コメント
 
 
 
当時の両毛線 (匿名)
2018-10-13 23:50:13
いつも拝見しております。
さて、あの頃の両毛線では既出の富田・大平下・岩舟以外に思川や小俣でも発売がなされていたように記憶しています。60年春頃の無人化(書類上の?)で硬券入場券はなく、また当時は〇ムの乗車券を収集することをしていなかったため、これらの駅で購入しなかったことを少々後悔しています。
まだ民営化される前でどこの駅かは伏せますが、入場券がないと言われた後に「よかったら補充券で入場券を作ってあげようか」と言われたこともありました。
 
 
 
> re:当時の両毛線 (isaburou_shinpei)
2018-10-15 13:11:38
コメントありがとうございます。

趣味というものは時代に応じて広がっていくもので、当時は見向きもしなかったものが今はまっていたり、後悔の連続ですね。

国鉄末期は入場券が欠札したり、全くなかったりすると、出札用の特別補充券で発券して頂いたり、酷い時は厚紙に入場券のゴム印を捺して発売していたりしていたことがありましたね。
そのころは入場券ブームのような風潮があり、当時の国鉄職員は雑収入でも業績拡大のために積極的にやっていたような気がします。
 
 
 
小俣は桐生駅からの特別改札でした (matsu)
2018-10-16 23:49:12
時々楽しみに拝見させて頂いております。

無人化後の小俣の発売分ですが、小生が購入した国鉄・JR化後の券はいずれも〇特 桐生駅発行となっており、桐生駅からの特別改札扱いだったようです。

私の手元にあるものを確認したところ、仰る通り、富田以東が佐野〇セ発行でした。
小俣では、東京自由乗車券は硬券であったことを確認しましたが…値段が値段なので購入はしませんでした(苦笑)

今思えば…orzという感じでしょうか(笑)
 
 
 
> matsu様 (isaburou_shinpei)
2018-10-22 22:56:18
コメントありがとうございます。

桐生駅にもそのようなセンターがあったのですね。
仰せのように、その時はいろいろな駅で散財してしまって高額な券を買い控えることがありますが、いつも後悔します。

 
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