自分のことをネコと信じている人間と一緒に暮らす

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「カルメン」@天王洲銀河劇場 濱田めぐみ ほか

2014-06-15 19:45:21 | その他の文化芸術・エンタメ
前回の記事は、というと、昨年6月16日。
実に一年ぶりであるな。

「どうして書く気がなくなっちゃったんだろ?」と”ネコ”に聞くと、
「あまちゃんにハマっていたからじゃないの」と。

まあ、それだけ充実していたということか。

確かに、天体写真もラブジョイ(ラブ女医)彗星ほか、いっぱい撮って、
画像処理に追われてもいたし。

ぷららのブログも今月で閉鎖ということなので、で、久しぶりに・・・

銀河劇場の「カルメン」
この一年間、当然のことながら、濱田めぐみの舞台は全部足を運んでいる。

いまひとつ、作品に恵まれていないような。
が、カルメンが適役なのは、すぐわかる。

感想はというと、
メグだけでなく、別所哲也や大塚千弘、初見の米倉利紀、香寿たつき、Jkim(圧倒的な声量と声の厚み)等々、
実力派揃いの布陣で、なかなか聞かせるのだけど、
お話自体はちょっと緊張感に欠け(特に前半)、
なによりワイルドホーンの音楽は、いつも私には昭和歌謡のように聞こえてしまうので・・・

あのシンプル、というよりも古くさいメロディーと和声はどうにかならんかと思うのだが、
どこがマズイのかというと音楽的素養のない私には具体的に指摘できないのがつらい。

たとえば、私の好きなウィキッド、
伝統的な形式(「なつかしいシズ大学」とか)を踏みつつも、
その後の関係を暗示する不協和音とか、
エルファバとグリンダの立場の逆転をパートを代えることで表現するとか、
音楽そのものがストーリーと密接に関係している(らしい)のだけど、
どうもワイルドホーンの音楽は、ただその時々の感情に合わせて作っているように思えてしまう。

などということは、まあ、よくて、
濱田めぐみのドスの効いた歌に、いつものようにガツンとやられて、私はとりあえず満足。

カーテンコールも3回目でスタンディングなのであった。







「断色」@青山円形劇場

2013-06-15 09:17:42 | その他の文化芸術・エンタメ
初日。

青山円形劇場は好きだ。
観客と役者との距離が近く、小演劇的な親密さがあって楽しい。
押しつけがましい過剰な舞台装飾が出来ないから、あれこれ自分なりの思いを巡らす時をすごすことができる。
取り壊すという話があるようだけど、代わりになるような小屋を知らない。

話は、クローン技術の発達した近未来、自分とは?を問いかける。
ということになるのだけど、あまり堅苦しく考える必要はないかもしれない。
役者さんたちと一緒の空間と時間を共有するだけで、十分楽しめる。

もともとは、太った人を登場人物にした「断食」という芝居だったとか。
「食」を「色」にしたからなのか、下ネタ満載。
堤真一さんはそのまんまのような気がするけど、
田中哲司さんと麻生久美子さんは大変かも。
(パンツの下にプロテクターをしているのかと気が気でない)

クローン技術が発達すると、確かに、自分の母親が若返った姿で目の前に現れる可能性もあるわけで、事は複雑になる。
ハクスリーの描いた「Brave new world」を思い出させる。

堤さん、田中さんの安定した演技はいうまでもなく、
クローンが徐々に複雑な感情を覚えて人間らしくなっていく姿を麻生さんも的確に表現していた。
芝居全体としては、もう少し整理できる部分もあると思う。

色覚異常と子供のいないことが劣化クローンの証明らしい。
してみると、私も、そういうことなのか・・・


AKB第5回総選挙Ⅱ

2013-06-09 09:27:12 | その他の文化芸術・エンタメ
「総選挙=処刑」説を言い出したのは、濱野智史だっらか、宇野常寛だったかしらん。

日産スタジアム2階、ほぼ会場全体を見回せる場所で総選挙を見て思い浮かべたのは、
夢を見すぎた咎で少女たちが断罪される場ではなく、
命のはかなさと残酷さが共存する闘牛場だった。

夢に近づいて希望をふくらます若いメンバーと、
夢の遠さを突きつけられる名も知れぬメンバー、
そして、落ちていくめまいの感覚に耐えてマイクの前に立つ初期メン。

そのどれにも真実はあるのだけど・・・


AKB第5回総選挙@日産スタジアム

2013-06-08 23:15:29 | その他の文化芸術・エンタメ
はじめて総選挙の現場に参加して、
目の当たりにした会場の興奮よりも、後味の悪さが残ったのは、
推しメンの大島優子が一位にならなかったからでは断じてなく、
システムの劣化を見たからだ。

金権選挙。

鈴木健の「なめらかな社会とその敵」で提案される分人民主主義と伝播委任投票システム。
一票を分割して投票ができるという新しい仕組み。
小林よしのりや濱野智史の対談を読み、
AKB全体のことを考えて投票のポートフォリオを組むAKBオタの存在に、
この伝播委任投票システムのひとつの具体化を見ていたのだが、
どうも買いかぶりすぎだったようだ。

スキャンダルでAKBをやめざるをえなかった平島夏海のランク入りは、
AKBオタのやさしい心情をうかがわせるのに十分で感動的だったし、
すべてのメンバーに送られる祝福のペンライトもオタの”公共性”の象徴のように思えた。
宮澤佐江の男前の決意も、篠田麻里子の大人の対応も、少女たちの成長の証だ。
個人的に人気があるとはおもえない高橋みなみの選抜入りは、
だれもがその存在の大きさを認めた結果と配慮なのだろう。

そのすべてをぶちこわしにしたのは、あの第一位15万票だ。

努力や才能、スキル、あるいは人気あるからといって、センターがふさわしいわけではない。
”すわり”が必要だ。
前田敦子にはあった。
大島優子はそれを欠いていることは認めざるを得ない。

が、これかよ!

金で票を買うというシステムが機能していたのは、
一人ひとりの有権者が誰のファンであるかという個人性を超えて、
AKB全体のあり方を考えて票の配分を決めるという”公共性”に支えられていたからだ。
推しメンだけに金をつぎ込むというエゴが先に立つようになったら、
このシステムは単なる”金権”に堕する。

大島優子のスピーチは冷静でユーモアにあふれたもので、
”普通のいい子”であることを再確認できたのは大きな収穫だったが、
悔しさがなくなったら、卒業は近い。
いや、在籍していたとしても、精神的にはすでに卒業である。

P.S
島崎遥香は、いつもどおり”塩”のスピーチだった。
徳光のフリにも、言葉を見つけられずに、ただうなづくだけだ。

「お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人として扱われほかない。・・・それは彼(ムルソー)が嘘をつくことを拒否したからだ」

彼女は「異邦人」であるな。












アンドリュー・ワイエス水彩・素描展@茨城県近代美術館

2013-05-20 21:26:19 | その他の文化芸術・エンタメ
ヒラリー・ハーンを聴くわずかな時間を駆け足で。

公園の中の美術館はロビーも広くなかなか立派だ。

最終日だったようで、混んでいるとはいえないが、絵に見入る来館者の雰囲気はとてもよかった。

絵もすばらしい。
パンフレットの解説も好感がもてる。

ワイエスの水彩は、確かに日本人好みかもしれない。
窓枠などのきちっと描かれた直線と、草や人影などのザクッとした面のコントラストがなんともいえない郷愁と安定感をもたらす。

特にパンフレットにも載っている「オルソン家の朝食」がよかった。
小さな窓の中でなにやら立ち仕事をしている人影と、
煙突から立ち上る煙だけが絵の中で”動き”といえる部分なのだが、
それが「朝食」のすべてを物語っている。

同時開催されているのが、このワイエスの絵を所有している須崎勝茂氏が代表を務める丸沼芸術の森をアトリエとして活動する若手作家の作品群。
個の主張に迷う女子高生を眼に託しながら描く中村亜生。
木彫で、目をつむった子供の小顔をなつかしく表現する儀保克幸(昨年、横浜で個展を開催したらしい)。
静かな宗教的な雰囲気の絵を描く山本靖久、など。

いずれも高い技術を持っているようで、好感が持てた。