思う。

 

お金が無いほうが幸せなわけではもちろんないだろうけど。

でも。あれば幸せなわけでもないだろう。

結局両方幸せにはなれない気がする。

夫くんが言った言葉の意味がなんとなくわかる。

人間はたぶん。お金に困らないとしてもそれだけでは幸せにはなれないんだと思う。

 

お金は。

幸せのフリはたくさん買えるかもしれないけど

幸せそのものを買うことはできないんじゃないのかな。

 

私のこの先の人生は。お金ではない幸せを見つけられる人生にしたいな。

そう思います。


お国訛り

2014年12月05日 | 世の中に思う

朝は悪かった天気が、その後とっても良い天気になって。
午後の今も良いお天気。
天気は、こうでなけりゃね♪



前までは、どこにも残らず流れていた、話している言葉がすごく耳に残る。


なんだこりゃ??
えっ??(゜ロ゜ノ)ノ
みんな、ものすっごく!!!
お国訛りってる(???)んじゃないの???!!(゜ロ゜ノ)ノ


一体私は、なに人(じん)に、なる気で?
なに人に、なっちゃうのだろう?(._.)


いつからこう聞こえるようになったんだろう。


でもなぁ。
私を、育てた母のその両親もだし。
もともと土地が違うわけわけだし。
もともと私、ちょっと違ったのかもしれないけど。


愛とはなんぞや??

2014年12月03日 | 世の中に思う

ネットで、こんな言葉を見かけた。

 

『もはや愛してくれない人を愛するのは辛いことだ。

けれども、自分から愛していない人に愛されるほうがもっと不愉快だ。』

                            ジョルジュ・クールトリーヌ

 

相思相愛のうちは、うまく行くものが、どちらかの気持ちが変化すると

それは全く別のものになる。

 

そう考えると。

相思相愛な人とか。

死ぬまで相手を愛し続けていられる人というのは。

相手を愛し続けられる。ということは、相思相愛なわけだから。

そういう人は本当に幸せな人なのかもしれない。

(自分だけが依存。じゃなくね・・)

 

これ。

説得したからどうにかなるわけでも。意地悪しても。

謝られても。お願いされても。どうなるわけでもなく。

泣いたからどうにかなるわけでも。騒いだからどうなるわけでもない。

究極、死んでも。どうにかなるわけではないのだろう。

 

愛というのは、どちらか片方の気持ちで、作られるものではなく。

両方の気持ちが、同じくらいのときにのみに存在するものなんだろうな。

(まぁ、どちらかの。フリということであれば継続はできるのかもしれませんが)

考えてみると。

ものすごく奇跡的なことであるのかもしれない。

愛という気持ちと言うのは、片方の言い分ではどうにもならない。

気持ちを改造はできない。

とてもとてもデリケートで難しいものなのかも。

 

いつの間にか、歳月とともに忘れてしまい。

いつのまにか、愛は消えて行き。

消えて行く・・というか慣れてしまう。

バランスが崩れ始めたあとに、なにかに気づき取り繕うにも。

その時その時で解決して来なかった、

現実に目の前に、毎日あった、重ねてしまった歳月の記憶は

どう消そうとしても、過去に戻って消せないわけで。

 

全てをひっくるめて、受け止めていたくて。

愛が続いて行く。というのは、本当にものすごく難しいことなのかもしれない。

 

おばあちゃんの手を引き、歩くのをエスコートしているおじいちゃん。

たまに見かけたりするけれど。

その年齢のときに、両方の気持ちがそういれる人なんて。

滅多にいないのかもしれない・・ね。

 

 

かなり昔に、おしゃべりの中で。(女同志)私はこう言っていた。

「えっだって相手を好きだから一緒にいるんでしょ私は好きだからいるんだけどなー。」

そう思っていた。まじでそう思っていた。

でもそれを聞いた相手はこう言った。

「えっそんな人いないってーー誰に聞いてもそんな人いないってーー

誰に聞いてもそんな人いない。

そんな人いるわけがない。

そう思っている人は、ほんとにそんなにたくさんいるの・・


グーグルのストリートビュー

2014年11月30日 | 世の中に思う

今日はきのうに比べると、良いお天気です。

今朝の、お散歩中の空もこんな感じ

 

街の中では最近、あちこちでイルミネーションや(の)ツリーを見かけたりしますね。

今朝は、雪だるま君に遭遇。(スノーマンと言え笑)

話しは、グーグルの地図の話し。

 

きのう、とある人と話していて。

グーグルの地図の話しになりました。

ふと思いつきスマホで。

今の私の住んでいる場所の名称を入れてみた。

するとグーグルは、すっーーーーっとワープしたように、日本地図の中を移動し。

私の今住んでいる家の前の道路、ストリートビューを映し出した。

 

今住んでいる家が映っている。

矢印を家の向きにすると。

おーおーおーおーーーーー

私の家が部屋がすっかり映っているではないかーーー

 

私の頭にひとつの疑問がわく。

この画像は、私がここに住み始めたここ最近に、撮られたものなんだろうか

 

画像は家の前の道路。

家の前には信号の十字路。そこを左折すると、すぐ左側に、私が借りている

駐車場が見える。曲がってみた。

矢印をタップで、曲がる。

 

うぉぉぉぉーーーーーーーー(驚)

私の車が、なにくわぬ顔をして、駐車場に鎮座していた。

そこには、私の車が、しっかり映っていた。

 

ということは、この画像は数年前のものではないんだね。

最近ではないか。

一体いつの間に私の車の画像を撮って通り過ぎて行ったんだ

グーグルさん

 

自分の住んでいる場所に、あっと言う間に飛ぶのもすごいけど、

ネットに、自分の生活している家の窓やベランダ。車が出て来るなんてのは、

けっこう驚くものである。

 

ついでに。

以前住んでいた家も、検索してみた。

以前住んでいた家、全体が映っていた。

洗濯物が、ベランダに干され。私が植えたけど、育つのを

見ることもなかった、ひまわりが何本も背が高く咲いていた。

それを見て、あのひまわり、咲いたんだな・・と思いながら。

きっと誰も種を取ったりしなかったんだろうな。1年のものになったんだろうな。

と思った。

桜の木もそのままだった。なんでもない日常の風景そのまま。

これを見たときも、とても不思議な気がした。

私が毎日目にしていたような。

そのままの景色が目の前に広がるのだから・・

グーグルさん、すごすぎ。

 

そういえば、以前住んでいた場所で、この、グーグルアースの車を見かけたことがある。

その車は、グーグルのロゴがかっこよく入った車で、バンなどではなく普通車。

頭の上に、地球儀みたいな360度映せるカメラがついていた。

あーいう車が、日本全国を、画像を撮って、道を調べ、

新しい情報を入れる為に、走っているんだね。


温泉の貼り紙で思ったこと

2014年11月29日 | 世の中に思う

おはようございます。

今日の天気は・・・・・・・・・曇り空で、ございます。

でもまぁ・・天気はあまり関係ありませんねっ。

今日も一日元気にまいりましょ

 

温泉大好きあひるは、きのうも温泉へ行って来ました。

その、温泉で気づいたこと。

やたらめったら(←これ標準語か笑)貼り紙が多い。

 

温泉の入り方や、水分補給

間違った入り方をすると、知らないうちに救急車に乗っていますよ

みたいなのから、始まり。

 

トイレの電気は消してください

携帯電話等は充電しないでください

エトセトラ・・・エトセトラ・・・

脱衣所、洗面所、目線の場所に、貼れるだけ、貼りました。と言う感じ。

洗い場に行くと、また貼れるだけ貼った貼り紙に出会う。

 

水風呂の水は無くなるのでかぶらないでください。シャワーを使ってください。

 

お風呂とお風呂の境をまたいで渡らないでください

 

洗い場の場所取りはしないでください

 

次の人の為に、使い終わった、桶はこのように片付けてください

(図解説入り

 

よく、いろんな温泉に行くと髪を染めないでくださいという注意書きを見ますが、

私は数十年の温泉好きだけど、今まで一度も、温泉で髪を染めている人に

出会ったことはありません。

もっともっと昔は、温泉で髪を染める人がいたのかな

そのなごりなのかもしれませんね。

だから髪を染めないでくださいは、まぁ、わかるのですが、

その、洗い場には、髪を染めないでくださいの他に。

こんなことまで書いていました。

 

髪を切らないでください。下水が詰まります

 

洗濯をしないでください

 

痰を吐かないでください

 

 

これだけ、貼り紙がしてあるのに、この温泉は、なんか全てが乱雑になっている。

これだけ、注意書きがしてあるのに、なぜなんだろう

私は、なんかすごく違和感を感じながら、お風呂からあがる。

 

髪を乾かしに、洗面台へ。

前の人の髪の毛が洗面台の上に落ち、アメニティーも乱雑に、あちこちを

見ている。

あたり一面に、水が飛び散り

ふと、目線を上にすると、そこにはまた、貼り紙があった。

次の人の為に、落ちた髪の毛は拾い、ティッシュでふき取りましょう

皆で綺麗に気持ち良く使いましょう

が・・・

ここの洗面台は、どれもそうなっては、いなかった。

 

これを見たときに。こんなことを思った。

綺麗に整頓されている温泉と。汚い温泉(新古の差ではありません)の

違いってなんなんだろう・・。

どうしてそうなるのだろう・・。

 

綺麗な温泉というには、そこの従業員が、率先して、お風呂全体を

チェックして、何度も綺麗にして歩いている。

きっと、お客さんも、最初から綺麗になっているものを使ったら、

自分も使い終わったら元通り綺麗にしなきゃいけないな・・。と

いう気持ちになるのだと思う。

(中にはそうではない人もいるでしょうが、それも

温泉側が、いつも片付ければ、いつも綺麗なわけだし)

けれど、温泉側が、できるだけ便利なような貼り紙だけがしてあり、

お客さんに、あれをするるな。これをしろ。と言ったところで。

誰もやる気など起こらないのだと思う。

 

これって、なにかに似ているな~と、すごく感じたことがあった。

それは。

自分の思い通りにならない子供に小言を言い続ける母親・・

あれしちゃだめ、それもだめ。これはしなさい

あまりに言われ続けてしまった為、いくら言ってももう、子供の胸には響かなくなる。

結局、子供は大きくなると反抗し、母親の言うことなどきかなくなり。

母親は、ますます禁止事項を増やしながら、思い通りに行かないことに

怒り続ける。

あなたの為を思って。やこれが常識。と正義論で押し付ける。

 

人を言葉だけで、操作しようとすると。

結局人は動かないものなのかも・・ね・・💦


季節の移り変わり

2014年11月22日 | 世の中に思う

寒くなって来ましたね。
今日は、「いい夫婦の日」らしいよ。
良い夫婦の日なんてあったの今まで毎年、知らなかったような
気がする。(゜.゜)



郵便局の年賀状発売を見て、来年の図柄や挨拶文を考え始めたり。

ショッピングセンターの、お歳暮の品を考えたり。

お店で売ってるクリスマスのオーナメントが気になりだしたり。
クリスマスにはなにを飾り。お正月にはなにを飾ろう。なにを買おう。

みんながやっている。
年末に向けて、ちょっと、慌ただしくなり。

そんな。
なんでもない季節の変わり目が、今の私には、なくなったわけで。
外に買い物に出るとそれを感じる。


それは、それで楽なような…。

それは、それで寂しいような…。





今年は、あまり、綺麗な紅葉には出会えなかった気がします。
今年一番綺麗だった紅葉です。(〃^ー^〃)