「愛」~大切な人の笑顔のために~

射水青年会議所理事長ブログ

青春時代⑨

2011-02-23 09:55:00 | 日記
今、過去の自分に戻れるとしたら、いつに戻りたいですか?
多くの方は、中学、高校、大学時代といった、自分の好きなことをしていた時代に戻りたいと思うのではないかと思います。
今の一文が、鍵を握っているのです!!
気がついている方もいるはずです!
「自分の好きなことをしていた時代に戻りたい」=「楽しかった」「まだ好きなことがしていたい」「自分が輝いていた」
という事になるのです。
すなわち、それが青春時代となるのです。
そう考えると、自分の青春時代は終わったよ・・・もうないんだ・・・
ではないのです!!
自分が真剣に取り組み、自分が輝くことが出来る時期が青春時代じゃないだろうか。
人生まだまだ長い!!
第二の青春時代、第三の青春時代がくる。
自分自身の青春時代といえる時期は、いくらでもある。
死ぬ一瞬まで輝いていれるように、お互いに人生を満喫しよう!!

そして・・・
高岡商業に入学が決まり、野球で日本一を目指すことを決意しました。
練習といえば過酷なもので、経験した人間にしかわかりません。
今の時代では、考えられませんね・・・
今の練習の話しなどを聞くと、なまぬるいと思いますもんね。口に出しては言いませんけどね。。。
どれだけの時間を費やしてきたことか。
一年生で入部した時、自分の学年は47名いましたが、夏には練習について行けず37名になってしまいました。これでも多く残ったほうですけどね。
結局、三学年合わせて108名の野球部でした。
朝7時30分までに登校し朝練習(ボールや道具磨き含む)
当然、高校時も自転車を全力でこいで登校してました。(*^_^*)
昼休み時間は、普通の生徒は昼食。野球部は、グランド整備。
授業が終わればダッシュでグランドに行き、すぐウオーミングアップ。
7時30分ぐらいまで全体練習
その後、上級生が全員帰るか、上級生に帰ってイイと言われるまで帰れない。
そんな日々が続きました。
自分が上級生になると、全体練習後に個人練習を10時くらいまで毎日やっていたので後輩達には、いい迷惑だったんじゃないかと思います。
仲間たちには感謝しています。ありがとう。。。

明日は、今で言うイジメ?虐待?の話しダ~

明日も見てね~~~(*^^)v



青春時代⑧

2011-02-22 08:20:00 | 日記
コメントの書き込みに、当時の画像をアップしてほしいとの声をいただきました。
うれしいですね~!
いささか気がひけますが、このシリーズの最後のエンディングにてアップしたいと思いますので宜しくお願い致します。
さて、皆さんも経験したと思いますが、高校に進学するための進路を考える時期となりました。自分の学力にあわせて進路を考えたと思います。
自分の学年での順位は、決して良いものではありませんでした。恥ずかしながら、後ろから数えた方が早かったです・・・
しかし、スポーツだけは他の人より優れていました。そんな理由もあって、トクタイで家の高校に進学しないか???という話を幾つもいただきました。
4つの高校からです!!!
野球でも陸上でも、どちらでもイイから来てくれないか!というものでした。
それを聞いた自分は、大変光栄に思いましたが丁重にお断りしました。
先生に、こんな話しがきてるぞ!と言われ、「行かん」と答えただけですが・・・
ここで人生の分かれ道!
どんな判断基準を持ち、どう判断するのか。
自分の判断は、野球をやるのであれば高岡商業か富山商業であろう。何故ならば名門であろうから。どちらかに決めようとした時に、高岡商業がセンバツ甲子園へ出場を決めました。そのことが決め手となり、野球をするなら一番強い高校でプレイすると決意しました。
では、やる気があっても受験に落ちたらは???
あまり深く、落ちたらのことは考えていませんでした。ただ言えることは、受験に落ちていたら野球はしてなかったかな・・・多分、陸上の道を選んでいたと思います。
これだけは、言っておかなくてはならないことがある。
野球も陸上も県内でトップクラスであったのに、何故野球を選択したのか?
陸上を選択した場合!
県大会で1位になり、全国大会でも良い成績を収めて、オリンピックに出場したとします。800M走で出場したとして、タイムは2分程度!!
どれだけ話題となり、どれだけTVに映りますか???
野球ではどうでしょう?
1試合、2時間半!
断然!野球の方がTVに映る時間は長いでしょう!!
目立ちたがり屋だったんでしょうね~(>_<)
そんな理由で、本格的な野球人生が始まったのです。

明日は、高校野球についてダ~

また見てね~~~(*^^)v

青春時代⑦

2011-02-21 09:06:24 | 日記
このシリーズも七回を迎えることができました。これもひとえに、皆様方の熱い声援のお陰でありると思っています。引き続き連載をいたしますので、熱い声援そしてご愛読のほど宜しくお願い致します。m(__)m

無事に、中学校での部活や大会も終わりました。思い出深い出来事が沢山ありました。
皆さんは、自分のことを体育会系だと思っていませんか???
意外とそうでもないのです。
中学校には、学校祭というものがあったはずです。各学校によって、やり方は色々だと思いますが、自分の中学は毎年学校祭はあるものの、三年に一度だけ盛大に大きく学校祭が行われていました。今は、どんな風になっているのかは知りませんが・・・
そんな三年に一度の学校祭が、自分の三年生の時にありました。
内気でシャイで人見知りする自分は、勇気を振り絞り!!!
先生に言いました。
「先生!学校祭で、俺にトランペット演奏したい!!!」
先生は、校長先生に相談すると言い残し去って行きました。
そして校長先生の承諾を得て、演奏することになりました。
今思えば、どうして何で何故なんだ???
長くなるので省略したのですが、簡単に説明します。小学校時代に鼓笛隊というものがありました。その中で自分は、トランペットを担当していましたし!小学五年生の時に金管バンドが結成され、高音、中音、低音とパートがありました。
管楽器は難しく、誰にでも上手く音が出せないのです。
しかし幸いにも自分は上手かった・・・
高音のパートリーダーとして、演奏曲の中でソロの部分もあったほどでした。富山の公会堂にて演奏もしました。(*^_^*)
後にLP(レコード)になって販売されたそうです。
三年もトランペットを吹いていないので心配ありましたが、持ち前の負けん気で頑張りました。
演奏すると言っても、独奏では様にならないと思い伴奏をつけることにしました。
ピアノ伴奏やな( 一一)
そして、ピアノ伴奏をしてくれたのが、初めてチョコを貰った子でした。
何度も一緒に音やリズムを合わせ、呼吸もピッタリ!!
最高の演奏が出来ました。
その時、どんな格好で演奏したと思います???
その子はセーラー服でしたが、自分は・・・
白のタキシード!!
そして胸には、花!!
そしてバリバリのリーゼント!!
カッコ良かった・・・
お陰さまで、中学校での伝説の人となりました。

明日は進路についてダ~

明日も見てね~~~(*^^)v


青春時代⑥

2011-02-20 09:18:06 | 日記

今日もイイ天気になりましたね。春が近いように感じます。自分の店ある桜も、春を想わせるように花を咲かせています。咲き誇る時も綺麗ですが、散っていく姿も美しいと思います。そんな人生であってほしいものですね!
今、自分は理事長職を預かっていますが、あなたに会えて良かった!あなたで良かった!と言ってもらえる事を夢見て、日々精進していきたいと思っています。
昨日のブログの内容から、学んだ事はありますか???
自分は、大いに経験を通じ学ぶことができました。
「正しく生きよう」ということでした。
自分さえ良ければイイではなく、社会との協調性やルールを守る。そんな成長の一助となったような気がします。
言うことは簡単ですが、なかなか難しいことですよね。
正しく生きよう!そうすれば、自分が良くなる。そして社会が良くなる!そして世界の平和と繁栄に寄与できる!!!
みんなで正しく生きよう(-。-)y-゜゜゜

さて、そんな毎日のトレーニングの成果もあるなか、ある時のことです。自分の中学校は生徒数の関係上、陸上部というものが存在しませんでした。陸上の大会があるたびに、各部活から選抜されて出場するのが通常でした。もともと足が速かった自分は、必ず呼び出され出場していまいた。なかなか結果の残す事の出来ない自分がいた。そんな自分は先生に言いました。
「一番辛い種目って何?」
先生は言いました。
「800M走やな!!」
自分は言いました。
「それに出る!!!」
先生は快く出場させてくれました。
結果は、富山県で3位という成績を収めることができました。(*^^)v
こんな陸上での過去の栄光の話でした。
中学時代の軟式野球での記憶は、ヒット1本しか打った記憶がない・・・
軟式野球も引退し、リトルリーグ(硬式野球)に三カ月ほど参加しました。
自分が野球に目覚めたのは、この頃でした。
このリトルリーグ(硬式野球)は、県大会もありました。チームは、各市町村対抗で構成されていて、自分は新湊チームでした。
勿論!!決勝戦で自分が、ランニングホームランを打って逆転して優勝したのは、言わなくてもわかりますよね!!(*^_^*)
人生の分かれ道!
高校への進路を考える時がきました。

また長いな~
もっと書きたいけど、また明日。。。


青春時代⑤

2011-02-19 09:11:38 | 日記
さあ!いよいよ大詰めですよ!!!

しんえもんさん(漢字忘れた)との別れを惜しみながら我に返った自分のとった行動は・・・親に言われた一言「何時だと思ってんの???(--〆)」に、その一言に逆切れ!!(--〆)プンプンになり、「何で時間を言ってくれんのや~~~!!!」
その時自分は、アドレナリンの分泌を感じ、闘魂全開になりました。
「闘魂」とは、己に打ち勝ち闘いを通して己を磨くこと。
元気が一番!元気があれば何でもできる!!まさにこの事ですね~
玄関を出て、慌てて走って行こうとした時です。
「間に合わん」と心の中で叫びました。玄関まで戻り親に「学校まで送ってくれ!!」と叫びました。すると家の中から「自分で行け~」と怒鳴り声がしました。その声を聞いた自分は、さらにアドレナリンを分泌させ「わかったわ!ボケ!!」と叫びながら自転車に飛び乗って登校しました。当時、自分の自転車はサイクリング車で、12段切り替えの早いやつ!あっと言う間に学校の側まで着きました。
近くの草むらに乗り捨て、下駄箱まで猛ダッシュ!!
ギリギリセーフ(*^_^*)
しかし、心の中では「まだまだ行けるじゃん!」
体力的に余裕を感じる自分でした。
後にこの事がキッカケで、自分のトレーニングが始まったのでした。
そして、トレーニングメニューを考えました。
自分の自転車は青色だったので、目立つから違う自転車に変えないと・・・
学校の玄関には、よく先生が立っているから自転車を何処に置いておくか・・・
猛ダッシュの出来る靴は・・・
教科書は重いから学校に置いていこう・・・
そんな対策を必死で考えました。
後日、自分をマネして自転車で通学する生徒が増えたみたいですが、ことごとく先生に見つかってこっ酷く説教されお仕置きされていたみたいですが。
自分は、一度も見つからず説教もされたことはありません。
しっかりとトレーニング計画をたてたから(*^^)v
具体的な理由は、わかっています。
誰よりも遅く家を出るので、みんなと通学する時間帯が違う。自転車は、14インチの物凄い小さなタイヤのママチャリ!誰も気がつかないのです。
そうやって小さなタイヤの負担のかかる自転車を、毎日全力で立ちコギして猛ダッシュで登校していました。
先生方の多大なるご理解と、ご協力を持って、今の自分があるのだと思っています。
心から感謝申し上げます。

※注意※ ちなみに自分の中学校は、自転車通学は認められていません。

中学時代の写真もあったな・・・
ブログに写真アップ出来たっけ???
コメントで希望があれば、載せてもいいかな・・・

まだまだ続くぞ~

明日は、トレーニングの成果ダ~!!!

また見てね~(*^^)v