誰のために?何のために?と、自問自答することがあります。それは、高校時代の監督に教えて頂いた「目標は、甲子園で優勝すること」「目的は、人づくりである」そんな言葉がキッカケになっていると思います。野球バカは、いらない!野球だけ出来るのではなく、社会での当たり前のことや必要なことを学ぶことができました。
高校二年生の夏の大会では、ベスト8で敗退し甲子園に出場することは出来ませんでした。3年の春の選抜では、北信越大会ベスト4で敗退し甲子園出場のチャンスを逃しました。あと1つ勝てば出場出来たのに・・・
自分の学年のチームでは、県内のチームに1度も負けた事がありませんでした。新人戦で優勝!決勝戦以外は、すべてコールドゲーム。
秋の大会は、県で優勝!
春の県大会も優勝!
誰しもが夏の大会では、甲子園出場を疑っていませんでした。高商野球部創立以来、最強と言われたチームでした。自分も何の心配もなく自信を持って練習に励み、大会を迎えました。しかしながら、初戦敗退という苦い経験を味わうこととなりました。
何でだろう?
チームに、おごりがあったんでしょうか。
運も実力のうち。
勝利の女神に微笑んでは貰えず・・・
試合が終わって帰りのバスの中で、何が起こったのか理解できず呆然としていたのを覚えています。事実を受け入れられませんでした。
高校野球では負けた時、悔しくて泣いたり達成感を感じるものなのかと思っていました。見ている皆さんも、そう思っていると思います。
自分は、ビックリして涙も出ませんでした。
人生で最高の屈辱です。
そんな経験も、自分の糧となっているんではないかと思いますが。
三年間のうち挫折も味わいました。怪我にも苦しみました。二年の夏の大会後に肩を壊し、右腕が肩より上に上がらなくなりました。レギュラー背番号8が10となり、12となりベンチから外れてしまいました・・・
この悔しさ、わかりますか?
2年の冬場、誰よりも努力したと思います。毎日、3Kgのベルトをして1Kgの鉄アーレを持って学校までランニングで登校しました。誰よりも多くバットも振りました。
学校の近所から、金属バットでボールの打つ音がうるさいと苦情がくるほどでした。そんな言葉にめげずに、木のバットで打てば、あまり大きな音がしないので相変わらず練習に励みました。帰るのは10時半、毎日クタクタでした。
「やるのは今だ!情熱を球とバットにそそぎ込め」
そんな言葉を紙に書き、自分を戒め生活していました。
高校二年生の夏の大会では、ベスト8で敗退し甲子園に出場することは出来ませんでした。3年の春の選抜では、北信越大会ベスト4で敗退し甲子園出場のチャンスを逃しました。あと1つ勝てば出場出来たのに・・・
自分の学年のチームでは、県内のチームに1度も負けた事がありませんでした。新人戦で優勝!決勝戦以外は、すべてコールドゲーム。
秋の大会は、県で優勝!
春の県大会も優勝!
誰しもが夏の大会では、甲子園出場を疑っていませんでした。高商野球部創立以来、最強と言われたチームでした。自分も何の心配もなく自信を持って練習に励み、大会を迎えました。しかしながら、初戦敗退という苦い経験を味わうこととなりました。
何でだろう?
チームに、おごりがあったんでしょうか。
運も実力のうち。
勝利の女神に微笑んでは貰えず・・・
試合が終わって帰りのバスの中で、何が起こったのか理解できず呆然としていたのを覚えています。事実を受け入れられませんでした。
高校野球では負けた時、悔しくて泣いたり達成感を感じるものなのかと思っていました。見ている皆さんも、そう思っていると思います。
自分は、ビックリして涙も出ませんでした。
人生で最高の屈辱です。
そんな経験も、自分の糧となっているんではないかと思いますが。
三年間のうち挫折も味わいました。怪我にも苦しみました。二年の夏の大会後に肩を壊し、右腕が肩より上に上がらなくなりました。レギュラー背番号8が10となり、12となりベンチから外れてしまいました・・・
この悔しさ、わかりますか?
2年の冬場、誰よりも努力したと思います。毎日、3Kgのベルトをして1Kgの鉄アーレを持って学校までランニングで登校しました。誰よりも多くバットも振りました。
学校の近所から、金属バットでボールの打つ音がうるさいと苦情がくるほどでした。そんな言葉にめげずに、木のバットで打てば、あまり大きな音がしないので相変わらず練習に励みました。帰るのは10時半、毎日クタクタでした。
「やるのは今だ!情熱を球とバットにそそぎ込め」
そんな言葉を紙に書き、自分を戒め生活していました。