
以前にも書きましたが、信仰を守り通した26聖人たちのなかに3人の十代の少年たちがいました。彼らの信仰がなぜそこまであったのかということが、私にとって大きな疑問でした!
でも分かりました!答えは神の愛を知っていたからです・・・
私たち人間は、最初、すべてのものが満たされ、死もなく苦しみもないエデンの園に神に創造され愛され、神と共に住んでいました。。。
ところが、最初の人、アダムとエバは神さまが絶対食べてはいけない、食べると死ぬと言われた善悪の木から実をとって、蛇に惑わされて食べてしまいます・・・
その結果、死が入ってきて、神さまが全く見えなくなってしまったのです・・
これが、霊の死です。
しかし神さまは人を愛してくださり、その神のひとり子であるイエス・キリストを
この地上に送ってくださったのです!何の罪もないイエスさまは、ただこの地上に神のことさえ、創造主さえ知らずに住んでいる全人類、私であり、あなたのために
その苦い罪、どうしても取り除くことのできない罪のために、十字架にかかり、そのいのちを捨ててださいました・・・イエスさまが、十字架にかかることによって、人と神との和解がなされたのです。
だから、イエス・キリストを信じることによって、神さまが見えなかった私たちが、はっきり見えるようになります。この地上では、肉の体しかありません。だから、必ず死はやってきます。でも1人1人というのは、神さまの前に霊は生きているのです。大切なのは、この霊が生きるか死ぬかということです!
イエスさまの十字架は自分の罪であったと悔い改め、信じる者に神さまは、永遠のいのちを与え、神の子どもとしてくださいます。
26聖人たちは、自分たちの命は、神さまのおられるエデンの園に行けることを、喜んでいました。神さまのことを知っていたから・・・
でも彼らに心残りがありました!それはまだこの真理を知らずに、滅びてしまう魂のことが、非常に気になったのです・・・
わずか12歳、13歳、15歳の少年たちがかかった十字架、イエスさまがかかられた十字架にかかることを喜び、その上で鈴のなるような声で、神に捧げられた賛美歌、十字架上で最後の最後まで、神の愛を語ったパウロ三木・・・
真理を知ることは、強いなぁ・・・恐れがまったくなくなり、神の平安と喜びで満たされるんですねぇ。。。確かに、神の愛は深く、高く、大きく、すべてを越えたものです・・・多くの人が、この真理を知り、神の救いを受け取り、永遠のいのちをいただけますように!!!
『神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としての
キリスト・イエスです。』
(聖書 テモテⅠ 2:4~5)
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事